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第39話 C98夏 2日目 アトリウムにて

「あまり混んでなさそうだな」


 開場後しばらく小太郎と巡回していたが、小太郎の言うように『やゆよ』ブロックに目立った混雑は見られない。

 人の流れも異形の動きも穏やかに見える。

 

「すみません、東へはどう行けば良いですか」

「あ、はい。あのシャッターから外に出て左に行くと『おすすめルート』に行けるので……」


 さとりが案内をしている後ろで、

 

「企業へ行くルートありますか」

「外のスロープから上の階に上がれます。アトリウムのエスカレーターは多分混んでるのでここからなら外の方が早いですね」


 小太郎も案内をする。

 スタッフは案外この案内業務が多い。

 ふたりはしばらく巡回と参加者対応を続け、頃合いを見て本部へと戻った。


「暑いのは暑いな。飲み物飲んどこう」

「そうだね」


 ホール内で多少空調が稼働しているとはいえ、開けっ放しにしたシャッターから入る暖かい……いや、熱い空気。それに加えホール内の人々の熱気。

 巡回をしたふたりの額にも汗が浮かんでいた。


「多分明日が一番きついから、温存していこう」

「うん」

 

 本部の椅子に座って一息ついていると、本部のスタッフがさとりを見つけて近づいてきた。

 

「深川さん、知り合いの人が来てるよ」

「知り合い?」


 さとりは首を傾げる。心当たりがないが。

 さとりをアトリウム側の出入り口まで案内すると、本部スタッフは戻っていった。


「えっと……」


 ドアの横に立っていたショートカットの女性はさとりを見て小さくつぶやいた。 

 

「深川さとり……」

「え、えっと、こんにちは……?」

 

 記憶の中を探ってみるが、覚えがない。

 気の強そうな目がさとりの反応を見て見開かれる。

 

「はあっ!? 覚えてないの!?」

「あ、いえ……」


 声で思い出した。

 思い出したのだが、名前が出てこない。

 

「えっと、前回の2日目のサークルさんの……」

「そうよ。ふぶき華夜よ」


 担当ブロックではなかったが、受付をしたサークル参加者だ。

 さとりはようやくそのことを思い出し、ついでに署名の字を思い出した。


「白河さん」

「本名はやめて」

「す、すみません……」


 目が本気だ。

 本名で呼ぶのはスタッフだけらしい。不思議な世界だ。

 

「あの、その、ふぶき華夜さんが一体……」

「……ありがとう」

「えっ?」

「あなた『病院に行って検査を受けろ』って言ってくれたわよね。あれから年が明けてすぐ病院に行ったの。半信半疑だったけど……何もなかったなら文句言ってやると思って」


 さとりは一生懸命思い出す。そういえばそんなことがあったような気がする。アトリウムかどこかだっただろうか。

 

「そしたら腫瘍が見つかってね」

「ええっ!?」

 

 頭を指すのを見て、さとりは思わず声を上げた。そんなさとりに呆れた目を向ける。

 

「どうしてあなたが驚くのよ……まあ、医者も驚いてたんだけど」

「あの、それでその、大丈夫だったんですか」

「ええ。お陰様で。でももし放っておいたらどうなっていたか分からないって言われたわ」

「それはその……良かったです」


 彼女とは前回の冬コミで会っただけだが、早めに病気が見つかり対処できたことは素直に喜ばしかった。


「ねえ、あの時どうして分かったの?」

「え?」

「腫瘍のこと。分かったから病院を勧めてくれたんでしょう?」

「いえ、その……体調が悪そうに見えただけで」

「そうなの?」


 あの日アトリウムで見たふぶきは、明らかに異常だった。

 ついていた異形はともかく、顔に見えたノイズ。

 じっくり観察したわけではないので、何となく悪いものとしかわからなかったが。

 

「はい。あの、かなり悪そうに見えました」

「そう。そういえばあの日、肩とか頭に何かしてくれたのよね。あれですごく楽になったのよ」

「え、そう、でしたっけ」


 知り合いに何かが憑いていたのを見たときは、ほぼ反射的にどいてもらっている。ふぶきにもやってしまったのだろう。

 よく覚えていないが、やられた方にとっては不可解な行動だったと思う。

 

「ええ。それもあって病院に行ってもいいかなって思ったもの」

 

 背中に冷たい汗を感じる。

 よく知らない人に知られてしまった。

 変なことをすると、スタッフにふさわしくないと追い出されるかもしれない。

 

「助けてくれてありがとう。深川さとり」

「えっと、その、はい……」

 

 ふぶき華夜はさとりをじっと見る。何かを話したそうな雰囲気ではあったが、気まずそうに視線が外れた。

 

「あ……」

「それじゃ」

 

 さとりが話しかけようとしたのと、ふぶきが離れるのは同時だった。

 ふぶきはそのまま西2ホールに向かって去っていく。


「まだ話あったか?」


 小太郎の声に振り返る。

 様子を見に来てくれたのだろうか。

 

「ううん。終わったよ」

「あれは?」

「ええっと、冬コミの時にお話ししたサークルさんで……」


 冬コミで体調が悪いように見え病院を勧めたら、病気が判明して感謝されたことを伝える。

 小太郎はなるほどとうなずく。

 

「やっぱり格好良いな、サトは」

「え?」


 思ってもみない言葉が聞こえた。

 

「めちゃくちゃ格好良いよ」


 じっと見られながら、重ねて同じことを言われた。聞き間違いではないらしい。

 最も自分と遠い表現のひとつだと思うのだが……

 

「そ、そうなの?」

「そうだぞ。あれ、言ってなかったか?」

「そんなこと言われたの初めてだけど……」

「あー、そうか」


 なぜか小太郎の視線が泳ぐ。

 アトリウムのざわめきが、どこか遠くに聞こえる。


「なんつーか、人にできないことをやってるサトは、格好良いと思う」

「……あ、ありがとう?」


 心当たりのないことを褒められ、疑問形になってしまった。

 しかし、なぜか少し恥ずかしそうな小太郎を見ると、思ったより悪い気はしないのであった。

 


 


 小太郎が西1ホールへ戻ったあとも、さとりは何となくアトリウムに残っていた。

 去年の夏コミのアトリウム。まさに一年前のこの場所で、小太郎と再会し由布子と出会ったのだった。

 自分が気分悪くなってしまった一角に足を向ける。

 そこは足元に赤いテープが貼られ、緊急時のために空けておかなければいけないエリアだった。

 そこで座り込んで同人誌を読む男性が三人。

 

「あの、座り込みはご遠慮ください」


 ひとりが反応して顔を上げるが、残りふたりは座ったままだ。ひとりは首回りに黒いクラゲのようなものがつきまとっている。

 

「あのっ! 赤枠エリアなので、ここでは座らないでください!」

 

 自分で思っていたよりも、大きな声が出た。

 背中越しに注目を感じる。

 最初に反応した男性はそそくさと立ち去り、残りのふたりも渋々荷物を肩にかけた。

 ひとまずは何とかなりそうだと内心胸を撫でおろす。

 

「……チッ。偉そうに指図すんな」


 最後に立ち去る前に、悪態をつく。

 さとりは思わず体が固まってしまう。暑さではない嫌な汗を背中に感じながら、ぎゅっと目を閉じる。

 色んな人がいる。分かっていた。でも、ああいう言葉を投げられるのはつらい。

 早くホールに戻ろう。戻って休憩しようと顔を上げると、目の端に白いものが映った。

 

「あ……」


 一瞬異形かと思ったが違う。コミマの配置図だ。

 

「これって……」


 手にとってみる。書き込みの多さが今日にかける意気込みを表していた。

 さっきの悪態をついた男性だろう。

 彼は……背負っていたリュックがダークグリーンで特徴的だった。

 迷ったが、自分はスタッフとしてここにいる。

 この地図を見なかったことにはできない。


 急いであたりを見回す。

 バスターミナルへ向かう出入り口の方に、一瞬だけ見覚えのある色があった。

 走らないよう急ぎ足で人混みをかき分け、何とか追いつこうとする。

 東へ向かう人たちの流れは厚く、なかなか距離が縮まらないが……

 ようやく追いつくことができた。人の流れを妨げないよう、男性の横に並ぶ。

 黒クラゲがついている。間違いない。

 

「あのっ、すみません」

「は……?」


 機嫌が悪いのだろう。半ばにらみつけられるように振り返る。

 

「おっ、落とされましたよね!」

「えっ」


 折れ曲がった地図を差し出すと、男性は言葉をなくしていた。

 やがてそれが自分のものだと、先ほどの休憩時に落としたものだと気づいて、


「か、貸せよ」


 ひったくるようにして地図を手にした。

 困惑の表情を浮かべ、地図とさとりを交互に見る。


「……あの、あなたの地図ですよね」

 

 返事はない。

 

「渡せて良かったです」


 それだけ伝えると、さとりは東へ流れる列から離れた。


 

 人の流れに乗って会議棟のレセプションホールの近くまで来てしまったが、ここから戻れるだろうか。

 周囲のスタッフに確認して、コーンバーで止められているところを越えて西ホールに戻る。

 スタッフがスタッフに確認するのは変だろうかと思ったが、答えてくれたスタッフは特に気にした様子はなかった。

 人の流れをさかのぼった先に、アトリウムへの出入り口が見えた。

 もう少しだと思った矢先、聞き覚えのない声がした。

 

「お疲れ様」

「あっ、えっと、はい、お疲れ様、です」


 いつの間にか自分の前に立っていた男性。帽子と腕章をつけているのでスタッフだろう。

 なぜ声をかけられたのか分からない。


「ひとつ、聞いて良い?」

「あ、はい。なんでしょうか」

「どうして追いかけたの」


 温和そうな顔立ちだが、笑顔の奥に違う気配を隠しているように感じた。

 それに『追いかけた』とは、先ほどのことだろうか。落とし物を届けるだけなら普通のスタッフとしての行動のはずだ。

 

「えっと、質問の意味が良く……」

「あんな失礼な奴、放っておけばいいのに」


 先ほどの男性の態度、自分への敵意を思い出して、胸のあたりが苦しくなる。

 

「……でも、困ると思って」

「嫌な奴が困るなら嬉しくない?」

「私は、できればみんなが楽しく過ごしてほしいです」

「その『みんな』にあいつも含まれるわけだ」

「……そう、ですね」

「ふうん」


 今更ながら、この人は誰だろう。西1ホールでは見たことがない。

 スタッフ証は裏返ってしまっていて名前を確認できない。

 さとりの腕に、参加者の荷物が軽く触れた。

 

「おっと、すみません……」

「いえ、すみません」


 お互いに会釈をする。

 立ち話をするならもう少し端に寄ったほうが良いだろうかと顔を上げると、


「あれ……?」


 いつの間にか、男の姿はなくなっていた。

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