表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
46/63

第41話 C98夏 2日目 田尾手

 『やゆよ』ブロックの巡回を終えたさとりは、由布子に「外の空気でも吸ってきたらええわ。中の空調のありがたみが増すで」とよく分からない送り出され方でトラックヤードへと出てきた。

 上のフロアにある西34ホールへ続く大きなスロープは、企業ブースへの行き来に利用されていることもあって多くの人が行き交っている。

 

「ここから東に行けますか?」

「あ、はい、大丈夫です。あそこの出口からの流れです」

「ありがとうございます」


 簡単な問い合わせなら、さらりと対応できるようになった。


「暑いなあ……」


 多くの参加者も暑さに参っているように見える。


「んっ……」


 それを見た時、一瞬言葉を失った。

 スロープの下、植え込み近くにある巨体。隣に座る男性が小さく見えるほど大きな体は、黒い毛に覆われている。


(牛……?)


 ぱっと見たそれは神社に祀られている牛の銅像によく似ている。もっとも、大きさが銅像の倍以上はあるが。


(あ……寝てる……?)


 気だるそうに横たわっている巨体。

 直視はしないが、何となく異形であることが分かる。

 

(誰も気がついてないし、そうだよね……)


 顔を見ることはできないが、どうも呼吸のために体が大きく上下しており、息が荒いようにも見える。


(体調が、悪い……?)


 異形の体調不良など見たことも聞いたこともない。聞いたことがないのは当然かと思い直す。

 異形の傷病者をどうするべきか。

 一瞬九条に相談することも考えたが、明らかに異形への害意を持つ彼女には相談しない方が良さそうだ。


(うーん……)

 

 見なかったことにするというのも考えたが、この場所にいる異形たちは、どうやらコミマを楽しみに来ている。

 それを知ってしまっているさとりには、何もせず立ち去るという選択はできなかった。


「……ここに、置いておきます」


 小さくつぶやいて、新品のミネラルウォーターを開封し、そっと近くに置く。

 それから先ほど配られた塩飴も添えることにした。相手が牛だからといって、口に入れるものを地面に直接置くのもはばかられる。

 少し考え、外したミネラルウォーターのふたに塩飴をふたつ重ねて水の横に置いた。


「しっかり休んでくださいね」


 幸い誰もこちらを見ていない。

 この異形が見えないとしたら、何もないところに水と塩飴を置く変なスタッフに見えてしまうかもと思いながら、さとりはその場を後にした。

 

 西1ホールトラックヤードの片隅に、まるでお供え物のように並んだミネラルウォーターと塩飴。

 しかし人が瞬きするほんの一瞬で中身は消え、後には転がった空のペットボトルとそのふたが残されていた。

 


 

 閉会の少し前の一斉点検が済むと、今日の終わりを感じ始める。

 もっとも、多くのサークルはすでにスペースを引き上げ、がらんとした机が並ぶエリアばかりなのだが。

 さとりは一斉点検で拾ったごみを捨てにアトリウムへと出てきた。

 帰る人の流れが多いが、異形は構わずアトリウムを行き交っている。


「あのう、すみません」

「はい」


 帰り道の問い合わせだろうかと声のした方を振り返る。

 そこには男性参加者の姿があった。


「どうかされましたか」

「午前中、地図を拾ってくださったスタッフさん……ですよね」

「……あっ」


 言われて、思い出した。

 確かにこの近くで座り込んでいた参加者だ。そしてその後落とした地図を拾って追いかけ手渡した。

 その時の彼の態度を思い出し、少し表情が固くなる。

 

「えっと、はい……」


 そんなさとりを見てか、参加者は半歩後ろに下がり、勢いよく頭を下げた。

 

「その節は、ありがとうございました!」

「えっ、えっ」

「午前中その……非常に失礼な態度を取ってしまって、申し訳ありませんでした」


 ゆっくり頭を上げた男性は、その顔に後悔の色を浮かべ言葉を続けた。


「言い訳になるのですが、欲しかった本が目の前で完売して、イライラしていて」

「そうでしたか」


 あの時は何か異形が憑いていたが、今は見当たらない。もしかしたら気分が不安定だったのはその影響があったのかもしれない。

 とはいえ、さとりの表情は固いままだ。笑おうとしてうまくいかない。

 

「スタッフさんが地図を届けてくれたお陰で、その後は取りこぼしなく買うことができたのですが、地図を見るたびに自分の取った態度を思い出してしまって、その……謝罪させていただきたいと」

「……本当は、ショックではあったんですけど」

「うっ……」


 偽らざる気持ちを伝える。

 無視され、悪態をつかれ、礼もなく。

 その態度を向けられたさとりが傷ついたのは確かだ。

 だが、これ以上この人を責めても何も生まれない。

 さとりは一つ深めに息を吸い、目を閉じた。

 

「……でも、こうしてわざわざ来てくださるような方が、コミマを最後まで楽しめたから良かったと思います」


 心の傷はなかったことにはならない。だが、彼の謝罪で幾分癒えたことは確かだ。

 男性参加者は、謝罪を受け入れてくれたさとりに何度も頭を下げ、出口へと去っていった。


 気持ちが整理しきれないままぼんやりとその姿を見送っていると、すぐ横から声がした。

 

「案外律義な奴だったね」

「えっ、あっ、お疲れ様です」


 午前中、今の参加者に地図を届けたところを見ていた男性スタッフだ。

 さとりの挨拶に「お疲れ様」と小さく笑いながら応えた。

 しばしさとりの顔を見たあと、スッと笑みを消す。ちらりとスタッフ証を確認すると、見透かすような目をじっと向けてくる。

 

「ねえ、深川さとりさんはどうしたい?」

「どう……ですか?」


 質問の意図がつかめず、オウム返しになる。


「さっきの男さ」

 

 男性スタッフは、出口の方へと目を移す。

 正確には、先ほどの男性参加者が去った方、というべきだろう。

  

「スタッフの指示を無視したり、逆らう参加者は少なからずいる。少数なら何とかなるけど、そういった手合いが増えてくると、やがて事故が起こる。大きな事故がね」


 言わんとしていることは何となく分かるが、先ほどの質問と結びつかない。

 

「少しでも芽を摘むために、もう今後参加を遠慮してもらうよう言ったほうがいいんじゃないかな」

「そんな……」


 思ってもみないことだった。

 たまたま不機嫌で、自分を無視したからといって……謝ったのだし、そこまでするようなこととは思えない。

  

「……私には、そんなことはできません」

「だったら、代わりにそうしてあげてもいいよ」

「代わり?」

「そう。僕が彼と話し合って、もう参加しないように『説得』してきてあげるよ」


 冗談のように言うが、どういうわけか冗談には聞こえなかった。

 さとりは間違っても「お願いします」と言わないように気をつけて口を開く。

 

「反省、されていましたし……必要ありません」

「午前中のあれ、不快じゃなかった?」

「それは……無視されたのは悲しかったですけど」

 

 自分がいないもののように扱われる。それはとても辛い。

 だからといって、あの参加者の……恐らくは楽しみにしているであろうコミマを奪うことなどできない。

 さとりには、さとりを尊重してくれる西1ホールのスタッフ仲間も、そんなことは望まないと思う。


「不快でしたけど、もう大丈夫です」


 少し強がってしまったかなと、言ってから思う。

 だが、不思議と後悔や後ろめたさは感じなかった。

 そんなさとりを、面白そうに見る。

 

「……まあいいや。今回はそうじゃなかったかもしれないけど、今後そういう参加者がいたら僕を頼ると良い」


 そう言ってスタッフ証を見せてくる。


「西南地区本部の田尾手だ。西地区の担当をしている」

 

 経験の浅いさとりにとっては、地区本部が何をする部署なのかいまいち理解できていない。だが、何となく『上』の部署なのだろうと感じる。


「これで『たおて』と読む。中国地方の山奥にしかいないレア名字でね」

 

 そんな『上』の人がなぜ話しかけてくるのか分からないが、気にかけてくれているのは確かなようだ。


「気軽に頼ってくれて良い。僕は君のことが気に入ったよ」

「えっ、あ、はい……ありがとうございます?」


 今の会話に気に入る要素があっただろうかと思い返していると、帰路につくサークル参加者のカバンから、何かが落ちるのが見えた。


「あっ、すみません、落とし物をされたので行ってき……あれ?」


 田尾手の姿はいつの間にか消えていた。この間もこんな感じだったような気がする。

 一瞬固まるさとりだったが、今はサークルの落とし物が先だ。

 

 サークルへの対応を終えて、さっきまでいた場所を見る。

 やはり田尾手の姿はなく、帰路につく参加者の姿しか見えなかった。

 


 

「田尾手?」


 ちょうど西1ホールの入り口にいた由布子に尋ねてみたが、


「うーん、そんな人おったっけ?」


 首を傾げるばかり。

 何となくそうだろうなとは思ったのだが。

 

「まあ、別の部署の人なんか全員知ってるわけでもないしな。その人がどうかしたん?」

「あ、いえ。さっきお話してくださって……その、ちょっと変わった方だったので」

「そうなんや。コミマは変わった人だらけやからな」


 それは少し種類が違う……とさとりは思う。

 足元の移動する水たまりもそうだし、ひらひらと舞う紙のようなものもそうだ。変わった異形もまた多い。


「お、もうすぐ閉会やで」


 由布子の声に、顔を上げる。


『これにて、コミックマート98夏、2日目を終了いたします。お疲れ様でした!』


 ホールだけでなく、アトリウムからも拍手が聞こえる。ほとんど全員が手を叩き、今日のイベントの成功を祝う。

 この光景を見るだけで、なぜか元気が出てくる気がする。

 

「よし、ほんなら明日の準備やって、はよ帰ろ! 頼むで、さとりちゃん!」

「はいっ」

 

 さとりは自分でも意外なほど、はっきりと大きな声で返事をした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ