第11話 C97冬 1日目 巡回しよう
「今日は目立った混雑はない。とはいえ、スタッフの基本は巡回や。小太郎、巡回ポイントは覚えてるか」
早めの昼食を取った小太郎とさとりは、ホール本部で由布子に次の指示を受けていた。
「非常動線として設定されている赤枠は立ち止まる人がいたら空けるようにお願いする。ごみは拾う、混雑が見られたら列整理や片側通行アナウンスで通行しやすいようにする。サークルのテーブルクロスは床につかないようにする、ポスタースタンドの高さはサークルの一番背の低い人が背伸びしないで届く高さ」
「……完璧すぎてつまらんなあ。ちょっとぐらいボケえや」
口をとがらせる由布子を見て、小太郎は小さくため息をつく。
関西人のノリというものらしい。横から見ている分には面白いと思うが、いざ自分に向くと戸惑ってしまうかもしれない。
「でも大事なこと忘れてるで」
「何だよ?」
「良さげな本があったらチェックしとく」
自信満々に言い切る由布子。
いわゆるボケなのかどうなのか、さとりには判断がつかない。
困ったように小太郎を見ると、無表情。
「行くぞ、サト」
「これはボケちゃうぞ! 担当してるサークルの頒布物を愛してこそのスタッフやぞ!」
力説する由布子の声を受け流し、小太郎は通路へ出る。
さとりはどうしたら良いか分からず、姉弟を交互に見る。
「こ、コタくん?」
「……こっち。余裕があるうちに教えておくから」
由布子を見ると、ニコニコと手を振っている。
彼女にとっては想定していた反応なのだろう。
さとりは小さく会釈をして、本部から出た。
人通りは多い。
神社の祭礼の日の通りに似ていると思ったが、先ほど小太郎から『祭りだ』と言われたばかりだった。
床が見えないほどではないのだが、その床にはちょろちょろと走り回る小さな異形がいる。
触れもしない彼らはもちろん踏んでしまってもすり抜けるのだが、本能的に避けようとしてしまう。
だからいつも視界に入っては気が散ってしまい、どうにも集中できない。
「うー……」
足元ばかり見ていても良くないとは思うが、朝のように転んでしまうことは避けたい。
前を見て歩かなければ危ないのだが……
「ああ、ごみが落ちているかもしれないからな。ちゃんとチェックして巡回するなんてさすがだな」
床に目をやるさとりを見て、小太郎が少し勘違いをしながらうなずいていた。
何も異形は走り回るだけではない。
サークルの本を覗き込んでいる異形もいれば、サークルスペースにそっと佇む異形もいる。
そしてその数は、午前中よりも明らかに多い。
「一気に増えた……」
「ん? ああ、島中のサークルは午後の方が混むもんだからな」
見えていない小太郎に言われて、そういえば人も多いと気が付いた。
列ができているような混雑はないが、少し歩きづらそうだ。
担当する『やゆよ』ブロックをひと通り見て回り、異常がないことを確認した。
「ちょっとアトリウムに出るか」
「うん」
西1ホールと2ホールに囲まれたアトリウム。
高い天井の開放的な空間だが、東地区から来た人と東地区に向かう人とがごった返していて非常に賑やかだった。
特に目を引くのが長い長いエスカレーター。
西2ホール側にあるそれには、多くの人が鈴なりになって乗り込んでいる。
「ああ、上は西3ホールと4ホールだ。企業ブースが配置されている」
「そうなんだ」
見上げるさとりを面白そうに見ていた小太郎だったが、すぐさま参加者に声をかけられた。
「すみません、トイレはどこかありますか」
「えっと、ここから近いのは……」
一番近いトイレはすぐそこにあるのだが、階段の影になって、少し案内しづらいかもしれない。
何か言いたげな小太郎に、さとりはうなずいて笑った。
「じゃあ、ちょっと案内してくる」
「うん」
「す、すみません」
小太郎を見送ると、改めてアトリウムの様子を見る。
企業ブースに向かう人が多いのだろう。エスカレーターの周りにたくさんの参加者が並んでいる。
壁際では休憩している人たちがいて、荷物の整理をしたり買ってきた本を早速開いたりしている。
(いる……)
その本を見ている人の後ろから、覗き込むようにして異形が群がっていた。
どうやら本の中身をじっと見ているようだ。
その隣では下に置かれた女の子のイラストが描かれた紙袋をじっと見ている者もいる。
敵意や害意は無さそうだ。彼らの視線は、好奇心や興味といった方がしっくりくる。
(オタクの異形?)
とにかく、ここで休んでいる参加者に悪い影響があるわけではなさそうだ。
なんとなく平和な光景だと思いながら眺めていると、強い声がかかった。
「ご覧の通り人通りが多いですので、座り込みはご遠慮ください」
振り返ると、澄ました顔の着物美人の姿があった。
『らりる』ブロックのブロック長、九条。
帽子と腕章がミスマッチだが、凛とした表情には有無を言わせぬ迫力がある。
腕章は安全ピンだが着物に留めても大丈夫なのだろうかといらぬ心配をする。
「すみませんけども」
一歩、九条が前に出る。
その迫力に押されて、休んでいた人たちが静かに立った。
(あ……)
後ろから見ていた異形たちの、寂しげな表情。いや、明瞭に表情が見えるわけではないのだが、どことなくそんな風に見えた。
当然この場にいる誰もそれに気づくことなく、それぞれが散り散りに立ち去っていく。
言葉なく立ち尽くすさとりの方を、九条がちらりと見る。
「ああやって座り込んではる人にはなあ、悪いもんがまとわりつくんよ」
「悪いもの?」
「悪いもんや」
そんな風には見えなかったのだが。
彼らの興味は人そのものではなく、本やイラストの方に向いていた。さらに言えば、害するような意思もなさそうで、純粋に見て楽しんでいただけのように思える。
そもそも、九条にはあれが見えていたのだろうか。
この人は朝、足元にいた異形を蹴飛ばしていた。
あれが偶然ではなく、見えていたとしたら。
「あ、あの」
「アトリウムの座り込みは、あんまりやかましく言わへんけど、混んでるときは適度に散らしてや」
九条はそれだけ言うとホールの中へと戻って行った。
「サト、どうかしたか?」
戻ってきた小太郎にそう聞かれたが、何でもないと笑ってごまかす。
さとりはまだ自分の中で整理がつかないでいた。
自分のブロックに戻って、また巡回をする。
目立った混雑もなく見て回るだけなのだが、それが大事らしい。
同じブロックのスタッフ、柳や蔵前ともすれ違いながら「お疲れ様です」と声を掛け合う。
「歩き回ってるだけなんだね」
「まあ、今日はそういう日だな」
ジャンルによって、混雑具合が違うらしい。
特に今日の西1ホールは一部の壁サークルを覗いて、大勢の人が押し掛けるようなことはないらしい。
通路をうろつく異形にも慣れてきた。
九条は『悪いもの』と言ったが、さとりはそうは思えない。
もっとも、こちらから進んで近づこうとも思わないが。
「おっ、ふたりともお疲れー」
ホール本部に戻ると、由布子がねぎらった。
あまり混雑しない日のためか、本部内の雰囲気は柔らかい。
違うブロックのスタッフも笑顔で「お疲れ」と迎えてくれる。
「お疲れ様」
「お、お疲れ様です」
スタッフの挨拶は「お疲れ様」が基本らしい。
さとりはまだ慣れないが、不思議な一体感のような心地よさを感じる。
「どない? ってまあ、今日は巡回だけやけど」
「異常なし」
「ん。何よりや」
満足そうにうなずく由布子。
ブロック長としては何事もないことが一番だという。
「なんか困ったことは無かった?」
困ったこととは少し違うが、さとりに思い浮かぶことがあった。
隣のらりるブロック長の九条のことだ。
「あの……座り込んでいる人には、どうしたら良いですか」
「座り込んでる人? んー、せやなあ」
由布子は少し声を小さくしながらさとりと小太郎に笑いかけた。
「正直なところ、統一した対応方法はないんよ。スタッフ各個人の判断に任されとってな」
由布子によると、ホールの中で一律に座り込みを排除する人もいれば、邪魔になっていなければ良いと判断するスタッフもいる。
アトリウムは黙認される傾向もあるが、先ほどの九条のように混雑の度合いによっては座り込みをやめてもらう場合もあるという。一致しているのはトラックヤードではご自由に、という点ぐらいらしい。
「本読んだり眠りこけられると困るけど、荷物整理ぐらいなら黙認したらんとなあ……言うて消防の人らが視察に来たら立ってもらうんやけど」
「消防の人、ですか」
「あの人らはイベントを中止させる権限があるからな。もし『こんなに座り込んでる人がおったら緊急時に対応でけへんやろ』と判断されてもうたら、中止命令が出るかもしれんのよ」
「中止命令……」
十万人を超えるイベントであっても、そんなことが可能なのだという。
その話を聞くと、先ほどの九条の行動も当然のことのように思えてくる。
「頒布物にも気を遣わなあかん、参加者の安全も確保せなあかん。案外綱渡りなイベントなんや……ん?」
笑顔の由布子だったが、不意に真顔になって遠くを見る。本部から対角線上に当たる部分。そこで何か騒ぎが起きているようだ。
つられるようにそちらを向いたさとりは、言葉を失った。
「何かあったのか?」
「分からん。無線にも何も入ってへんし……とりあえずふたりは自分のブロックの巡回続けといて」
騒ぎはすぐに収束したようだ。
だがどこか不安げなざわめきは残っている。
スタッフ全員の携帯が震え、警戒レベルが上がったことを知らせる。
そんな中さとりは、その一角から目を離せないでいた。
「サト?」
「……」
意思のある黒い影が、ホールの角を飛び回るのを『みた』。




