閑話 九条静女のみえ方は
2日目の閉会後、サークルが多く残っている時間帯、スタッフとしてやれることは限られる。
九条静女は幾分冷房の効きが良い(ような気がする)アトリウムに出て、家路につく人々の流れを眺めていた。
そして、彼女の目に映っているのはそれだけではない。
「はよ帰れ……」
小さくつぶやいた言葉は、もちろん参加者に向けてではない。
彼女の目には黒い霧のようにも見える『或れ』に向けてのものだ。
帰る人にまとわりついているものもいれば、独立して動いているものもいる。
わずかだがホールに向かっていくものもいる。
九条の血族は『みえる』のである。
特に九条静女は、一族の中でも遠くからその存在を察知でき、そして『或れ』を排除する力も強い。
成人してからは特に一族で重宝され、ひっきりなしに入る『依頼』も多く振り分けられている。
「蹴飛ばしたいけど」
一族では、あれに名前をつけず、長らく『或』または『ア』と一音だけで表していたようだが、いつからか『或れ』と呼ぶようになったそうだ。
九条は当たり前のように『良くないもの』と教えられ、一族の生業である『或れ』に関する仕事にも、当然のように就いた。
自分に向かってくるものがいれば、あるいは頼まれでもすれば……ほとんど祓うこともできるだろう。
それが今までの九条静女の常識だった。だが、
「深川さとり……何モンやの」
偶然このコミマで同じホールになった女子高生のスタッフ。
妙な気配はあったし『或れ』が『みえ』ていそうな様子を見せることもあった。
(せやけど……)
目を凝らして見ても、やはりそれはぼやっとした輪郭など持たない黒いもの。
九条は気持ちを落ち着かせて印を結び、組んだ指の間から『或れ』を見る。
「……形ぐらいはまあ見えんこともない」
動物のようなものか、無機物か、大まかな大きさ、大体の形。
輪郭程度であっても、仕事の時には重要な手掛かりになる。それがどんな形をしているかで、どこを叩けば良いのか推測できる。
だが、その程度だ。
それを深川さとりは、
『あの、痛がってます』
はっきり言い切っていた。
(表情でも見えたいうんか)
間違いなく彼女は『みえ』ている。
だが、その『みえ』方は……
(そんなん聞いたこともないわ)
それが本当なら、輪郭どころの話ではない。
一族の常識がひっくり返されかねない。
「ふう……」
印を解いて息を整える。
意外と集中を要する。長時間使いたくはない。
それに、普段の目であってもある程度は『みえ』る。
「はあ、それにしても……」
九条はゆらりと足を進める。
アトリウムを壁沿いに進み、西1と西2の間の通路から西1ホールへと入り振り返る。
多賀谷シャッターと呼ばれるホール間のシャッターは開いていて、西1から西2、あるいはその逆もよく見える。
「相変わらず腐っとるな、あっちのホールは……」
西1から見た西2は、隣り合ったホールとは思えないほど雰囲気が違って見えた。
九条から見ても『或れ』の雰囲気が違う。西1よりもたちの悪いものが混じっているようにも思える。人の減った閉会後にもかかわらずだ。
会期中は西1が目に入らない『らりる』ブロックで良かったと思う。こんな様子がちらちら見えるようではスタッフ業務にも集中できない。
そんな西2に、知ったスタッフの姿を見つけた。あちらも九条に気づいたらしい。
「おや珍しい。お疲れ様」
前回まで隣の『やゆよ』ブロックで副ブロック長をしていた蔵前だ。
蔵前は西1と西2の間の通路を横切って九条のいる西1ホールに入ってきた。
「……蔵前はん、お疲れさんどす」
蔵前は「やっぱり西1の空気は美味い」と、どこまで本気か分からないことを言っている。
「どないです、そちらは」
「うーん……」
蔵前の表情は冴えない。
九条の『そちら』とは当然西2ホールのことだ。西地区では、去年の夏ごろからブロック長副ブロック長の交換留学を進めている。
蔵前はその一環で今回西2の所属となったのだが……
「聞いた通りやった、いうことですのん?」
「まあ、そう」
ブロック責任者の交換留学。
建前としては、地続きになっている東の123や456、南の12と違い、寸断されている西1と西2においてお互いの理解を深め合うことが目的となっている。
だが実際のところは、西2であまりよろしくない慣行があるという噂があり、真偽を確かめる意図があった。
当然西2は消極的であったが、西地区と西1の意思に押されて甘受した。
ホールや地区からの信頼の厚い数人が西2ホールに所属し、そしてほぼ確信を得る段階まで至っているようだ。
「ほんで、次に首のすげ替えしますのん?」
「いや、夏から冬は準備が足りないから無理だろうな」
「冬コミまではこのままやと?」
「遺憾ながら」
改めて、西2ホールに目をやる。
ホールの端々に見える『或れ』は、間違いなく祓った方が良いものだ。西1で見かけるそれと明らかに気配が違う。
深川さとりが『みれ』ば、何か分かるのだろうか。
(あほか)
頼ってどうする。それに彼女自身、見ることはできても祓うことはできまい。
「……ようこんななるまで、ほったらかしにしましたな」
「俺に言われてもなあ」
蔵前は困ったように頭をかく。
「次、九条さんが来る? 俺が『らりる』見るよ」
九条が西2の『或れ』を祓おうと思えば、大半は祓えるだろう。だがそれなりに代償もいるし、労力もかかる。ボランティアでそこまでする気はさらさらない。
何より西2の『人間』が合わなそうだ。気疲れしている蔵前を見るだけでも察せる。
「謹んでお断りさしてもらいます」
「だよねえ」
そもそも期待していなかったのだろう。蔵前は苦笑いして早々に諦めた。
「ぼちぼちサークル側の口にも出てきとるみたいですえ」
「らしいね」
蔵前が頷くと、九条は意外そうな表情を見せる。蔵前にもサークルとの繋がりがあるのだろうか。
その表情に気づいた蔵前が「ああ」と九条を見る。
「さっき深川さんにも会ったんだけど、何か知っているようなことを言われて。サークルの知り合いから聞いたんだろうね」
「あらほんまに。えらいおどおどしてる割に、よそのホール見る余裕もありはるんやねえ」
「新人スタッフの耳にすら届くのなら、本当にまずいね」
困ったようにため息をつく蔵前。
「あの子は新人やおまへんよ」
「ああ、前回冬からだから若葉マークか。そう変わらないんじゃない」
「いや……よう成長しとる」
「ふーん、若さかなあ……」
深川さとりを認めたくない気持ちと、過小評価されたくない気持ちが混じって、皮肉なのか擁護なのか自分で言っていて分からなくなってきた。
蔵前は気にしていないようだが。
それにしても深川さとり。
前回は蔵前と同じブロックではあったが、こんなところで話題に出るとは思わなかった。
彼女は、西2ホールの惨状を目にしたのだろうか。したとしたら、何をしてくれるだろうか。
面白そうではあるが、今の彼女に明らかに足りていないものがある。経験だ。
「……秋のスタッフ足りてへんのやったら、声かけてみはったら」
「あ、それは良いかも。反省会で捕まえてみようかな」
蔵前は自身のイベントで人手を欲していたはずだ。首都圏では毎週のようにイベントが開かれているが、ジャンルに疎そうな深川さとりに適したものとなると限られる。
その点、顔見知りが仕切るものなら安心だろう。
蔵前は九条の提案に満足したのか、また西2へと戻っていった。
その姿も『或れ』の影にすぐ見えづらくなる。
九条はひとつため息をつき、西1ホールを振り返る。
撤収に時間がかかっているサークルがいくつか残り、スタッフの閉会後作業が始められないようだ。
今は規模の小さいことに手を付けるしかない。
(む……チラシぐらいさっさと片付けえ)
サークル欠席のスペースだろう。机に残ったチラシを見つけ、翌日のサークルのために回収する。
ここは『にぬねの』ブロックのエリアだが、閉会後作業に担当ブロックも関係ない。少なくとも九条はそう思っている。
「っつ……」
チラシで指先を切ってしまった。
どうにもイライラして手近な『或れ』を蹴飛ばしてやろうかと思って、やめた。
「深川さとり……何モンやの」
そこにいる『或れ』は珍しく留まって、まるで九条を見ているかのようだった。
思わずそう考え、頭を振る。
「あほらし……」
小さくつぶやいた九条静女はチラシの束を手に、自分のブロックへと足を向けた。




