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閑話 エレンリードは気に入らない

 憧れのコミマスタッフ。

 1日目を無事に終えた充実感は確かにあるのだが、どこか引っかかる。エレンリードは胸に抱えた感情を持て余し、何だかイライラしてきた。

 閉会後の本部、少しのんびりした空気の中でブロック長の話し声が聞こえてきた。

 

「いやー、さとりちゃんがおって良かったわ。コタもそう思うやろ?」

「そうだな」


 同じブロックの姉弟だ。

 エレンは盗み聞きをするつもりなどないのだが、スポーツドリンクを口にしながら会話に耳を傾ける。

 そう、盗み聞きではない。たまたま同じブロックのスタッフの会話が聞こえてきただけだ。

 

「細かいところまでよう気がつくし、なんちゅうか一生懸命さがたまらんなあ」

「たまらんて何だよ」


 弟氏のツッコミにエレンは内心同意する。

 細かいところまで見ているというが、エレンに言わせれば細かいところ『しか』見ていない。

 身長の問題もあるかもしれないが、広い視野を持って参加者に指示を出し、多くの人を動かすことは全くできていない。それがスタッフとしての大事な役割だと思っている。

 たとえ一生懸命であっても、結果が伴わなければただの足手まといだ。

 

「ほれ、なんかああいう、座敷童みたいな子がおったら和むやん」

「座敷童って……あんなにでかくないだろ」

「雰囲気の問題や」


 深川さとりは女子高生らしいが、髪型もそんな雰囲気だ。一言で表せば地味である。

 帽子と腕章がなければスタッフだと分からない。コミマの背景の人混みに埋もれるだろう。

 

「姉ちゃん座敷童見たことあんのかよ」

「あるわけないやん」

 

 ブロック長はけらけらと笑う。会話として成り立っているのかよく分からない。弟氏はわざとらしいため息をついているが、その表情は柔らかい。

 その後は今回泊まっているホテルについて情報交換し始めた。結局ブロック員の話題で出たのは深川さとりのことだけだ。

 

(気に入らない)

 

 いつの間にか空になったペットボトルをゴミ袋に放り込むと、エレンは姉弟から離れた。



 

「あ、エレンさん。お疲れ! いきなり新人に外周の混雑対応お願いしてごめんやで」

「いえ。やってみたかったですから」

 

 ブロック長へ向け、余所行きの笑みを見せる。ああいう業務ならいくらでも任せてもらいたい。

 表情は少し繕ってはいるが、言葉は本当のことだ。


「『れ』ブロックの連中もまた来てほしい言うてたわ」

「光栄です。頑張って良かったです」


 次は『れ』ブロックにならないだろうか。いや、ああいう場所は初心者スタッフでは難しいのかもしれない。ダメ元で聞いてみるか……エレンの思考はぐるぐる回るが、表情には出さない。

 それが良くなかったかもしれない。由布子は会話を切り上げる雰囲気になってしまった。

 

「今日ははよ帰ってゆっくり休んでや。明日は割と混雑するから自分とこの列整理が多くなるやろし」

「わかりました」


 ホールの中よりは外で大勢の列を動かしたいが、ぐっと堪えた。何せスタッフ一回目。変に目立って疎まれても困る。

 エレンとしてはそういう面倒は避けたいと思っている。今までもこの見た目で損をしてきた。

 最初とその次ぐらいは目立たないよう様子を見たい。


 とはいえ……


(深川さとり……)

 

 コミマスタッフにしては自信がなさそうで、行動が遅い割になぜか評価されている。

 一部の年上スタッフは庇護欲をそそられるようだが、狙ってやっているとしたら大したものだ。

 だがどうやらそういうわけではない。素の性格があれなのだろう。

 なぜここにいてスタッフをやっているのか、エレンには理解できなかった。


 イライラするのは、まだ暑さが残っているせいかもしれない。

 本部にある冷蔵庫から飲み物を取り出す。

 しかし、明らかに冷えていない。

 夏コミの飲み物は消費が早く、補充するそばから無くなってゆくのでよく冷えるはずもない。

 

「はあ……」


 それでもあるだけマシかと口に含んでいると、後ろから声がかかった。

 

「エレンさん、お疲れ様」

「あ、長崎さん。お疲れ様です」

「外周の借り受けどうだった」

「楽しかったですよ」

「お、将来有望だね」

 

 褒めてもらえた。単純に嬉しい。

 隣にいた外周『れ』ブロックのスタッフが、長崎に笑いかける。

 

「エレンさん『れ』ブロックに下さいよー」

「ダメダメ。重要戦力だから」


(私はその方がいいですけどね)


 内心そう思うが、まだ二日残っている。

 自分を取り合ってくれるのは気分が良い。しっかり仕事をしたつもりだし、気に入られるようはっきりした返事と笑顔を心がけた。


(次は外周がいいな)


 少し離れたところで歌島由布子が外周『れ』ブロック長と話をしている。


「ほんなら今日の借受は問題なかったんやな。明日も今日と同じで、終了したときは本人にハロワに言うてもろて……」

 

 自分に関わることだろうかと少し嬉しくなる。

 ふたりは満足そうにうなずいて別れ、由布子と一瞬目が合うが、話しかけられたのは別の場所にいた深川さとりだった。


「あっ、さとりちゃん、もうちょっとおれる? 前日搬入の車両の監視してほしいねんけど」

「は、はい。わかりました」


 仕事を振られるのは深川さとりが多い気がする。

 エレンがまだ新人ということもあるのだろうが。見る目がない。

 

 イライラする。

 気に入らない。

 そういえば休憩時間を上手く使えず、好きなサークルの本も買えなかった。

 汗でべたべたするのが気持ち悪い。コンプレックスのある天然パーマも湿気でひどい状態だろう。

 エレンは、どこにもぶつけられない感情を持て余す。


「お疲れさんどす」

「えっ、はい。お疲れ様、です?」


 急に声をかけられ、誰だろうと思いながら振り返る。

 そんなエレンの顔の真横、勢い良く誰かの手が伸びてきた。

 

「ひゃっ」


 風圧を感じ、思わず目を閉じて肩をすくめる。


「……?」


 数秒待ってみても、特に変化はない。

 恐る恐る目を開けると、和服姿のきつめの美人がいた。


「虫がおりましたわ」

「あ、ありがとうございます……?」


 エレンは混乱しながらも、お礼を口にする。

 確か、隣のブロックのブロック長だったはずだと記憶の底をさらう。

 スタッフ初日の今日、自分のブロックの人と手伝いに行った『れ』ブロックの人を覚えるので精一杯だ。

 九条はそんなエレンを見て目を細める。


「エレンはんは初めてのスタッフでしたなあ」

「あ、はい」


 覚えられているとは思わなかった。やはり目立っていただろうか。

 褒められるかと期待したが、次に聞こえていたのは期待していた感情とは違う、淡々とした声だった。

 

「ここが合わへんと思いはったら、別とこの行ってもよろしいんよ」

「へっ?」


 思わず声が出る。

 自分はうまくやっていたように思う。次もこのホールにと言われるならともかく、他に行って良いと言われるとは思ってもみなかった。

 

「変な人が多いよってに、合う合わんがありますやろ」

「はあ……」


 生返事になったが気にした風もなく、九条は去って行った。

 

「……確かに、変わった人が多いわ」


 気持ちを切り替えようと大きく伸びをする。

 いつの間にかイライラは消えていることに気づいた。

 初日。自覚はない部分で疲れていたのかも知れない。

 早く帰ってゆっくり風呂に入り、早めに寝ることにしよう。

 明日もまた、コミマが自分を必要としているのだから。

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