第3話 C97冬 拡大集会 『みえる』もの
十月のある日、お台場有明にそびえる東京ビッグサイト。
そこではコミマスタッフの拡大集会が行われていた。
八月に開かれたC96夏から、あっという間に冬コミの準備が始まる。
「疲れた……」
午前の部、新人集会が終わった会議室には、机に突っ伏すさとりがいた。
新人集会ではコミマにあるさまざまな部署の話を聞き、新人の勧誘に近いプレゼンが行われる。
さとりは歌島由布子と小太郎の姉弟に誘われての参加となるため、同配希望で館内担当となることがほぼ決まっている。
館内担当は出展するサークルの頒布物に問題がないかを確認したり、参加者に対して案内したり、会場内の安全を確保したりする部署である。
その館内担当の中では東123地区、東456地区、西南地区に分かれていて、さとりは西南地区の西1ホールの担当になるようだ。
「大丈夫かな、私……」
さとりはこの間のC96夏の救護室での一幕を思い出していた。
「さとりちゃん、一緒にスタッフやらへん?」
ショートボブを揺らした屈託のない笑顔は、初めて出会った距離を感じさせない。
歌島由布子が振りまく関西人特有の人懐っこさは、なぜか警戒を抱かせずに懐に入り込んでくる。
「姉ちゃん何を言って……」
「このお祭りのことをもっと知りたいんやったら、スタッフになるのが一番やで」
見透かされたような気がした。
そもそもさとりがここに踏み入れたのは、遠くから見えた黄色い煙が気になったからだ。
自分の家の神社の氏子地域で、あのような怪しい何かを放っておくのは良くない気がした。
「えっと……」
このイベントが『お祭り』という点では興味がないわけではない。
だが、自分がスタッフとして役に立てるとも思えない。
期待させるのは申し訳ない。
どう断ろうかと思案しているさとりだったが、それを見た由布子は迷っていると思ったのだろうか。さらに畳みかける。
「ドリンク飲み放題、弁当も出る、夏は涼しく冬は暖かい休憩室に出入りし放題。欲しい本があるなら買いに行けるし福利厚生も充実してるし、初心者大歓迎! 何なら私がばっちり面倒見たるで」
「おい、姉ちゃん」
どれもさとりにはよく分からなかったが、次の由布子のひと言に強く惹かれた。
「ついでに人の役にも立てるし」
「人の役に……」
口の中で小さく繰り返す。
言外に役に立たないと言われてきた自分が、人の役に立てるかもしれない。
本当だろうか。
「そう。めっちゃ立てる。めっちゃ感謝されるし尊敬もされる。失敗してもまあフォローしたるし、そもそも失敗しても許してくれる人らばっかりや。最高や」
「サト、無理しなくていい。姉ちゃんの言うことは気にしなくても」
「やかましい男やな……私はサトちゃんと仲良うなりたいんや」
「仲良く、ですか」
ここ最近でそんなことを言われた記憶はない。
学校でも上手く友達が作れず、ご近所さんからも少し壁を作られている。
関わりある神職は特に含みもなく相手をしてくれるが、あくまで職場の上司の家族に対するそれだ。仲が良いわけではない。
「スタッフはまあ大変やけど、仲間やからな。一緒にこのイベントをやり遂げた仲間とは仲良くなれるで」
一歩、踏み出してみてもいいだろうか。
ちらりと小太郎を見る。
さとりを気遣うような視線。小学校の頃、手を引いてくれた小太郎のことを思い出す。
彼がいるのなら、一回ぐらいやってみてもいいだろうか。
「……ユウさん、あの、やってみても、いいですか」
「大歓迎や!」
そう言ってさとりの手を握る由布子。
そんなふたりを見た小太郎は、少し深めのため息をついた。
新人集会の場所になっていた会議室は、それなりに人の出入りがある。
机に突っ伏したままのさとりは夏コミのことを思い出し、早くも後悔していた。
当たり前だが知らない人だらけだ。それだけで気力が削られるような気もする。
そろそろ移動だろうか。
不安に思い始めた時、ようやく知った顔が現れた。
「あっ、さとりちゃんお疲れ!」
「こ、こんにちはユウさん」
さとりをここへ誘った張本人の歌島由布子がいつもの笑顔を振りまいてやって来た。
その後ろには相変わらず不機嫌そうな小太郎がついている。
「どうやった?」
「少し疲れ……ました。全然知らないことばかりで」
「あー、まあ夏コミはあんまり見て回る余裕なかったしなあ」
夏コミ、救護室で休憩したさとりは、連絡先を交換しその後そそくさと会場を後にした。
肝心のホール内には一歩も足を踏み入れずじまいだったのだ。
「やっぱり次の冬コミに一般参加して、それからの方が良かったんじゃないか」
小太郎が難しい顔をしている。
由布子も薄々そう感じているのか苦笑いで答える。
「んー、一般参加もサークル参加もせんでスタッフ登録する人っていうのも、おらんこともないからな」
「ってもなあ」
この後スタッフとして正式に登録するらしい。
やめておくなら今のうちだと小太郎が言うが、さとりは小さく首を横に振った。
「……私、頑張るから」
ふたりはきょとんとして顔を見合わせた。
由布子は優しく笑い、小太郎もふっと小さく笑う。
どちらも、自分の世界に歩み寄ってくれたさとりのことを受け入れてくれる目だ。
「そんな気負わんでええよ」
「サトはまずイベントのことを知らないと」
「……案内とかするんだよね」
「すぐに覚えられる。それに、初めてなんだから常にサポートが付くようにするだろ、なあ姉ちゃん?」
「任しとき!」
力強い由布子の言葉に、少しだけ安心する。
常にサポート……ということは、由布子か小太郎のどちらかが付いてくれるのだろう。
さとりはふっと息をついた。
「駐車場と合宿申し込みの受付始めてるんで、希望者はロビーに行って下さい!」
「お、うちら行かなあかんわ。ほなまた後でな」
「はい」
合宿とは何のことだろうか。自分は申し込まなくて良いのだろうか。
さとりが首をかしげ、肩の上の髪がさらりと揺れる。
「この後の集会は真ん中の大きな会議場だから、外の椅子で待っててくれ」
「うん。分かった」
小太郎に言われるまま、うなずく。
よく分からないがそこで待ち合わせということだろう。
「小太郎はまたリングスか。いひひ」
「うるさいな!」
そう言いながら去って行くふたりの背中を見送ったさとりは、小さく息をついた。
知らない人だらけの状況では、あのふたりだけが頼りだ。
このコミマスタッフという仕事(?)はとにかくしっかりと覚えるべきことを覚えて、当日の円滑な運営に協力することが目的らしい。
この間の夏に見た大勢の人たち。
あの人たちを陰で支える役。そういうことだろう。
最初に由布子が言った通り、実家の神社のお祭りの運営に近いものがある。
あれはどちらかというと周囲との調整が大変だが、さとりの誘われた『館内担当』ではそういう仕事はなさそうだ。
「あっ……」
考えに耽るさとりの視界を、さっと横切るものがあった。
とても大きな蜘蛛のような何か。大人の顔ぐらいの大きさだが、周囲の人は誰も気にしていない。
この台場では見ることが少なかったこともあり、少し気を抜いていた。ああいう類のものは人の多いところによく現れる。
先ほどまで人が多くいたこの会議室も、その残滓があるのか引き寄せられているようだ。
そろそろこの会議室も出た方が良いだろう。
深川さとりには幼少のころから持つ『みえる』力。
それは『幽霊』や『妖怪』とも称される、この世とあの世の間にあるものたちを目に映す。
その姿は人と近しいものもあればかけ離れたものもある。
どうやら独立した意思はあるようだが、さとりは見て見ぬふりをする。さとりは自分の中で、そんな彼らをまとめて『異形』としていた。
物心つかない頃のことは忘れたが、それらが『みえる』ことを父親に話した時、他言厳禁とされた。以来、それが良くないものなのだと思っている。
次に見えたものは、一見ただの汚れた黄色い布。
ひらひらと地面を滑るようにして動いているが、やはり誰も気にした様子はない。
さとりの足元にもふわりと近寄ってきたが、視線をやることもなく避けて歩く。
視界の端に小さなおじいさんのような姿のものもあった。
何をするともなくじっとしている。
目を合わせないよう視界の端に捉えるにとどめ、さとりは会議室から出ようとする。
「あっ、と、すみません」
周囲を『みて』いたせいか、出入り口で人とぶつかりそうになる。
「いえいえ」
「わ……」
つい相手を見てしまう。和服。
実家の職業柄、和服で着飾る人を見ることも多いが、その人たちとは違って着慣れ、非常によく馴染んでいる。
「どうぞ」
相手の女性は目を細めてたおやかに微笑み、軽く会釈をして道を譲ってくれる。
身長は小柄なさとりと同じくらい。真っすぐの黒髪は背中まで伸びているが、よく手入れされて艶やかだ。バッサリと肩までで髪を切ってしまった自分よりもよっぽど巫女らしく見えそうだ。
特に気を悪くした様子がないのを見て、さとりは胸をなでおろす。
「ふう」
少々換気の足りなかった会議室から外に出ると、多少は空気が軽くなったような気がする。
さとりは深呼吸をすると、小太郎と待ち合わせたベンチを探すべく歩き始めたのだった。
曲げた指を口に当て、目を細めてさとりの背を見つめる女性の視線に気づくことなく。




