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第43話 C98夏 3日目 勘

 空が白む夏コミの朝。

 少し疲れの残る体には、湿った空気が重く感じる。

 そして気が重い。

 昨日、閉会後にふぶき華夜から聞いた西2ホールのことが心に重くのしかかっている。

 あの後偶然出会った蔵前に相談しようとしたが、やめておいた。前回西1ホールで副ブロック長をしていた蔵前も、今回は西2ホールのスタッフだ。

 悪く言われるのは嫌に違いない。


「どうした、サト。疲れてるか」


 行きのバスで一緒になった小太郎が声をかけてくる。夏コミの3日目、小太郎も疲れを感じているのだろう。


「ううん、大丈夫」


 疲れている小太郎に話すべきか少し迷って、頑張って笑ってみせた。

 窓の外に目をやりながら、昨日のふぶきの言葉を思い出す。

 

『西2のスタッフがね、いくつものサークルに本の取り置き……いや、献上を強制しているのよ。スタッフの福利厚生という名目でね』




 

 ホール朝礼が終わり、ブロック別のミーティングに移る。

 

「えー、おはようさん。急やけど今朝熱出して欠席する人がふたりおるんで、ちょっと借受の割り振りを修正してます。あ、みんな体調は大丈夫?」


 この時期に発熱とは珍しい気がするが、夏風邪だろうか。たくさんの人が集まる以上、こういうリスクもあるのだろう。


「夏コミでふたりもお休みっちゅうのは珍しいけどなー。まあ体調不良で無理に来られるよりはええわ」


 そう言いながら、新しい借受の体制表を配る。

 一般入場対応を欠席者に代わって長崎に。長崎の役割だった外周弾幕は小太郎とさとりに変更した。

 ほか混雑対応の担当予定もあったが、そこのフォローには由布子があたるという。


「内壁も含めて混雑対応せなあかんから、さとりちゃんは外で誘導してもろた方がええと思う。エレンさんと柳さんは、混雑対応がちょっとしんどくなるかもしれんけどよろしく」

「はいっ」

「わかりました」


 嬉しそうなエレンと、淡々と受諾する柳。

 体制表を見ながら小太郎が由布子に問う。


「長崎さんひとりの枠に、俺とサトってことか」

「おすすめルートの案内もあるからちょっと重たいねん。元々ふたりでオファーされてたのをベテラン長崎さんだけで勘弁してもろてたからな」

 

 外周弾幕はサークル受付と重複する時間帯がある。今日のサークル配置では、成年向けの本が多い。そんな中で、成年向けをチェックできないさとりと小太郎が外周弾幕への借受を担当するのは合理的ではあった。

 

「東にどれだけスムーズに人を流せるかで、西の苦しさはだいぶ変わって来るからな。思ってるより大事やで」

「あー、わかった」

「頑張ります」


 ブロック別のミーティングが終了し、朝のお弁当を受け取りに行こうかと思っていると、由布子から声をかけられた。


「さとりちゃん、疲れてへんか?」


 朝の小太郎と同じことを聞かれて、さとりは「大丈夫です」と反射的に答えた。そんなに疲れた顔をしていただろうか。

 昨日聞いた西2のことを由布子に相談しようとも思ったが、改めて見る由布子の姿にもまた疲れが見える。今日は混雑すると聞いているし、余計な心配はかけたくない。


「まあ、心配事があったらいつでも相談して。お金と勉強の話は守備範囲外やけどな」


 付け加えられた冗談に、くすりと笑う。 

 サークルのことを思うと心苦しいが、今相談してすぐ解決する問題ではなさそうだ。ならこれは閉会後に相談するべきかと思う。

 

 目の前にいる由布子は、最初から……それこそ初対面の時からさとりを気に入ってくれている。結果この場所にいるわけだが、どうして気に入ってくれているのかは、聞いておきたいと思った。

 

「あの、ユウさんはどうして私をスタッフに誘ってくれたんですか」

「勘や」

 

 即答。

 あまりにも自信満々に、そして迷いなく言い切った。

 

「勘……」

「何となく『この子は絶対力になってくれる』って思った。せやから声かけた」


 じっとさとりを見る目は楽しそうだが、嘘や冗談でないことはわかった。この人は、自分のことを信じてくれている。

 

 ぞくり――

 

 ここに来てから何度か感じた不思議な感覚。それが何かわからないまま、ゆっくり息を吸って落ち着こうとする。

 

「最初は勘やったけど、今は大成功やと思てるよ。一年前の自分を褒めたいわ」

「一年……」

「もう一年になるんやねえ」


 あの日も3日目だった。

 今年の神輿巡行ルートは去年と違っている。毎年微妙に変えていて、数年かけて氏子地域を網羅する。

 去年たまたまビッグサイトをかすめるルートが取られ、その片付けに回っていたから巡り会えた。

 傍目には偶然なのだが……何か大きな力が働いているのでは、と思うことがある。

 もっとも、それこそ『勘』なのだが。 

 

「あの……」

「うん?」


 期待に応えたい気持ちと言い知れぬ不安、自分にできることと、心に秘めた本当の目的。

 色んなものが混ざり合ってうまく言葉にできない。

 

「あ、えっと……頑張ります」

「うん、頼りにしてるで!」

 

 



 ホール本部の横で、今日の借受の人員が四人ほど集まっていた。

 どうやらさとりと小太郎は最後だったらしい。時間に遅れたかとも思ったが、そうではないようだ。

 

「今日の『やゆよ』からは歌島弟と深川さんね……お、全員揃った。集合時間より前だけど始めますね。お疲れ様です! えっと、弾幕業務の借受の説明です!」


 外周『れ』ブロックのブロック員が、よく通る声で説明を始める。

 声の聞き取りやすさは、さすが外周ブロックといったところだろうか。

 

「外は広いので、参加者が走っちゃいます。それをこう、手を広げて声を上げて注意する役です」


 身振り手振りを交えながら、借受の人員の反応を窺う。さとりも目が合ったので小さく頷いた。

 

「あー、手は広げるんですけど、体を張って止めなくても良いです。ケガするんで。基本的には手を広げて声を出す。以上!」


 簡潔な説明に、集まった借受人員が面食らう。

 その様子を見た『れ』ブロック員が楽しそうに「ね、簡単でしょ?」と付け加え、一部スタッフに笑みが浮かんだ。何かのセリフだったらしい。

 

「後は、そうだな……立つ場所の指示とか、列整理とかやってもらう可能性がありますけど、外周の『れ』ブロックで指示するので、それに従って動いてください! 集合は八時に外で、あそこのシャッターの裏側ね。先に初期配置だけ決めときましょうか。えっと『やゆよ』ブロックのおふたりはこのあたりで……」


 会場の図面で指された場所を覚えておく。弾幕業務のピーク時はそうでもないが、企業へ向かうスロープや東へのおすすめルートと重なるため、開場後に大変になるらしい。

 説明をしてくれたブロック員の額にはすでに汗が浮き出ている。


「借受の時間、延びちゃうかもしれないんで、ブロック長には先に言ってますけど、改めて伝えておいてください」

 

 夏コミの3日目。最も来場者が多い、人によっては一番楽しい、ほぼ全員にとって一番大変な日。

 しかしホールでは疲労感よりも高揚感がとても濃い。


『祭り』


 誰が言ったかオタクの『祭り』である。

 今まさに、祭りの時間を共有するサークル参加者が続々と来場していた。

 


 解散後、由布子の姿を見つけたふたりは、とりあえず借受の時間が延びそうなことを報告しておく。由布子はちゃんと覚えていたようだが「了解」と笑ってみせた。

  

「今日はさとりちゃんには刺激の強いジャンルやから、見本誌チェックはでけへんね。多分開場時間中はぼちぼち混むし、今はゆっくり休んでもろてから弾幕の借受に行っといてくれてもええけど」

「いえ」


 さとりは首を振った。

 不思議と疲れは感じていない。

 

「少し早いですけど、外に行ってきます」

「そか。あんまり無理せんように」

 

 任せられた場所を見ておきたいという気持ちが強かった。慌ただしくなってきた本部にいるのも落ち着かない。


「俺はもうちょっと涼んでから行く。サト、また後でな」

「うん」



  

 ホールから一歩外に出ると、喧騒が嘘のように静まり返っている。

 外周『れ』ブロック員の姿もなく、今ここにいる人間はさとりただひとり。

 相変わらず異形はちょろちょろしているが、投影が始まっている様子はない。プロジェクターの電源が入っていないようだ。


「……?」


 電源の入れ忘れだろうか。

 さとりがプロジェクターに近づくと、順に異形が振り返るのが見えた。


「そこは、ダメですよ」

 

 プロジェクターの上に乗っていた異形を手で払って退いてもらうと、電源のボタンに触れた。

 小さな駆動音を立てて、プロジェクターの光が徐々に見えてくる。

 データの準備はできていたのだろう。後はさとりが何もせずとも、プロジェクターは例の動く漫画を投影し始めた。

 異形の興味が一斉に壁面へと移る。

 現金なものだと内心で苦笑いしながら、さとりはそっとその場を離れようとした。

 ふと視線を感じた方を見る。


「……?」

 

 その異形……二本足で立つ狐はじっとさとりのことを見ていた。


「こっちを見なくていいんですか?」


 壁面を指すさとりの言葉には応えず、少し離れてまたさとりを振り返る。


「……?」

 

 奇妙に音がない世界で、狐の異形と向き合う。

 狐の異形はまた距離をとると、じっとさとりのことを見つめる。


「来いってことですか?」


 それこそ『勘』で思い浮かんだことを口にしてみる。

 異形は当然何も答えないのだが。


「……」

 

 日陰とはいえどんどん気温が上がる屋外。その熱に浮かされるように、さとりはふらふらと異形の方へと近寄る。異形は満足そうに目を細めると、先へと進む。


 知らない場所なら警戒して近寄らなかっただろう。だが、いつの間にかビッグサイトの西1ホールは、さとりにとって勝手知ったる場所になっていた。

 無音のトラックヤードに、さとりの足音だけが鳴っていた。


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