第105話 C100夏 3日目 仲間たち
暑いトラックヤードではなく、多少エアコンが効いているホール内を移動してはみたものの、まとわりつく湿気と人の多さによる熱気は想像以上だった。
これなら一度外に出た方が風があって良いかもしれないとも思うが、外は外であちこち列が作られ、思うように動けないかもしれない。
「ふう」
外周の柱の陰に人の流れのポケットを見つけ、そこに避難してひと息つく。
いつもの癖で振り返ってみるがそこに玉はおらず、代わりにこの『むめも』ブロックの責任者の姿があった。
「あら、さとりちゃん。お疲れ様」
「ポエさんお疲れ様です」
かなり暑さを感じる外周通路。ポエは額に汗を浮かべながらも涼しい笑顔をさとりに向ける。
混みあう外周通路にありながら、疲れを一切見せていない。
「今日も大変そうね」
「いえ、でも混雑対応はしなくて良いって言われたので」
「混雑対応だけがコミマスタッフの仕事じゃないわ。一番大事なのは、この場所を継続すること。安全を守ることよ」
その時、近くで何か声がした。
何だろうとそちらの方を向くと、隣のポエが素早く反応する。
「あっ、ちょっと待ってね。列が通りまーす! 道を空けてくださーい!」
どこからか移動してきた、手を上げた人々の列。
それを通すための協力の声を上げ、ポエが身振りで通行を制していた。
行列が通り過ぎると「ありがとうございました!」とお礼を言う。
「私たちも気を付けてはいるのだけど、やっぱり混雑があると安全ではないからそこに目がいっちゃう。混雑から離れて安全を確認してくれるさとりちゃんがいると心強いわ」
「はい……」
気遣ってくれるのが伝わってくる。
ポエに報いるためにも『災い』を退けなければならない。
ポエはまた何か言おうとしていたが、ぱっと表情が変わって注意を投げる。
「場内混みあっていますので、走らないでくださーい!」
信じられないことだが、この人が多い外周通路であっても、走ろうとする人がいるらしい。
「すみませーん、スタッフさーん」
苦笑いしているポエだったが、今度はサークルからお呼びがかかった。
ひと息つく暇もない。
「あら。ごめんね、ちょっと行ってくるわね」
「はい、あの、また後で」
「ええそうね。また落ち着いたらお話しましょう。エレンさんも話したそうにしていたわ」
「えっ、そうなんですか」
ぐるりとあたりを見回すが、特徴的な赤毛のスタッフは見当たらない。
また外で業務をしているのかもしれない。エレンなら引っ張りだこだろう。
「じゃあ、頑張ってください」
「ふふっ、ありがと。さとりちゃんも、無理しないでね」
そう言うとポエはサークルの方に早足で歩いて行った。
人ごみをすり抜けるのが上手いのか、あっという間にその姿が見えなくなる。
「……無理は、すると思います」
見えなくなったポエに、そっと返事をした。
人の流れに乗って、通路を進む。
たまに異形が紛れ込んでいるが、この人ごみにまみれて楽しいのだろうか。
玉は、彼らが刺激を欲しがっているように言っていたが、この状況が楽しいとはやはり変わっていると思う。
それにしても男性の比率が高い。
入場の先頭ほどではないが、それなりに臭いもある。
万単位の人間が一生懸命動いていて、しかもエアコンの効きも追いついていない状況であれば仕方ないのだが。
その点についてはきっとトラックヤードを通った方が良かったに違いない。
「あっ」
しかしホール内であれば、顔見知りのスタッフに会うことはあるようだ。
「大門さん、お疲れ様です」
「ああ、お嬢。お疲れ様です」
低身長のさとりに、ギリギリまで気が付かなかったらしい。
大門は少し驚いた表情を見せたが、すぐにいつものように挨拶を返す。
体格の大きな大門の周りは、人の流れがやや落ち着いているように見える。
「どこかの列を見ているわけではないんですか」
「ええ。強いて言うならあのあたりと、壁ですね」
大門は島中の『も』ブロックのサークルをぐるっと指し、同じように外周『れ』ブロックにも目をやった。
「たまに列ができたりダマになったりするのですが、今は落ち着いています」
お釣りに手間取ったり、立ち読みが現れると、列になることがあるそうだ。
そういった場合は多くは一列でできてしまうため、二列にしたり列を圧縮したりで通路を確保するのだそうだ。
「自分のジャンルとも言えますし、知り合いのサークルが多いので、対応もしやすいですから」
と言う大門。
言われてブロックを見ると、妖艶な表情の女性のポスターと目が合った。
胸には隠すための色テープが貼られている。
ぐるりとあたりを見ても、ポスターの肌色が目立つ。
さとりのような若い女性の姿はほぼ見えない。しかしどういうわけか全くのゼロというわけでもないのが不思議であった。
これほど濃厚なジャンルを好む女性もいる……万単位の人がいる中ではそういうこともあるのかもしれないが、やはりさとりにとっては信じられない世界でもあった。
「エログロナンセンス、でしたっけ」
「その通りです」
どこか嬉しそうな大門。
前回の冬コミで熱弁を振るっていた大門であったが、そう教えられたところで、さとりにとっては直視しづらいえっちな本たち。それも、市販ではとても見る機会のない欲望の結晶。
だが、そこを行き交う人たちは活力がみなぎっているし、作り手のサークル参加者も良い人が多いのだと大門が言う。
ポスターや本を気にしなければ、コミマのどこよりも賑やかで熱気を持った場所のように思えた。
「……私はまだよくわからないですけど、それが好きな人がいるというのはわかります」
「好きになるかどうかはともかく、存在を許容する。それが多様性だとは思いませんか」
大門の言葉にうなずく。
別にこの並んでいる本たちを見ろと言われているわけではない。
読みたい人たちが集まって、そうでない人は近づかない。
「そうですね。もしかしたら、いつか自分と関わるかもしれないですし」
自分からは進んで見たり描いたりはしないだろう。
だがそれに触れる可能性はゼロではない。
コミマがまさにそうであったように。
そもそも、自分の知っている人がそれを好きかもしれないのだ。
その存在を許容せず、好きを奪うことなど誰にも許されない。
「だから、私も守りますよ」
さとりの力強い言葉。
大門は少し面食らった様子でさとりの顔を見ていたが、ふっと優しい笑顔を見せた。
「ありがとうございま……」
『これより、一斉点検放送を行います』
大門の感謝の言葉を遮るように、場内アナウンスが始まった。
そして、その放送と同時に、会場内の参加者の携帯が一斉に警告音を発した。
「!?」
「えっ、何?」
さとりと大門も例外ではなく、慌てて開いた携帯には見かけない表示があった。
『コミマ限定速報メール:本日は参加者の皆様に不審物を捜索していただきます。報告された方には豪華景品を進呈!』
周囲の参加者も確認したらしく、ざわめきが広がっていく。
中には気付いていない参加者もいるようだが、通路を行き交う半分以上の人たちは携帯を取り出していた。
そして、そのメールを見てから、明らかに視線の動きが変わる。
「大門さん、聞いていましたか?」
「いえ……ああ、不審物の集積所を外に作る話があって、そこに専属のスタッフが警察と協力する、とは聞いていました。しかしこのようなメールは……」
まるで災害の時のメールだ。
会場内の全参加者に通知が届いているのかもしれないが、このような使い方をしても大丈夫なのだろうか。
「こちらの荷物の持ち主の方はいらっしゃいませんかー?」
少し離れた柱から、聞き慣れない声がした。
大門がそちらに目をやる。
「一般参加者のようですね……これは忙しくなりますね」
大門は「よし」と気合を入れると、手を上げている参加者の方へと歩き出す。
すると、別の場所からも声がかかる。
「すみません、こっちもお願いします」
「わかりました! 順に確認します!」
先ほどのメールに釣られて、ホール中が不審物を確認する目になっている。
探す目が多いのは良いことだが、対応しなければならないスタッフが足りなくなりそうだ。大門のサポートをしようとさとりも後を追う。
「あ、わ、私も……」
そこまで言ったところで、ぞくりと寒気が走った。
思わず振り返ってみても、混雑する外周通路しかない。
いや、これはむしろその先の……
「お嬢?」
不審に思った大門がさとりを振り返る。
大門を手伝わなければならないとも思うが、この寒気はさとりの領分だろう。
「……いえ、あの、私は巡回を続けます」
あの壁の向こうの、大きな坂へ。
大門は大きくうなずく。
「わかりました。ここは任せてください」
まるでさとりの背中を押すように、力強くうなずく。
さとりは大門に小さく頭を下げると、大門と反対の方へと足を踏み出した。
「頑張ってください」
小さくその言葉を口にする大門。
コミマ会場に似つかわしくない巫女装束に身を包んだ、どこにでもいそうな女の子。
ずいぶん頼りがいが出てきたように思える。
「おや」
大門が思わず声を漏らす。
見送っているその背中。
混みあう外周だったが、その巫女装束が進む方向に、真っすぐ道が開けていた。




