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第34話 C98夏 1日目 外周トラックヤードの投影

『ただいまより、コミックマート98夏、1日目を開催いたします!』

 

 今日の『やゆよ』ブロックの混雑はそれほどでもない。

 たまに夏コミ申し込みから夏コミ当日までにブレイクした作品が出て、その需要と供給のアンバランスから地獄のような混雑が生まれることがあるのだが、今回は大人しく当日を迎えることができた。 

 一般入場のタイミングでは、八カ月ぶりのコミマという緊張と硬さがあったが、正午を迎える前にはスタッフの気持ちに余裕も出てきていた。

 外周トラックヤードこそ行列があるようだが、内壁にもそれほど目立った混雑はない。

 スタッフが少ないと構えていた『やゆよ』だったが、西1ホールの他のブロックと同じように余裕が出てきている。

 

「お、ちょうどええわ。コタ、さとりちゃんと外行かへん?」


 巡回の結果を報告しに来たさとりと小太郎は、由布子からそう誘われた。

 ブロック長が本部を外れても大丈夫なぐらい余裕があるということだろう。


「さすがにこの辺まで来ると暑いな」

 

 『れ』ブロックの一部サークルは、シャッターから外向きに頒布する配置になっている。その脇の非常口から外に出てみると、長い行列があった。

 その行列を見に来たわけではなく……

 

「お、あそこか」

「わあ」

「大きいな……」

 

 西1ホールの壁面に大きく映し出された映像。

 その映し出されている面積が思ったより大きい。

 家にあるテレビの何倍もある。


「……」


 映し出されているのは漫画なのだが、セリフが上から下りてきたり、登場人物がフェードインやフェードアウトをしていて、ゲーム画面のような動きがある。

 内容は薄幸の令嬢が幸せを掴むような漫画のようだが……


「漫画じゃないな」

「えらいハイテクやなー」


 歌島姉弟が釘付けになっているが、さとりはどうにも集中できない。

 観客のように扇形に集まった異形たちの気配が気になって仕方ないからだ。その数は十を楽に超える。

 彼らは一心に投影を見つめていて、微動だにしない。

 足元には電源コードが這っているが、テープで守られたそれを異形は丁寧に避けている。妙なところで行儀が良い。


「思ったより人少ないなあ」

「まだ午前中だからだろ」

「言うてもう昼やん」


 由布子が言うように、投影を見るために足を止める人は少ない。普通の参加者はまだまだ買物が終わらない時間帯だ。

 それにしても、あれだけ異形が集まっていると、立ち寄り難く感じるかもしれない。

 歌島姉弟は異形に構わず、投影しているプロジェクターを観察する。

 

「すごい斜めから投影してるな」

「ああ、なんか館内スタッフの誰かがやってる会社の製品らしいで」


 由布子の口ぶりからすると経営者のように聞こえたが、小太郎は特に気にしていない。

 

「いいのか、こんなとこに使って」

「宣伝も兼ねてるんやろ。ほら」


 メーカー名と型番、それに通販ページへの二次元コードまで書かれている。


「商魂たくましいな……」

「実際動いてるとこ見せんのが早いしな」

 

 またひとり異形が視聴の扇形に加わった。そんなに興味を引くのだろうか。


「なんか企業対応部の管轄にするか館内の管轄にするか割ともめて、大塚さんが館内で引き取ったらしいで。うちらの発案やからー言うて。しょうもないことでモメよんなあ」


 そして、西2ホールは難色を示し、西1ホールのサイド、ここともう一か所だけでの実施となった。

 大塚に迷惑をかけたかもしれないと思うと、申し訳なさが先に立つ。

 同じことをしているであろうもう少し先に目をやると、異形が集まっている様子が見えた。こちらよりも多そうだ。


「向こうで並んでる人は見てはるな」

「確かに」

 

 サークルの行列に並んでいる人が数人、見るとはなしに壁面に目をやっている。

 とはいえ、並んでいる人数に対しては少数のようだが。

 ほとんどは列の先を見たり、今日の地図を確認したりと壁面に目を向けていない。

 

「さとりちゃん?」

「あ、はい」


 無言のさとりを気遣ったのか、由布子が顔を覗き込んだ。


「なかなかええね、これ。午後からもっと人集まるかもしれへんね」

「そうですね」


 褒められたような、慰められたような。さとりはひとまずうなずいてみせた。

 

「サト、水分取ってるか?」

「あ、うん。ありがとう」

 

 小太郎が差し出す小さい水のペットボトルを受け取る。ここは日陰で少し風もあるが、夏の盛りは十分暑い。油断なく水分を取る必要がある。

 さとりは少し気合を入れてキャップを開けると、水を口に含んだ。

 

「動きがあって割と目立つなあ。ええね、これ」

「そうですね」

 

 平行移動とフェードイン・フェードアウトが主だが、元々想像していた漫画のページを淡々と表示するよりも目を引きそうだ。


「列に並んでる人、手前やったら見られるけど奥側やと見づらいかもな。あ、音声あったらアニメ流せるかも」

「それはうるさいだろ」

「そらそうやな」

 

 一般参加者も数人足を止める。

 ひとときではあるが、異形と人が同じ画面をじっと見る不思議な光景があった。



 


「前にお進みくださーい!」

 

 少し向こうから、よく通る女性の声が聞こえてきた。ここまで聞こえるということはそれなりに大きい声だ。


「お、あれは外周応援に行ったエレンさんやな」


 由布子の言う通り、『やゆよ』ブロックから外周『れ』ブロックへ混雑対応貸し出しに行ったエレンだ。スタッフ帽子から赤毛を覗かせ、日本人離れした顔立ちがよく目立つ。

 見た目が珍しいのか、数体の異形が列にくっついてエレンを見ているようだ。


「エレンさん、次のパケ行くよ!」

「了解でーす!」


 今回がスタッフ初参加だったはずだが、はきはき声を上げている。


「どっかコミマ以外でもスタッフやっとったんかなあ」

「かもな」


 ふたりが言うように、その振る舞いはスタッフ経験者にしか見えない。 

 

「しっかりと手を上げてくださいねー!」


 エレンの声に応えるように、移動する人たちの手が上がる。

 中途半端に上げていた人はしっかり上へ。すでに上げていた人も気持ちさらに上へ。


「列が通りまーす!」


 列を引っ張るのはエレンではないスタッフだが、エレンは列が動くタイミングに合わせて周囲に声をかけている。

 異形たちは列移動が楽しいのか、人の塊の後ろについて同じように移動している。

 

「声、出てるな」

「うん。すごいね」

「初めてとは思えない」

「うん……」

 

 少なくとも自分にあんな大きな声は出せなさそうだし、周囲に注意を呼びかけるような時もどう言えばいいのか分からない。そして何より、周りをチョロチョロする異形に気を取られて視線が落ち着かなくなるだろう。


「いやー、エレンさんやるやん。貸し出し正解やったなあ」


 ベテランの由布子から見てもそう見えるのだろう。あれがスタッフに求められているものだとしたら、自分には向いていない。

 

「ちょーっとストップー!!」


 突然エレンが声を上げ、動き始めていた列が何事かと立ち止まる。

 イヤホンか何かで反応が遅れた人もいたが、それほど大きな混乱はなく停止できたようだ。


「す、すいません……」


 列の中から弱々しく謝る声がする。

 どうやら並んでいた参加者が小銭入れを落とし、中身をばら撒いてしまったようだ。


「ゆっくりで大丈夫ですよ! 前の方まだまだ人がいるので急ぎません!」


 エレンは落とし主と、周りで小銭拾いを手伝ってくれている参加者に声を掛ける。


「どうしたー?」


 前で列を引いていたスタッフも、事態を把握できていなかったらしい。

 

「お金を落とされたので、ちょっとだけ列止めてます。もうちょっとで動かせます!」

「了解ー、まだ余裕あるからゆっくり拾ってもらって! 良い判断したね!」

「ありがとうございます! 『コミマスタッフはうろたえない』ですよ」

「ハハハ!」


 止まった列は中途半端な場所にあるが、人通りが多くないこともあり、その場で待機している。

 外周スタッフもエレンも気持ちにゆとりを持って対応できているようだ。双方笑顔が見える。


「よし、大丈夫そうかな」

「そうですね! ではまた前から動きますのでご準備ください! ご協力ありがとうございました!」


 大粒の汗を浮かべながら、明るく笑う。

 その様子は心から楽しそうであり、この場所が好きなのだと伝わってくる。

 列を追う異形の足取りも軽く見える。

 

「んー、エレンさんはこれがやりたかったんかもなあ」


 由布子のつぶやきに、さとりと小太郎は小さくうなずいた。

 彼女と共に業務をすると、気後れしてしまいそうだ。そう思っていたさとりだったが……

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