第2話 C96夏 3日目 再会そして
深川さとりは昔からよく『みえ』た。
それは、他人には見えないもの。
幽霊、妖怪、怪異、形容し難いもの。
いつか知ったこの単語が、しっくりくると思った。
『異形』
物心ついて早々に、それは他人に話すべきではないと思い知った。
友達には嘘つきだと馬鹿にされ、時に気味悪がられ、なぜか親には叱られた。
さとりの家は大きな神社だ。
そういった家系なのかとも思ったが、これまでそういった『みえる』人はいなかったらしい。
父親は構ってほしさに嘘をついているのだと思い込み、祖父母は困ったように苦笑いをした。
足元にまとわりつく小動物のような異形のせいで歩きづらく、何もないようなところでつまずいた。
物を運んでいる最中は視界に入るように邪魔をされるし、手元で細かい作業をしているときは急に出てきて驚かされる。
何ひとつ上手くいかない。
『どんくさい子』
それがさとりに貼られたレッテルだった。
もはや、人の目が怖い。まともに顔が見られないほど重症だった。
昔は、そんなさとりにも気にせず接してくれる友達もいたのだが。
「あれ、ここ……」
目を覚ましたさとりが感じたのは、頬に当たる涼しい風。
慌てて体を起こし、風を感じる方を見た。
「気がつきましたか」
そこにいたのは、明るい色の帽子をかぶったメガネの男。
その気配に身を固くし、視線を逸らす。
左腕に巻かれた腕章、首から下げたID。どうやらスタッフらしい。
「『ちぇんじ』は持ってますか?」
まだぼんやりするさとりに、男は優しく尋ねた。
ぱたぱたとうちわで扇ぐ手は止めていない。いい人なのだろう。
「えっと……」
男の質問に何と答えて良いのか分からないさとりが、目を泳がせる。
何かよくないものが見えたから、ここに来た。このイベントのことは知らない。
そんな失礼なことを口にできない。
「あの」
目も合わせられず、受け答えもできないさとりの様子を見た男性は、ふっと笑ったようだった。
「ああ、しんどいなら無理しなくてもいいですよ」
その声色には、聞き覚えはない。しかし、まったく知らない声ではない。
息遣いというか、込められた感情というか。
それは昔々に、自分の手を引いてくれた……
「今はとりあえず、休んでください」
「はい……」
さとりはそう返事をしながら、記憶の糸を手繰り寄せる。
ぼんやりする頭で、彼が首から下げているIDを見た。
『歌島小太郎』
その瞬間、小学生の懐かしい思い出が蘇る。
小さい頃一緒に遊んでくれた男の子。
「……もしかして、コタくん?」
「えっ」
いつ以来だろうか。
記憶の中の彼よりも声が低くなっているし、背も高い。
恐る恐る顔を見る。
面影はあるが、いつの間にか眼鏡をしている。
緊張に思わず目を背けた。
「……サト?」
「あ、うん……」
ゆっくり息を吸って、うなずいた。
「コタくん、元気だった?」
「元気だったが……本当にサトなのか?」
お互い小学生で印象が止まっているはず。
姿かたちはともかくとして、中身の雰囲気はあまり変わっていないように思うが、向こうもそう思っているかもしれない。
「サトって呼ばれるのは久しぶり」
「俺もだ」
歌島小太郎。
母子家庭の彼が暇をつぶすため、お金もかからず比較的安全な場所ということで毎日のように神社に遊びに来ていた。
当然さとりも神社にいるため、自然とよく遊ぶことになる。いわゆる幼馴染といっていい。
そんな彼が隣県へ引っ越して何年経っただろうか。
記憶を探っていると、別の人が小太郎に声をかけた。
「小太郎、どない?」
「ああ、姉ちゃん」
「えっ、お姉さん?」
思わず大きな声が出た。
記憶の中の彼はひとりっ子で、当然姉などいないはずだった。
声をかけてきた女性は少し年上だろうが、全く見たことがない。
目が合いそうになって、反射的に視線を外す。
「ええと、コタくんお姉さんいたっけ」
「母さんが再婚したからな」
「あっ……そうなんだ。何か、ごめん」
「いいよ別に」
そのまま顔を伏せる。
小太郎の姉はそんなふたりを不思議そうに見て首をかしげる。
ショートボブの茶髪がふわりと揺れた。
「何や知り合いやったん? 小太郎、ちゃんと紹介してや」
さとりの耳に慣れない関西弁だ。
意志の強そうな瞳がきらりと光る。
「あ、えっと、深川さとりです。コタくんとは幼稚園と小学校……三年生まで一緒で」
失礼だとは思うが、顔を見ることができなかった。
いつからか、知らない人と話すときはこうなってしまう。
「ああ。家も近所でずっと同じクラス」
そうだった。ずっと同じクラスだった。
三年生の終わり近くに転校していったはずだから、七年ぶりぐらいだろうか。
「へえー、そうなんや。私は歌島由布子です。小太郎の姉で、社会人なったとこや」
「えっと、関西の方」
「そう。生まれ育ちは大阪で、高校からこっちの方にいてるんよ」
そう言って人懐っこい笑顔を向ける。
小太郎は対照的に眉をひそめている。このノリが苦手なのかもしれない。
昔は眼鏡をかけていなかったが、今は縁なしの眼鏡が良く似合っている。
「再婚したんがきっかけで、こっちに引っ越したんよ」
「それから一緒に暮らしてるんだ」
「そうなんだ」
引っ越して以来、ということになる。
姉弟揃ってスタッフをしているところを見ると仲は悪くはないのだろう。
「えっと、コタくん、久しぶりだね」
「サトはどうしてこんなところに? そもそもその格好」
ぎこちなく笑いかけるさとりだったが、小太郎の表情はどこか緊張気味だ。
実家の神社からはそれなりに離れているし、巫女装束でウロウロしているのもおかしい。
久しぶりの再会としてはかなり不自然だ。
「あー、えっと、あの、ここって……」
「救護室。サトみたいに調子悪くなる人はまあいるからな」
「運んでくれたんだ。ごめんね」
「それが仕事だからな」
冷房の効いた部屋には、同じように寝ている人が数人いる。
この暑さでやられてしまった人たちだという。
「コタくん、スタッフなんだね。お姉さんも。一緒にアルバイトしてるんだ」
「バイトとちゃうよ。ボランティアやで」
「え?」
姉の由布子の言葉が一瞬理解できなかった。
スタッフと言えば警備員みたいなものだ。さとりの常識から考えれば警備員は雇うものであり、ボランティアでするものではない。
「好きでやってるだけで、給料はないで」
「お姉さんも?」
小太郎だけが見習いのボランティアという意味かと思ったが、どうもそれも違うらしい。
姉弟揃って無給でスタッフをやっているという。
「ユウさんでええで。ここは『お姉さん』だらけやからな」
「あ、はい。えっと、ユウさん」
言葉の意味はよく分からなかったが、とりあえず言われるように呼び方を変える。
さとりに呼ばれ、由布子は嬉しそうにうなずいた。
「俺は姉ちゃんに無理やり連れて来られてスタッフやることになった」
「だってえ……寂しいねんもん!」
「あのなあ……」
抱きつこうとする由布子をかわす小太郎。この年の姉弟にしては距離が近いように見える。
とはいえ由布子が一方的に見えるが。
「小太郎と幼馴染かあ。ということは、この辺の子なん?」
「あ、はい。そうです。門前仲町の」
「門前仲町……なるほどな」
「何が」
「いやあ? 別にい?」
ニヤニヤする由布子がさっと離れ、ふたりの様子を窺う。
コロコロと表情が変わるが、これが関西人というものなのだろうか。
「それであの、コタくん、良かったらこのイベントのこと教えてもらえないかな」
「サト、知らずに来たのか?」
「あ、うん……」
呆れられただろうか。本当に何も知らないので正直にうなずいた。
「まあ何と言うか、漫画のお祭りだよ」
「お祭り……」
「大雑把すぎるやろ。私から説明するわ」
由布子が言うには、このイベントは次のようなものらしい。
このコミマは正式名称コミックマートと言うイベントである。
今回が96回目になる世界最大級の同人誌即売会。
同人誌というのはアマチュアの……つまり漫画や小説を書くことを趣味にしている人たちが、いわゆる自費出版のような形で本を作ったもののことを言う。
この同人誌即売会は、その本を持ち寄って頒布し合い、交流するようなイベント。
とのこと。
暑さにやられたさとりは全部理解できたとは言い難いが、何となく雰囲気はつかめた。
つまり小太郎の言うように、『漫画のお祭り』なのだと。
「もうちょっと分かりやすく言うと、自費出版のフリーマーケットみたいなもんやね」
「自費出版のフリーマーケット……」
そう言われてようやく理解できたような気がする。
さとりがたどり着けなかったホールの中で、そのフリーマーケットが行われているのだろう。
「あの、コスプレの人とかは」
「んー、大雑把に言うと、本作るのもコスプレするのも『ファン活動』っちゅうことや」
「ファン活動……」
分かったような、分からないような。
まださとりはこの会場で人混みしか見ていないに等しい。
「私に撮影していいかって聞いてきたのは……」
「コスプレやと思われたんかもしれへんな。この世には巫女のキャラクターもぎょうさんおるから」
「そうなんですね……」
なるほど、勘違いか。
「神社のお祭りでも勝手に撮影されることがあるので、なんだか不思議な感じです」
人混みや熱気も共通している。
ただ、神社のお祭りよりも不思議と秩序があるような気がした。
お祭りでは撮影前に断りを入れられないことがほとんどだ。先ほどの男性のように許可を求められたことの方が少ないかもしれない。
「まあここもお祭りやからな」
隣で小太郎がうんうんとうなずいている。
お祭りと言われると、色々と腑に落ちるような気がした。
「そっか。神社の家の子やったら、お祭りにも詳しいか」
「詳しいというか、お手伝いはしていました」
今までは。
過去形になってしまったことに、少しだけお腹のあたりが締め付けられるような気がした。
「そかそか。ところでさとりちゃん」
「はい?」
「一緒にスタッフやらへん?」
その屈託のない笑顔は、間違いなくさとりを捉えていた。




