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第1話 C96夏 3日目 初参加で目を回す

2作目となります。

 雲ひとつない夏空。

 軽トラのエアコンが悲鳴を上げるかのように全力で稼働しているが、まだ暑い。

 助手席に座る深川さとりは、車の屋根越しに熱を感じながらせわしなく視線を動かしていた。

 巫女装束である緋袴の風通しは悪く、汗をかいているのが自分でも分かる。

 これからこの灼熱の車外に出なければならないと思うと、それだけで額に汗が浮かんだ。

 長かった髪を肩の上まで切ったときは少し後悔もしたが、今の季節を思えば良かったのかもしれない。


「次の交差点でしたっけ」

「ええ、そうですね」


 ハンドルを握る権禰宜が、ちらりとナビに目をやった。

 

「交差点、止められますか」

「ええ。あまり車も通っていませんし」

「私だけで済ませちゃいますね」


 強い日差しに、一瞬ためらう。

 だが、今日自分が申し出た仕事は遂行しなければならない。

 さとりは意を決して車から降りる。

 足元にまとわりつく小さいものを無視しながら、電柱に縛り付けられていた立て看板を回収した。


『深川天満宮 例大祭のお知らせ』


 さとりの実家の神社の名前があった。

 昨日この道を神輿の行列が練り歩いた。

 その交通規制に関する看板だった。

 今日さとりは権禰宜と共に、その看板の回収の仕事を任されている。


「よし、じゃあ次が最後ですね」


 軽トラの荷台に看板を置いたさとりは、車に戻って息をついた。

 

「最後は、ビッグサイトのところですね。何か催しがあるかもしれませんね」


 手元の地図を見ながら、権禰宜が言う。

 

「この天気ですし。手早く済ませましょう」

「そうですね」


 動き出した軽トラから改めて空を見る。

 長らく外に出て良い気温ではない。

 さとりは先ほどのほんの数分の作業で、額に汗を重ねていた。


「それにしても、お嬢様にこんな雑用を」

「いいんです。こんなことでも役に立てて」


 誰かの役に立つことは、難しい。

 ずっとずっとさとりが思ってきたことだ。


「私、失敗ばかりだから……」

「誰でも最初はそうですよ」

「もう最初じゃないですから」

 

 さとりの家は、地域を代表する大きな神社だ。

 これまで神社の家の子として、色々なことを手伝ってきたのだが、ことごとく失敗してきた。

 はじめは温かく見守ってくれていた父親だったが、とうとう勉強に集中しなさいという理由で手伝いから外れるよう言い渡された。

 さとりは16歳。高校1年。

 確かに生活ががらりと変わり、将来を意識し勉強に軸足を置き始めるタイミングではあるが、明らかに失敗を重ねたための戦力外通告だった。

 

 それを機会に伸ばし続けた髪を切った。

 ただ、悲しかった。

 好きで失敗しているのではない。

 明らかに、何者かに邪魔をされているからなのだ。

 

 車がカーブを曲がり、遠くに小さく東京ビッグサイトが見えた。

 逆三角形が象徴的な建物。

 手前の大きな建物が展示場。

 そのくらいは知っていたが、実際に中に入ったことはなかった。

 一応氏子地域ではあるが、ほとんど縁のない土地だった。

 

「あれは……」


 見るとはなしに建物を眺めていたさとりの目に、それが見えた。


「どうしました?」

「いえ……」


 押し黙る。

 権禰宜には見えてないのだ。

 ビッグサイトの展示場から立ち上る、煙のように濁った黄色みがかった何か。

 それは空に昇っても霧散せず、もやとも煙ともつかない形で漂い続けている。

 さとりは知っている。

 『あれ』が見える場所には、大抵良くないものが集まっている。

 どこからかもくもく出ているわけではないので、大抵発生源は分からないのだが。

 

 道路から見る展示場は、とても多くの人が行き交っているようだ。

 それほどたくさんの人がいるのであれば、良くないものも混じるだろう。

 そういうものだと、さとりは思っている。

 

 しかし、このお盆の時期にこれほどの人が集まるのは何のイベントなのだろう。

 そして、近づいてもなお晴れない濁った黄色い霧。

 気になる。

 ここはいったい、何なのだろう。

 

「すみません、ちょっと見てきてもいいですか。あの、自分で帰りますので」

「もちろん構いませんけど……」

 

 少しぐらいなら見て行ってもいいだろうか。

 入場料が必要かもしれないが、財布も持っている。

 自分の神社の地域で行われているイベントのことを、知っていて損はないはずだ。

 

「ああ、確か門仲に行くバスがありましたね」


 思い出したように権禰宜が言う。

 そう。さとりの家に近い門前仲町からここまでバスが出ていることは知っていた。

 当然逆のルートもあるはずだ。


「コミマが気になりますか」

「はい。ちょっと気になるので……」

「分かりました。気をつけてくださいね」


 権禰宜が口にした『コミマ』という言葉。これがこのイベントを指していることは分かった。

 さとりもその名前を聞いたことがあるが、それが目の前のこのイベントであると、今知った。

 手早く最後の立て看板を荷台に載せると、運転席から権禰宜が頭を下げた。

 さとりは静かに軽トラを見送る。

 神社で看板を降ろす仕事があったはずだが、権禰宜に任せてしまってもいいだろう。

 おそらくそれを見越したうえで、送り出してくれただろうから。


「……」


 建物を見上げる。

 往来にたたずむ巫女装束の姿は目立つが、さとりはそこまで意識していない。

 目の前のイベントにかかる濁った黄色い煙。今はそれ以外のことを考えられない。


「……うん」

 

 自分を奮い立たせるように声を上げ、一歩踏み出す。

 これが後にコミマの運命を左右することになる、深川さとりの初参加だった。


 

 

 

「ひっ」


 逆三角形の下から建物の中に足を踏み入れた瞬間、小さく声が出た。

 予想していた以上の人混み、いや人々の流れ。


『行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず』


 方丈記の冒頭が頭をよぎる。

 しかしこの流れは水ではない。人、人、人。

 川の流れは水により清らかだが、この人の流れはどちらかというと……


「あっ」


 しかしさとりは、後ろから押されるようにして意図せずその流れに身を投じることとなった。


(歩いていくしかない……)


 逆走は危険だ。立ち止まることもままならない。

 この流れがどこに行くのかは分からないが、周囲の人たちは何かしらの目的を持って歩いていることは確かだ。いつかはどこかにたどり着くだろう。

 

 通路を歩き、エスカレーターを降り、高い天井の広場へとたどり着くと、ようやく人の密度が薄れた。

 大きな看板には『西1』『西2』とある。

 一緒に流れてきた人たちは、このどちらかが目的地だったということだろう。

 広場の端、壁際に身を寄せてようやくひと息つく。

 凄まじい熱気だ。

 一気に体力を持っていかれたような気になる。


「ふう……」


 若い人が多いが、中年以上の人も混じっている。

 男女の数にそれほど差があるようには感じられず、みんな顔に汗を浮かべて楽しそうにしている。

 時折目を引く変わった服の人がいたり、すごい色の髪の人がいたりするが、あれはコスプレというものだろう。さとりもそれぐらいは知っている。

 人々の流れは、思った通り西1あるいは西2の入り口に吸い込まれている。

 あの中に、ここにいる人たちのお目当てがあるのだろう。入場のチェックやチケット販売などはないようだが、そのまま中に入っても良いのだろうか。

 しかし、中を確認しなければ、ここに来た意味がなくなってしまう。

 

 ここでようやく、ちらちらと自分に向けられた視線に気が付いた。

 そこには一部違うものもあるようだが、概ね好奇の視線。

 間違いなく、さとりの緋色の袴に向いている。


「すみません」

「はっ、はい! 私ですか?」


 突然声をかけられた。若い男性だ。

 精一杯の友好的な笑みを浮かべている。

 一方のさとりは挙動不審になり目が泳ぐ。

 

「ええ。撮影、いいですか?」

「さ、撮影?」


 思いもよらぬ言葉だった。

 男性の手にしているカメラで、自分のことを撮影するということだろうか。

 実家の神社を手伝っているときも経験があった。

 多くの人は本人に断りもせず撮影してきた。何人かは目の前の男性のように確認してきてくれたが、思えば雰囲気が似ていたかもしれない。


「大丈夫ですか?」


 答えないさとりを気遣う男性。

 はっとしたさとりだったが、しかし神社でもないこんなところで撮影される理由もよく分からない。

 

「あ、あの……撮影はその……」


 どう言ったものかと言葉を探していると、不意に影が差した。

 

「すみません」


 さとりに背中を向けて立つ男。

 顔は見えなかったが、その腕にスタッフを表す腕章が見えた。

 

「今は混みあっていますので、ここでの撮影はご遠慮ください」

「あ、そうですね……すみません」


 注意された男性は、そそくさとその場を離れた。

 それを見届けたスタッフが振り返る。

 

「大丈夫ですか?」

「あ、はい……」


 おそらく助けてくれたのだろう。

 絡まれていると思われただろうか。

 驚いたせいで上手く話せないまま、先ほどの男性はどこかに行ってしまった。

 悪い人ではなかったと思うが、不快に思わせてしまっただろうか。

 

「ん?」


 そんなことを考えていると、スタッフが声を上げた。

 その声にどこか聞き覚えがあるような気がして、でも顔を見ることができない。

 人の目を見るのが怖い。

 視界がゆらぐ。

 

「……あれ……?」


 気温、湿度、人混み、急に話しかけられた。状況が分からない。

 さとりの頭はすぐに限界を迎えた。

 視界が砂嵐のようになり、立っている感覚が怪しくなる。

 

「ちょっ、うおっ!」

「……ふぁ……」


 暑さ、人ごみ、知らない人、不慣れな場所、どれが要因だったのかはともかく。

 

「……! ……!」


 それが自分を呼ぶ声だとぼんやり感じながら、さとりの意識はふっつりと途切れた。


どうぞお付き合いくださいませ。

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