第21話 C97冬 3日目 捕物
『ただいまより、コミックマート97冬、3日目を開催いたします!』
昨日一昨日も聞いたアナウンス。
同じように会場内は拍手に包まれ、今日最初の一体感をかみしめる。
なんとなくではあるが、コミマの楽しさのようなものが分かってきた。
そうして客観的に分析できる余裕がある。
「おはようございまーす!」
ゆっくり歩いて入場してくる参加者に向かって、隣で由布子が声を上げる。
いつもの『走らないでください』と違って、温かみのある声。
「うーん、平和やな」
開場直後とは思えない由布子の感想に、どう答えていいものか分からないさとり。
話を聞く限り、混雑は配置ジャンルに大きく左右されるらしい。
1日目の高密度高速度の入場列を思い出すと、とても同じイベントとは思えない。
決して人気のないジャンルというわけではなく、最初に混むジャンルではないという意味だと補足してくれた。
最も警戒すべきはホールの入場口周りである『や』ブロック周辺の通路だったが、参加者の密度も低く入場も落ち着いているので離れても良さそうだった。
由布子は周囲のスタッフに声をかけ、自ブロックの巡回に入る。
『ゆ』ブロックと『よ』ブロックの間をのんびり歩いて回るが、混雑している様子もない。
「こういう時は、サークルさんの荷物が足元から飛び出してへんかとか、テーブルクロスが床についてへんかとか、そういうとこをチェックするんやで」
「わかりました」
確認ポイントを教えてもらいながら、自分のブロックを見て回る。
通路を歩くのに困ることはないが、立ち読みの一般参加者はそこそこいるのでぼんやりしていると人にぶつかってしまう。
それに異形たち。
普通に歩いているものや、サークルのディスプレイをじっと見るものもいれば、立ち読みを後ろから覗き込んでいるものもいる。
直視はしていないので気配だけだが、まるで一般参加者の真似をしているかのようにも思えた。
外周通路まで通り抜けて、振り返る。
通路の両側にサークルが出展していて、まるで商店街のようだと思った。
ふと目が合った『しらたま堂』がさとりに頭を下げてくれる。
さとりも小さく会釈して返す。
相変わらずタブレットの宣伝には数体の異形が釘付けになっているようだ。こちらは開場前よりは減っていた。別のどこかに行ったのだろう。
「ん、知り合い?」
「あ、いえ。さっき見本誌回収の時に少しお話をして」
「へえー、そうなんや。あ、神社の本やん。やっぱ家業のことやから気になった?」
「あ……はい」
「おー、やっぱりそうなんや。ここには色んな本があるからなあ。気になるんやったらあとで休憩時間に買いに行ったらええで」
そう由布子は言うが、高校生のさとりにとって、『しらたま堂』が出していたあの本は決して安いものではない。
同人誌は自費出版であるから、どうしても世間の本に比べると高くなる。
「まあここでしか買われへんし、言うたら次買える保証もないし」
「そうなんですか?」
「そうや。この業界ではよう言うねん『買わずに後悔するぐらいなら買って後悔しろ』って」
言われてみれば、そういう勢いで同人誌を買っている参加者が多い。
「私もなあ、昔泣く泣く購入を見送った地元の銭湯を特集した本、次買いに行ったら完売してて再販の予定なんか当たり前のようになくて、手に取る機会が永遠に失われたことがあってな……それ以来、後日もやし食ってでも、気になる本は買うことにしてるんや」
由布子は「まあ社会人になってからやけどな」と付け加えて笑った。
「そういえば、東6に神主さんやってるスタッフがおるって聞いたことあるよ」
「え、そうなんですか?」
「うん。冬コミにも当然のように参加してはるんやて。ほんで、ホールのみんなでそこの神社に初詣に行くらしいで。どこやったかなあ……なんか都心の方やった気がするんやけど」
神社関係者にとって最も忙しいともいえる年末にコミマスタッフをする神職がいるとは思えなかったが、本当だろうか。
しかもどういう形かは分からないが、ホールの仲間を初詣に迎えるという。それなりの人数になるはずだが、神社の参拝者増に貢献しているからお目こぼしされているのだろうか。
「一番忙しい時期だと思うんですけど……」
「郵便局の人間もおるし、趣味の前ではあんまり関係ないんちゃう? 普段からめちゃめちゃ働くとか」
「そう、なんでしょうか」
社会人のことはよく分からないが、少なくともさとりの実家の神社では総動員されている。まとまった休みをとっている人の話は聞いたことがなかった。
「せや。さとりちゃんとこの神社に、うちのホールのみんなで行くっちゅうのはどう?」
「えっと、それは……」
由布子の言葉に思わず立ち止まるさとり。
もちろんこのホールの人たちは良い人ばかりで、神社に招いたところで問題を起こすとは到底考えられない。
しかし明らかに年上の知り合いを、多数神社に招くとすると、家族から色々と説明を求められるだろう。
何か誤解を受け、以降の参加を許可されない可能性すらある。
「あっ、ごめんごめん。さとりちゃんの都合もあるやんな。忘れて忘れて」
「いえ……こちらこそ、すみません」
さとりの顔色を察した由布子が慌てて首を振る。
答えに詰まってしまった罪悪感と、気を遣わせた情けなさがさとりに付きまとう。
そもそも知り合いを自宅に招くということそのものが、小学生以来ご無沙汰なのである。
「……私今ちょっと、神社の仕事から離れていて」
「そうなんや。そらまあこの冬コミにスタッフで来てるっちゅうことはそうなんやろな。まあでも、そのお陰でさとりちゃんと一緒にスタッフやれるんやと思うと悪くないな」
「えっ」
思わず聞き返した。
「ん? 私はさとりちゃんとスタッフしてて楽しいで」
「そ、そうなんですか」
「そらそうや。こんな素直でええ子と一緒に仕事できる何て、ほんま役得やで」
「そんなこと……」
慰めのように思えるが、けらけらと笑う由布子の声色にそういった含みは感じられない。
あまり表裏のない女性だと思うが、であれば本心から言ってくれているのだろうか。
「あ、せや。午後一緒にフュージョンしよか」
微妙な雰囲気を払拭しようとしたのか、話題を変える。
聞いた覚えのある言葉だったが、何だっただろうか。
「フュージョン? えっと、朝にも言われてま……」
そこまで言って急に目に入った。
すれ違った人の手の甲に見えた、目。
「……さとりちゃん?」
あれは良くない異形だ。
というより、悪いことをしている人に見えるものだったはず。
「……ユウさん、あっちの方を見に行っても大丈夫ですか」
「あ、ああ。そらまあ混雑もないし大丈夫やけど……とりあえず蔵前さんに一報入れとくわ」
携帯を取り出す由布子に気を使いながら、そっと今来た外周通路を引き返す。
混雑してないことが幸いし、すぐに見つけることができた。
目立たない灰色のジャケットに髪をひっつめ、なんとなく野暮ったい印象のあるどこにでもいそうな女性。
真冬ということもありコートを着ているが、肌が露出している部分には明らかに異常がある。
目。
さっきは手の甲に見えたそれが、首筋にも見える。
じっと目を離さないさとりに、由布子が小声で尋ねる。
「どないしたん? あの女の人が何かあるん?」
「……」
どう説明したものだろうか。
女性には確実に憑いている。
どういう理由なのか分からないが、あれが見えている状態のとき、大抵悪事に手を出す。それも、すぐに。
答えないさとりだったが、由布子も何かあるのかと女性に目をやった。
その時、
「あっ……」
由布子の声が小さく漏れる。
サークルの展示物を見ていた人のポケットから、何か物を抜き取った。
「ちょいあんた!」
「っ!」
すかさず由布子が声を上げるが、犯人は人ごみを強引にかき分ける。
「すみません、お兄さん、ちょっとあいつに物盗られたと思うんで確認しといてください!」
「あ、えっ?」
被害者の男性は訳も分からず呆然としている。
「待たんかいコラ!」
さとりは由布子と追うべきか、男性を本部に送り届けた方が良いのか分からず立ち尽くす。
「財布……!」
今になって男性が声を上げる。どうやら後ろポケットに入れていた財布を盗られたらしい。
「大門さん! そいつ捕まえて!」
ただならぬ由布子の声に、一瞬館内の声が小さくなる。
そこから数瞬。
またざわめきが戻ってきた。
「あの、捕まったんでしょうか……」
「そう、だと思うんですけど……」
不安そうにしている男性に、どう声をかけて良いのか分からない。
気まずい沈黙だったが、大きな男が近づいてくるのが見えたさとりは上手くいったのだと理解する。
男は大門で、その前にはがっちりと腕を後ろに取られた犯人の姿が見えたからだ。
「おおきに大門さん。助かったわ」
「いえ。ちょうど通りかかったもので」
拘束に顔をしかめている犯人にとっては不運だった。
このホールで最も不審者制圧の技術を持っているのは、おそらくこの大門だろうから。
「とりあえず地区本部に連れてくんやんな。大門さんブロック離れて大丈夫?」
「ええ。もちろん」
「ほならこのままお願いしますわ」
うなずく大門を見て、被害者の男性にも確認する。
「すんません、お兄さんも一緒に来てもろて大丈夫ですか?」
「あ、はい」
「さとりちゃんはとりあえずブロックに戻っといて。ひとりにしてごめんやで」
「いえ……」
展開が早くて追いつけない。
さとりは由布子に言われるままにうなずくのだった。




