第24話 幕間 年末年始の深川家
さとりの自宅は神社の境内に隣接している。
玄関こそ通りに面しているが、勝手口は社務所に近い方を向いており、簡単な柵と門で区切られている。
当然普段はここを通る人間は家族に限られていて、神社関係者も用があるときは玄関から入って来ることになっている。
しかし年始という一大イベントを前にそのような作法には一切の気が払われず、家の中に常に家族以外の人の気配がある。廊下にはお守りや破魔矢、お札の入った箱が積まれ、体を傾けて廊下を歩くことになる。
深川家の年末恒例の光景である。
「ああ、お嬢様、おかえりなさい」
「あ、た、ただいま戻りました……」
表からも裏からも神社関係者がひっきりなしに出入りし、この時期は鍵もかけないしインターホンも用をなさない。
不用心ではあるのだが、顔見知りが常時入れ替わりながら監視しているようなものなので大きな問題は起こったことがなかった。
「通れますか」
「あ、大丈夫です……」
去年までは「あちら側」にいたさとりだったが、今年は手伝いから除外されている。
神社関係者には『高校生の間は勉学に集中するため』と知らされているようだが、実際にはさとりは東京ビッグサイトにいた。
若干後ろめたさを感じるが、だからと言って手伝えるかと言われると少々厳しい。
始発時間から活動していた疲れが、さとりの体を重くしている。
気まずい気持ちを抱えながら、逃げるように自室にこもる。
「少し寝て、手伝えることがあったら手伝おうかな」
特に三が日は、二十四時間問わず人手も人目もいくらあっても良い。
軽くシャワーを浴びてから、自室で布団を敷いて横になる。
(少し眠って、起きたらすぐに何か手伝おう)
そう思っていたさとりだったが……
「ええっ!?」
思わず声を上げる。
昨日帰ってきたのは午後六時過ぎ。そこからシャワーを浴びて布団に入って……午後七時ぐらいだろうか。
今は午前九時半。
「じゅ、じゅうよじかんも寝て……ええ……?」
そばも食べずに年を越したのは、物心ついてから初めてのことかもしれない。
そもそも晩御飯すら食べていない。
昨日ビッグサイトでスタッフ用の弁当を食べて以来だ。
「ええ……」
さとりはもう一度うめくと、体を起こした。
三日間動きっぱなしだった割に、その疲れは残っていないようだった。
外の喧騒が聞こえてくる。初詣に来る人の波は深夜まで途切れることは無さそうだ。
まだこの家に人の出入りは多いはずなので、簡単に身支度を整える。
(一応この格好の方が良いかな……)
いつもの巫女装束に着替える。
コミマでは洋服だったが、緋袴の帯を締めると自然と背筋が伸びる。
しっくりくるというか、自分の中身が一段引き上げられる気がする。
「……うん」
準備はできた。
寝坊も寝坊、大寝坊だが、これまでと違って何か仕事を任されたり約束があるわけではない。
そうはいっても、もう昼前と言って良いような時間に起きだすことに気恥ずかしさがあった。
廊下に誰かがいる気配はあるが、待ったところで他の誰かが来るだけだろう。
小さく息を吐いて、自室のドアを開けた。
「……あっ」
廊下に出た瞬間に見えたその姿に、思わず声が出た。
父の姿があった。
紫の袴に白の紋。この神社の宮司であるが、例年ならば自宅に戻る余裕はないはずだ。
「……さとりか。おはよう」
「お、おはようございます」
慌てて頭を下げる。
父は公私を分ける方ではあるが、この時期の深川家の私的な空間は自室のみであり、廊下や台所、居間に至るまで半ば公的な空間になってしまっている。
そして公的な場では宮司という職階にある父は絶対的な上司であった。
「ずいぶん寝ていたようだが、体調が悪いのか」
あれ? と内心で首をかしげる。
会話がかなり私的な内容に思えたが、そのまま敬語を崩さないでおいた。
「いえ……その、疲れただけだと思います」
「そうか」
未成年がコミマスタッフとなる場合、親の同意書が必要となる。当然この父も署名してくれたが、内心でどう思っているかは分からない。
繁忙の時期に体よく追い出すことができたと思っているのか、家業を一顧だにせず遊びに出かけたと思われているのか。
「あの、今日は私も社務所に詰めておいた方が」
「不要だ」
短い返事に、胸がきゅっと痛くなる。
「あ……はい」
辛うじて返事を絞り出した。
会話が途切れ、気まずい空気になる。
「ではあの、洗濯と、みんなのお昼の食事の用意をします」
「……わかった」
役割をもらえたことにほっと胸をなでおろす。
さとりは、家事もうまくこなせないと思われている。
それは異形に気を取られていたことが原因ではあるが……ともかくそんなさとりの手さえも必要としているということだろう。
家の中にまで聞こえてくる喧騒。それほど大勢の人たちが参拝している。人手などいくらあっても足りないのだ。
「……皆には学業に専念すると伝えてある。それを心に留めておくように」
「はい」
父は厳しい表情を崩さず、さとりに背を向けた。
「うわ……」
洗濯は家族の分だけのはずだが、脱衣所の洗濯かごには山のように衣服が積まれていた。
さとりがコミマに出ていた三日間手つかずだったらしい。
このあたりはまだ弟は戦力になってくれていないようだ。
洗濯機を回し始めると、次はご飯を炊かなければ。
この辺りはコンビニも多く、買い出しの選択肢はまあまああるのだが、とにかく参拝者が多い。どこのコンビニも行列を作っている。
深川天満宮では職員におにぎりを振る舞い、簡単だが確実に腹を満たして業務を継続してもらうことが慣例だった。
「……」
大量の米を研いでいると、妙な視線を感じる。
そっと視界を動かすと、異形の姿があった。
「……」
さとりのことをじっと見ているが、相手をしない。
落ち着かない居心地の悪さのようなものは感じるが、それだけだ。
神域といっても、異形の姿はある。そうでなければさとりがこうまで失敗を重ねるようなことはなかった。
誰かにくっついてくることもあるし、ふらりと流れてくることもある。
今境内はそういったものたちで溢れているだろうし、出入りのある自宅でもいつもより多いかもしれない。
「ふう……」
大量の米を炊飯器に仕掛けると、ようやくひと息ついた。
視線を投げつけていた異形を改めて見る。
新緑のような色の小さな人形のように見える。目鼻はないが視線を感じるのも不思議な感覚だ。
今度は異形がさとりの視線に居心地が悪くなったのか、音もなく水平に動いて玄関の方へと去って行った。
見送るともなく立っていると、勝手口から声がかかった。
「姉ちゃん」
「悠紀、おはよう」
三つ下の弟の悠紀だ。
さとりは父と弟の三人で暮らしている。
「あけましておめでとう」
「あ、うん。おめでとう」
一拍遅れて新年の挨拶をする姉に、悠紀は鼻で笑った。
今年中学一年になった悠紀は、去年から家業を手伝っている。掃除したり物を運んだりと簡単なものだが、そんな簡単な作業も取り上げられたのだと、さとりは少し悲しくなる。
「姉ちゃん今日もぼんやりしてるけど、新年ってこと忘れてた?」
「あー、うん。普段この時間に家族と新年の挨拶はしないし」
「まあそうか」
いつも日付が変わってからひたすら来客に新年の挨拶をし続ける。
ここまで日が高くなってから家族と新年の挨拶をするのは初めてかもしれなかった。
「悠紀は今日何をするの?」
「午後からお焚き上げの監視。つってもほとんど氏子のおじさんたちが見てくれるけど」
「そうだよね」
悠紀は少々不満そうに見える。
思春期に片足を踏み入れている弟は、少し生意気な口を利くようになってきた。
氏子のおじさんたちからすれば可愛らしく見えるようだが、本人にはそうやって子供扱いされるのは不本意のようだ。
「年末、どうだったの」
「どうって……?」
「コミックマート。姉ちゃんに似合わなさそうだから、何やってきたのかなって」
「何って……スタッフ、だけど」
「警備員みたいなの?」
「うーん、まあ……」
どう伝えればいいのだろうか。
まだ自分の中で上手く言葉にできていない。
「クラスのオタクの奴も行くって言ってたんだけど、俺ぐらいの奴も多いの?」
「多くはない、かな……人が多いから、あんまりわからない」
「ふーん……」
あまりはっきりしない姉の返事に、悠紀は少しイラっとしたようだ。
自分たちが多忙を極めていた中で留守にしていた姉が、結局何をしていたのか分からない。
「それで、楽しかった?」
さとりは悠紀にそう聞かれ、改めて昨日までのことを思い出す。
夜も明けきらないうちから外に出て、知らない世界に身を投じた。
そして、今残っている感覚は……
「うん」
最後だけはっきり返事をしたさとりを、少し意外そうに見る悠紀だった。




