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第14話 C97冬 2日目 みえない棘

『ただいまより、コミックマート97冬、2日目を開催いたします!』


 見本誌が放り込まれた箱を整理しているうちに、あっという間に開場時間を迎える。

 昨日は一般入場を間近に眺めていたが、今日は本部の中で忙しくしている。

 この作業は回収した見本誌を整理するための前作業だ。

 九条に言われた『サークルさんの大事な本』という言葉を胸に留めながら手を動かす。

 

「う……」


 時折強烈な肌色の表紙が目に入る。

 官能的な表情や、恐怖に怯える表情、さまざまな男性や女性が目に入る。

 いわゆるえっちな本だ。コミマはこういった本も多い。もちろん、そうでない本もたくさんあるのだが。


(男の人もあるんだ……)


 裸で抱き合う男性ふたり。

 そういう世界もあると知っていたが、こうやって直接目にしたのは初めてだった。

 もちろん中を見ることはできない。

 では表紙なら良いのかと言うとそれも怪しいようだが。


 刺激が強かった作業も佳境に入る。

 

「サイズごとにまとめて……箱に入りきらない場合はどうしたらいいんだろう」


 独り言のようにつぶやくさとり。

 

「ああ、上に置いておいてくれればいいよ」

「あ、ありがとうございます」


 低い声。ホール本部に残っているホール長の大塚が優しく教えてくれる。

 開場直後は忙しいと思ったが、ホール長がこんなにのんびりしていていいのだろうか。


「あの『やゆよ』ブロック整理終わりました……で良いんでしょうか」

「お、丁寧な仕事ありがとう」


 なんだか安心感のある声。

 仕事が認められたことが素直に嬉しい。

 コミマスタッフをやっていると、褒められることが多い気がする。

 さとりはまだスタッフ二日目なのだが、とても心地よい場所のように思えてきた。


「おー、おおきにさとりちゃん。今日は混雑もないし、ひとまず巡回に出てもろてええかな。ブロックに蔵前さんおると思うから、声かけて誰かと巡回してー」

「分かりました」


 


 

 開場直後のホール通路、思ったより混雑はないが、ガラガラというわけではない。

 代わりに異形の姿がちらほら見える。

 ぶよぶよしたひとつ目のゼリー状のもの。大きな栗のイガのような塊。

 前回覗いた夏コミのアトリウムでは、ものすごい人の流れがあって、異形の姿をそれほど見られなかったような覚えがある。

 彼らが目につくということは、この人混みにも少し慣れてきたのだろうか。


「……あれ」


 外周通路の端、ホールの角に当たる部分で座り込んでいる人影があった。

 どうやら荷物整理をしているらしい男性がふたり。

 

「……」


 周囲を見回しても、巡回しているスタッフはいない。

 見逃すわけにもいかないため、自分で声をかけるしかない。

 

「あのっ」


 片方の男がさとりを見た。


「こちら、座り込みは……」

「アッ、OKOK……」


 ひとりの男は素直に立ち上がり、開いていたリュックを閉めて足早にその場を後にした。話し方からすると、外国人だったのかもしれない。

 ほっとするのも束の間、もう片方の男は反応がない。

 

「あの、座り込みはやめてください」

「……」

「あの……」


 まるでさとりがいないかのように、荷物整理を続ける。

 今立ち去った外国人の男は理解できていたが、もしかして同じく外国人で、日本語が分からないまま参加しているのかもしれない。

 

「あの、聞こえていますか」

「……ふっ」


 どこか馬鹿にするような、ため息らしきものが聞こえた。

 さとりの言葉をとことん無視するようだ。


「あっ」


 男の顔あたりに、手のひら大の虫のようなものが見えた。


(これは……?)


 虫がいるような季節ではないし、何より男が気づいていない。ということは、異形だろうか。

 

「どないしはったん」


 考え込みそうになったところを、引き戻される。

 声がした方を見ると、『らりる』ブロックの九条がこちらを見ていた。

 和服姿がとても凛々しい。


「……ああ」


 言葉が出てこないさとりを見て、次に座り込んだ男の方を見ると理解したという表情で小さく声を出す。

 

「まあ耳悪ぅしたはるか、日本語分からはれへんのやろ」


 ギリギリ聞こえるその言葉を耳にしたのか、九条を睨む男。

 やはり聞こえているのだ。そして、わざと無視していたのだ。

 

「まあ声はかけておかへんとな……ホール内で座り込まれますと困りますのや」

「……」


 なおも無視。

 そんな男を見て、九条がにやりと笑う。しかし、目が笑っていない。

 九条は男に背を向けてあたりを見回す。


「ちょうどええわ」


 声は聞こえなかったが、なんとなくそう言ったように見えた。

 何のことかとさとりが首をかしげていると、

 

「よいせ……」


 九条が半歩前に出て、何かを左右それぞれの手にむんずと掴んだ。

 そして振り返りざま、手首を使ってそのふたつを男に投げつけた……ように見えた。

 

「えっ」


 傍からでは意味不明な行動にしか見えないのではないだろうか。

 しかしさとりにはしっかり見えた。

 ぶよぶよしたひとつ目のゼリー状のもの。大きな栗のイガのような塊。それらが男の顔と肩に貼り付いていた。

 当然男も気づいていない。もしかしたら体に不調が出たり何か悪いことが起こったりするかもしれないが……

 

「……ああ、後はよろしゅう」


 何かに気づいて、流れるような仕草でその場を離れる九条。

 どういうことかと思っていると、後ろから低い声がした。

 

「どうかしたかな」

「お、大塚さん」

「……なるほど」


 大塚も、ひと目見て状況が分かったらしい。

 大塚は中腰になり、その男性に向かって一段と低い声で話しかけた。

 

「こちら、座り込みはご遠慮いただいておりますので」


 異形をくっつけた男に話しかけている様子はシュールだったが、大塚には見えていない。

 意識してか、声に凄みを持たせた大塚に観念したのか、男はそそくさとその場から逃げ出した。

 

「……」

 

 同じスタッフではあるが、参加者の反応に違いがある。

 立派な大人の男の大塚と、小柄な未成年の自分では当たり前なのだろうが。

 スタッフとしての業務を遂行できなかった。

 自分の力不足、なのだろう。


 気落ちするさとりに、大塚が目を合わせる。

 

「注意してくれてありがとう。困ったらいつでも頼ってくれていいよ」

「あの、はい。すみませんでした」


 なんとなく気まずくて目を逸らすさとり。

 そんな様子を見た大塚が大げさに腕を組んで眉をひそめた。

 

「ん? ……うーん、それは違うなあ」


 微妙に芝居がかった声に、さとりが顔を上げる。

 再び目が合った大塚は、少し楽しそうに見えた。

 

「深川さんが誰かを助けて『すみませんでした』と言われるのと……」

「あっ」


 そこまで言われればすぐに理解できた。

 大塚が欲しい言葉は、謝罪ではないのだと。


「あの、ありがとうございました」

「うん。いいね」


 大塚が満足そうにうなずくのを見て、さとりは安心すると同時にもっと役に立たないといけないと思った。

 しかし、それを見越したように大塚が笑う。


「参加者を相手にする業務は、向き不向きだけじゃなく、経験と慣れも関わってくる。焦ることは無いし、深川さんができることは他にいくらでもあるから。初スタッフなんだしそんなに気負わなくても良いよ」

 

 励ましてくれているのだろう。

 さとりは小さく「はい」と答えた。

 まだ、2日目が始まったばかりだ。

 

「いやー、言うて大塚さんの顔はつい謝りたくなるけどな」


 急に声がして、大塚とふたりで振り返る。

 

「おっ、歌島姉。あとで見本誌運んでくれるのか」

「すんませんでした!」


 いつの間にか近くまで来ていた由布子が、大塚に冗談を言い即座に頭を下げている。

 先ほどまで本部にいたはずだが。


「じゃあ、あとはよろしく」

 

 入れ替わるようにして本部へ戻って行った大塚をふたりで見送る。

 

「あの、ユウさん、どうかされたんですか」

「蔵前さんが『さとりちゃんまだ来ないんだけど』て言うから。ちょっと探しに」

「す、すみません」


 そうだ。ブロックにいる蔵前のところに行くように言われていたのに。

 

「いやいや。座り込みの注意してくれてたんやろ。立派な巡回やがな。言われたことだけやなくて、ちゃんと自分で考えて行動に移せとる。なかなか新人スタッフにできることやないで。偉いわ」


 褒めてくれる由布子だが、さとりの表情は冴えない。

 ほとんど大塚に助けてもらったようなものだ。そして、九条も。

 浮かないさとりに気づいたのか、由布子が顔を覗き込む。

 

「どないしたん」

「えっと、その……」


 さっきあったことを話す。

 九条と大塚が助けに来てくれたから良かったものの、自力では対処できなかったし何より『無視』が心に小さな傷をつける。

 あまりこういった経験はしたくない。

 そんなものはこの会場の外……日常だけで充分。


「なるほどな……」

 

 聞き終えた由布子が息をついた。

 九条が暴言を吐いたことや異形を投げつけたことはもちろん隠して伝えている。

 彼女の考えはまだよく分からないが、少なくともあの時は『こちら側』に立ってくれたように思う。

 言葉を探していた由布子は「まあ私もそういう経験はなんぼかあるんやけど」と前置きし、

 

「ええオタクもおればそうでないのもおる。割と極端に出るような気もするけどな。でもまあ、ここが特別なわけやなくて、社会の縮図みたいなもんやから」


 そこまで言って「月並みでごめんやで」と手を合わせた。

 

 すべての人が善良であることはあり得ないのだろう。

 神社を手伝ってきたさとりにも心当たりがないこともない。ただこちらの言うことを完全無視するような人は初めてだった。

 小さなみえない棘が刺さったような、かすかな痛みがある。

 

「ほならちょっと、気分変えよ」


 さとりを思いやってか、由布子が努めて明るい声を出す。

 頼れるブロック長は、にこりと笑いかけた。

 

「巡回はええわ。ちょっと列整理の練習してみよか」

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