第18話 C97冬 3日目 しらたま堂
二礼二拍手一礼の後、小さく声を出す。
「天神様、今日もお見守りください。それと、今年もありがとうございました」
さとりの声は、冷たい空気の中に溶けていく。
夜明けを待つような時間。天神様もまだお休み中かもしれない。
でも、さとりは毎日の挨拶を欠かす気にはなれなかった。
「すっかり準備ができてる……」
今日は大みそか。
めでたい新年を迎えるにあたり、多くの人たちがこの神社に参拝する。
まだ濃い夜の中、屋台の骨組みや三が日の夜を照らす電球が朝を待っているのがうっすらと見える。
去年まではさとりも場所の調整や業者とのやり取りに同席していたのだが。
「……」
寂しさを胸に鳥居をくぐり、そっと振り返ると、無言で頭を下げた。
どうか、今日もお見守りください。
まだ暖房の入らない冷え切った西1ホール。
朝礼が速やかに行われ、ブロックごとにスタッフが集まる。
「はーい、『やゆよ』ブロックおはようさん!」
「「「おはようございます」」」
『やゆよ』ブロック長、歌島由布子の声に、ブロック員が答える。
一同を満足そうに見まわす。
「今日の出席まだやってない人は本部に行ってバーコード読み込んでもろてな」
今日の借り受けと大まかなスケジュールを再確認する。
昨日とほぼ変わらないが、混雑対応はあまり必要ないらしい。
「今日は旅行系のジャンルなんで特に混雑はないと思うんやけど、このジャンルは最後まで人が残る傾向にあるので、参加者対応なんかは最後まで続くと思っといてください。あとはまあ、撤収が遅いかもしれへんけど、さっき大塚さんも言うてたけど急かすようなことはせんでええからね。えっと、ほんなら見本誌の担当分けやけど……」
さとりは『よ』ブロックになった。近くでは昨日一緒に受付に回った蔵前が待機してくれていて、困った時は頼ればいいらしい。少し知った人で安心できる。
そして何より、小太郎と組むことになった。
「今日はどうせ成年向けもないしな。顔見知りと組んだ方が気楽やろ」
という由布子の配慮だった。
知らない人ばかりのスタッフ業務の中、知っている人が近くにいると不安が和らぐ。
今日は、失敗しないように慎重に行こう。
「最終日、頑張ってや」
「はい」
由布子に言われて今日が最終日と再認識する。
今日は今年の終わりで、コミマの終わりでもある。
氏子地域とはいえ早朝から東京ビッグサイトにいるのは、どうにも不思議な気分だった。
「サト、よろしく」
「うん。よろしくお願いします」
「今日は堅実に行かないとな」
「うん、昨日は失敗しちゃったしね」
開け放たれた外周のシャッター越しに東地区の方を見る。
流れ込む外気が冷たくまとわりつく中で、昨日小太郎とふたりで失敗した荷物運びが思い出される。
きちんと確認するべきだった。
誰かに聞くべきだった。
東の女性スタッフにも迷惑をかけた。
後悔ばかりがぐるぐると頭を回る。
重い空気になりそうになった時、横から声をかけられた。
「こらこら、おふたりさん。あまり気にしないように」
「蔵前さん」
副ブロック長の蔵前だ。
「もう終わったことだから、あんまり気にしても良いことはないよ。次同じようなことがあった時に失敗しなければいいだけだから。それに、自分たちで考えて実行した結果でしょ。それは褒められていいよ」
「はい、でも……」
結果として他の人に迷惑をかけた事実もある。
経験の浅いふたりだからこそ、昨日の失敗は簡単に割り切れないでいた。
「それに、一般さんやサークルさんには何も影響なくて、準備会の中だけで済んでる話なんだから、君たちが申し訳なさそうにして喜ぶ人はいないよ」
なおも神妙にするふたりを見て、蔵前は苦笑する。
「……って言ってもまあ、自分の失敗は引きずるよなあ。分かる。分かるんだけど、それを飲み込んで成長してくれ。若者よ。とにかく、ねちねちいつまでも責められるような失敗じゃないってことだけは覚えててよ」
「はい」
言うほど蔵前も年を取っているわけでもないが、ふたりは素直にうなずいた。
「この見本誌回収は、歌島姉がくれた挽回のチャンスだね。同じふたり組で、今度はやり遂げて見せれば良い。今日のサークルさんのことをしっかり考えよう」
「はい」
蔵前は小太郎の背中を軽く叩いて笑う。
立ち去る蔵前の後ろ姿の先に、今日のサークル参加者の姿がちらほら見え始めた。
蔵前の言う通りだ。今日、このブロックに配置されたサークルさんをお迎えすることが一番大事だ。
小太郎も同じように思ったのだろう。どちらからともなく目を合わせると小さくうなずいた。
「……行こうか」
「うん。あ……」
思わず声が出る。
東のホールの先に、黒い異形の飛ぶ姿が『みえ』たような気がした。
「どうした?」
小太郎に声をかけられて、もう一度東の方を見る。
だが今度は目を細めても、見えなかった。見間違いだったのだろうか。
もしかしたら、東ホールの方で何か良くないことが起こるかもしれない。でもそれは、さとりの手の届く場所ではない。
「……ううん。行こう」
もう少しだけ、この場所を見極める必要がある。
不安に塗りつぶされそうだったさとりだったが、一気にその心配は無くなった。
旅行・鉄道ジャンルのサークルの入場が想像以上に早く、昨日と比べ物にならない密度でサークル受付が進行していた。
小太郎の見本誌チェックに焦りが見られ、見本誌シールのチェック漏れをさとりが指摘することもあった。
「コタくん、大丈夫?」
「ああ、いや……さすがに大変だな」
「そうだね」
最終日の熱量だろうか。
あれだけ冷え切っていたホールの空気が、今は少し暑い。
もちろん見本誌回収で歩き回っているせいもあるだろうが、小太郎はうっすらと汗をかいているほどだ。
そんなふたりが次に訪れたサークルは……
「あっ」
目を引くカラーの表紙に、思わず声を上げた。
「うん? どうした」
見本誌バッグを担ぎなおした小太郎が、何事かと首をかしげる。
今日の新刊と表示された同人誌。
タイトルは『江東区神社巡り』
表紙は神社の鳥居を中心に置いた写真なのだが、そこは見慣れたさとりの実家だった。
そして何より……
(私が写ってる……)
後ろ姿ではあるが、髪の長かったころの自分が写り込んでいる。
……ということは、五月ごろに撮られたものだろうか。
「あ、スタッフさん。おはようございます。受付ですよね。ちょっと待ってください」
『しらたま堂』と書かれたポスターをスタンドに設置しながら、サークルの男性が穏やかに言う。
表紙を見て固まったさとりの前に、見本誌が差し出された。
「サト?」
「えっ、えっと、お、おはようございます?」
挙動不審なさとりを見て、さすがにサークルの男性も首をかしげる。
「あの、どうかされましたか?」
「ん? あっ!」
表紙を見た小太郎も、ようやく気付いたらしい。
「あーっと、僕らこの神社の近くに住んでて」
「そうなんですか! 良かったら見ていってください……って、見本誌チェックで見るんですよね。あはは」
小太郎のフォローで、何とか軌道修正する。
確かに自分の同人誌を見てスタッフが固まっているなど何事かと思われるだろう。無駄な心配をかけないためにも、早く受付をしなければ。
「はい、では……」
手を伸ばしかけた小太郎だったが、途中でさとりの方を見た。
「せっかくだし、サトが見るか?」
「え、いいの」
「ああ」
手渡された本は、薄さのわりにしっかりとした重さを感じる。
そっと開いてみると、そこには見慣れた神社の数々があった。
「……」
食い入るように見つめる。
ページをめくるたびに、独特のインクのにおいが鼻をくすぐる。
管理者がいないため、たまにさとりが清掃に行く小さなお社。
氏子総代のおじいさんがなぜかいつもお餅をくれる神社。
後ろに写り込んだ建物は、いつも景気良く初穂料を納めてくださる会社。
そして、
「あっ、私……」
「えっ!?」
メインとも言える神社の写真に、巫女姿のさとりが写り込んでいた。
表紙と違って正面だが、ピントが合っていないのかはっきりと顔は分からない。だが、背格好、少し前の髪型、場所。さとりは間違いなくそれが自分だと分かる。
「ええっ、スタッフさん!?」
慌てて開いているページを覗き込む。
サークル『しらたま堂』の男性の顔色がみるみる悪くなっていった。
「ま、まさか……こちらの巫女さん」
写真が不鮮明であることを確認してから、そっとスタッフ証に目線が移る。
「あっ、深川! え、ええ!?」
事態を把握した男性が勢いよく頭を下げる。
「た、大変申し訳ございません……」
謝られる理由に思い当たらず、さとりはどう答えたものかと思案する。
もしかしたら、どこかに悪いことが書かれているのだろうか。
「あれ、大晦日なのにこんなところにいて大丈夫なんですか?」
「あ、その……」
胸がきゅっと締まる思いがした。
本当は神社の手伝いをすべきなのかもしれないが、今あそこに自分の居場所はない。
「一応ここも氏子地域なので」
「ああ、そうなんですね。いや、それにしてもこんな偶然……ウウウッ」
「ど、どうされたんですか」
急に胸を押さえて顔をしかめた。
「いやその……今更になって恥ずかしさと居心地の悪さと……何より無断で写真を載せてしまった罪悪感が……」
「そ、そうなんですか? でも顔ははっきり写っていませんし」
改めてページを見やる。
『参拝者が多い割に清潔な境内』
『そこかしこに見られる注意書きなどの配慮』
『地域を代表するに相応しい風格』
自分の実家である神社のことが、これでもかと良く書かれていた。
そして、その一端を自分が担っていたことも思い出す。
自分のやって来たことがこんなふうに見えるのだと、初めて知ることができた。
寂しさと嬉しさと、やはり寂しさが混じって、言葉に詰まる。
さとりは、嬉しさだけを拾い上げて、サークルの男性に言葉を向けた。
「……とても、良く書いてくださっていて、嬉しいです」
「ありがとうございます! あの素晴らしい神社を守っている方がこのコミマに参加されてるだなんて……なんだかより一層安心しました。もっと楽しめそうです」
純粋に喜ぶ『しらたま堂』
今はまだ、この気持ちをどう扱えばいいのか分からない。
「ありがとう、ございます」
もう少しこの場所に……コミマに居れば、何か分かるだろうか。




