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最終話 C100夏 3日目 見えない宴、その後

「さとりちゃーん!」

 

 閉会の拍手に包まれるホールの中から、自分を呼ぶ声が聞こえた。

 誰かと思い振り返った瞬間、

 

「ふぐっ」

 

 柔らかい感触に顔が埋もれる。

 一瞬何が起こったかわからなかったが、頭を撫でられる感覚にすぐに誰だか理解する。

 

「頑張ったわね! いい子いい子!」


 もぞもぞと顔を出し、息を吸う。

 ほんのりと良い香りに、どこかふわふわした気持ちになるが、

 

「ポエだけずるいで! 私も!」


 由布子に強引に引き離され、今度は力強くぎゅっと抱きしめられる。

 身長差もあって由布子の鎖骨に鼻がぶつかるが、あまり気にした様子はない。

 

「あわわわ」

「癒しっ!」


 何を言っているのかわからないが、とにかく力が強い。

 夏コミの最終日にこれほど余力が残っているのは、慣れたベテランのペース配分だろうか。

 

「ちょっと姉ちゃん」

「あ? 何やコタおったんか。さとりちゃんの独り占めは許さんで」

「ええ……」


 

 

 もみくちゃにされていたさとりを助けたのは、意外な人物だった。


「深川さとりさん。お疲れ様」

「あっ、お疲れ様です」


 不思議な響きの声。

 結局その正体はわからないままだったが、コミマにあってはそれで良いのだと思う。

 田尾手は穏やかな笑みを浮かべ、言外にさとりを借りたい旨を匂わせる。

 

「地区本部として最後にお願いしたいんだけど」

「あっ、はい」

 

 そうだった。

 最後にやり残していたことがある。

 きちんと約束を果たしてこそコミマスタッフ。

 いや、スタッフ以前に人として当たり前のことだろう。


「ちょうどいい。歌島小太郎君も手伝ってくれるかい」

「えっ、はい」

 

 急に名指しされた小太郎は驚きつつもきちんと返事をした。

 田尾手は満足そうにうなずくと、事後承諾を求めるようにふたりのブロック長に目をやった。

 

「ほなら私らは撤収してくるわ。また後でな」

「じゃあね」


 何かを察してくれたのか、それとも優先順位を付けたのか、由布子とポエは小さく手を振って机椅子の撤収に向かっていった。




 

「重……」


 未開封の一升瓶は、重い。

 よくこんなものを背負って来られたなあと自分で感心してしまう。

 巫女装束で一升瓶を抱えるのは目立つのか、あちこちで撤収が進んでいる中で好奇の視線を何度も感じた。

 

「さすがに目立ちますね」

「気にしない気にしない」


 先を行く田尾手の手には何もなく。

 さとりが大事に一本抱え、そして、小太郎は両手に一本ずつ一升瓶を持っていた。

 重そうだが大丈夫だろうか。


「コタくん大丈夫?」

「まあ、何とか」

 

 もし落としたら大惨事である。

 周囲にも足元にも気を付けながら、田尾手の背を追う。

 不思議と異形の姿は見当たらない。

 

「あの」

「うん?」


 もうすぐ本当にコミマが終わる。

 最後に残った謎が、前を歩きながらさとりに目をやった。

 

「知恩寺さんは……田尾手さんと同じ、なんですよね」

「何を以て同じと言うかはさておき、そう的外れではないよ」

「そうですか」


 人ではない何か。

 小太郎も一緒にいる中で、それ以上尋ねるのはやめておいた。

 それに、この場を楽しんでいる参加者であることに変わりはなく、もし継続に協力できないのであればご退場いただくのも同じ。

 そこに人も異形もそれ以外も、差があるようには感じられなかった。


「ふふ」


 さとりの表情から何を読み取ったのかわからないが、田尾手が小さく笑みを漏らした。


『サト』


 声のする方を向く。玉がいつの間にか並んで歩いてくれていたようだ。

 さとりは安心したように笑みを浮かべ、田尾手の背を追う。

 

 やがてトラックヤードに出て、撤収途中の外テントが見えた。

 そして、同時に、


「わ……」

 

 大小さまざま、数えきれないほどの異形がそこに集まっているのが『みえ』た。

 



 その場所は、隠されているわけでもなく、トラックヤードから見ようと思えば見えてしまう場所だった。

 

「ここですか」

「ああ。ちゃんと地区本部にも申し伝えてある」


 だから心配ないと笑ってくれるが、本当に大丈夫だろうか。

 心配する気持ちを端に追いやり、とりあえず田尾手を信じることにする。


「お待たせしました」


 待ち構えていた異形たちに、にこりと笑いかける。

 きっと周囲からはひとりで変なことをやっているようにしか見えないと思う。

 だが、さとりにとってはそれでも良かった。

 期間中、協力してくれた彼らに、ようやく報いることができるのだから。



 さとりの周囲を異形が取り囲む。

 動物のようなものもいれば、道具のようなものもいる。

 もとは確実に人間だったであろう幽霊のようなものもいれば、植物のようなものもいる。

 改めて向き合うと、個性豊かだ。

 こうやって彼らのことをじっと『みる』ことができるようになったのも、コミマがきっかけだった。

 

 すぐそばには玉が控えてくれていることもあって、不安や恐れはまったくない。

 小気味の良い音を立てて、一升瓶のふたを開ける。

 

「順にお注ぎしますね」


 さとりの周りに置かれたいくつかのお椀。

 これを彼らが分け合うらしい。

 まずは順に注いでゆく。がっつきそうな彼らであったが、どうやら玉が抑えてくれているらしい。

 本当に頼りになる。


「玉さんはどうしますか」

『……いただこう』

「ぜひ」


 きっと玉が格上なのだろう。

 周囲に集う異形たちに先駆けて、玉が一献。

 

『ほぅ……』


 熱を帯びたため息が、妙に妖艶に聞こえた。

 それなりに量があったが一度で飲み干してしまって大丈夫なのだろうか。


『……許す』


 その声を合図に、わっと異形が群がった。

 代わる代わるお椀に頭を突っ込み、あるいは舌を出して酒を味わう。


『ぼんやりしておる場合ではないぞ、サト』


 言われて気づく、空になった椀。

 妙に順序良く異形たちが最前を交代してゆく。

 さとりは待たせぬよう、順に注ぐが、一周するうちに最初の椀が干される始末。


「わわ……」


 慌てずこぼさず、丁寧に再度注いでゆく。

 一本、二本と空になったところで、ようやく異形の波が引いてきたような気がする。


「ふう」


 小気味の良い音を立て、最後の瓶が開けられた。

 再び順に注いでゆく。

 厳かな儀式のようであり、明るい打ち上げのようでもあり。

 ただ中心にいるさとりは流れる汗に構わず笑顔で酒を注ぎ続けた。


「やっぱ格好良いな」

 

 小太郎にはさとり以外の姿は見えなかったのだが、何となく気配が集まっているのは感じる。

 見えるものにも見えないものにも、等しくさとりは献身しているのだろう。

 

 夏の湿った海風が、東京ビッグサイトの西地区を吹き抜ける。

 椅子を重ねる音が聞こえる。

 机を畳む音が聞こえる。

 音だけで、順調に撤収が進んでいるのがわかる。

 もうすぐトラックも入ってくるはずだ。

 そのあたりでこの宴もお開きとなるだろう。

 

 百回目の記念とて、スタッフの成すべきことは変わらない。

 事前の準備をし、設営をし、当日を迎え、撤収する。

 そうした積み重ねのお陰で、今回もコミマが無事に終わることができそうだ。

 そしてまた、次回のコミマを迎えることが……またこの場所を継続することができそうだ。

 


 


 深川天満宮。

 湯島天満宮、亀戸天神社とならび「江戸の三天神」と古くから信仰の篤い神社である。

 賑やかな門前仲町の街中に現れる、静謐な空気を湛える空間。

 多くの人は学問の神様のご利益を求め、拝殿に向かう参道を行き交う。

 そんな表参道から少し外れた摂社が、表現を志す者たちの聖地として密かに崇敬を集めているという。


 その稲荷社は特別に管理されているわけでもないのだが、どういうわけか天神社と別に稲荷社用の絵馬が社務所に用意されている。

 摂社にも関わらず絵馬掛けが設置され、いつも多くの絵馬が掛かっているのだが、その様子が特異なのだという。

 

 掛けられた絵馬いっぱいに描かれた、キャラクターのイラスト。

 そっと近づいて見てみると、その数に圧倒される。

 中には有名な漫画家、イラストレーター、アニメーターのものも見つかるという。

 

 今日もまた、ひとりの描き手が絵馬を奉納する。半信半疑で参拝し、知り合いから教えられた通りの光景に驚いた。

 ゆっくり時間をかけて絵馬に描き込む。

 そして、自分のイラストがプロと並び飾られていることに恐縮しながらも、願いを込めて絵馬掛けに結び付けた。


 そして、もうひとつ。

 その稲荷社の絵馬掛けに奉納した際は「干し杏」を供えるのだという。

 稲荷の神様があの乾いて凝縮された甘酸っぱい果実が好きだとは聞いたこともないが、ここではそういうものだと教えられた。

 

 その描き手も、教えてくれた知り合いも由来はわからないが、先に供えられた杏を見つけ、同志を見つけたような気持ちに安堵する。

 ひゅうと一陣の風が吹く。

 さわさわと鳴る木々の葉が、自分を応援する声のように思えた。

 

 ここは、表現する人々の、静かな祈りの場所。

 有名な神社の、ひっそりとした一角に、知る者にだけそっと伝えられる崇敬が、今も静かにあるのだとか。



 


 同人誌即売会とみえる巫女 完


お読みいただき、ありがとうございました!

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