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第25話 幕間 さとりの追憶

「さとりちゃん、へんだよね」

「なにもないのにこわがったりね」

「へとり!」

「へーとりー!」


 幼稚園児の残酷なコミュニケーションは、今でもたまに思い出す。

 その悪い素直さは、異物の排除という人間の本能を体現し、さとりは誰にも共感されないままで日々を過ごした。

 苦痛でしかない幼稚園の時間だったが、毎朝父に強制的に連れて来られ、選択肢はなかった。

 夕方、神社の職員の誰かが迎えに来るまで永遠にも思える長い時間。

 突然目の前に現れる異形に泣き叫び、他の園児に気味悪がられ、先生たちも扱いに困った様子で半ば放置状態となる日もあった。

 

 記憶に残るのは、なぜか先生に頭を下げる父親の背中。

 変わった匂いのする、見慣れない病院でのカウンセリング。


「年齢的なもの」「ままある症状」「子供特有の」「様子を見ましょう」

 

 断片的に聞こえてくる言葉が全部自分のことだと理解する。

 ただ病室の母だけが、見えることを話しても否定などせず笑って聞いてくれるのだった。


 そんな母が亡くなった。


「妙なものは見るのに、母さんのことは見られないのか」


 年中だったか年長だったかは覚えていないが、父の失望したような表情だけは覚えている。


「ごめん、なさい……」


 もう母の声は覚えていないというのに、泣きながら父に向けた自分の声はまだ覚えている。


 今になって、いくらか理解できる。

 まだ小さかった弟とさとりを抱え、神社の跡取りとして仕事をこなす。まだ健在だった母方の祖父母の力を家事のために借りていたとはいえ、どれだけ苦労したか。

 父は周囲に勧められながらも、後妻を迎えたりはしなかった。

 

 

 

 幼少時代、さとりの最初の居場所は神社だった。

 地域の顔役をしている父親の帰りは遅く、ひとりで家にいる時間がかなり長かった。

 弟は祖父母の口利きで夜遅くまで預けられる保育園に入っている。

 宿題を済ませてしまえば、誰もいない自宅ですることはない。

 決まって誰かがいる場所……家に隣接している神社の境内に行って顔を覗かせる程度だ。


 平日夕方の神社は参拝者が多いわけではないが、繁華街に隣接していることもあって無人にはならない。

 父親はこの神社で一番偉いそうだが、その姿を見かけることはあまりない。

 神社の外に呼ばれることが多いのだそうだ。

 代わりに巫女さんや権禰宜がさとりの相手をしてくれることがあった。もちろん毎日ではないのだが。


「ここ、おまえんちなの」


 そう話しかけてきたのは、同じクラスの男子だった。

 違う幼稚園から来たのだろう。さとりに関する悪口については知らない様子だった。

 「こたろう」と名乗る男子は、聞けば両親が離婚し母親に引き取られてこの街に来たそうだ。

 さとりの家と同じように日中は誰もおらず、ひとりでふらふらと遊び場所を探していたらしい。

 

「ひろくてあそびによさそうだけど、ひとがいるな」

「うん……」


 神社は空き地ではない。

 東京にあって比較的大きなこの神社は半ば観光地化していることもあって無人になることはほぼない。

 走り回れそうな空間はあるが、人とぶつかる心配をしながら遊ばなければならない。

 

「あそべるばしょしらないか」

「しらない」

「ふーん」


 さとりはあまり外で遊ぶことは無かった。

 父親は忙しいから外に連れて行ってもらったことも少ないし、異形がウロウロする中では安心してひとりで行動などできない。神社の裏にある小学校への登校ですら、同じ学校の生徒の近くを歩くようにしている。

 神社の境内は異形の姿も比較的少なかったし、何より知っている大人がいた。

 少し歩けば大きな公園があるのだが、同じ幼稚園出身の子と鉢合わせになる可能性が高い。さとりにとっては行きたくない場所だ。

 

「じゃあさ、そとをぐるっといっしゅうしてみようぜ」

「そと?」

「なにかおもしろいものがみつかるかも」


 手を引かれるままに、歩き出す。

 鳥居をくぐった瞬間、それが見えた。

 

「ひっ」


 燃え盛る火に包まれた車を引く何かが車道を走り抜けていった。

 当然、周囲の人間は何も反応を見せない。

 

「どうした」

「あなたも、みえないの」

「なにかいたのか?」


 先ほどの火の車から散った火の粉がまるで笑うように震えながらさとりへと向かってくる。

 

「……」


 思わず背を向けて、境内へ戻る。

 明らかに自分へと向かってきた異形。やはり外の世界は恐怖に満ちている。


「どうした。なにをみた」


 あまりにも真剣なその表情に、何もなかったと言って引き下がってくれるとは思えない。

 恐る恐る、今見たものを口にする。

 それを聞いた「こたろう」は神妙な顔で腕組みをして、深くうなずいた。

 

「……そうか。じゃあ、つぎからおしえてくれ。そいつからにげる」

「えっ」


 思いがけない言葉だった。

 さとりは内心諦めていた。どうせまた「そんなものは見えなかった」とか「うそつき」とか言われるに違いないと表情を硬くしていたのだが。

 目の前にあったのは、新しい遊びを考え付いた無邪気で真剣な男の子の表情だった。

 

「たのんだぞ。そいつらからみつからないようにそとをいっしゅうする。みつかってもにげきれば、おれたちのかちだ」


 勝ち。

 基準も判定もあったものではないが、勝ちなのだ。

 自分たちはあの異形たちに勝つことができるのだ。

 その考えは、さとりにとっては目から鱗が落ちるような気分だった。

 

「……うん、わかった」


 差し出された手を取って、鳥居の外へと一歩踏み出した。



 

 三度目の冒険の時だった。

 さとりと小太郎にとっての居場所が、ようやく見つかった。

 その場所は、小学校の裏側あたり。


「あれ……?」


 子供の姿が似つかわしくない町工場。

 建物と塀の隙間に、ちらりと人影が見えたのだ。


「いま、こどもがいた?」

「ああ、おれもみた」

 

 ということは、異形ではない。

 建物の影で薄暗いその場所は、進んで入ろうとは思えなかったのだが……


「よし、いってみよう」

「え、でも」


 家の近くの道路をウロウロするだけなら特に何も言われないだろうが、ここは他の建物の敷地だ。見つかったら確実に叱られるであろうことは小学校低学年のさとりでも理解できた。

 だが男子にはそんな常識は通用しないようだ。


「ほかのやつもはいってるなら、だいじょうぶだ」


 ぐいっと手を引いて、足を踏み入れる。

 独特の油臭さが鼻をついた。


「どこまでつづいてるんだろう」

「さあな。とおりぬけるだけかもしれない」


 そんなことを話していると、建物の角に差し掛かった。

 そしてその先に、人の気配がある。


「ん? なんだお前ら」


 男の子の声がした。

 ふたりよりは年上だろう。

 

「誰か教えたのか?」


 どうやらここには男の子が四人ほどたむろしているようだ。

 それぞれ手に漫画雑誌を持っていて、訝しそうな目でこちらを見ている。

 一番手前にいた男の子が立ち上がって、ふたりのことを見る。

 

「たまたまとおりがかったんだ」

「たまたまで来るかよ」

「たんけんしていたんだ」

「たんけんか。ならしかたないな」


 男子同士何か通じ合ったらしい。

 後ろの三人はそれで興味を失くしたのか、また雑誌に目をやり始めた。

 この場所はさっき通ってきた隙間よりも少し明るい。

 単純に広いのと、向かいの建物に反射した陽の光に照らされているためだった。

 

「あの、ここは」

「マンガ基地」


 相手をしてくれている一番年上と思われる男の子が、ぶっきらぼうに答えた。

 

「まんがきち……?」


 聞き慣れない単語だ。

 彼らがそう呼んでいるだけなので聞き慣れなくて当然なのだが。

 

「ここの工場の人がここに雑誌を置いてるんだ。それを読ませてもらってる」

「いいの?」

「騒がなかったら良いって昔言われたらしい」


 目の前の男の子は小学校高学年くらいに見えるが、どうにも「昔」というセリフが不似合いに思えた。

 首をかしげるふたりに補足する。

 

「ずっと前からそうなんだってさ。オレも前にここにいた人から聞いただけだ」

「ふーん?」

 

 つまりは何年も前からここはそういう場所だったのだろう。

 機械油の匂いと、何か機械の動作音。建物がちょうどへこんだようになった二畳ほどの広さで、腰かけられるような台がちょうどよく置かれている。

 小さな屋根の張った棚には雑誌たちが無造作に置かれ、思い思いに読むことができるようだ。

 鉄工所の勝手口があるが、どうやら人の出入りはなさそうだ。

 

「お前らも読みたいなら読んでいいぞ」

「えっ」

「ここはそういう場所なんだよ」


 再び雑誌に目を落としながら、その男の子は腰を下ろした。


「ここでは静かにすること、大人には言わないこと。それだけ守れればいい」

 

 ふたりはうなずくと、恐る恐る手近にあった雑誌を手に取って読み始めた。

 

 

 さとりがあと五年ほど通い詰める鉄工所裏との出会いだった。

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