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第30話 C98夏 設営日 スタッフだけの景色

 手伝いの参加者は机椅子が並びきるとホールを後にする。

 別の場所で反省会なるものが開かれ、プレゼントもあるらしい。

 しかしスタッフはここからが前日作業の本番となる。

 

「スタッフしか見られない景色だな」

「そうだね」


 整然と並んだ机椅子を前に、さとりと小太郎が息をつく。

 本部を展開するスタッフから次の作業まで巡回しているように言われ、どこに行くともなく会場内を歩いている。

 まだブロックPOPが貼られていないが、ここが『やゆよ』ブロックの島だ。

 自分たちの担当ブロックということもあるが、ここなら本部の様子がよく分かる。次の準備ができたらすぐ歩いていけるというわけだ。


「巡回っていっても、ゴミも落ちてないしなあ」

「チラシ撒きもまだだから、机に何もないしね」


 あたりを見回しても、ホールの中にはスタッフが数人いるだけだ。

 同じように何をするともなく歩いている。

 そんな中、自転車に乗ってゆっくりと外周を走る大塚の姿があった。

 イベント会場の中で自転車とは、いくらなんでも場違いである。


「あ、大塚さんお疲れ様です」

「歌島弟、深川さん、お疲れ。今回もよろしくね」


 小柄な体格に似合わない太く低い声。

 それは良いとして、どうして自転車に乗っているのだろうか。

 

「深川さんは前回大活躍だったから、今回も期待しているよ」

「あ、ありがとうございます」

「ああそうだ。歌島弟、設営部が探してたぞ」

「設営部……あ、荷物置き場の撤収か。悪いサト。また後でな」


 足早にアトリウムへと向かう小太郎を見送っていると、ふと視界の端に違和感があった。

 ちらりと見ると、背の低い異形が机の一点を見上げているようだった。

 何もないはずだが、どうしてか気になる。

 

「ん? どうかした」

「ちょっと……」

 

 さとりが近づくと、異形はひょこひょこと距離を取る。

 

「ストッパー……」

「ああ、危なかったね。さすが深川さん、よく見ている」


 手で押してストッパーをかけると、後ろから大塚の声がした。

 自転車にまたがったままだ。


「いえあの」

「はーい、手の空いているスタッフ! ストッパー外れてる机が見つかったので、巡回ついでに自分のブロックの机を確認してきてください!」


 よく通る大塚の声に、ホール内のスタッフが即座に反応した。

 本部に溜まっていたスタッフも、各島へと繰り出して行く。

 

「早速のお手柄だね、深川さん。ありがとう」

「あ、はい……」


 自分の手柄ではない後ろめたさがあるが、異形に教えてもらったなど言えるはずもない。

 さとりは少し離れてしまった異形に目をやり、小さく「ありがとう」とつぶやいた。


 自分もストッパーを確認する作業に入った方が良いだろうかと思ったが、その前に気になることを聞いておくことにした。


「あの、大塚さん、その、自転車は……」

「ん? 乗りたい?」

「えっ!?」


 想定外の答えが返ってきて、思わず固まるさとり。

 

「乗ってみたそうだったから」

「え、えっと……」


 乗りたくないといえば嘘になる。

 

「そうだなあ……自転車のスピード感だからこそ見える違和感みたいなものがあるから、それを見つけたら教えてほしい。たまにそうやって巡回する人もいるよ」

「あ、えっと、じゃあ……」


 差し出される自転車のハンドルを、思わず受け取ってしまった。

 これはもう乗るしか道が残されていない。


「ぐるっと一周して本部に戻ってきてね」


 踏み込んだペダルが、スッと自転車の速度を上げる。

 いわゆるママチャリの形をした何の変哲もない自転車だが、よく手入れをされているらしい。


「わあ……」


 整然と並んだ机椅子が、見慣れない速さで前から後ろへと流れていく。

 ホール内はぬるい空気だが、感じる風が汗をさらりと吹き飛ばす。

 

(見られてるなあ……)

 

 ちらほらといるスタッフだけではない。

 異形もまたさとりのことを注目しているようだ。

 視線を感じる微妙な居心地の悪さと、自転車の速度が生み出す疾走感、そして並べられた机椅子という非日常の光景。どう味わえばいいのかと戸惑っているうちに、本部から最も離れたエリアにまで来ていた。

 そしてその『にぬねの』ブロックに、ブロック長の大門の姿があった。


「あ、大門さん」

「これはお嬢、お疲れ様です」

「あっ、お疲れ様です」


 机のストッパーを確認していた大門がその手を止め、じっとさとりのことを見つめてくる。

 いや、さとりというよりは自転車に視線が行っているようだ。

 

「えっと、あの、どうかされましたか」

「……いえ、自転車は幹部スタッフしか乗らないものだと思っていたので」

「幹部……」

 

 頭をよぎる大塚の顔。

 感じていた視線の理由に思い当たり、小さくうめいた。

 

「大塚さんに、自転車から見回ってほしいって」

「聞いたことはないですね……」


 やはり。

 ホール長は真面目な顔をして案外お茶目な性格のようだ。

 残り半分を自転車で行くべきか、降りて押すべきか迷う。

 

「何か見えましたか」

「いえ、あの、まっすぐに設営できていて、すごいなって思いました……」


 たくさんの人たちの手で並べた机。その上に乗せられた椅子。

 端から眺めてもそのすごさを感じることはできたが、合間を自転車で走り抜けるとまた違った視点でそれを実感した。

 

「たくさんの人が協力してくれた結果ですからね」

 

 大門はそう言うと、満足そうに笑っていた。



 

 

「特に違和感はありませんでした」

「そう。ありがとう」

 

 本部に戻ってきたさとりを迎えた大塚は、しれっとお礼を言って自転車を受け取った。

 ふざけた様子はなく、いつもと表情は変わらない。

 

「……あの、もしかして自転車でたまに巡回してるって、嘘でした?」

「ん? いや、そんなことはないよ」


 大塚は「地区の人も良く自転車に乗っているしね」と付け加えた。

 あまり理解しきれていないが、つまりさとりのような普通のスタッフは乗らないということだろう。

 

「大門さんが、幹部スタッフしか乗らないって」

「まあ、誰に怒られるわけでもないから」

「ええ……」


 確かに誰にも怒られはしなかったが、奇異の視線をずっと浴びていた気がする。


「スタッフだけが見られる景色だよ」

「それは、そうかもしれませんけど……」


 どこか騙されたような気がするが、大塚の笑顔の前に「ありがとうございました」とだけしか言えないさとりだった。



 

 西1ホールには大きな柱が数本立っているが、コミマの期間中はそれぞれに広告が貼り出される。

 今はその準備中のようだ。

 

「大きなイラスト……」

「ゲームの広告だな」

「へえ……」


 床に広げられた、水着の女の子の大きなイラスト。

 夏らしいといえば夏らしいが、少々露出が多いようにも見える。

 さとりと小太郎は少し離れてその作業を見守ることにする。 


「じゃあ上げるぞー」

「オーケーでーす!」

「気を付けてー!」


 紐に引っ張られ、ゆっくりとイラストが持ち上がる。

 

「少しそっち上げて!」

「ロープちょっときついです!」


 物珍しさからか、異形もその作業を見守っている。

 それなりの数が集まっているが、当然さとり以外にそれを『みる』者はいない。

 

「あの人たちはスタッフじゃないよね」

「違う違う。ちゃんと業者の人」

「大変だね……」

 

 ヘルメットをかぶった数人のおじさんたちが、地上と高所作業車に分かれて作業している。

 その結果が水着の美少女というのもミスマッチだが、このコミマにおいてはそれが普通らしい。

 

 やがて大きな広告が柱に巻き付けられ、一連の作業が終わったようだ。

 

「目立つだろ」

「うん」

 

 改めて下から見上げると、なかなか迫力がある。

 コミマは美少女系だけでないことを知っているが、やはりこういうイラストを見るとコミマを実感する。

 ふと視線を戻した小太郎が、慌てて頭を下げた。

 

「九条さん、お疲れ様です」

「……ええ、お疲れさん」


 今回もお隣『らりる』ブロックのブロック長である。

 あまり友好的ではない雰囲気は相変わらずだが、なぜか同じ作業が始まったもうひとつ隣の柱に厳しい目をやっている。

 

「どうかされたんですか」

「そないに珍しいもんかと思いましてなあ」

「? そりゃあ普段見られるものでもないですし」


 隣の柱を見ると、また美少女のイラストがゆっくりと持ち上げられているところだった。

 さっきと同じように異形たちも柱の周りで注目している。

 

「事故が起きひんかったらええけどね」

「そうですね。でもあの人たちもプロですし」

「慢心は事故の元ですえ」

「あ、はい……」

 

 自分が注意されたかのように小太郎が下を向く。

 しかしさとりは、九条の言葉の意味するところを察していた。


(……増えた)

 

 見物する異形はその数を増やしているが、不思議と作業車からは一定の距離を保っている。

 結果、業者のおじさんたちが異形に囲まれて作業しているようにも見えて落ち着かない。


「ふう」


 九条は小さく息をつくと、本部に足を向け、そして、


「あっ……」


 その足元にいた異形を、音もなく蹴飛ばした。


(また……)

 

 前回も似たような光景を見たのを思い出す。


「どうかしたか、サト」

「ううん……」

 

 偶然ではない気がするのだが、誰かに相談できる話でもない。

 隣のブロック長である九条の後ろ姿を、ただ見送るしかできなかった。

 

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