第17話 C97冬 2日目 閉会後の交流
『これにて、コミックマート97冬、2日目を終了いたします。お疲れ様でした!』
昨日も聞いた場内の拍手。
少なくともさとりの知る祭りではこんな締め方はない。だが不思議と心地良い。
ほどよい疲れ、達成感、そして一体感。
ホール内にいる全員が、イベントを無事に終えられたことを喜んでいる。
ほっと息をつくさとりだったが、不意に声をかけられた。
「お嬢、お疲れ様です。大丈夫ですか」
「大門さん、お疲れ様です」
「お、お疲れ様です」
角刈りの大男、大門だった。
話しかけられると思っていなかったのか、小太郎は少し慌てたようだ。
「そういえば大門さんの担当ブロックは……」
「担当する『にぬねの』ブロックは、ここからちょうど隠れていて」
「あ、だから姿が見えなかったんですね」
ゆっくりうなずく大門。
この西1ホールは折れ曲がった構造のため、さとりの担当する『やゆよ』ブロックから直接『にぬねの』ブロックの領域を見ることができない。今日は姿を見かけないと思ったが物理的に遮られているのが大きい。
本部に戻ってくるなら顔を合わせる機会もあるが、大門もさとりも長く巡回に出て本部にはほとんど戻っていなかった。
「スタッフ業務はどうですか。少し慣れてきましたか」
「えっと……まだちょっと」
「緊張はほぐれたように見えたのですが」
「それは、そうかもしれません」
早朝から夕方まで。それを二日続けたことで薄々分かってきた。
仲間意識。
スタッフの帽子と腕章をつけた人はもちろん、本を頒布するサークルさんも、買いに来た一般参加者も、うっすらとした仲間意識を持っているように思える。
名前も顔も知らない相手だが、都会の駅ですれ違うのと、この会場ですれ違うのでは少し意味合いが違って感じられる。
都会の人特有の、知らない人に対する無意識のバリアのようなものが、この会場では弱く感じる。
つまり、ここは他人との垣根が低い気がするのだ。
「慣れて余裕が出ると、もっと楽しめるようになりますよ」
「そう……なると良いんですが」
まだ余裕はない。
知らないイベント、初めての参加、スタッフである責任。
色々なことを考えすぎて、まだ『楽しむ』という余裕は持てなかった。
「でもその一生懸命さは、お嬢の美徳です。昔から変わらない」
大人の笑顔でそう励ますと、大門は紙袋を手から下げ「欠席サークルのチラシ回収です」と言って自分のブロックへと去っていった。
その背中を見て、ふと思う。
開場中に見かけた参加者の風貌に比べると、明らかに大門は少数派というか……要するにオタク臭さのようなものを感じず、少し場違いな感じがする。
(大門さんは、どうしてスタッフになったんだろう)
いつか大門に聞いてみたい、と思うさとりだった。
スペースを撤収したサークルが、帰りのカートを引く姿があちこちで見られる中、同じく異形がチョロチョロしている。
彼らに帰る場所はあるのだろうかと思うが、必要以上に彼らのことを気にしないよう視界から外す。
よく分からないが、スタッフがたくさん残っているということはまだ何か仕事があるはず。そっちに集中しよう。
由布子に依頼された「おはよう紙」を貼る作業。少し前倒しらしいが、サークルの撤収が想定より早いので問題ないらしい。
近くにいた柳と共に『や』ブロックで淡々と作業を進める。
「テープは切り終わったので、私も貼っていきます」
「あっ、はい」
思えば、同じブロックの柳と一緒に作業をするのは初めての機会かもしれない。
その一緒の作業も早々に、
「分担したほうが効率が良いですね」
と言って養生テープを持って先に行ってしまった。
さとりは後から追いかけて机に紙を貼り付ける。
各机にはテープの切れ端が張り付けられていて、これが柳の仕事なのだと分かる。
そして先程、『や』ブロックの机にテープを貼り付け終わった柳に、追いつかれたというわけだ。
「柳さんは、すごいですね」
「えっと……何がでしょうか」
自分だったらふたりともがテープと紙を持ち、ひとつひとつのサークルの机に張り付けていくことしか思い浮かばなかった。実際、外周の『れ』ブロックではそうやって作業しているようだ。
柳がやってみせたのは、作業を分担することで持ち換えの時間を無くし高速で進める手法だ。
「作業が速いというか……そのアイデアというか」
さとりは上手く言葉にできないでいたが、柳はふっと優しく笑う。
「うーん、そうですか? ありがとうございます」
少し照れたように言う。もちろん手は動かしたままだ。
ふたりして机の左右におはよう紙を貼り付け、そしてまた次の机に移動する。
「やっぱり社会人の人はすごいですね」
「いえいえ。深川さんもきっと成長できますよ。私もスタッフは初めてですけど、教育なんかもしっかりしてて、思ったよりちゃんとした『組織』になっていますし」
「そうなんですか?」
「ええ。例えば『ほう・れん・そう』なんて社会人の最初に叩き込まれる常識だし、困ったら上長に相談とか、ひとりで抱え込まないとか、分からないことがあったら知ってそうな人に聞く……とかそういうのって社会人で教えられることなので」
柳が言うそれらは、確かに新人向けの集会やホールごとの直前集会でも言われてきたことだ。
「だから学生のうちにコミマスタッフを経験していると、社会に出た時にやりやすいかもしれないですね」
「そうなんですね……」
社会。
さとりは自分の将来を決めているわけではないが、漠然と神社に関連する職業に就くのだろうと思っている。
「柳さんは、学生の内からコミマスタッフをやっていた方が良いと思いましたか?」
さとりの質問に、柳は少し首をかしげる。
「うーん、それはあまり。サークルの方で参加していましたけど、スタッフと両立はできなかったと思います」
「サークル……そういえば自己紹介の時」
「ええ。前回の夏まで」
一瞬、柳の表情に影が差したように見えた。
しかしそれはすぐに消え、いつもの柔らかい笑顔をさとりに見せる。
「サークルもスタッフもやると、コミマのことが色々と理解できるから、その方が面白いと思います」
「そう、なんですね」
そんな微妙なところで会話が途切れると同時に『や』ブロックの作業を終える。
『ゆ』ブロックではまた先んじて柳がテープを貼り付け、同じように紙を貼る作業を進める。
搬入のトラックが入って来る声を聞きながら、ふと周りを見る。
チラシ撒きの人や搬入の人がいる中、やはり異形がちらほらいるようだ。
搬入荷物を確認する人の横から覗き込む幽霊、壁際の荷物番の人を真似するように横に立つ一本足。森林保護募金をじーっと見つめる大きな傘のお化け。不自然に天井近くを飛ぶ大きな葉っぱ。
「……」
彼らが何を目的にここにいるのかは分からないが、やはり人の活動があるところに居やすいのだろう。
幸い近くのブロックにその類の姿は見えない。
余計なものを見ないうちに早く済ませて帰ってしまおう。
「……」
淡々と作業を続ける。
多少曲がっていても構わないというが、朝自分のスペースに到着したサークルが真っ先に目に入る紙だ。あまりに斜めになっていると良い気持ちはしないと思う。
比較的丁寧に作業を進めるさとり。
そして『ゆ』ブロックだけでなく『よ』ブロックの分もテープを貼り付けた柳が再度合流した。
「それでは私も貼りますね」
「お願いします」
今回柳はサークル参加しなかったということだ。
口ぶりからすると何年も前からサークル参加をしていたようだが、どうしてスタッフになったのだろうか。サークルをやめて。
何となく気になるさとりだったが、聞いてよいものかどうか分からない。
「う、寒い……」
トラックヤード側シャッターからアトリウム側シャッターに吹き抜ける風。
『よ』ブロックの半分まで貼ったあたりで急にホール内の気温が下がる。どうやら風向きが変わったようで、開け放したシャッターから外の空気が大量に吹き込んできたようだ。
真冬の屋外の空気は冷えきっていて、この後の帰り道の寒さを想像させる。
肩をすくめるさとりに、柳が優しく笑う。
「寒くなりましたね」
「そうですね……」
「シャッターが開いていますし、風向きが変わったのかもしれないですね」
柳の視線につられてシャッターの方を見る。
日没の早い真冬。外はもうすっかり暗くなっているようだ。
『よ』ブロックの貼り付けを終え、残りの作業量を確認するさとりに小太郎が声をかけた。
この辺り一帯のチラシ回収とゴミ拾いをしていたらしい。
「サト、門仲行きのバスだろ。そろそろ出ないと」
「あっ、そうだね」
とはいえ、手に持ったおはよう紙の束をどうしたものか。
『よ』ブロック分を作業していると、帰りのバスに間に合わないかもしれない。
「大丈夫。残りは私がやっておきますよ」
「すみません、よろしくお願いします」
「ええ。お疲れ様でした」
柳は先程テープは切り終わっているからと笑う。
残りの紙を貼っていく作業はそれほど大変でもないと言うが、気を遣ってくれているのだろう。できる大人の人だと感じる。
「ほなさとりちゃん、また明日な。お疲れ様」
「はい。お先に失礼します。あの、ユウさんは」
「これからブロック長会議。まあはよ帰ってゆっくりしてや」
「ありがとうございます」
ブロック長ともなると、まだ残って会議があるようだ。
一体何時頃まで会場にいるのか分からないが、それが責任者というものなのだろうか。
さとりは頭を下げてホールを後にした。
門前仲町行きの最終バスはそれほど混雑しておらず、ふたりで一番後ろの席に座る。
程よく効いた暖房とエンジンの振動が、ぼんやりと今日のことを思い出させる。
「サト?」
「あ、うん?」
「疲れたか?」
「うーん、そうだね」
刺激の強い本、困った参加者、そして指示を聞いてくれた多くの参加者。
今日は昨日に比べて良くも悪くも出来事が多かったように思える。
「少し、怖くなくなってきた……かも」
「何よりだ」
小太郎は満足そうにうなずくと、ふっと息をついた。
バスが走る。
ふたりは同じように疲労感に襲われ、口数が少なくなってゆく。
終点にまで乗る安心感からか、いつしか最後部の座席には小さな寝息がふたつ並んでいた。




