第102話 C100夏 3日目 コミマと欲
『サトよ、外からやって来る者は必ずあの場所を通るのか?』
「必ずではないですが、大体は。他にも入ってくる場所があります。あっちとか……」
『ふむ』
玉はアトリウムをぐるりと見回し、スタッフとサークル入場者の様子をじっと見た。
『あの場所で監視しておる帽子の者らに教えれば良いのじゃな』
「えっ、まあ、そうなんですけど……そんなことできるんですか?」
『完全ではないが』
不敵に笑ったような気がした。
表情は変わっていないのだが、なぜかそう思えた。
『意識を向けさせることはできる。何となく怪しい者がおる、程度の気づきじゃな』
実際のところ、全員に手荷物確認をすることにはなっている。そういう印象の参加者が相手であれば、注意深く確認してくれるかもしれない。
『無論、我であれば憑いておるものを排除することもできるが、本質ではないのだろう?』
そう。この業務の目的は、危険な物を持ち込ませないこと。
そのための手荷物確認。
「はい。荷物の確認で発見することが大事なので。あ、でも悪い気持ちが無くなるならそれも良いと思います」
『ふむ、承知した』
本当に伝わったのだろうかと少し不安になるが、ここは玉を信じることにする。
その玉はひとつうなずくと、集まる異形たちの方を向いた。
『聞いておったとは思うが、我らは帽子の者どもを補助する! 直接叩ける者は悪しきものを叩く!』
ざわり。
明らかに反応があった。やはり玉が声を上げると目に見えて効果がある。
『サト、今日こそ褒美はあるのだろう?』
振り返って目を細める。これも笑っているなと何となくわかった。
言われて思い出したが、1日目、2日目ともに、一升瓶を持ち込んでいたのだが、終わり間際にトラブルがあって振舞うことができなかった。
そして今日もまた一升瓶を持って来ているので、スタッフ控室の隅に三升もの日本酒が鎮座してしまっている。
「そうでした。これまでお酒を用意していたんですが、色々あって差し上げられなくて……無事に終わることができたら、皆さんにたくさん振舞います」
『!』
明らかに反応があった。
どうやら張り切ってくれるようだ。
少し遅れてしまったが、一応集合場所になっている地区本部前に来た。
とはいえもう入場が始まっているので、このまま監視を始めてしまっても良いかもしれない。
「おっ」
「あっ」
地区本部から出てきた男性スタッフと目が合うと、お互い小さく声を上げた。
男性スタッフは今回『らりる』ブロックに所属する田橋だった。
「あんたか。えっと『やゆよ』ブロックの」
「深川です。お疲れ様です」
「ああ、あー……あんたも当事者だったな」
田橋はどこか居心地悪そうにしている。
言葉を待つさとりに気づいて、小さく息を吐いた。
「……昨日トラブルを起こした奴ら、全員元西2だったんで、話をな」
「……」
全員。
それはきっと、エレンの件もふぶきの件もどちらも含めてということなのだろう。
エレンも前回は西2だったし、ふぶきもそうだ。
「その、あんたがあいつらを止めてくれたんだろ。ありがとう」
「えっ」
「いや、あんなんでも……その、何回も一緒にスタッフやった仲間でよ。取り返しがつかなくなる前に止めてもらって良かったよ」
「……」
確かに大きな怪我などはなかったが、心理的には無傷とはとても言えないのだが。
さとりの視線に気づいたのか、田橋が訂正する。
「いや、悪い。実行はしちまってるし、取り返しはつかねえんだけどさ。あー、上手く言えねえ」
お手上げと言わんばかりに帽子を脱いで頭を掻く田橋。その背中に、ちらりと黒い影が見えた。
「この間までは、あいつらと『ここしか居場所がないな』って一緒に笑っててよ」
田橋は西2の入口を見て、さとりに言うともなく続けた。
背中の黒い異形がもぞりと動く。
「俺たちは弱くて、だからこそ繋がって、受け入れてもらったのが嬉しくて……多分、それを奪われたのが、周りが思っている以上にでかかったんだと思う。自分のせいだとしてもな」
うつむき、ひとつため息をつく。
どうしてさとりにこんなことを話すのかはわからなかったが、黙って耳を傾けた。
「一歩違えば、あそこにいたのは俺だったかもしれねえ」
その異形が再び顔を出したその瞬間、駆け寄った玉が飛び上がり、そして綺麗な蹴りを決めて少し離れて着地した。
「悪いな。こんな話」
「いえ……」
誰かに聞いてもらいたかっただけなのだと思う。
田橋は思いを吐き出したからなのか、それとも背中の異形が離れたからなのか、少しすっきりとした顔になっていた。
「……今日はラストだし、頑張ろうぜ」
「はい。頑張りましょう」
田橋の後ろ姿を見送っていると、すれ違うようにして西1から小太郎がやって来るのが見えた。
「サト」
「コタくん。どうしたの?」
「補給。お茶持ってきた。昨日足りなかったって聞いて」
小太郎が差し出すビニール袋を受け取ると、さとりは「ありがとう」と言って中を見た。ペットボトルが三本もある。
「田橋さんと、何か話してたのか」
「あ、うん。昨日の人たち、やっぱり西2のスタッフだったみたいで」
「ああ……」
田橋も西2だったことを思い出したのか、小太郎は何とも言えない表情をする。
「彼らは欲に飲み込まれたんだねえ」
「田尾手さん」
「お疲れ様です」
急に後ろから声がして振り返った。
地区本部所属の田尾手が涼しい顔で立っていた。
「今日も地区のお手伝いありがとう。遅れてごめんね」
今日だけの特別対応が多いせいか、さすがに田尾手も忙しかったようだ。
それよりも、先ほどの田尾手の言葉が気になった。
「あの、欲に飲み込まれたというのは」
さとりの問いに、田尾手は目を細めた。
「うん? まあ言葉の通りさ。人間というものは、欲望が満たされても次にもっと大きなものを欲するようになる。やがて良し悪しの判断が曖昧になり、手段を問わなくなって一線を越えてしまう……」
その視線に、どこか他人事のような冷徹さを感じる。
「もちろん、一部の人間だろうけどね。その一部だけでも、コミマの存続を危うくする。そしてこんなに忙しくなったというわけだ」
冗談めかして肩をすくめるが、妙な生々しさがある。
言葉のわりに余裕を感じるのが不思議だが。
「スタッフという立場は、色々と便宜が図られる。ゆえに自分が特別だと錯覚し、欲を叶えるために規則を破ってしまう者もいる」
田尾手は試すような視線を小太郎へと向けた。
どこか張りつめた空気が田尾手を中心に広がる。
たまに感じるこの田尾手の気配は何なのだろう。
思わず玉を見るが、じっと田尾手を見据えているだけで特に行動を起こす様子はない。
「君には心当たりはないかい?」
「ありません」
小太郎の即答に、田尾手は面白そうに口角を上げた。
「おや、言い切るか。ふふ、本当に?」
「サトに恥ずかしくない自分でいたいので」
「えっ」
急に呼ばれたさとりが思わず声を出す。田尾手は愉快そうに「そうかそうか」と笑っている。
「コミマスタッフに誘った手前、サトに格好悪いとこは見せられない。自分の欲に負けて規則を破るなんて格好悪いと思う」
「なるほど、君にとっては深川さとりさんによく見てもらうことが一番ということだね」
「へ?」
唐突に名前を出され、さとりが小さな声を漏らす。
当の小太郎は、照れる様子もなく真っ直ぐに田尾手を見据えていた。
というより、さとりがいることを忘れているようにも見える。
「深川さとりさんに、好いてもらいたいのかな」
「ええっ!?」
大きな声が出た。
その声に驚いた小太郎が勢いよく振り返り、初めて後ろにさとりがいるのに気が付いたように目を見開いた。
さとりは、熱を持った頬を指先で押さえながら、小太郎を見た。
「あの、コタくん」
好いてもらえるように、とは少し違うかもしれない。
でも、期待を裏切りたくない気持ちはとてもよくわかった。
「私も、誘ってくれたコタくんが恥ずかしくないように、頑張るね」
十代の若者の初々しい姿を眺めながら、田尾手がひとりくつくつと笑う。
入口の方から田尾手とさとりを呼ぶ声が聞こえ「おや」と田尾手がふたりを見た。
「そろそろ行かないと。ひとつ教えておくと、欲というのもそう嫌うものじゃないよ」
唐突な言葉に、小太郎とさとりが同じように首を傾げた。
「欲というのは原動力だ。人が生きるためのね。そして、何かを為そうと行動するきっかけになる」
田尾手が言葉を止め、じっとさとりを見る。
その眼差しは、先ほどまでの揶揄するようなものから、どこか好奇心を含んだものへと変わっていた。
「深川さとりさん、君は何を欲する?」
問いかけられ、さとりは少しだけ考えた。
アトリウムの床の感触が、今ここにいる理由を教えてくれる。
自分の内側にある、一番大きな願い。
少しずつ濃くなる参加者の気配。
「私は、コミマが無事に終わってほしいと思っています」
それを聞いた田尾手は一瞬呆けたように瞬きをし、
「ふふっ」
堪えきれないといった様子で笑った。
不思議と不快感はない。掴みどころのない田尾手が時折見せる素の表情。
それを一番感じることができた気がした。
「それは、欲深いなあ」
十万人を超える人々が集まり、自分の欲に沿って行動するこの祭りを、無事に終わらせる。
それは、とても困難で、傲慢で、そして美しい欲だった。




