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第42話 C98夏 2日目 ウニスケとふぶき華夜

 閉会後の明日のサークルのための作業は、椅子が机の上に載せられているかのチェックと、おはよう紙と呼ばれる、朝サークルが何をするかのガイドを机に貼る作業、机のシールが剥がれていないかのチェックとなる。

 早めに撤収したサークルが多かったこともあり『やゆよ』ブロックでは先に長崎とエレンがチェックして回り、おはよう紙は牛込と柳でもう終わらせている。


「ほな、それで。水分取ってや」


 由布子は手早く次の業務組と帰宅組に振り分け、自由解散を宣言した。

 

 さとりはアトリウムへと続くホールの出入り口を眺めている。

 異形も帰る流れに乗っているが、彼らに帰る家はあるのだろうか。


 帰路につくサークル参加者の中に、見覚えのある顔がいた。ただ、段ボールを重そうに引くその足元に、よくなさそうなものがまとわりついていた。


「あの、お、お疲れ様です」

「え……あ、スタッフさん」


 さとりの声に顔を上げたのは、初参加のサークルの主、ウニスケだった。


「あの、ウニスケさん……何かありましたか」


 足元の異形は動きを止め、さとりの様子を窺うような視線を向けている。そちらを見ないように気をつけながら、ウニスケの話を聞く。


「ああ、えっと……今日、全然だめで」

「初めての参加でしたよね」

「はい。正直、もっと売れるんじゃないかって期待していたんですが……」


 瞳が潤んでいるのは分かっていたが、やがて一筋の涙が頬を伝った。


「すみません……」


 ハンカチで顔を押さえ、嗚咽を漏らす。

 さとりが話しかけてしまい、抑えていた感情があふれてしまったようだ。

 慌てて言葉を探すさとりに、呆れたような声がかけられた。


「深川さとり……なに参加者を泣かせているの」

「ふ、ふぶきさん」

「話があったのだけど、お取り込み中のようね」

「いえ、すみません……私の本が、売れなかっただけで」


 涙声のウニスケに何となく事情を察したふぶきは、カートに載った段ボールに目をやる。

 

「……ちょっと見せてみなさいよ」

「えっ、あ、はい」


 少しイラつきを見せていたふぶきだったが、ウニスケが大人しく本を渡すとじっくり読み始めた。

 ホールから出てすぐのアトリウムだが、人通りはそれほど多くないので邪魔にはならないだろう。

 そんな事を考えていると、ふぶきがそっと本を閉じた。


「厳しいアドバイスと優しい感想、どっちがいい?」

「へ? じゃああの、両方……」

「意外と欲張りね……」


 面食らったようなふぶきだが、唇の端が少し上がる。

 

「じゃあ厳しい方から行くわ。まず、そうね……ネームはちゃんと切ってる?」

「えっと……」


 言い淀むウニスケを見て、ふぶきが首を振る。

 

「いえ、いいわ。はっきり言って見切り発車感が強い。全体的な構成を俯瞰していないから、後半バタバタになってる。それからコマ割りが単調。ほら、このページとこのページ、全く同じでしょ。それと……」


 構図、演出、背景。そのひとつひとつの考え方とやり方について評価していく。


「最後。売れるか売れないかの視点で言えば、表紙に魅力が足りないわ。タイトルのセンスは良さそうなんだから、もう少しフォントを立たせて興味を引いて。あとコントラストが弱い。印刷会社は……ああ、ここは安い割にちゃんと面倒見て仕上げてくれるんだけど、明るい色がイマイチだから、表紙をフルカラーにするなら別のところに依頼した方がいいわ」

「は、はい……」


 怒涛のダメ出しに、ウニスケのキャパは限界に達しているようだ。


「あ、あの、ふぶきさん……」

「……分かってるわよ」


 さとりの声に、小さくため息が聞こえた。

 ふぶきは「じゃあ次」と前置きして、優しい感想を口にする。

 

「あのね、あなたの言葉のセンスは良いと思う。タイトルもそうだけど、モノローグの言葉選びが良いわね。それに人物の線は丁寧。腕が追いついてない部分はあるのだけど、見る人が見れば分かるわ」


 パラパラとページをめくりながら、あれこれ良かった点を具体的に挙げていく。緊張一色だったウニスケの表情に、ようやく喜びの色が見えた。


「そうね。全体的に言うなら……うーん」

「私は、温かい本だと……思いました」


 言葉を探していたふぶきは、さとりの感想に一瞬驚き、そして「そうかもね」と、表情を緩めた。

 閉じた本を手にしたまま、ふぶきがウニスケを見る。

 

「で、何部だったの」

「あの、さ、三部です……」

「ふん」


 恥ずかしそうなウニスケを、鼻で笑った。

 

「初参加の私の三倍ね」

「ええっ!」

 

 思わず声を上げるさとり。


「どうしてあなたが驚くのよ」

「だって、ふぶきさん、壁サークル……」

 

 開場時間中のふぶきのサークルを見たわけではないのだが、ふぶきはいわゆる壁配置、混雑が予想される人気サークルだ。

 当たり前のように何百と頒布されるらしい。

 そんなふぶきの初参加の頒布数が、たったの一冊とは。


「誰にだって初めてはあるわよ……」


 どことなく恥ずかしそうなふぶきは「ともかく」と話題を変えた。


「少なくとも三人、お金出して本を買ってくれたのでしょう? その意味をゆっくり考えなさい。あと、初めて買ってもらえた時の気持ちもね」


 ウニスケはハッとして素直に頷く。

 確かにそうだ。少ない人数であっても、本を手にとって、中を見て、お金を出して買ってくれた人がいた。

 それはここに来なければ、参加しなければできなかった経験であり、実績だ。

 

「アナログにこだわりはあるの?」

「え?」

「原稿。今どき珍しいオールアナログよね。部分的にでもデジタルにするつもりがあるのなら、教えてあげられるけど」

「あ、あの。あまりわからなくて……とにかく、漫画が描きたくて……その……」

 

 ふぶき華夜は嬉しそうにニヤリと笑う。


「いいじゃない」

 

 衝動でコミマに申し込み、迫りくる締め切りを意識しながら手探りであっても本を出した。

 頒布数という結果だけを見れば、大したことがないように見えるかもしれないが、そんなことはない。

 漫画を描けないさとりにすら分かる。とんでもない努力と根性だ。


「いいわね。ふふっ」

 

 本をめくって、奥付を確認する。

 

「ウニスケ……ね。うん、奥付のメールに連絡するわ」


 どうやらウニスケのことを気に入ったらしい。

 何となく良い方向に動きそうだ。

 先程までのウニスケの悲しそうな顔を思い出し、何もできなかった自分を助けてくれたふぶきに感謝する。

 

「あの、ふぶきさん、ありがとうございます」

「……どうしてあなたがお礼を言うの」

「えと、私は何も力になれていないので……」


 励ましたり慰めたりはできたかもしれないが、ふぶきほど直接的に、そして説得力を持たせられるものではない。

 

「ふん。じゃあ、少しは恩を返せたかしら」

「恩、ですか?」

「あなたね……」


 首を傾げるさとりに呆れた目を向ける。

 頭の腫瘍の事を言っているのかもしれないが、さとりとしては、失礼と受け取られかねない言葉で病院に行くと決めたのはふぶきだし、診断と手術をしたのはお医者さんだ。

 

 ふぶきは「まあいいわ」と諦めたようにため息をつき、ウニスケの方を向く。

 

「とにかく今日は早く帰って寝ることね」

「はい、あの、ありがとうございました」

「ああ、そういえば」


 ごそごそとバッグを探り、財布を取り出す。

 

「おいくらかしら」

「えっ」

「えっじゃないわよ。この本、一冊いただくわ」

「あ、わ、私も!」


 休憩時間に買いに行けばよかったのだが、今日は色々あって忘れてしまっていた。

 この機を逃すともう会えないかもしれない。

 由布子の『一期一会』という言葉を思い出し、さとりも声を上げた。

 

「いえ、そんな。差し上げます!」

「……はぁ」

 

 ふぶきはため息をつくと、財布ではなく本を取り出した。

 

「それじゃあ、うちの本をあげるわ」

「え、いやそんな」

「新刊の交換よ。よくある話でしょ。それとも、そういうのがないジャンルかしら……ああ、一般向けの方だから未成年でも問題ないわ」

「えっと……」


 折れたのはウニスケだった。

 自分の本の代わりにふぶきの本を受け取ると、眩しそうに見る。

 ウニスケの本と違って華やかで目を引く表紙。しなやかなキャラの躍動感には読む前から引き込まれる。

 なるほど、これがふぶきの言う表紙の魅力か。


「はい、あの、ありがとうございます。感想書きます」

「期待しているわ」


 サークル参加者ふたりのやりとりがひと段落し、さとりが財布を出す。

 

「わ、私は本がないので、お金払います」

「いえ、そんな!」

「私だけタダでもらうと怒られます!」

 

 誰にかはわからないが。

 いくばくかの問答の末『対価は貰っておきなさい』という先達の言葉にウニスケが折れたのだった。


 人通りが減ってきたアトリウムで、ウニスケが頭を下げた。

 

「ありがとうございました。今日、ここに来て本当に良かったです……それじゃあ、失礼します」

「お疲れ様」

「お疲れ様でした」


 出口に向かうウニスケは一度だけ振り返り、小さく頭を下げた。

 つられてさとりも頭を下げる。

 

「深川さとり」


 隣から聞こえたふぶきの真剣な声に、身を固くする。


「話があるのだけど」


 そう前置きしたふぶきは、言うべきか迷った末に、言葉を紡ぐ。

 人の少なくなったアトリウムだが、それでも声を抑えながら。なるべく感情を見せず、淡々と。


「えっ……」

 

 2日目の終わり。

 さとりはコミマの闇を知る。

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