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第16話 C97冬 2日目 声が届く

「え、できた……」

「そや。できたで」

 

 小さくつぶやくさとりに、由布子が笑う。

 

「もちろん参加者の皆さんの協力もあるけどな。でもさとりちゃんが方向性を示して、ちゃんと伝えられたから綺麗に二列になったわけや。通路も歩きやすくなって大助かりやな」


 大助かり。

 そんなことを言われたのは初めてだった。

 役に立てたという事実に、さとりの胸が高鳴る。


「よし、ほなら後は様子見て、もし列が伸びるようなら『前に詰めてください』言うて。いわゆる『圧縮』っちゅうやつやな。ほんで列がなくなったらまあ……一列でもええし、また伸びそうなら二列にしたり、前に詰めてもろたり。そういうんが列を管理するっちゅう業務や」

「わ、分かりました」

「ほな私は『やゆよ』に戻るから、あとお願いしてええかな。あそこにポエがおるから、困ったら泣きついたらええ」

「えっ、行っちゃうんですか」


 急に不安になるさとり。

 小動物のような潤んだ瞳に心のどこかを刺激される由布子だったが、ブロック長たる自分が長くここにいるわけにもいかない。


「ポエにはちゃんと言うとくから。それにさっき見たやろ。さとりちゃんはできる子や」


 そう言うと由布子は背中を優しくトンと叩いて戻っていった。

 


 

 幸いにしてそれ以降それほど長く列は伸びず、何度か前に詰めてもらうアナウンスをする。


「えっと、少し前に詰めてください……あっ、ありがとうございます」

 

 ただスタッフであるだけの自分の言葉をちゃんと聞き入れ、列を整えてくれる参加者に毎回驚く。

 何度も視線を集めるが、そこに悪い感情は感じられなかった。思わず目を伏せそうになるが、恐る恐る合わせる目線に怖さはなかった。

 先ほどの座り込みで、さとりのことを無視した人とは全く違う反応。

 自分の言葉を聞き入れてくれたという事実に、ひとつ胸が高鳴った。

 

 やがて列はなくなり、どうしようかと思ったタイミングでポエこと百々から声がかかった。


「ありがとうね、深川さん。助かったわあ。ここはもう大丈夫だから、ハロワに行って終わった報告をしてきてね」

「あ、はい。ありがとうございます」


 お礼を言うのも変だろうかと思ったが、代わりに何を言えばいいのかもわからない。

 さとりは頭を下げると本部へと戻っていった。

 その初々しい後姿を、ポエは見えなくなるまで見守っていた。


 

 

 西1ホール本部。

 事務仕事をする本部スタッフが多い中、どこに身を置けばいいのかよく分からない。

 

「おー、さとりちゃんお疲れさん」

「ユウさんお疲れ様です」


 列整理の業務が終了したことを報告し、どこかで少し休もうかと思っていると、由布子が声をかけてきた。

 

「お弁当届いてるからちょっと早いけど裏で食べて」

「あっ、はい」


 由布子からの指示を受け、隣にある控室に入る。

 机の上にはお弁当が集められていて、好きなものを食べていいようだ。

 何種類かあるが、一番軽そうなサンドイッチにした。から揚げ弁当も美味しそうだがあまり食べきる自信はない。

 

「お、サトお疲れ」

「コタくんお疲れ様」


 控室のテーブルでは小太郎が弁当を食べているようだった。

 さとりが選ばなかった揚げ弁当を選択しているあたり、男子だなあと思う。

 

「列整理したんだって?」

「うん」

「面白かったか?」

「面白いとはちょっと違うと思う。私はあまりちゃんとできてないと思うのに、みんながちゃんと並んでくれて変な感じ、かな」

「あー、割と意図を汲んでくれる感じはあるよな」


 それから、黙々とお弁当を食べる。

 慣れない場所で慣れないことをしたせいか、微妙に疲れを感じる。後半頑張るためにもしっかり食べないといけない。

 支給されたサンドイッチは優しい味で、するすると喉を通る。自覚していなかったがお腹もすいていたのかもしれない。

 

「コタくんも列整理したの?」

「今回はまだ。前回はちょっと手伝った。あれって、いかにもスタッフっぽいよな」

「そうなの?」


 元々コミマに参加していたわけではないさとりにとって、あまりイメージできない。

 

「私は……」

 

 どちらかというと先ほど目の当たりにした、地図を拾う由布子のような参加者を助けるようなイメージが強い。列整理はあまり人助けをしているような感じはない。間接的にイベント全体の役には立っているのかもしれないが。

 どう答えたものかと考え始めた時、アトリウム側の扉が開いて知らないスタッフが顔を出した。

 

「ごめん、アトリウムで傷病者! 手が空いてたら人払いとか手伝いお願いしたいんだけど!」


 小太郎と顔を見合わせる。

 お互いお弁当はもう空になっていた。

 

「行こうか」

「うん」


 さとりは、なんとなく理解し始めていた。

 こんな自分でも、いるだけで役に立てる場面があるのだということを。


 

 

 アトリウムの傷病者対応は、あっという間に済んだ。

 というよりも、控室にいたスタッフが総勢十数名も飛び出し、明らかに戦力過剰な状態になったのだった。

 そのうち半分が対応に残り、残りは自然と解散する。

 小太郎とさとりは、後者のグループに含まれていた。

 

「あれ?」

「どうした」


 西1に戻ろうとしたさとりが足を止めると、小太郎もつられて足を止めた。

 さとりの視線はトイレ近くの青玉の方を向いている。

 

「コタくん」

「ん?」

「ちょっと体調悪そうな人がいる」


 ゆっくりと近づいたさとりは、その女性に見覚えがあることに気づいた。

 青玉に手をついて、つらそうに下を向いている。


「……確かに、良くなさそうだな。車いすか?」

「ちょっとお話してみる」


 確か『ポジティブ大渋滞』という名前のサークルの人だ。

 朝、蔵前と受付に回っているときに凄い剣幕でいた外周『れ』ブロックの女性。

 明らかに顔色が悪い。


「あの、大丈夫ですか」

「何よ、あんた……」


 睨みつけるように顔を上げる。

 さとりの顔を見て特に反応がなかったところを見ると、朝に受付をしたスタッフの顔など忘れているのだろう。

 そして彼女の頭には紫と黒の間のような色をした、タコの姿に近い異形が憑りついており、顔の半分にノイズがかかっているようにも見えた。

 

「えっと、ちょっとすみません」

「何……」

 

 頭に触らないように、注意深く払う。

 ゆっくりと、押し出すようにして異形をどける。

 さとりは異形に直接触れることはできない。だが、異形の方はさとりの手を嫌がるらしい。

 何度か突き抜けながら、どいてくれるよう願う。


 やがて根負けしたかのように異形は離れ、地面に降りた後、音も立てずに雑踏の中へと去っていった。


「えっ、何? 何をしたの」

 

 女性の方は少し顔色が良くなったように見える。

 だが、顔の半分にノイズが走ったままだ。

 

「……あの、お節介かもしれないですが」


 不意に、以前同じようなことを言って気味悪がられたのを思い出した。

 多分また、良くない結果になる。でも……

 

『スタッフは参加者に尽くすためにおるんや』

『スタッフやってたら、普段でも余計なお世話焼きとうなって……』

 

 由布子の言葉が頭をよぎる。

 余計なお節介かもしれない。

 でも、この場所なら許されるんじゃないだろうか。


 さとりにとって「いかにもスタッフ」とは、参加者のために行動できる人。

 その一歩を踏み出せる人、なのかもしれない。

 

「病院に行って、検査を受けてください。この、あたり……」

「はあ?」


 ノイズが見えるあたりを指さすさとりに、女性が怪訝な表情を見せる。

 不意に目が合うと、心臓がきゅっと痛くなった。

 考えてみれば、頭を指さして病院に行けと言われたら馬鹿にされていると思われてもおかしくない。

 

「す、すみません! 失礼します!」

 

 さとりは大急ぎで頭を下げると、早足でその場を離れた。


「お、おいサト! すみません、失礼します」


 小太郎も慌てて後を追う。



 

 

 取り残された女性……『ポジティブ大渋滞』の白河は戸惑っていた。


「何、今の」

 

 急激に片頭痛と吐き気に襲われ、トイレに向かっている途中だった。

 まだ気持ち悪さは残っているものの、女性スタッフに何かされたと思ったら急に頭痛がなくなった。

 頭を見てもらえと言う。なぜ、自分が頭痛や気持ち悪さに悩まされていることが分かったのか。

 彼女が何かをしているとき、そのスタッフ証が見えた。


「確か、深川さとり……」


 自分の中で、まだついていけていない部分が大きい。

 ただ白河は、忘れないようにその名を口にした。


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