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第32話 C98夏 1日目 柳さんと見本誌

 コミマC98夏の西1ホールには、少年漫画ジャンルが配置されている。

 西1の端である『やゆよ』ブロックは、隣の『らりる』ブロックと並んで老舗少女漫画雑誌の配置となる。

 柳と並んで歩くさとりは、見覚えのあるキャラクターを無意識に目で追う。

 

「昔読んだ作品……」

「この辺りはちょっと古めの作品が多いですね」


 終わってからしばらく経つはずだが、根強いファンがこうして同人誌を出すのだという。

 フルカラーの表紙が何冊も並ぶ机に確かな熱量を感じながら、柳と通路を歩く。

 準備が完了したであろうサークルからの視線を感じたのか、柳が柔らかい声でサークルに声をかけた。


「おはようございます。参加登録カードと見本誌の回収に参りました」


 通りやすい声ではっきり話す柳。

 さとりはそれを見ながら、

 

(大人の人だ……)


 と、ぼんやり考えていた。

 

「深川さん、チェックお願いできますか?」

「あ、はい」


 柳に言われて同人誌を受け取ると、まずシールをチェックする。記入漏れはなさそうだ。一般向け作品だから修正の確認はないが、念のため中身は確認する。

 ……見たことある作品だが名前を思い出せない。


「えと……」


 パラパラとページをめくり、あとがきフリートークに書かれた作品名を見てようやく思い出した。

 何となく胸のつかえが取れて息をつく。

 少女漫画は特に雑誌が違うと認識が薄い。もう少し勉強した方が良いかとも考える。

 

「問題ありませんね」

「では受付完了ですね。本日もよろしくお願いします」


 綺麗な角度でお辞儀をする柳。

 サークルとさとりもつられるように頭を下げた。

 

「柳さん、すごいですね……」

「え、何がでしょうか。特にすごいことはないですよ」


 さとりは素直に心に思ったことを口にする。さすが社会人の作法だと。自分にはできそうにない、とも。

 

「うーん……私から見ると、そんなに若いのにスタッフに志願する深川さんの方がすごいと思いますが」

「えっ、私……?」


 思ってもみなかった言葉に、面食らう。

 何を比べても柳の方が上であることは明らかだ。

 

「あの、そんなことはないと……」

「この場所にいる人達は、誰も強制されていないんです。自分の意志でこの場所に集まって、自分で決めた役割をこなしている」


 サークルも一般さんも含めてですね、と補足する。


「自分で踏み出さないと、ここにはいないんです。だから、そうやって決められる深川さんはすごいと思いますよ」


 柳はさとりが流されてスタッフ登録することになったことを当然知らない。

 過大評価されているようで落ち着かなかった。

 さとりの表情を何となく察したのか、柳が明るく笑う。

 

「あ、でも私が深川さんぐらいの時は、先輩に無理やり連れて来られて売り子させられてたから『誰も』は違うかも」

 

 急に砕けた口調になって、目を細める。

 緊張をほぐそうとしてくれているのだろう。その気持ちが伝わったさとりは、少し驚いたがつられて笑った。


「あの、私も連れてこられたようなもので」

「あら、そうでしたか。歌島さん?」


 口調が戻ったことを少し残念に思いながら、さとりはうなずいた。


「そうでしたか。それでも」


 柳は少し上に目をやった。

 西ホールの高い天井に、白い照明が輝いている。

 

「深川さんは登録用紙を書いて、ここに立っているんですね」


 東京ビッグサイト。

 コミマ以外で立ち入ったことのない場所。

 大勢の人が集まるイベント。

 そして、何か悪いものもまた集まる場所。


(そうだ、私は……)


 自分の本当の目的を思い出し、視線を戻す。

 柳はさとりを見ながら柔らかく微笑んでいた。


「次も深川さんが見本誌の確認をしますか」



 


 知っているキャラクターが力強い笑顔を見せる表紙。本物の作品とは少し絵のテイストが違うが、誰が見てもそのキャラだとわかる。


(銀セレ……)

 

 銀剣のセレナーデ。さとりが買い集めていた数少ない作品のひとつ。

 ファンタジー系の少女漫画に分類されるその作品は、アニメ化こそされなかったのだが、長らく雑誌を支え、去年最終巻が出て完結した。


「おはようございます。参加登録カードと見本誌の回収に参りました」

「おはようございます。お願いします」


 サークルの女性は慣れた様子で軽く頭を下げる。

 机の上に準備された一式を手に取る。

 参加登録カードを柳に渡し、見本誌を手に取った。

 まずはシールの確認、記入に問題なし。

 そして、見本誌。成年向けではないのでパラパラと本を確認すれば良いのだが……

 

「あっ……」

「?」

「いえ」


 思わず声が出た。

 それは物語の中盤で命を落とすキャラクターが、終盤の舞台に立っていたからだ。

 思わず前のページへと戻る。


(ああ……)


 そこは、物語の転換点であった。

 原作とは異なる物語。

 あるキャラクターの勇気。それがほんの少し行動を変え、未来を変えた。

 この本は、そういう本だ。

 

 あとがきページで目に入る「彼女の死は悲しくて悲しくて三日寝込みました」の文字。

 気持ちは分かる。何年か前、中学生だったさとりも、夜布団の中で静かにメソメソしたのを思い出した。

 住む場所も年も違う人が、知らない間に同じような感情を抱いていたのだ。

 その事実が、さとりの胸を高鳴らせる。

 

「……問題、ありませんね」


 本を閉じ、かばんにしまいこむさとりを見て、柳がサークルに笑みを向けた。

 

「では受付完了ですね」


 普通なら。

 だがさとりの胸の高鳴りは、今ここで、この共感を伝えたいとさらに強く打つ。

 

「あの」

「はい?」


 まだ何があるのかと、サークルの女性が首を傾げた。

 

「あの、私もアルーが死んじゃうのが悲しくて」

「えっ、スタッフさんもご存じなんですか」


 一瞬驚いた表情の女性だったが、とても嬉しそうに目を細めた。

 

「はい。あの、寝込みはしなかったんですけど、私もずっと悲しかったので……最後、楽しそうに笑ってるアルーが見れて良かったです」


 感想を伝える。

 由布子のように滑らかではないが。

 もしかしたら余計な一言だったかもしれないが。

 それでも、伝えずにはいられなかった。

 

「嬉しい。でもあれ、死ぬ必要なかったと思いませんか?」


 少し口をとがらせて、女性が言う。

 まるで大人の仮面を静かに取ったような幼い仕草。

 

「そ、そう思います!」

「ですよね! わあ、嬉しい!」

「あの、このお話みたいに、リモニカが励ましていたら……」

「ですよね。あそこ流れ的にリモニカが一歩踏み出す場面だと思うんですよね。でも……」

 

 うんうんとうなずくさとり。

 楽しいと同時に、どこか懐かしい気持ちになる。

 まるで鉄工所の裏で読んだ漫画の感想を言い合っていたあの頃のような……

 

「深川さん深川さん」


 柳の声に、引き戻される。

 

「あっ、す、すみません」


 忘れていた。サークル受付はまだまだ序盤なのだった。


「あとで買いに来たら良いですよ」

「そうします」

「ああ、お仕事中でしたね。こちらこそすみません」

「いえいえそんな」

 

 さとりと女性はペコペコと頭を下げ合い、なし崩しに受付完了となった。


 肩からかけたかばんを、改めて見る。

 この中には同じような想いが詰まっている。

 改めてすごい場所だと思う。

 

「生存IF、ですね」

「えっ」


 本部に向かう柳が、小さくつぶやいた。

 聞き覚えのない言葉に、さとりが首をかしげる。

 

「作中で亡くなったキャラがもし生きていたら、っていう二次創作ですよ」

「よくあるんですか?」

「うーん、そうですね。一説には原作が辛くて悲しいほど二次創作が多くなるとか。そもそも同人誌って自分の願望を形にしたようなものだから」

「願望、ですか」


 もちろんそれだけじゃないですけど、と柳は付け加える。

 

「知らない誰かと願望を共感できるのが、この場所のいいところかもしれないですね」


 さとりの薄い知識でさえ、漫画を描く大変さは知っている。

 何年も前に完結している作品への願望を、自身の漫画で形にする。

 途方もない熱量だと思う。

 

「願いをしまっておくより、形にした方が健康に良いですし」

「健康……」

「ほら」


 と言って、柳は今受け付けた本の最後の方を開いてみせる。


「思いの丈をぶつけている、という感じでしょう」

「確かに、溜め込むのは身体に悪そうです」


 手書きで書き殴られた、作者の熱いメッセージ。そこには原作を褒めながらも推しキャラの不幸へのやるせなさがこれでもかと詰め込まれていた。

 なるほど、ここは、思いを溜め込むより吐き出す場所なのかもしれない。

 

「あの、柳さん」

「どうかしましたか」

「あの……」


 少しだけ、正直になってみようと思った。

 他ならぬ柳の言葉に従う。

 嫌な顔をされませんように、と願いながら。

 

「さっきみたいに、お友達みたいに話して欲しい、です」


 さとりはそう口にした。

 身長差のせいで、少し上目遣いになる。


「だめ、ですか?」


 柳は一歩距離を取り、口に手を当てて西ホールの天井を見あげた。

 

「かっわ……」


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