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第40話 C98夏 2日目 待望の業務

 外周以外に目立った列や混雑がないということもあって、西1ホールの本部には穏やかな空気が流れていた。


「お疲れ様です」

「お疲れー」


 何となく『やゆよ』のブロック員が集まる一角も、ブロック長を筆頭にのんびりしている。

 巡回から戻ってきた長崎とエレンが、由布子に異常がないことを報告し、その輪に仲間入りした。

 口を開いたのは長崎。


「ちょっと聞いてよ。さっきエレンさんが」

「ちょ、ちょ、やめてください!」

「いいじゃない活躍した話なんだから」


 恥ずかしがるエレンだが、まんざらでもない様子が見え隠れする。

 

「何や何や?」

「いいことあった?」


 なぜか得意げな長崎が鼻を鳴らし、恥ずかしがるエレンを前に押し出した。

 

「自己紹介の時ジャパニーズイングリッシュとか謙遜してたくせに、さっき外国人の方の問い合わせに流暢な英語で返してたんだ」

「えー、すごいやん!」

「マジかー、ホールの英語担当決まっちゃったな」


 口々に笑顔で称賛するブロック員。

 一方のエレンは手を顔の前でブンブン横に振る。


「いやいやいや。でもほんと、訛ってるから相手の人も微妙な顔してたし」

「ははは。驚いてはいたけど、微妙な顔ではなかったよ」

「ていうか長崎さんも相手の言ってること分かってましたよね。代わりに案内してくれればよかったのに」

「ヒアリングできるけどスピーキングは無理なんだよね」

「嘘だ!」


 有名作品のセリフ調に返すと、本部の一角で笑いが起こった。

 さとりは作品を知らないため、なぜ笑っているのか分からないが、曖昧な笑顔で雰囲気に付き合う。

 

「最終的に伝わったんでしょ」

「もちろん」


 なぜか長崎が答える。

 エレンは照れているのか、嬉しそうに目を伏せている。

 

「それなら言うことなしじゃないですか。僕らだったら意思疎通も無理ですよ」

「だよねー」

「英語も勉強せなあかん、せなあかん……とは思ってるんやけどなー」

「なかなかね」

「さとりちゃんと小太郎はどない?」

「全然!」


 なぜか自信満々の小太郎。

 

「私は、授業の範囲ぐらい……」

「せやんなあ」

 

 由布子が励ますようにふたりの肩を叩いた。エレンはこちらの会話に興味を示さない。

 

『深川さんって』

 

 昨日言われたことを思い出し、胸にモヤモヤしたものを感じた。

 一瞬、エレンと目が合った。しかしすぐに視線を外して長崎に話しかけている。

 モヤモヤが少し胸に刺さる硬さになったのを感じながら、さとりは本部を離れたのだった。


 


「はあ……」


 精神的な疲れを感じながら、さとりはため息をついた。

 しかしそんなさとりを見計らったように、待望の業務が振り分けられた。

 

「深川さん、前回この作業やったの?」

「あ、はい。楽しかったのでまたやりたくて」

「へえ、そうなんだ」


 微笑ましいものを見るように笑うのは、同じブロックの柳。

 外の喧騒が遠くに聞こえる静かな部屋。西地区の見本誌が集められたその部屋で行われるのは『フュージョン』である。

 さとりはこの間の冬コミで上手くやれたと自分でも思うし、実際とても褒められた。


「あ、フュージョンの借受かな? 来てくれてありがとう。ふたりとも経験者?」


 前回とは違う本部スタッフが、さとりと柳に声をかける。


「私は前回……」 

「私は初めてです」

「そうですか。えーっと……マニュアルには書いてるんですけど、きっと読んでないですよね」

「……はい、すみません」


 柳が正直に謝った。

 

「いやいや。あんまりやらない作業だし、仕方ない仕方ない。逆にこの作業やってから読むと理解が深まっていいかも。じゃあ、一緒に作業しながら説明しますね」


 どうやら柳とは別々に作業らしい。おしゃべりしながらでも良かったが、今はひとりで淡々と箱に詰め直す作業をする方がいいかもしれない。


「そちらの、えっと……深川さんは経験者でよかったですよね?」

「あ、はい。前の冬コミでやりました」

「そっか。助かる。じゃあ『に』ブロックから順にやっていってもらっていいかな。こっちの柳さんに説明した後『れ』ブロックからやり始めるんで」

「わかりました」


 作業開始。

『に』ブロックの箱はひと箱。配置サークルが少ないブロックだ。隣の『ぬ』ブロックの箱も開けて、傾向を感じ取る。

 サイズもバラバラに、とりあえずで詰め込まれた同人誌。それは、ひとつひとつのサークルの、努力の結晶。

 思いを受けて生まれた大事な本。


「ふう……」

 

 深呼吸とともに、心が静まる感じがする。

 やがて、さとりは手を動かしはじめる。

 サイズを揃え、箱に詰める。

 字面にするとただそれだけだが、案外奥が深い。


(うん……ちょうど)


 最終チェックを受けるため、蓋は閉じないでおく。

 次、そしてまた次。


(ぴったり)


 複数のブロックが混じった場合は、分かるようにメモを付けておく。


(あ……私が見本誌確認した本)


 小さな愛おしさを指先に込めながら、大きさを合わせ、箱の中へと置いてゆく。

 パズルよりも簡単に、あるべき場所、重ねるべき数、はみ出す数が分かる。

 その感覚に沿って作業を進めるうち、本部スタッフの声が聞こえてきた。


「……というわけで、あんまりぴったりにはならないから、基本的にブロックは混じることに……あれ?」

 

 その声に顔を上げる。

 何か間違っただろうか。

 

「あれ? あの、深川さん……もう『る』ブロック?」

「はい。えっと……そうですね。今『る』ブロックです」


 西地区は『あ』から『れ』までのブロックがあり、西1ホールは『に』から『れ』……つまりさとりは西1ホールのほとんどを完了してしまっていた。

  

「あ、ありがとうね……えーっと、全部やっちゃうと柳さんの経験にならないから『れ』ブロックは柳さんにやってもらうのでいいかな?」

「あっ、そうですよね。ごめんなさい……」

「いやいやいや。早くてすごく助かるよ! 思ったより早かっただけで……」

 

 話しながら手を動かすさとりは、すぐさま『る』ブロックを終えてしまった。

 A5サイズの本がひとかたまり残っている。

 

「『り』と『る』の箱が一緒になってて、ぴったり収まりました」

「あ、うん。そうだね……え、そんなに余らなかった?」

「ええと、はい。あの、混ぜた箱にはメモを置いているので」

「了解了解。蓋も開けてくれてるのか……あー、じゃあ『に』ブロックからチェックするから、柳さんと一緒に『れ』ブロック見てもらえます?」

「あっ、はい。分かりました」


 本部スタッフが順にチェックして回る間に、西1ホール最後の箱を詰める。

 慎重な手つきで柳が本を詰めて、時折さとりが「少し減らします」「これはこっちに重ねましょう」と少しだけ口出しをする。

 やがて最後の本を真ん中に重ねて、柳が息をついた。


「ふう、終わった……気を遣う作業ね」

「そうですね。大事な見本誌ですし」

「……こういうふうに保管されていくのね」


 『に』ブロックからの箱を順に見やる柳。

 一番近くの『れ』ブロックの箱に手をかけて、隙間なく詰められた同人誌をなでる。


「スタッフ、やってみて良かったわ」

「え?」

「サークルだけやっていたら、到底知りようがないもの」

「そうかもしれませんね……そういえば柳さんはサークル参加していたって自己紹介の時言ってましたね」

「ええ……今はちょっと、お休み中」

「そうなんですか。あ、設営日の荷物置き場イラスト……ありがとうございました。ああやって絵が描けるのって、すごいと思います」

「ふふ、ありがとう」


 その困ったように笑う表情を見て、少し失敗したと思うさとりだったが……


「はーい、深川さんの仕事は完璧でしたー! 文句のつけようがありませーん!」


 半分ヤケクソに、両手を上げる本部スタッフの声が響いた。

 西1ホールのフュージョンは無事終わりらしい。


「しかもめっちゃ早いし、どうなってんの……明日もお願いしたいけど、それはちょっとなあ」


 とても残念そうだ。

 さとりとしては呼ばれれば喜んで作業するのだが。

 

「他のブロックの人が来るって決まってるんじゃないですか?」

「それもあるんだけど……ほぼ成年向けで」

「あー」

「ああ……」


 中を読むわけではないのだが、表紙もなかなか過激な本が多い。まだ十八歳になっていないさとりに対しては、配慮が必要な部分だった。

 現状、深川さとりの唯一の欠点ともいえる。

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