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第35話 C98夏 1日目 さとりとエレン

 午後、昼食を食べ終わった館内担当は、基本的に巡回することになる。

 お目当てのサークルやコスプレ見物に行ったり、知り合いに挨拶に行くスタッフも多いので、休憩のローテーションも始まる。


 さとりは前回褒められた『フュージョン』の作業をしたいと思ったのだが、残念ながら今日の担当は他のブロックらしい。

 さとりたちの『やゆよ』ブロックがフュージョンを担当するのは明日の2日目の予定になっている。 

 

「ほなら巡回よろしくー。とりあえず誰かと組んでもろて……」


 言いながら周囲を見回す由布子。

 小太郎がいれば組んだのだが、あいにく小太郎は東へのルート案内の借受に出ていてあと三十分は戻らない。

 ちょうどそこへ、目立つ赤毛が通りかかった。


「あ、エレンさん昼ご飯食べ終わった?」

「はい! 食べました!」


 はきはきと答えるエレン。

 ちらりとこちらを見た気がしたが、特に反応はない。

 

「ほなら、今ちょっと昼ご飯休憩回しててブロック薄いから、さとりちゃんと巡回してもらえる? 余裕あったらゴミ袋持ってってー」

「はい! 分かりました!」


 というわけで、二回目スタッフのさとりは新人スタッフのエレンと共に巡回することになったのである。


 


「暑いですよね」

「あ、はい。そうですね」


 『やゆよ』と『ほまみ』の間の広めの通路から自分たちのブロックを確認する。人の数は増えているが、流れが悪かったり列があったりする場所はなさそうだ。

 正面のシャッターから見える屋外は、日差しがきつく暑そう。もっとも、この通路でもすでに暑く感じるのだが。

  

「でも西はマシで、東ホールはもっと暑いですよね」

「えっと、そうなんですか」

「行ったことないんですか? 一般とかで」

「ない、です……」

「へえ……」


 正確に言えば前回の冬コミでは開場前に東へ行った。さとりにとっては苦い失敗の思い出。

 エレンは値踏みするようにさとりを眺めて、すぐ視線を外した。

 何となく居心地の悪さを感じて視線を下に向ける。見つけた紙くずと飴の包装を拾って手元のゴミ袋に入れた。


「あ、ちょっと列が伸びてますね」


 エレンの指す先、『よ』と『ら』の間に五人ほどが立ち止まっているように見える。

 島と島の間の通路はそれほど広くないため、この程度の人数ですぐ詰まってしまう。

 エレンは、さとりが状況を確認している間にするりと列の隣について手を上げた。

 

「前にお詰めください! 通行に支障が出ますので!」

 

 ぱっとサークルの机を見て、売り子の数を確認する。

 

「横に広がらず、真っすぐ二列でお並びください」

 

 もともと五人程度ということもあり、あっという間に列を整理してしまった。

 滞っていた通路の流れはスムーズになり、ひと安心といったところだ。今整理したサークルも、列が増えそうな様子はない。


「じゃあ、行きましょうか」


 エレンの対応に圧倒されながら、さとりはうなずいた。




 ふたりはやがて外周通路へとたどり着く。

 さすが壁サークルは盛況なところが多い。列の目立つ場所には『れ』ブロック員がついていて、列圧縮を繰り返しているようだ。

 その様子を眺めながら、エレンがさとりに尋ねた。

 

「深川さんは、好きなジャンルは何ですか?」

「えっ、と……」


 なんとも回答が難しい。

 朝に受付をした少女漫画は知っていた作品ではあるが、好きなジャンルに該当するのかはよくわからない。

 

「あんまりそういうのは」

「そうなんですか。雑食ですか?」

「その、元々少し漫画は読むんですけど、同人誌とか見なくて」

「ん? そうなんですか」


 口にすれば自分が場違いであることを自覚してしまう。

 

「どうしてスタッフに?」


 エレンの問いも当然だ。

 家業の管轄する地域であり、何か悪いものが見えたような気がして足を踏み込み、昔馴染みと再会してスタッフとして誘われた。

 

「……なりゆきというか」

「なりゆき?」


 自ら志願してこの場所に立つ人々とは違いすぎる。

 一年前の自分は、この催しを知ってもいなかったのだ。さとりは目を伏せる。

 足元にあったレシートらしき紙を手元のゴミ袋に入れる。

 そんなさとりを横目に、エレンが大きな声を上げた。

 

「走らないで下さーい!」


 言われたリュックの男性は自分だと思っていないのか、スピードを落とさないまま人混みに紛れ込んだ。

 エレンは小さくため息をつく。

 ああして指示に耳を貸さない参加者はいる。少数ではあるのだが。


「ああいうのって『人混みを縫う俺格好良い』とでも思ってるのかなあ。ダサ……」


 姿が消えた方を半ば睨みつけながら、独り言とも問いかけともとれる言葉を口にした。


「あ、走らないで下さーい!」

 

 再び小走りの参加者に向けて注意の声を上げる。今度はちゃんとスピードを落とし歩いたのが見えた。

 

「声、すごいですね」

「そうですか? スタッフなら普通じゃないですか」


 スタッフならの部分に力を込めていた。

 それが普通だと言われてしまうと、自分は普通ではないということになる。

 普通ではない。

 幼い頃の疎外感を思い出し、胸のあたりに痛みを感じる。


「その……私はあんまりできないので」

「……そうなんですか」


 視界の端で、異形がこちらを見上げている。

 なるべくそちらを見ないように、とはいえエレンを直視できるわけでもなく、さとりの視線はあたりをさまよう。

 しかし、床にゴミは見当たらない。

 

「不思議」

「えっ」


 思いがけない言葉に立ち止まる。

 

「深川さんがどうしてスタッフしているのか、不思議です」

「う、えっと、あの……私も」


 なりゆき。

 ここに来るきっかけはあったが、スタッフになったのは由布子の強い後押しがあったからだ。

 由布子が何を見てさとりにスタッフを勧めたのかは、今でもはっきり分からない。


「コミマスタッフって、オタクの中でも一目置かれるような存在で、色んなジャンルのことを知って、しっかり声も出て、判断力もあって、頼られるようなオタクなのに」


 さとりにとっては初めて聞く話だった。

 それがスタッフに求められる要素であるなら、自分は何も持っていない。

 

「深川さんはあんまりそういうの、無いですね」

「あっ……」


 その通りだ。何も言い返せない。

 言葉の出ないさとりを見て、エレンが小さく息をついた。

 

「スタッフは格好良いんですけど、スタッフになったから格好良いわけじゃないですよ。ちゃんと行動で示さないと」

 

 まるでさとりが、スタッフになることで自己顕示欲を満たそうとしているかのような言い方だった。

 そして、行動が伴っていないとも。

 

「あっ、走らないでくださーい!」


 エレンが小走りになった参加者に注意する。

 よく見ているし、声を上げるのも早い。しっかりと聞こえていたのか、急いでいた参加者の足が鈍る。

 エレンは満足そうにそれを見ると、改めてさとりの方を向く。

 

「あ、タメ口でも構わないかな? 私大学生だし。深川さんまだ高校生だよね」

「あ……はい」


 ふわりと揺れる赤毛、自信に満ちた灰色の瞳。女性的な体つき。

 自分の持たないものを持つエレンにそう言われ、うなずくしかない。

 

「うーん、一回本部に戻ろっか。私、もっと色々教えてもらいたいから、ベテランの人と巡回したいし」


 そうして、巡回は早々に打ち切られた。




 本部の由布子は早い帰還に少し引っかかったようだが、さとりの表情を見て休憩を告げた。


「珍しくのんびりしてるから、今日はゆっくりしてや。明日と明後日ぼちぼち忙しいやろし」

 

 気を遣わせたことに申し訳なさを感じながら、さとりは「はい」と短く答えた。


 

 

 何となく本部に居づらさを感じ、ふらりと外のトラックヤードへとやって来た。

 蒸し暑さは感じるが、少し風があるのと日陰になっていることもあって不快感はそこまででもない。

 

 壁面には大きく投影された動く漫画。時間帯のせいだろうか、足を止めてじっと見ている人が増えている。ホールの外のせいか、腰を下ろす人もちらほらいる。

 異形たちもいるのだが、壁面ギリギリまで前に寄るか、かなり距離を取って見るかに分かれているようだ。

 前から異形、人間、異形と層ができている。

 さとりはそのさらに外側に立ち、その奇妙な光景をぼんやり見ていた。

 

「お疲れ様」

「あ……お疲れ様です」


 反射的に答えたさとりが顔を上げると、朝の受付を共にした柳の顔があった。

 

「疲れた?」

「えと、はい……そうですね」

「まあ暑いものね。ここはまだマシだけど」

 

 そう言って東へのオススメルートを見る。

 つられてそちらに目をやると、強烈な日差しが照りつける中、東地区へと足を進める一般参加者と異形たちの行列が見えた。

 一様に暑さへのダメージが見えるが、足取りは力強い。

 異形も同じく暑さを感じるのだろうか。不思議だ。

 

「本部で涼まないの?」

「あ……ここで、いいです」

「ふうん?」


 大きな日陰のトラックヤード。とはいえ暑さはしっかり感じる。

 だが今は『コミマスタッフ』が集まるホール本部から距離を置きたかった。

 ふわり、と頬に風を感じた。

 ふと見ると、優しい笑みを浮かべた柳が扇子であおいでくれていた。

 

「柳さん……」


 不意の優しさに、さとりの声が湿り気を帯びた。

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