第101話 C100夏 3日目 最終日の朝
通り過ぎた台風はその余韻の風を残す。
蒸し暑い空気も運んできたが、風があると過ごしやすくて良いかもしれない。
「天神様。今日もお見守りください」
もちろん答える声はない。
例大祭最終日の今日、コミマもまた最終日を迎える。
災いが起こると言われた夏コミ。
「えっと、牛さんも。お見守りください」
表参道、手水舎の向かいにたたずむ金属製の牛にも一礼をする。
金属でできた撫で牛はもちろん口を開くことなく、静かに佇んでいた。
今日、夏コミの最終日を指す予言。
『楽日午未こそ妖しき時なり。巫女は小者遣いて坂の厄を除けるべし』
午未は午前の十一時から午後三時。ほとんど開場している間は気が抜けない。
ただ、巫女である自分が小者……異形たちと坂で厄を除けなければならないことはわかる。
厄が何なのかはわからないが、坂はきっと……
渋滞もなくスムーズに走りきったスタッフバスは、予定時間よりやや早く逆三角形の下へと到着する。
さとりが小太郎と共にバスを降りると、蒸し暑い熱気が纏わりついてくる。
いつものようにアトリウムへ入ると、ほんのり涼しい。この高い天井にもいつの間にか見慣れていた。
向かって左の青玉の前に、存在感のある和服美人が待っていた。
相手もさとりたちに気付いたようで、小さく会釈をした。
「おはようさん」
「九条さん、おはようございます」
手に持たれた化粧箱で、さとりのために待っていてくれたのだと理解する。
「お待たせしてしまいましたか」
「この時間はどうせ暇やしなあ」
「じゃあ、先に行ってるから」
「うん」
そう言うと小太郎はホールへと向かい、その背中をふたりで見送った。
視線はそのままに、横に立つ九条が口を開く。
「今日は、大丈夫なんか」
「えっ、はい」
一瞬何のことかと思ったが、昨日の閉会後に泣いていた跡を見られていたのを思い出した。
完全に心の整理がついたわけではないが、今日を乗り越えなければならない。
「ありがとうございます。またよろしくお願いします」
心配させまいと、さとりは精一杯に笑ってみせた。
誰もいない商談室。
ほんのりとエアコンが効いており、アトリウムよりも湿度が低そうに感じられた。
九条は早速化粧箱を開き、準備に取り掛かる。その手を動かしながら口を開いた。
「昨日言うてはった『黄色い煙』やけどな」
思わぬ言葉にさとりが九条を見る。
何かわかったことはあったかと期待をしたが……
「周りに聞いても、やっぱり知っとるもんはおらんかった」
「そうですか……」
恐らく異形らに精通しているであろう九条の周りの人々ですら、あの黄色い煙を知らなかった。
椅子に座って目を閉じる。
「私の目は、何なんでしょうね」
「深川はん……」
声色だけで、九条が困っているのがわかってしまった。
さとりは内心慌てて話題を変える。
「九条さんのお化粧のお陰で、昨日はいつもより良く見えて。助かりました」
「いつもより?」
「はい。いつも見えるあれは変わらなかったですが、黄色い煙はよく見えました」
「……そか。力になれたんなら嬉しおす」
顔にひんやりとした感触が広がる。
今日もまた、九条の渾身の化粧が始まった。
巫女装束に袖を通し、九条の最終チェックで「よし」を貰う。
これが「深川さとりプラス」のその先。今日を迎えるための万全の準備。
ふたり連れ立ってホール本部へと戻ると、ホールのほとんどのスタッフが集まり、一様に厳しい表情で前に立つ大塚の話に耳を傾けていた。
「……というわけで、一部の方はもう借受に出てもらっていますが、今日は手荷物確認を徹底することになり、入口で大規模に展開されています。館内でも問い合わせを受けるかもしれませんが、カタログにも書かれていることなのでそう説明してください」
そういえば今通り過ぎたアトリウムも何だか騒がしかった。今日は特別なシフトのようだ。
牛の予言を信じたわけではないだろうが、さとりは身が引き締まる思いで状況の把握に努めた。
全体朝礼はすぐに終わり、そのままブロック別の朝礼となる。
『やゆよ』の面々が集まる場所も、すっかり「いつもの場所」になっていた。
そこで真っ先に迎えてくれるブロック長。
「おはようさん! もう準備ばっちりやな」
「ユウさん、おはようございます」
歌島由布子はさとりの挨拶に満足そうにうなずいた。
「また今日も一緒に頑張ろな」
ブロックから離れてしまうことはわかっているはずだが、由布子は「一緒に」と言ってくれる。
さとりは今日も『やゆよ』ブロックとして頑張れる。
「さとりちゃん、おはよう」
「柳さん、おはようございます」
「ふふっ、お化粧して別人みたいに綺麗なのに、仕草や言葉はさとりちゃんだから不思議な感じ」
「そ、そうですか?」
もちろん自分で鏡を見て確認もしているが、別人というほどでもないような。
ニコニコとこちらを見ている柳に否定もできず、どう言えば良いかと考えているうちに朝礼が始まる。
連絡事項の再確認と、サークル受付の担当の確認、借受の確認。
「……というわけで、手荷物確認はもう行ってもろてます。柳さんは今日はサークル受付だけでその後は離脱、と」
「サークルは西1なので、何かあったら呼んでください」
「大丈夫大丈夫。しっかりサークル参加楽しんでや。久しぶりなんやろ?」
柳は前回再会できた旧友の女性……つばめ饅頭と一緒に本を作ったらしい。
後で読んでみたいと思ってサークルの場所を確認する。
「そういえば柳さんのサークルってどこなんですか」
「え? 『れ』の……」
『れ』ブロック。
言わずと知れた西1ホールの外周ブロックである。思っていた以上に人気サークルらしい。
教えられた番号を探そうと地図を見ると……
「ん? シャッター?」
「えっ」
「シャッター……」
何となく聞いていたブロック員に、ざわめきが広がった。
中堅から大手が配置される外周ブロック。さらにシャッターとなれば、最大限の混雑が予想されている最大手級のサークルが配置される場所である。
「えっと、シャッターサークルやったん?」
代表するかのように恐る恐る尋ねる由布子を見て、柳は困ったように苦笑いした。
「えっと、まあ……そうなってしまいましたね。でもいつもは東の配置で、シャッターではなかったので、今回配慮されたんだと思うんですが」
「いや……配慮だけでシャッターには行かんやろ」
柳の謙遜に呆れたように言う。
元のサークル名を聞くと「あー」という反応もあり、やはり有名ではあったようだ。
人気のサークルであれば、本を買うのは難しいかもしれない。
「朝ご飯来ましたー!」
「おっと、ほしたら解散で。みんな今日一日よろしくお願いします!」
「「「よろしくお願いします!」」」
朝ごはんのサンドウィッチを急いで食べると、すでにサークル入場者の姿がちらほら見られるような時間帯だった。
今日ばかりは大塚も忙しく、さとりはホール本部にひと声かけてから地区本部へと向かった。
その途中、待っていたかのように直立してこちらを見る狐の姿があった。
「玉さん、おはようございます。朝はシウマイ弁当はないですよ」
『知っておる』
少し冗談めかして言ってみたが、玉はいつも通り淡々と返事をした。
これからずっと付いてくれるのだろうか。
そう思っていると、玉の方から口を開いた。
『今日も協力させるのだろう』
「あ……そうですね。お願いします」
『すでに集うておる。階段裏へ』
「えっ?」
玉に促されるまま、ホールを出て右へと向かう。エスカレーターの裏とも言うべき薄暗い場所に、多数の異形の姿があった。
「え、もしかして待たせてしまいましたか」
『気にせずともよい』
否定されなかった。待たせてしまっていたのだろう。朝にはいなかったが、朝礼の間に集めてくれたのかもしれない。
「えっと、おはようございます」
異形たちに反応はない。
だがこれまでの経験で、ちゃんと聞いてくれていることはわかっている。
「今日が最終日なんですが、とても人が多くて、大変だと思います。それであの、悪いものが憑いている人がいたら、なるべく見つけ出したいと思っているんですが……」
彼らに良し悪しが判断できるのだろうかとふと思う。
できそうなのかと玉を見ると、視線に気づいたのか鋭い目を細めた。
リアルC108お疲れ様でした!




