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第19話 C97冬 3日目 順調です

 それから、参加登録の受付はとても順調だった。

 表紙を見て興味を引かれる本も何冊かあったが、サークルの入り具合を見るとあまりのんびりしていられない。とにかく来場が早く、準備も早く、受付を待たせている状態だった。


「おっ、お疲れー」

「順調?」

「お疲れ様です。順調ですよ」


 同じブロックの長崎と牛込が気さくに声をかけてきた。

 長崎は少しひょろっとした男性、牛込は明るく笑う年上の女性だ。

 長崎はちらりと小太郎の持つカバンを見ると穏やかな笑顔を見せる。


「『よ』ブロックだよね。本持っていくから一緒にしちゃおうよ」

「えっ、いいんですか」

「いいよいいよー。こっちに入れちゃうね」


 そう言うと牛込は小太郎の見本誌カバンから同人誌を掴んで自分のカバンの中に入れていく。見た目に反してややワイルドな性格らしい。


「お、重いですよ」

 

 心配そうな小太郎。

 

「大丈夫大丈夫。これ家でも使ってるけど、強くて便利なんだよね」


 からからと笑う牛込。

 カバンではなく牛込の心配をしていたと思うのだが、牛込はカバンをぽんぽんと叩いて笑う。

 

「えっ、家で?」

「ん? うん。何回か前、コミマで記念販売されたんだけど。あ、そっか、ふたりは初めてだから知らないか……と、これで終わりっと」


 すべての本を移し終えて、牛込がカバンを担ぎ直す。小さく「うっ」と聞こえたが本当に大丈夫だろうか。

 

「じゃあ、引き続きよろしくね」

「ありがとうございます」


 にこやかに去っていくふたりに頭を下げる小太郎。さとりもつられるように頭を下げた。


「うー、さすがに重い」

「新人の前で良い格好しようとするからじゃん」


 そんな声も聞こえてきたが、大丈夫だろうか。

 少し心配になって小太郎を見るさとり。視線に気づいた小太郎は言いたいことが分かったらしい。


「まあ、大丈夫だろう」

「うん」


 サークル準備時間中でも、それなりに人が行きかう通路。長崎と牛込の姿はあっという間に見えなくなっていた。


「なんだか不思議」

「どうした」

「長崎さんも牛込さんも、昨日初めて会ったのに親切にしてもらって」


 ほぼ初対面だが、心理的な垣根を感じない。

 長崎と牛込が人懐こいというよりは……


「同じブロックの仲間だからな」

「うん」


 連帯感、というのだろうか。

 人見知りするさとりにとっては、同じスタッフというだけでここまで助け合えるのは不思議で、しかし心地良かった。






「これで全部済んだか」

「うん。このアルバムは全部受付できた」


 最後の参加登録カードを収納すると、パラパラとページをめくる。

 ひとつも欠けがないのを再確認すると、達成感がある。

 通路の真ん中でかみしめていると、前から長崎牛込ペアが歩いてきた。


「お、ふたりともお疲れー」

「お疲れ様です」

「順調そう?」


 長崎がアルバムを持つさとりに尋ねた。



「あっ、こっちのアルバムは全部受付できました」


 話しかけられると思っていなかったさとりは一瞬驚くが、アルバムを見せてぎこちなく笑って見せる。

 長崎は気にした風もなく、また穏やかな笑みで答えた。


「本当に? すごい出席率いいね!」

「長崎さん達の方はどうですか」


 小太郎が話を向けると、牛込がアルバムをめくる。

 付箋がふたつ飛び出しているのが見えた。


「あと2サークルかな。今のところ来た形跡はなさそう」

「それでも中々の率ですね」

「だね」


 『よ』ブロックの配置サークル数は92。

 うち2サークルだけ来ていない。ほぼ受付済みということになる。

 昨日の状況を考えると、かなりすごいのではないだろうか。


 『よ』ブロック担当の四人が回収した見本誌とともに本部に戻ると、明るい声で由布子が迎えてくれた。


「おっ、『よ』ブロック組お疲れー。どない?」

「上々、弟の組はコンプで、こっちはあと2サークルで完了」

「おー、やるやん。順調で何よりや」


 由布子は満足そうに笑うと、ホワイトボードの出席率の数字を更新する。


「ん-、ほんなら牛込さんだけ張り込みして、三人はちょっと休憩しといて。みんな借り受けは無かったやんな……ん? あー、今日はうちフュージョンあるんやっけ」


 シフト表を見ながら由布子がつぶやいた。

 聞き覚えのない単語だが、何だろうか。

 

「フュージョン?」

「んー、仕事のひとつやねんけど、まあまた言うわ。おーい『ゆ』ブロックこっちこっち! 出席率教えてー!」


 小太郎の問いにあいまいに返すと、『ゆ』ブロックから戻ってきたと思われる柳たちに声をかけていた。

 邪魔にならないよう、隣接しているスタッフ控室に入る。

 しかし、さとりたちと同じように受付をひと段落させたスタッフで混雑しているように見えた。


「ちょっとトイレ行ってくる」

「うん」


 アトリウムへと出る小太郎に、何となくついていく。

 西1ホールと西2ホールに挟まれたアトリウムは、四階までの吹き抜けになっていて天井が高い。加えてホールの対面はガラス張りになっていて外の光が入ってくる開放的な空間だった。

 そこを行き交う人たちはほぼサークル参加者で、何か本を作って持ち込んでいる人たちだという。こんなに大勢の人がそれぞれに本を作っているという事実が、さとりにはまだ理解しきれていない。

 そして、行き交う人の中には明るい色の帽子と腕章をつけた人もいる。スタッフだ。さとりは自分が同じ立場なのだとまだ実感できていない。

 要するに、さとりにとってはコミマという場所がまだ飲みこめていないのだ。

 何より、


「楽しそう……」


 行き交う人々の足元で、あるいは少し頭上で同じように楽しくウロウロしている異形たちがいる。

 彼らはもちろん本の頒布もできないし、スタッフでもない。

 創作物に興味はあるようだが、彼らがページをめくることはできない。

 しかし彼らは間違いなく楽しそうなのだ。

 表情が分かるものはもちろん、そうでないものも足取りが軽く気持ちが高ぶっているように見える。


「どうしてあんなに楽しそうなんだろう」


 思わずつぶやくさとり。

 誰かに話しかけたわけでもなかったが、低い声が楽しそうに答えた。


「そりゃ、みんな全力だからね」


 悲鳴を上げそうになるのを飲みこんで、声の主を見た。

 低く大人びた声なのに、目線の高さはさとりとそう変わらない。ただし体格ががっちりした筋肉質。


「大塚さん……」


 西1ホールのホール長である大塚だった。

 大塚はアトリウムの混雑を楽しそうに眺め、そしてさとりに目を向けた。


「どう、深川さん? 何か困ったことはない?」

「いえ、皆さん良くしていただいて……あの、スタッフの皆さんだけでなく、サークルさんにも」

「……ほう、それは良かった」


 うなずきながら目を細める大塚。

 彼が何歳かは分からないが、成人男性と話す機会がこれまでほとんどなかったことに気がついた。

 それがこのコミマでは、業務を通してとはいえ何回も何回も会話をしている。

 さとりにとっては、それがまるで自分のことでないような不思議な感覚だった。


「オタクにはいい人が多い、というのもあるけど」


 大塚はそう前置きすると、温かい笑顔を向ける。


「きっと、深川さんが一生懸命だから応援したくなるんだろう」

「そう、でしょうか」


 この三日間は、今までの自分の人生の中でもひときわ異質で、未体験のことしかないような時間だった。そんなさとりにとって、自分のことが周囲からどう見えているかまで考えもしなかった。

 ただ、それが正解だったのかどうかはともかくとして、言われたことにできる範囲で取り組んでいるとは思える。

 

「一生懸命な人って、応援したくならない?」

「それは……分かります」


 温かみのある大塚の声に、思わずうなずく。


「ここに集まる全員、一生懸命だからね。お互いに応援したくなるんだよ」


 そう言ってアトリウムに目を向ける。

 さとりもつられて行き交う人々を見るが、先ほどよりは数が減っただろうか。代わりに異形の姿が妙に目についた。

 大塚の言葉が真実だとすれば、異形も一生懸命なのだろうか。


「全力で取り組んで全力で笑う。深川さんもまだちょっと戸惑うこともあると思うけど、全力を出してみると良い」


 そう言って本部に戻る大塚を見送る。

 

「全力……」


 何なのだろう。体力的なものだろうか。それとも……

 考えていたさとりだったが、不意に異形と目が合った。

 ひざ丈程度の身長に、苔が生えた石のような表面。等身があるようなないような不思議な体型だったが、目だけは妙にはっきりとさとりを捉えていた。


「……」

「……」


 流れる人々を背景に、見つめあって固まるさとりと異形。


 やがて異形の方が何かを見やり、そして体を翻した。


「あっ」


 さとりの声など聞こえないかのように、雑踏の中へと姿を消した。

 奇妙な時間だった。

 異形は口を開かない。

 さとりは彼らと話すことなどない。そもそも、そんなことは思いもしなかった。これまでは。

 だが『彼』の目を見て理解した。

 彼らにはちゃんと意思がある。

 彼らが望んでここにいるのだと。


「……初めて、ちゃんと目を合わせたかもしれない」

 

 さとりの中で何かが変わろうとしていた。

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