閑話 ブロック長会議に臨む歌島由布子
昼間の熱気がほんの少しだけ残っているが、ホール内は冷気がじわじわと侵食してきている。
翌日のサークルの荷物を搬入する業者があちこちを歩き、広くない通路にトラックや軽バンがゆっくりと行き交う。
歌島由布子はぼんやりとその様子を眺めながら、憂鬱な気分で椅子に座っていた。
「はよ帰りたい」
心からの本音だった。
「それではブロック長会議を始める」
大塚が静かに開会を宣言した西1ホールのブロック長会議では、表現しづらい緊張感が張りつめている。
その出所は誰の目にも明らかだった。
机を取り囲むように着席するブロック長。今日ばかりはその配置はやめてほしかった。
百々詩音。『むめも』ブロックのブロック長。
表情は笑顔を作っているように見えるのだが、その目には暗い炎が宿っている。
(怖い怖い怖い……)
ブロック長の席の配置は決まっていないが、何となくブロックの順番に座ることが多い。
すなわち『むめも』ブロックの隣は『やゆよ』ブロックなのである。
「大塚さん」
全員が、びくりと体を震わせる。
みんなから「ポエ」と呼ばれる温和なブロック長。
気の強い人が多い女性スタッフにしては珍しく、母性を感じる穏やかなブロック長。
そんな共通認識は、今この会議で崩れ去っている。
「百々さん、どうかしたか」
「急ぎ、確認しておきたいことが、あって」
こまめに息を吸っているのだろう。言葉を区切って全員に間違いなく伝えようとしている。
由布子は顔を掴まれて無理やり耳に言葉をねじ込まれているような錯覚に陥るのだが。
「ポエ、ちょっと落ち着いて」
「あら、私は、落ち着いていますよ?」
「ひっ」
思わず声が出た。
じっとこちらを向くポエ。至近距離で見るその顔は、表面上は笑顔なのだが。
後ろに般若の幻が見えた。
「ふむ。百々さんの言いたいことは理解しているつもりだ。そしてそれが早めに話しておきたい事案であることも」
大塚の言葉から察するに、事前にある程度の根回しはしているのだろう。
「どうだろう。先に百々さんの話を聞いてもいいだろうか」
ここでホール長大塚の意向に沿わない理由は特になかった。
それに、ポエの機嫌をこれ以上損ねるのはまずい気がする。
「かまへんよ」
「うちも」
隣の九条も同意する。
こちらに目を向けてはいないが、ポエのただならぬ気配は感じ取っているのだろう。
他のブロック長も目を合わせないながらも同意を口にした。
「うん。みんな、ありがとう。大好きよ」
「……」
微妙な沈黙に大塚は小さく息をつくと、ポエに発言を促した。
ポエからの議題はとても単純で、すなわち『れ』ブロックが列整理にかまけて警備がおろそかになってるのではないかという指摘だった。通常、あまり他のブロックのアラをこういった場で指摘することは少ない。それぞれのブロックに事情があって当然だし、ブロック長はブロック員をかばうのが常であって、よほど明らかな失敗でない限り、ここでブロック員の非を認めることはできないからだ。
当然『れ』ブロックもポエの言葉を否定する。
「そんなことはない。ちゃんと場内の安全確保は……」
「じゃあ」
一段と、圧力を増した気がした。
由布子は思う。
どうして『れ』ブロックのブロック長は『善処する』とかそれ系の言葉を選ばないのか。
今のポエに真っ向から立ち向かう根性は悪くないかもしれないが、もう少し空気を読むべきだ。
「会期中『れ』ブロックの周りに落ちているゴミを、私たちばかりが拾っているのはどういうことかしらあ」
「……お、俺たちもちゃんと拾ってる」
「えー、ほんまにい?」
わざとふざけたような口調で由布子が口を出す。
ポエの『むめも』の方は分からないが、少なくとも『やゆよ』の周辺で『れ』ブロックのブロック員が物を拾っているのを見たことがない。
「少なくとも私は見たことないし、何なら故意に見逃している場面はよう見るけどな」
「同じくや」
意外なことに九条が同意する。そして『れ』ブロックの発言に不快感を隠さない。
普段何かと突っかかって来るが、こういう時に冷静なのは九条の良い所だと思う。口には出さないが。
「『むめも』『やゆよ』『らりる』のブロックは、確かに外周と接する部分は多いな」
「こ、これから気を付ける」
女性三人の視線を受け、『れ』ブロックのブロック長がうめくようにそう言った。
その時、今まで沈黙を守っていた向かいの大男が発言の合図かのように手を上げる。
「気を付けるだけではちょっとな……何か具体的に施策が欲しいな」
「だ、大門さん」
さすがの年長だけあって、表情には出さない。
だが、発言の内容は明らかに『れ』ブロックの現状を良く思っていないものだ。
「そうでなくば、百々さんも納得しまい」
ブロック長全員が沈黙する。すなわち肯定。
ポエの表情は偽りの笑顔を貼り付けたまま完全に固まっている。
「……『れ』ブロックも忙しくて」
「どこも同じだと思うけどお?」
だから怖い。
笑顔のままなのがなお怖い。
「そ、そや。そない言うんやったらうちらもブロック員少ないのに、何で『れ』ブロックのゴミ拾いまでせなあかんねんっちゅう話になるで」
「そこは助け合いだろ!」
「都合ええこっちゃなあ」
肩をすくめる由布子。この『れ』ブロックのブロック長は前回から西1で、その前は西2の『あ』ブロック長だったらしい。そのこともあって、個人的に西2ホールはあまり好きになれないでいる。
そこに九条が静かに挙手をし、発言する。
「大塚はん。外周担当はそないに偉いもんやったかいなあ」
「いや。そんなことはない」
「外周も島中も同じ館内スタッフだものねえ」
ややかぶせ気味にポエの声が聞こえる。
「……」
また気まずい沈黙。
それを破ったのはまた挙手をした九条だった。
「せやったら『れ』ブロックは一斉点検で小袋持たすとかどないですやろ?」
「ゴミを回収するための?」
「そう。そういうこと。袋持っとったらなんとなく拾う気せん?」
普通にいい考えのように思える。
何なら『れ』ブロックに限定する必要もないかもしれない。
「……それは、いいかもねえ」
ポエの怒気が緩むのを見逃す由布子ではなかった。
九条の援護を受けながら、好機と見て一気に畳みかける。
「お、大塚さん、用意できる?」
「備品にあったと思う」
「よ、よし、それでいこ。な!」
「……」
『れ』ブロックのブロック長は難しい表情を浮かべているが、ここで呑んでもらわないと困る。
というかゴミ拾いぐらいやれ、と由布子は『れ』ブロック長に強い視線を向ける。
「一斉点検やときっかけになるし、外周は広いからゴミも見つけやすいやん。な!」
「ひとまず歌島姉の意見でやってみよう。うまくいかなかったらまた考えればいい」
「まあ、明日はそうします」
特に異論は出ず、『れ』ブロック長も渋々受け入れた。
とりあえず収束しそうで、由布子はそっと胸をなでおろす。
「ただ、本質は不審物、危険物の取扱についてだ。そういう点では今回の百々さんの行動は正解ではない。自分の安全を確保したうえで行動してもらいたい」
「……はあい」
固めた笑顔を貼り付けたまま、ポエが返事をした。
大塚の発言内容から察するに、何か危険なことをしたのだろうか。
「え、何やったん」
「トラックヤードにあった、火ぃついてる爆竹を握りつぶしたんよ」
「ひっ」
普段のポエからは想像できないが、今のポエからなら想像できる。
こういう人は怒らせると怖い。
「根本的には『コミマの館内で悪さはできないな』って思ってもらうことが大事でしょう? 愉快犯も、ことごとく潰されればやがて無くなると思うわ。それを踏まえると、やっぱりゴミ拾いと巡回かしらね」
『潰す』はダブルミーニングだろうか。
企みを潰すのと、不審物を物理的に潰すのと。
さすがに考えすぎか。
「まあ、それは正しい。明日は一番混雑する日になるのは分かっていると思うが、その上で巡回、不審物チェック、ゴミ拾いをしっかりやってもらいたい」
一同がうなずくのを見回す大塚。
心なしか安心したように見える。
「では明日の一斉点検は小さなゴミ袋を『れ』ブロック員に展開する。本部には数を用意するので他のブロックも混雑具合を見て持っていく判断をしてください」
「「「はい」」」
「さて、ようやく本題だが……」
まだこの重苦しいブロック長会議が続く。
(はよ帰りたいな……)
由布子は自ブロックの癒し枠、深川さとりのことを思い出しながら小さく息をついた。




