第108話 C100夏 3日目 好きが集まる場所で
「『る』ブロック終わり。ぴったり」
本と箱が積まれた小部屋で、さとりはひとりフュージョン作業をしていた。
本部スタッフもさとりのフュージョン能力をすっかり頼りにしており「じゃあ、お願いします」とだけ残してどこかに行ってしまった。
まだ開場時間中のコミマにあって、隔絶されたような静けさの小部屋。
最後の外周『れ』ブロックの箱に取り掛かる。今日も同人誌がたくさん。
「あっ、これ」
ふと手が止まる。
それは先ほど自分が手に入れることのできた本。
友達の描いた同人誌。
さとりはそのときのやりとりを思い出す。
*
「あれっ」
目的の『れ』ブロックのサークルの前に挙動不審な顔見知りを見つけ、さとりは声をかける。
「ふぶきさん、どうしたんですか?」
「ふ、深川さとり!」
ふぶき華夜は弾かれたように顔を上げる。驚いた表情をしているが、むしろさとりの方が驚いている。ふぶきのサークル参加は昨日だったはずだ。手に持った小さな紙袋がかさりと音を立てる。
なおも挙動不審なふぶきに、どう声をかけたものかと思っていると……
「あら、さとりちゃん」
「あっ、柳さんお疲れ様です」
午後も遅い時間。まだ頒布をしているようだが、サークル主である柳はさとりを見つけると嬉しそうに笑った。
「お疲れ様。何だか大変だったみたいね」
「いえ、大丈夫です」
心配させまいと少し強がってみせたが、本当のところは柳の言うように大変だった。
スロープでの一件は炎天下で見た夢だったのかとも思った。
しかし周囲が気遣ってくれる様子で、現実だったのだと実感する。
あの時の知恩寺が、周囲からどう見えていたのかはわからないが……
「さとりちゃん?」
「あ、いえ」
ぼんやりしてしまったらしい。
照れ隠しに笑うさとりを、柳が優しい目で見る。
「あっ、ふ、深川さとり、貴女、柳先生と知り合い、なの……?」
恐る恐るといった風に、ふぶきが尋ねる。
「先生?」
柳を見る。
そうか。同人誌の漫画家だから先生か。
「知り合いというか、友達よね」
事もなげに言う柳に、胸がいっぱいになる。
(嬉しい……)
そうか、スタッフ仲間は友達と言っても良いのか。
「さとりちゃん、そちらは……?」
「はっ、わ、私『ポジティブ大渋滞』の『ふぶき華夜』と申しまして。柳先生のイラストがずっと好きであの、今回久しぶりにサークルで復帰されてあの、ご挨拶と思って」
「あら。そうなんですか。ありがとうございます。さとりちゃんのお友達ですか?」
「はい! 友達です」
「えっ」
即答するふぶきを思わず見る。
(は、話を合わせなさい!)
ふぶきはカッと目を開き、無言でさとりにフォローを訴える。
ふぶきとも友達だったとは。いつの間に。
「えっと……この間の冬コミで、サークルのお手伝いをしました」
そのあたりで友達になったのだろうか。
そういえばようやく十八歳になったので、売り子もできる。巫女さんのえっちな本は遠慮したいところだが。
「へえ、信頼されてるのね。今度うちも手伝ってもらおうかな」
「ぜ、ぜひ!」
柳の言葉に、なぜかふぶきが返事をした。
*
その時のことを思い出しながら柳の本を箱の一番上に置き、そっと上側の箱を被せる。
「ふふっ、ふぶきさんが柳さんのファンだったなんて。あんなふぶきさん初めて見たな」
ゆっくりと箱の空気を抜きながら、さとりはその時のことを思い出して微笑んだ。
「ふう……」
西1ホールすべての本を箱に詰め終わった。
何冊あるのかわからない。
この本ひとつひとつに、同じようにドラマがあって、作り手と読み手が心を通わせているのだと思うと、不思議な気分になる。
「あの、深川さん」
感傷に浸っていると、入口から声をかけられた。
本部スタッフかと思って振り返ると、意外な人物が立っていた。
「あ……エレンさん。お疲れ様です」
今回『むめも』ブロックで頑張っていたエレン。『やゆよ』ブロックとは平仮名こそ隣り合っているが、配置は少し遠く、ふたりが顔を合わせる機会はほとんどなかった。
唯一といっていいのが昨日のあの事件だった。
「大丈夫なんですか?」
「えっ、あ、うん……大丈夫」
フュージョンの小部屋に用事があるとは思えない。となると自分に用だと思ったのだが。
帽子を取ったエレンは落ち着きなく目を泳がせていたが、意を決したようにぎゅっと目を閉じた。
「ごめんなさいっ」
そう言って、深く頭を下げる。
後ろでひとまとめにした綺麗な赤毛が、ふわりと揺れた。
「今さら謝って許されるとは思ってないけど、私、あなたに失礼な態度を取ってしまって」
頭を下げたまま、謝罪の言葉を口にする。
「それに昨日助けてもらった時も、ろくにお礼も言わずにいて。本当に、ごめんなさい」
気にしていなかったかと言えば、嘘になる。
去年の夏コミでエレンと一緒に『やゆよ』ブロックを担当したときの冷たい態度。小さなトゲが刺さったように感じていたのは確かだ。
でも、
「エレンさん。顔を上げてください」
さとりに言われて顔を上げたその表情だけで、エレンが心から悔いているのだとわかる。
さとりとしてはそれで良かったのだが、こういう場合に、どう収めれば良いのかわからない。
「あの……」
言葉を探す。
じっと目を逸らさないエレンの視線を感じながら、自分が新人だった頃に言われたことをふと思い出した。
「えっと、例えばその」
スタッフとしては、一応エレンの先輩である。さとりも先輩の言葉を借りることにした。
「エレンさんが誰かを助けたとして、多分『ごめんなさい』と言われるより、その……」
「あっ」
大塚のようにスラスラと言えない自分に内心がっかりしたが、察しのいいエレンはちゃんと気づいてくれた。
ふっと表情が緩み、ひとつ息を整えてから、その言葉を口にする。
「ありがとう」
コミマに来てから、この言葉を向けられることが増えた気がする。
それはさとりにとって、とても嬉しいことだ。
ホール本部に戻ってフュージョンが終わったことを伝えると、ひとまずさとりの業務はひと段落となる。
本部の机で事務作業を続けていた由布子は、さとりを見て優しい笑みを見せる。
「お疲れさん。久々のフュージョンどうやった? って、聞くまでもないか」
「はい。楽しかったです」
そんなに楽しそうに見えたのだろうか。
しかし、由布子が見せる笑みにふと影がさす。
「……スロープでも大変やったやろ」
面と向かって言われたのはこれが初めてだった。
あの後すぐ、九条と小太郎が駆けつけ、くたくたになったさとりを支えてくれた。
その後は誰も何も言わず、ただアトリウムの商談室で休ませてくれた。九条と小太郎が何か言ったのかもしれない。
「はあ、当たり前ですやろ」
ため息交じりにそう言いながら、その九条が会話に入ってきた。
「わざわざ聞かんでよろし。デリカシー落としはった? 届いてへんかインフォメーションに行かはったら?」
「いえ、あの。大丈夫です」
腫れ物扱いされて触れられないよりは、気遣ってくれる方が嬉しい。
由布子をかばうさとりをどう思ったのかはわからないが、九条は手を口にあてて目を細めた。
「深川はんも、無茶をしはったな」
少し非難交じりのようにも聞こえたが、眼差しは優しい。
「でも、ほんまおおきに」
九条には気持ちで助けられた。同じものを、たとえ違う『みえ』方であっても共有できた初めての人。
「私も、ありがとうございます」
さとりもお礼を口にすると、九条は小さくうなずいて返した。
知恩寺との一件は、結果的にスロープの通行を止めてしまっていたのだが、大丈夫だったのだろうか。
今さら心配になって聞いてみると……
「何人かに話聞かれたけど、まあ適当に誤魔化しといたわ」
「誤魔化せるんですか?」
さとりの言葉に、ふたりが顔を見合わせる。
由布子は意味ありげに笑い、九条はため息をついた。
「そらまあ、なあ」
「……ふん」
誤魔化し、ということは嘘をつかせたということだ。ありがたい反面、ふたりにそうさせてしまったのは複雑である。
「ちょっと、悪い気がします」
「気にせんでええよ」
また顔に出てしまっていたのか、由布子がさとりの肩に優しく触れる。
耳元に口を寄せると、そっとささやく。
「秘密は女を美しくするんや」
少しのくすぐったさと、なんとなく似合わない由布子のセリフで、ふっと力が抜ける。
「似合わんなあ」
「ふふっ」
九条のツッコミが入り、思わず吹き出してしまった。
「歌島さん、ごめん、そろそろ……」
「ん? あ、せやった」
本部スタッフに言われて、はっと何かを思い出した由布子。
「ごめんさとりちゃん、ご飯お預けやったやんな。またお弁当冷やしてるから食べて食べて」
「忘れとったんか……」
呆れたようにため息をつく九条。
「ちゃうねん。先にフュージョンやらんと時間的にどうしても」
さとり自身は、言われてから空腹感に気がついた。気を遣う周囲にミルクティーやスポーツドリンクを過剰に飲まされたので、そこまで気にならなかったのかもしれない。
ふたりのブロック長の、優しい眼差し。
「あとはもうフリーやから、閉会前の一斉点検までゆっくりしといて」
「休み無しで、よう頑張らはったな」
九条に面と向かって褒められたのは初めてかもしれない。
「九条が他人を褒めるん初めて見た!」
「……ほんま失礼やな」
相変わらず仲が良い。
このふたりのいるホールで良かったと思う。
「九条さんは、優しい人ですよ」
「な……」
思いもよらない言葉に、九条が目を見開く。
そんな様子をニヤニヤと見ながら、また由布子がからかう。
「お、なんや照れとるんか」
「やかまし! はよ備品片付けるで!」
九条はそう言うと背を向けてしまった。
由布子は「はいはい」と軽く流し、手を動かし始める。
仲良く作業を始めるふたりの姿を眺めていると、九条がくるりと振り返った。
「深川はんもぼんやりしてんと、はよ食べてきなはれ!」
「はいっ」
九条の照れ隠しに、さとりの頬が緩んだ。




