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第12話 C97冬 2日目 迷い箱

 まだ夜と言っていい空を見上げて、白い息を吐く。


「天神様、今日もお見守りください」

 

 コミマの2日目。今日も雲が少なく良い天気になりそうだ。


 門前仲町のホテルリングスから出たバスは、窓際を埋めない程度のスタッフを乗せてビッグサイトに滑り込む。

 時間にして十五分程度。ここに限っては公共交通機関を使うよりも早い。


 ビッグサイトの象徴的な逆三角形を眺めて、さとりは息をつく。

 昨日西1ホールで『みた』飛び回る黒い異形らしき影は、さとりが近づく前に消えてしまった。

 見たことがないほど多くの人と異形が集まっている空間。もう少し継続して様子を見る方が良いだろう。




 

「すでに聞いていると思うが」


 そんな大塚の言葉から始まった朝礼は、昨日に比べて緊張感があった。

 本部のスタッフも軒並み険しい表情をしている。

 底冷えする朝の空気。空調の入っていないホールはまだ寒く、それもまたスタッフの体を硬くする要因でもあった。

 

「昨日の午後、うちのホールの外周で爆竹を鳴らされた。犯人は不明。幸いけが人はいなかったが、一時騒ぎになった」


 小太郎と顔を見合わせるさとり。

 お互い知らなかったことが、表情から読み取れる。

 なおも大塚の低い声が威厳を伴って冷たいホールに響く。


「昨日は『れ』ブロックと『むめも』ブロックで収拾の対応が早かったのもあって大きな騒ぎにはならなかった。ただ情報の共有が遅れ、そのために判断が遅れたという課題が見えた。ここは昨日の終了後のブロック長会議で共有していることなので後でブロック員への周知をお願いします」

「「「はい」」」

 

 各ブロック長の返事が重なる。

 前に立つ由布子も硬い表情でうなずいている。


「物騒な話だな」

「うん……」

 

 小さくつぶやかれた小太郎の言葉に、短くうなずいた。


 

 朝礼の時間が終わる頃、ようやくホール内も暖まってくる。


「今日は基本的に館内全域で警戒レベル3を継続するので神経を使うと思うが、無理はせず少しでも不調を感じたらブロック長に相談してほしい。それでは、ブロック別に分かれて、その後は適宜朝食をとってください」


 ホール長大塚の低い声が良く通る。


「今日も一日、よろしくお願いします」

「「「よろしくお願いします!」」」

 

 ホール員も負けじと低い声で返事をする。

 さとりにはピンと来ていないが、お腹から声を出すとそうなるらしい。

 西1ホールに、今日も野太い声が響き渡る。

 

「『やゆよ』ブロック、こっち来てやー!」


 本部から少し距離をとった『ゆ』ブロックのあたり、ブロック長の歌島由布子が手を上げてブロック員を呼んでいた。

 

「えー、ひとまずお話の前に、こちらが今日からのふたりです」

 

 由布子は今日から参加だという長崎と牛込を紹介する。

 長崎はひょろっとした若い(といってもさとりよりは年上だが)男性、牛込は由布子の少し上ぐらいの歳の明るい髪の女性だ。

 ふたりとも前からこのブロックらしく、初顔合わせのさとりと柳に紹介だけして業務の話に入る。


「で、今日の借り受けを先に。サークル入口の借り受け……は、もう行ってもらってます。ほんで、一般入場の中央通路止めるのは早速今日からの長崎さん。あとは、おすすめルートの案内役が十二時から小太郎で、十四時から牛込さん。それからフュージョンがうちのブロックやけど、タイミング分からんから時間になったら手が空いてそうな人に声かけます」


 聞き慣れない単語が出てきているが、自分の名前が出てこないのでとりあえず黙って聞いておいた。

 

「ほんで、さっき大塚さんからあった『むめも』ブロックでの爆竹の件。東1でも同じようなことがあったとのことや。まあ愉快犯なんやろうけど、タイミング次第では将棋倒しの事故が起こるような可能性もあって、到底看過できるような話やない。それは分かるやんな」


 いったん言葉を区切る由布子に、ブロック員全員がうなずく。

 

「うん。ほんで、大塚さんからは自分のブロックで起こった時のシミュレーションをしとくよう言われてるんやけど、正直『やゆよ』ブロックは奥まってて、騒ぎが起こると人の逃げ道がなくなって結構危うい。まずは混乱を収めること、そんで現場の確保。幸い本部からは近いから応援はすぐ来てくれると思うけど……念のため今日は常時ふたり以上での行動をお願いします。ベテラン勢もな」


 さとりと小太郎、そして柳に念を押されているのだろう。

 由布子の方針に、ブロック員全員がうなずいた。

 

「まあとにかく巡回や。また明日もあるさかい余力は残しつつやけど、とにかく歩いて歩いてサークルさんや一般さんに『スタッフここにあり』と見せつけるイメージでよろしく」

 

 由布子の口調に、少しブロック員の表情が緩む。

 

「……よし、朝ご飯もう来てるみたいやから食べてな。蔵前さんは何かある? ……大丈夫か。ぼちぼちサークルさん入ってくるからご飯食べて適宜巡回よろしく!」

 

 由布子の声で解散し、本部裏の控室で弁当を受け取る。

 運良く奥の席が並んで空いていて、ふたりで座ることができた。


「コタ君がやることになっているおすすめルートの案内役って、どういうことをするの?」

「そのまんまだ。『ここから東に行けまーす』と案内する」


 小太郎によると、西地区から東地区へと移動する人たちが使うルートらしい。

 そこに『おすすめ』とあるのは、もちろんおすすめできないルートがあるからだ。西地区から東地区へは、通常エントランスホールを経由する長いルートを強いられる。だが、一部狭い通路も含んでいて、流れは良くないらしい。

 そこで敷地外の道路を使って東西の移動ができるルートを設定した。


「おすすめって、そんなに違うの」

「うん。移動距離も短いし、屋外だから空気がこもらなくて比較的快適」

「そうなんだ」


 通常ルートにさとりは足を踏み入れたことはなかったが、小太郎は当然体験済みだ。

 東地区への連絡通路は天井が低く、特に夏場の混雑は地獄のような暑さになる。

 そこを避けることができるだけでも快適さが段違いというものだ。


「サークルさんまだ来てないし、後で見に行こうか」




 

「寒かったね……」

 

 まだ太陽が昇りきっていない時間帯。

 敷地外と繋がる西1番ゲートを確認したさとりと小太郎は、ホールに戻って息をついた。


「すぐそこに見えてたね。東1ホール」

「実際は渡れる横断歩道には少し回り道するんだが、それでも普通に東西間通路を行くよりは早いな」


 スタッフで東西を行き来する機会があるのかと尋ねると、知り合いがいたり買い物に行ったりと案外地区間を行き交うスタッフは多いらしい。


 ホール内にサークル参加者の姿が見え始めた。

 見本誌回収のためにブロックを巡回するにはまだ数が少ない。そもそもそんな準備ができているサークルもいなさそうだ。

 

「あの、すみません」

 

 本部に戻ろうかと考えていたさとりと小太郎に、段ボール箱を持ったサークル参加者が話しかけてきた。


「この荷物がスペースに置かれてたんですが、うちのじゃないんです」

「ええ……」


 受け取って確認すると、ひらがなの「や」ではなく、カタカナの「ヤ」ブロックの荷物のようだ。

 カタカナのブロックは東地区にある。読み間違えたのかもしれない。

 聞いたことのない印刷所の段ボールにはサークル名と配置場所が書かれている。だが、残念なことに東西が書かれていない。恐らくそれで間違いが起きたのだろう。

 

「……分かりました。こちらで引き受けますよ」

「よろしくお願いします」

 

 そのサークル参加者は小太郎に小さく頭を下げると、ほっとしたように去って行った。

 残されたのは、段ボールを持つ小太郎と、横に立つさとり。

 

「……これって、本当の持ち主の人が困ってるってことだよね」

「そうだね。東……4ホールかな」


 ちらりと自分たちの担当する『やゆよ』ブロックに目をやる。

 到着しているサークルはまだ片手で数えられる程度。まだ見本誌回収に本腰を入れる段階ではない。

 

「持って行くか」


 小太郎がそう思い至るのも自然だろう。

 

「ユウさんに言わなくていいの?」

「すぐ戻って来るし大丈夫だろ」


 先程見たおすすめルートを通れば、それほど時間もかけずに東へ行って帰って来られるような気がした。

 とはいえ、サークル入場は始まっている。

 急がないと本当の持ち主が「搬入されていない」と思い込んで慌てるかもしれない。

 

「急ごう」

 

 着々と準備が進む西1ホールから、ふたりで抜け出したのだった。


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