第97話 C100夏 2日目 守ること
『中日朝こそ悪意のつけ入る時なり、巫女は入口にて人に憑く悪意を見抜くべし』
と、牛は言っていたのだが、不思議なことに一般入場で怪しい人間を見つけることができない。
「いないですね……」
『……』
不安になって玉に言ってみるが、返事はなくただ人の流れを見つめている。
さとりが配置された西1と西2に分かれる地点。
少々身長の低いさとりの視点ではあまり見通しは良くないのだが、異形たちが要所に散って見てくれている。
緊急時は玉へ連絡してくれるようだが。
「作戦変更、でしょうか」
「恐らくね」
サークル入場の時間帯に、かなり摘発することができた。その数十二人。
偽の通行証もあれば本物の通行証もあり、危険物を持ち込もうとするパターンもあれば手ぶらのパターンもあり。
コミマ準備会からすればさとりを頼るほかなく、さとりにしても玉をはじめ異形たちの補助が無いと回らないほどであった。
しかし、
「牛さんの言う『朝』は終わったんでしょうか」
開場してから一時間ほどは経っている。
まだ午前中ではあるが、昼と言えなくもない。
次は……
『昼こそ正面より入らざる埃あり。巫女は外を小者らと追うべし』
外。
恐らくトラックヤードを巡回した方が良いということになる。
正面より入らざる、ということは、別の場所からの侵入があるのかもしれない。
「……玉さんは、どう思いますか」
『いくらかここに残し、我らは見て回ろうぞ』
「わかりました。でも、ここで見るのはお昼まででいいですよ」
ずっとここに縛り付けておくのも忍びない。
彼らは遊びに来ている一般参加者のようなものなのだから。
「では、広域巡回をお願いしよう、深川さとりさん、気を付けて行っておいで」
「はい」
「杏は約束通り、地区本部の冷蔵庫にでも入れておくよ」
さとりの隣に立つ気配が、にわかに色めき立った。
『西2『い』のあたり』
「はいっ」
急がず、走らず。
スタッフは参加者の模範となるべく、振る舞いにも気を付けなければならない。
スタッフの帽子と腕章は会場内の参加者から常に見られている。
限界まで急ぎながら歩き、さとりの額に汗が浮かぶ。
「いましたね」
玉の教えてくれた場所。確かにその異形がいた。
サークルスペースの机から潜り込もうとするそれを、玉がくるりと体を回転させて蹴飛ばした。
「わあ……」
通路をごろごろ転がってゆく異形を見て、さとりは小さく声を上げた。
悪い異形とはいえ、痛そうではある。
『次は外じゃ』
すぐそこのシャッターからトラックヤードへと出る。
そしてその気配にすぐに気づいた。先ほどよりも強そうではあったが……
『ふっ!』
気合一閃。
玉の蹴りは再び綺麗に決まり、異形は会場の外……目の前の海の方へと飛んで行った。
『次は『け』と『こ』の間の通路』
「は、はいっ」
再びシャッターから西2ホールの中に入り、異形の気配を探る。
今までさとりはそんな風にしたことはなかったのだが、昼を前にしたコミマは通路を歩く人の密度も高く、視覚だけに頼れなくなってきていた。
九条が施した化粧の効果なのか、今日のさとりの感覚は研ぎ澄まされている。さとりはどこか不思議に思いながらも、今の自分を助けるこの感覚を自然に受け入れていた。
「あっちですね」
『……』
玉が黙って付き従ってくれているということは、間違っていないのだろう。
自信をもって、しかし急がず、走らず。
それは不自然なほど通路の真ん中に置かれた荷物。
だが、この場にいる誰も気にかけていない。
『……小賢しい』
「えっ?」
『目に留まらぬよう、呪が施されておる』
「そうなんですか?」
さとりにとっては特に違和感がなく見えている。
ただ周囲がなぜか気にしていないだけだ。
「どうすれば……」
『サトが見抜いた。もう呪は破られておる』
もう誰でも見えるということなので、近くを巡回していた西2のスタッフに声をかける。
「あの、あの荷物がしばらく通路にあるみたいなので、お願いできますか」
「えっ、あっ、本当だ! ありがとうございます」
『くけこ』の担当スタッフに無事に引き継げたことを確認し、胸をなでおろしていたが、玉は再び声を上げる。
『大広間、エスカレーターの裏』
「えっ、はいっ」
大広間、というのはきっとアトリウムのことだろう。
アトリウムの名前は覚えていなくても、エスカレーターは覚えているんだと妙に感心しながら急ぎ足で向かう。
いつの間にか企業ブースへの導線となっている長いエスカレーター。
確かにその裏と言える死角に、何か荷物が置かれている。
呪が施されているかはともかく、発見した後はスタッフに引き継ぐのみ。
「お疲れ様です、あの、持ち主のわからない荷物があって。あれなんですが……」
「え、ああ。わかりました」
声をかけられたスタッフは戸惑ったものの、現状の不審物対応の方針からすると見逃すわけにはいかない。
周囲の警備員と協力しながら荷物を確認してくれるようだ。
またも安堵する間もなく……
『次、西1『ぬ』のあたり』
「は、はいい……」
流れる汗をぬぐう暇もなく、前に大門がいた『にぬねの』のあたりへ急ぐ。
島の端にいたその異形はあまり強い気配もなく、玉が再びすぱんと蹴飛ばした。
「……あの、玉さん、別行動でも良いんじゃないでしょうか」
『サトの手が必要なものもあるだろう』
「そうなんですけど……」
『それに、昨日のようなことがあってはたまらぬ』
「あ……」
サークル参加者に突き飛ばされたことを気にしてくれている。
『次は外じゃ。西1外、坂の下』
一体どれだけ頑張れば良いのだろう。
そして、玉がいなければどうなっていたのだろう。
考える元気もなく、さとりは再び足を動かす。
以前巨牛と出会ったスロープ下を横目に、指示された場所へとたどり着きそうだったのだが……
『む、消えたようじゃの』
「えっ」
玉がぴくりと耳を動かし、歩く速度を落とす。
東へのおすすめルートとなっているゲート。
「あれは……」
その近くに、見たことのある人の姿があった。
コミマ参加者にしては高齢であることと、和服姿が少々浮いてるようで、行き交う参加者の一部から好奇の視線を向けられている。
「おお、お嬢さん。こんにちは」
「こ、こんにちは」
設営日に見た、九条の協力者のひとり。
年長者の余裕を感じさせる温和な笑みを浮かべているが、眼光は鋭い。
「あの、ここに……その」
「ああ、妙なもんが入ろうとしとったから、祓うたったわ」
「そ、そうですか」
右の手首に巻いた赤い紐を見せ、協力者だと見せる。
「お嬢さんは、さっきの『或れ』がここにおるってわかって来たんやねえ」
「あ、えっと……」
どこか剣呑な雰囲気を感じ、さとりは半歩後ろに下がる。
九条の協力者のはずだが、九条とは違う。
鋭い眼光がさとりを捉えて離さない。
「なあ、お嬢さん。あんた何モンや。うちのお嬢は詮索すな言うとるけど……その格好からするとどこかの神社の関係か?」
一歩、距離を詰められ、思わず後ろに下がる。
「隣に付いとる強いんはともかく、周りにおる小さい『或れ』はちょっと毛色が違うとるし、そもそも式使うんは領分やないやろ」
「えっ、と……」
上手く言葉が見つからない。
疲労感もあって頭も回らず、この事態に焦りばかりが募る。
その時、後ろから上ずった声が聞こえた。
「おっ、お疲れ!」
「あ、お疲れ様です」
振り返ると『らりる』ブロックの田橋がいた。
長く外にいるのか、疲労の色が濃く大汗をかいている。
「あ、えっと、田橋さん、ここの借受ですか」
「ああ、その、そうだよ。もう少しで終わりだけどな」
そう言ってタオルで顔をぬぐう。
去年小太郎もここで借受業務をしていたが、やはり同じように過酷なのだろう。
そうだ。今は九条の協力者のお爺さんが……
「あれ?」
振り返ると、お爺さんは姿を消していた。
不思議に思って、改めて田橋の方を見る。
「……その、困ってるように見えたからよ」
どうやら助けてくれたらしい。
田橋からは参加者に絡まれているように見えたのだろうか。
隣に玉、周囲に大小の異形がいる中、彼にとっては言葉をかけるのもひと苦労だったに違いない。
「あ、あの、大丈夫です。ありがとうございます」
「さっきの人なら、ホールに入って行ったぞ」
「そうですか……」
何だったのだろうか。
後で九条に聞いても良いかもしれないが、あくまで協力者。あまり波風を立てない方が良いだろうか。
「でも少し困ってて。ありがとうございました」
「いや、ああ、そうだ。リードさん見なかったか?」
改めて礼を伝えたのだが、意外な名前が出た。
「えっ? あ、エレンさんですか? 見てないですけど……」
周囲を見る余裕がなかったというのが本当のところだが、あの目立つ髪色は見かけていない。
「あの人、混雑対応の応援なんだが、さっき落とし物した人を追いかけてから戻ってきてなくて」
「そうなんですか」
落とし物を渡すだけならそんな時間はいらないはずだ。
確かにおかしいと首をかしげていると、
『サト、坂の裏。早く』
玉の気配が強くなり鋭い声が飛ぶ。
「えっ? あ、す、すみませんもう行きます」
「えっ、おい!」
田橋の声を背に、スロープの下へと急ぐ。
混雑のざわめきの中、不自然な声が耳に届く。
「どこ……」
感覚を研ぎ澄まし、出所を探る。
すると、午後からの宅配便搬出の資材……その裏から気配がする。
表に道路を通るトラックのエンジン音に混じって、
「んー、んー!」
「静かにしろよ」
穏やかでない声がした。
さとりが覗き込んだそこに、スタッフと思しき男ふたりに囲まれたエレンの姿があった。
乱暴に口をふさがれている。
「エレンさん!」
「何だお前!」
「何でもないからこっち来るな!!」
その瞬間、
「ひっ!」
さとりの心臓が、大きく跳ねる。
昨日のサークル参加者から突き飛ばされた光景が重なり、体が硬直する。
さとりに注意が向いた隙を突き、エレンが口に抑えられていた手を振りほどく。
「深川さん! 誰か呼んできて!」
「チッ!」
その声に反応した男が、硬直したままのさとりの腕を掴む。
「キャッ!」
痛い。
思わず上げた声も、運悪く通りがかった道路の車の音にかき消される。
ダメ。
怖い。
誰か。
『サト! 命じよ!』
その声に、はっと我に返る。
「あっ……」
相変わらず体は動かない。
しかし、小さな声だけは出た。
「……玉さん、お願いします」
辛うじて、口が動いた。
今できる限りの息を使って、声を上げた。
「エレンさんを、助けて!」




