第99話 C100夏 2日目 ふぶきのもとへ
『……』
玉が連れてきた場所。外周『れ』ブロック。
サークルの机の前に立つふたりのスタッフに見覚えはない。そんなことよりも、そのサークルは……
「ふぶきさん……」
その主の名を口にする。
サークル『ポジティブ大渋滞』には、まるで何か問題を起こしたかのようにスタッフが詰め寄り、その様子を遠巻きに野次馬が見ている。
ふたりのスタッフのうちひとりの男が、近づいてくるさとりたちに気づき手で制する。
「こちらは我々が対応していますので」
「あんたら『れ』ブロックか」
「あなたに関係ないでしょう」
九条と男が睨み合う。
ここで大人しく従う理由はない。そもそも、スタッフ証を見せないのは不自然だ。
先ほどのエレンの件もある。
構わずサークルスペースの中のふぶきに声をかける。
「ふぶきさん!」
「深川、さとり……?」
信じられないという表情のふぶき。さとりが現れるとは思っていなかったようだ。
朝に見た時と比べて明らかに消耗している。
「今俺が話してるんだけど」
不満を隠しもせず、もうひとりの男性スタッフがさとりを睨みつける。
昨日の暴力を思い出して身体が硬くなりそうになる。しかし、
「わ……」
ここでふぶきを見捨てることはできない。
「私も、話を聞きます。知り合い、なので」
負けじと男を見返し、ひと言ずつ区切るように、はっきりと口にする。
男の背後に、うっすらと黄色い煙が見えた。あれは……
「チッ……」
男の舌打ちで、はっとする。よそ見をしている場合ではない。
「私は『やゆよ』ブロックの深川です。あなたは」
自分のスタッフ証を掲げて見せるが、男は目深にかぶった帽子のつば越しにさとりを睨みつける。
「『れ』ブロックに決まっているだろう!」
「い、いいえ」
明確な敵意を込めて投げられる言葉。
さとりは一瞬体を硬くするが、机の向こうにいる不安げなふぶきの表情が目に入った。
一歩。
負けるものかと踏み込むと、男と机の間に体を滑り込ませ、ぎゅっと手を握って首を振る。
「あっ、あなたみたいな人は『れ』ブロックにいませんでした」
少し自信はなかったが、見覚えがないことは確かだ。それに、本当に『れ』ブロックのスタッフであれば、スタッフ証をすぐ見せるはず。
「きょ、今日からなんだよ」
「では、スタッフ証、見せてください」
毅然と言った。
(怖い、けど)
背に感じるふぶきの気配。
隣に無言で見守る玉。
もうひとりとやり取りをしながら、こちらも気にかける九条。
(きっと、大丈夫)
ひとりではない。味方がいる。
信じて待っていれば、その時は来る。
「サト!」
信じていた幼馴染は、思った以上に早く駆け付けた。
さらなる仲間を連れて。
「お疲れ様です。ちょっと話を聞いても?」
「なっ!?」
「なんだよ……クソッ」
ふたりの怪しいスタッフは、すっかり取り囲まれていた。
肩で息をして汗だくの小太郎。大急ぎで人を呼びに行ってくれたのだろう。
春日、田橋、大門、さらに男性スタッフがふたりもいる。
「地区本部まで、ご同行を」
大門にがっしりと腕を掴まれ、もう逃げられないと観念したようだ。
うなだれたまま連れて行かれる姿が人混みに消えると、残ったさとりと九条が息をついた。
「ほんま『れ』ブロックは何をしとるんや……」
呆れたように九条がこぼす。
ここまでの騒ぎになってもなお、担当の『れ』ブロックスタッフの姿はなかった。
「すみません、お騒がせしました!」
九条が周囲の参加者にアナウンスをする。さすがに目立っていたようだ。
ふぶきはサークルスペースの中で、パイプ椅子に腰掛けた。疲労感が濃い。
「深川さとり。また、助けられたわね」
「いえ……遅くなってしまって」
「あいつら、西2の元スタッフよね。見覚えがあるわ」
さとりにはわからなかったが、ふぶきが言うのならばそうなのだろう。
もしかしたら、朝に取り逃した怪しいスタッフだったのかもしれない。
「失礼。ホール長の大塚です。深川さん、こちらお知り合いかい?」
「……はい、そうです」
大塚はうなずいて返すと、改めてふぶきに向き合った。
「この度はご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
深く頭を下げる。
「いえ、頒布を妨害された以外に実害はなかったので」
「本当に申し訳ない。落ち着いた頃合いに、お話をお伺いできますか」
「ええ。いえ、今からでも大丈夫です」
ふぶきと大塚の話が始まる気配を感じ、そっとその場を離れようとする。
すると、
「深川さとり」
ふぶきの声に、振り返った。
「……ありがとう」
さとりは返す言葉を見つけられず、無言で頭を下げてその場を離れた。
おぼつかない足取りで何とかホール本部まで戻ってくると、由布子が立ち上がって出迎えた。
「あっ、さとりちゃん! 良かった」
「ユウさん……良かった?」
机と椅子を避けながら、さとりの所まで歩いてくる。
「お弁当! もう廃棄時間近いで!」
「えっ、す、すみません」
その様子を見ていた本部スタッフが「大丈夫だよ」と声をかけてきた。
「深川さんの分は、あそこに確保してあるよ」
「えっ」
そう言って指差された冷蔵庫を見る。
冷たい飲み物の需要が高く、ぎゅうぎゅうに飲み物が詰め込まれている冷蔵庫の中に、ペットボトル飲料の上に乗せられたシウマイ弁当の姿があった。
「夏のお弁当は怖いからね。あ、容器に入れた杏も深川さんのだから。何か地区本からだって」
「えっ、あっ、ありがとうございます。すみません、こんな……」
「いえいえ」
他に冷蔵庫に入った弁当などなく、ひと目で手間を掛けさせてしまったのだと理解する。
由布子がひんやりした弁当と容器を取り出し、そっとさとりに手渡す。
「上でゆっくり食べてき。色々聞いてるけど、とにかく疲れたやろ。はい、ほうじ茶も」
「はい……ありがとうございます」
優しい言葉に、瞳が潤む。
さとりは顔を見られないように頭を下げて、そのままアトリウム二階の商談室へと向かった。
誰もいない商談室は、アトリウムの喧騒も遠くに聞こえるのみ。
自分の衣擦れの音だけを聞きながら、カーペットに腰を下ろした。
途端に足の疲れを強く自覚する。
『……』
それはきっと、隣の玉も同じだろう。
エアコンで良く冷やされた商談室は、休憩するのにありがたい。
「玉さん、お疲れ様です」
『うむ』
膝の上にお弁当を置くと、緋袴越しに冷たい感触がじわりと伝わってきた。
杏の入ったプラスチックの透明容器も、輪ゴムを解いてカーペットの上に置く。
昨日よりも多い。よく見るとペンで『地区本より+やゆよ』と書かれている。
きっと玉も満足してくれるだろう。
「いただきます」
小さく口にしてから、お弁当の蓋を開ける。
少し取りづらい冷えたご飯。何度か噛むと、じんわりと口の中に味が広がってゆく。
「……冷たい。けど美味しい」
あまり自覚はなかったが、体は食べ物を欲していたらしい。
自然と箸が動くような気がした。
「あ、飲み物……」
由布子が持たせてくれたほうじ茶を、口に含む。じわっと水分が身体に広がる感覚。
これも自覚はなかったが、足りていなかったのだろう。
すると、ぽたり、と緋袴の上に水滴がこぼれた。
「あれ……?」
汗だろうかと箸を置くと、頬を伝う感触があった。
「あ……あれ?」
それは、涙だった。
悲しいことなど、ないはずなのに。
お弁当を食べて、分けてもらった杏もあって、由布子がくれたほうじ茶を飲んで。
「うっ、ぐすっ……」
どうして泣いているのか自分でもわからない。
ただ、正体のわからない悲しい気持ちがあふれ出てくる。
わからない。
けど今は、泣きたい気持ちでいっぱいだった。
「う、うっ……」
誰もいない商談室。さとりのすすり泣く声だけがする。
『……』
玉は何も言わず、そっとさとりに寄り添った。
表情を見せない狐だったが、触れることのできないもどかしさを感じているようだった。




