第103話 C100夏 3日目 サークル入場にて
小太郎と別れ、また入場者の監視をする業務に戻る。
気がつけばいつの間にかかなりの人数がアトリウムに入っていた。
サークル入場のゲートのスタッフたちを境に、確認済みのサークル参加者と、これから手荷物と入場証の確認を待つ人々。
そして、よく見ればスタッフ以外の人たちも確認作業を手伝っている。準スタッフを動員しているということらしい。
見たところ怪しい雰囲気の参加者はいないようだが……
『ふむ』
玉の耳がぴくりと動く。
視線の先を追うと、ふわふわと浮いていた布のような異形が玉に近寄っていた。どうやら何か報告を受けているらしい。
『サト、男のふたり組。今入ってきおった。見えるか』
玉の言葉にうなずいて返す。
言われて確認すると、確かに肩に黒い異形を貼り付かせた男性ふたりが見えた。
「ふたり組の男性、ふたり共です。えっと、紺色のシャツとチェックのシャツ」
「んー……了解」
すかさず地区本部のスタッフに共有する。
昨日よりさらに人数が増えているので、確認作業も余裕があるようだ。
数人のスタッフに取り囲まれ、見つかった男たちは怪訝な表情を見せていたが、肩の黒い異形はぽろりと落ちて見えなくなった。
安堵の息をつく間もなく、さらに報告が上がる。
『サト、大柄な男が来るようだ』
(わかりました)
今度は小声で返事をして、さとりの確認後すぐまた地区本部のスタッフに上げる。
「今入ってきた大柄な男性、お願いします」
「了解、あれは複数人で当たった方が良さそうだ」
ほっと息をつく。
黒い異形を付けた彼らが必ず悪事を働くと決まったわけでもないが、スタッフが接することで上手く離れることもあるらしい。
離れない場合は玉が蹴飛ばしに行くのだろうか。
「へえ……」
少し離れて立っていた田尾手が、感心したように笑っていた。
異形、玉、さとり、そしてスタッフとの連携は、思っていた以上にスムーズに進んでいる。
「彼らも協力してくれているんだねえ」
「……等しく参加者ですから」
この場にいる者はすべて、コミマを作る参加者だ。
本を作った人も、本を買うだけの人も、雰囲気を楽しみに来ただけの人も、そして投影を見るだけの異形も。
コミマの理念を口にしたさとりを、また愉快そうに見る。
「ふふっ、そうだね」
恐らく田尾手も見えているとは思うのだが、どういうわけか摘発に協力する気はないらしい。
田尾手の考えはわからないが、不可解なのは今に始まったことではないと思い、気にしないことにした。
そうしていると、通行証の確認を終えた人の中に、見覚えのある顔を見つけた。
「あっ、すみません。知り合いと少し話します」
「了解」
相手もこちらのことを認識していたようで、近寄るさとりに会釈をしてくれた。
「おはようございます。お久しぶりです」
「やっぱりあの時のスタッフさん! びっくりしました」
さとりが初めてスタッフをしたコミマで、偶然さとりの姿の写り込んだ写真を本に使っていたサークル『しらたま堂』の男性だった。
「今回は厳重なんですね」
「色々とありまして……」
しらたま堂は「手荷物が少なくて良かったです」と笑って、トートバッグの中を見せた。
「外は警察車両なんかも多かったんで、何か起こったのかと思いました。スタッフさんも大変ですね」
「いえ。多分来場者も多いですから、みんな大変だと思いますよ」
「はは、それもそうですね」
どうやら今日は西2の配置らしい。
ということは、今回は閉会時間に西2で三本締めが行われるのかもしれない。
今回ばかりは開場時間中に様子を見に行けるかどうかはわからない。ここで挨拶ができて良かったかもしれない。
「あ、そうだ。あれから天神信仰を深掘りしたいなって思って、西日本の天満宮を網羅したマップを作ってるんですよ」
「えっ、すごい」
さらりと言うが、大変な労力のはずだ。
西日本と言われても、修学旅行の京都奈良ぐらいしか行ったことがない。
目の前の男性のフットワークの軽さに驚いていると、そんな様子を見たしらたま堂は得意げに笑う。
「ふふ、それだけじゃなくてですね。道真公の流配の足跡をたどって、現存する神社や史跡を辿ってるんです。まだ本にはできてないんですが、次の冬コミで出せるといいなと」
次の冬コミ。
開催されることが当たり前のように言うが、それが無事に迎えられるかどうかは今日にかかっている。
さとりは胸がきゅっとなった。
準備のあるサークル参加者を引き留めるのもまずいと思い、冬の本を楽しみにしていると伝えてしらたま堂と別れた。
サークル入場のピークを迎えつつあるアトリウムは、先ほどよりさらに人が増え、夏の暑さと人の熱気で温度が一段上がっているように感じた。
再び、人ごみの中に知り合いの姿を見つけた。
夏コミらしく薄着の女性は、さとりに気づくと小さく手を上げる。
「あっ、おはようございます!」
「おはようございます。つばめ饅頭さん」
前回柳と再会を果たしたつばめ饅頭だ。
本名も聞いた気がするが、つばめ饅頭という名前のインパクトが強すぎて覚えていない。
「柳さんなら『やゆよ』ブロックで業務中だと思います」
「ありがとう。早く準備しないとね」
サークルの準備は忙しいと聞く。
さとり自身はサークル参加したことはなかったが、見本誌の受付をして回っている間、準備に忙しそうなサークル参加者をずっと見てきた。
当日までは本を作り、当日にはスペースを作る。サークルは本当に大変だと思う。
「あの、あなたが『さとりちゃん』ですよね」
「えっ、はい」
急に名前を呼ばれ、驚くさとり。
つばめ饅頭はにこにことさとりを見ている。
「凛ちゃんがスタッフのこと楽しそうに話してて、あなたが何度も出てくるものだから」
「そうだったんですか」
なぜか気恥ずかしい。柳は一体何を話したのだろうか。
とても気になるのだが、つばめ饅頭はそんなさとりに気づかず続ける。
「凛ちゃん、スタッフ業務も合わなかったら本当に引退するつもりでいたみたいなんだけど、頑張ってる『さとりちゃん』を見ていて、自分も頑張ろうって思ったんだって」
「えっ……」
思いもよらない言葉に、声が漏れた。
まさかそこで自分の名前が出るとは思わなかった。
そして、柳にそんな影響を与えていただなんて、信じられない。
「ありがとう。凛ちゃんの気持ちを繋げてくれて」
ぎゅっと手を握られる。
そこから伝わる、温かい感謝の気持ち。
「漫画、続けて良かった。そして、コミマが続いていて良かった」
さとりひとりに向けての言葉ではない。
コミマは万単位の人々の努力の継続で、場が維持されている。
そしてその人々の中、ほんの一角で、さとりが協力している。
微力という表現がぴったりではあるのだが、そんな微力が数えきれないほど集まってこの巨大なイベントを支えている。
そして、それはここで終わらせて良いものではない。
『災い』
巨牛の予言が頭をよぎる。
それが一体何なのか、コミマの存続を危ぶむものなのか。それはわからない。
だが……
『そなたが見抜けば災いも退けられよう』
明確に、さとりにはできると言われたのだ。
おそらく人生で最も重い責任。
目の前で楽しそうな笑みを向けるつばめ饅頭。
本名も仕事も、住んでいる場所もわからない彼女。
それどころか、ペンネームやハンドルネームも知らない大勢の参加者。
強欲なさとりは、全員が楽しく笑っていてほしいと思う。
「今日は、いっぱい楽しんでいってくださいね」
「はい!」
参加者が気兼ねなく心から楽しめるように、スタッフは全力を尽くす。




