第31話 C98夏 1日目 今回の仲間たち
まとわりつく湿気が、今日の暑さを予感させる。
「行ってきます」
さとりの小さな声に、誰も答えない。
ほとんど意識せずに拝殿へ足が向く。
明るくはなっているが、始発前の境内に人の姿はない。
「天神様、今日もお見守りください」
毎日の習慣は、コミマだからと途切れることは無い。
「今日も暑くなりそう……」
少し歩いただけなのに、じんわりと汗の気配がする。
そんな夏のコミマの1日目。
「『やゆよ』ブロック集合ー!」
ホール全体の朝礼を終え、ブロック別に移る。
今日も西1ホールの一角に由布子の元気な声が上がる。
ようやく空調が稼働し始めたのか、朝一番に比べると少し過ごしやすくなったかもしれない。
『やゆよ』ブロックはホール本部のすぐ近くだが、他のブロックが集まることもあって少し離れたところで由布子が手を上げている。
「えー、おはようございます!」
「「「おはようございます」」」
今日の『やゆよ』ブロックのブロック員がいびつな円を作っている。
朝一番のドリンクを飲んだり、メモを取り出したり様々だ。
ショートボブの髪を揺らして、ブロック長の歌島由布子が手持ちのボードに紙をセットする。
「出席ついでに、今日の借り受けと見本誌の担当ブロックも決めていくわなー。えー、まず歌島由布子さーん、はーい」
自分で返事をしながら表に出欠を書き込む。
数人は微笑ましげにそれを見ているが、大多数は不思議そうな顔をしている。さとりは後者だ。
「姉の歌島は最初『や』ブロック回って、そっから基本本部に詰めて出席率の管理してくださーい。はーい」
「姉ちゃん、そのノリ誰もついてきてないから」
「マジか」
小太郎の指摘に大げさに驚く由布子。
この間も見たような気がするが、関西人のノリというものなのだろうか。
「まあええわ。次は副ブロック長の春日さん」
「はい」
「出席と。サークル受付はとりあえず『ゆ』ブロック担当でよろしく。本部詰めは私が行っとくから、基本現場におってもろてええんで」
「了解」
簡単に方針を打ち合わせる。
副ブロック長は蔵前から春日に交代しているが、どうやら慣れている様子。初めてではないのかもしれない。
中肉中背に眼鏡の春日はなんとなく目立たなそうだが、今日は祭りのような法被を纏っている。ただその背には美少女キャラが大きく描かれていて遠くからでもすぐ見つけられそうだ。
「ほな次は……『よ』ブロックお願いします。あと一般入場もいつも通りお願いしますわ。その後外周借り受けでちょっと忙しいけど、お願いします」
「はいよ」
てきぱきと役割を割り振っていく由布子。ブロック長としての業務に迷いがなく、安心してついていける。
今話している男性スタッフとは前回も今回も話したことはほとんどないが、無視というわけではなく、どこか気を遣ってくれているのを感じる。
他の男性スタッフも同様に、前回『やゆよ』ブロックにいてお互い存在は認識しているが、あまり関わらない。何とも不思議な距離感だ。
由布子と次に話すのは長崎。2日目からの参加だったはずだが、どういうわけか、今日の朝から出席している。
元々瘦せ型だったと思うが、夏の薄着でさらに細く見える。
「ほんで、仕事を休むことができた長崎さん! はい拍手!」
「や、やめろよ……」
ブロック員の拍手に笑顔で戸惑う長崎。
その反応が面白いのか、さらに由布子が続ける。
「エレンさんと組むんが嬉しくて仕事休んでくれはったん? んん?」
「……じゃあ今から仕事行ってくるわ」
「嘘嘘やめて。ほんまありがとうて。さすが長崎さん! 西1ホールに長崎あり!」
笑顔のまま体を外に向ける長崎に、いきなり褒めそやす由布子。
言われてみれば今日は平日なので、仕事であっても不思議ではない。
ここにいる社会人は全員休みを取って来たのだろうか。
「姉ちゃん早く先に進めてよ」
「はい」
ため息まじりの小太郎に言われて急に真顔に戻る。
「えー、気を取り直して……エレンさん」
「はいっ」
「長崎さんと組んでもらって『よ』ブロックお願いします」
「分かりました!」
歯切れよく手を挙げて返事をする。
赤い髪がふわりと揺れた。雰囲気が一気に明るくなったように感じる。
華のある人だと思っていると、由布子がさとりたちの方を向いた。
「『ゆ』ブロックは柳さんとさとりちゃんで回ってもろてええかな。分からんかったら春日さんに聞いてもろたらええし」
「分かりました」
「よろしくお願いします」
春日と柳に視線を送って、さとりは頭を下げた。
柳もさとりと同じく前回からのスタッフ参加のはずだ。他のブロックよりも経験が不足しているような気がするが、副ブロック長の春日のサポートがあるなら何とかなるということなのだろう。
『ゆ』ブロックということは『やゆよ』ブロックの真ん中になる。仲間に挟まれている分、サポートも受けやすいかもしれない。
「ほな残った歌島小太郎は、私と『や』ブロックでよろしく」
「残り物扱いするなよ……」
「頼りにしてるんやで? 私が割とすぐ抜けてまうから頑張ってもらわんと」
ひと通り割り振りを終えた由布子がぐるりとブロック員を見渡す。
「よし、ほなら今日はこのメンバーでよろしくお願いします。当たり前やけど、C98夏は最初で最後。全員が初めてのC98夏です。今まで大丈夫やったから言うて、今回も大丈夫とは限らへんので、なあなあでやらんよう気をつけてください」
『やゆよ』ブロック員はそれぞれに小さく返事をしたりうなずいたりする。
「ご覧の通り、今日はちょっと手薄感があるんよなあ……春日さん、うちのブロックちょっと人少なめやから、開場後は場合によっては九条のとこに言うて応援出してもろて。一応大塚さんもそのつもりみたいやし」
「了解。外周は頼れない感じ?」
「いやー、余裕ないやろ。むしろ開場時間中はこっちから助けなあかんのちゃうか」
「はは、多分ね」
由布子が目を向けた先には、最大人数の『れ』ブロックが集まっている。
最も広い範囲を担当することもあり、最大人数とはいえ手が回らない部分が多い。
それは内壁と呼ばれる『やゆよ』ブロックにも隣接しているエリアで、前回ブロック長ミーティングで『むめも』ブロック長のポエが指摘した部分でもある。
「あ、そうや。今回は『午後からごみ拾いやろうキャンペーン』で、午後本部に小さいビニール袋が用意されます。巡回の時にゴミ拾いで必要やったら取っていってください」
「了解」
「ほんで」
由布子の声が小さくなる。
「ついででええんやけど、外周の『れ』ブロックがちゃんとゴミ拾いしてるか確認しといて。前回外周のゴミ拾いが甘いっちゅう意見があったから」
「確認結果はブロック長に報告?」
長崎が手を上げながら質問する。
「せやね。もしくは副ブロック長の春日さんか。まあやってるからどうとか、やってへんからどうとかは無いんやけど、参考のためについでぐらいの感じでええから」
その表情は、言外に「どうせやっていないだろう」という諦めを匂わせている。
小太郎が小さく手を挙げながら質問する。
「外周が拾ってないゴミも拾っとけばいいんだよな?」
「そらそうや。外周のサボりとゴミを放置することとは別の話やからな」
納得したような、していないような。ブロック員に大きな反応はなく、そのまま朝のブロック別ミーティングは解散となった。
「さとりちゃん、朝ご飯もりもり食べてやー! 水分もごくごく飲んでやー!」
「あ、ありがとうございます……」
とはいえ。
控室では、朝ご飯を食べるスタッフでごった返している。
サークルの入場までそこまで時間の余裕はないため、急いでかっ込む男性スタッフの姿が多い。
いや……
「朝からよう食べはりますな……」
「おにぎり一個で三時間! つまり二個で六時間!」
『やゆよ』ブロック長、歌島由布子の食べっぷりは男性スタッフにも負けていない。
呆れたようにサンドイッチをつまむ和服美人『らりる』ブロック長の九条の視線を気にもせず、最後にエネルギー飲料を流し込んで席を立った。
「せわしないな……」
「もうサークルさんが来はるからな。ぼんやりしてられへん」
そう言い残すと、ホールの入口へと向かっていった。
「1日目から飛ばしすぎですやろ……」
九条はちらりとさとりを見ると、由布子が座っていた席を指した。
「座らはったら」
「あ、はい……」
サンドイッチの封を開ける。
まだそれほど空腹感はないが、食べておかないと辛くなるだろう。
さとりはサンドイッチの端から少しずつかじる。野菜の水分が口にうれしい。
スポーツ飲料を口にしてひと息つくと、九条がじっとこちらを見ていた。
「えっと……」
お久しぶりですと言うのも変だろうか。
言葉を探していると、九条の方から口を開いた。
「深川はんは、何が目的でスタッフに?」
「目的、ですか」
世間話と言うには少々鋭い視線を感じながら、さとりはここに来た経緯を思い出した。
去年の夏に見た濁った黄色い煙。あれがなんなのか、まだ分からない。
この間の冬コミで見た飛ぶ異形とは比べ物にならない禍々しい気配だった。
「……ここに何があるのか、知りたくて。でもスタッフは、なりゆきです」
「……」
返答に満足したかどうか分からないが、九条は表情を変えることなく、小さく「ほうか」と口にすると、席を立った。
さとりはぼんやりその後姿を見送った。




