第94話 C100夏 2日目 杏の約束
ブロック別の朝礼をさらっと終えると、由布子は改めてさとりに言った。
「さとりちゃんは、今日もまた地区に行ってもらうって聞いとる。でも、さとりちゃんは『やゆよ』ブロックの所属やから。休憩がてらいつでも戻ってきてな。シウマイ弁当も絶対死守するし」
最後の言葉に、隣に立つ玉がぴくりと反応した。
玉にとってのコミマは、好物の杏……正確には、シウマイ弁当に入っている杏にありつける場所であり、そのために力を尽くせる場所のようだ。
「あっ、ありがとうございます。でも、大丈夫なんですか? そんなに『やゆよ』ばかりシウマイ弁当取ってしまって……」
普通は種類が偏らないように、ブロックでも四種類ぐらいのお弁当が割り振られているはずだ。
「大丈夫」
「大塚さん」
低い声のした方を見ると、大塚が優しく笑ってこちらを見ている。
「私が確保しよう。ホール長というのは、シウマイ弁当を確保する権限がある」
「そうなんですね」
ありがたい言葉に素直にうなずいたが、大塚は笑顔のまま微妙に表情が硬くなった。
何かあったのかとちらりと由布子を見ると、ふっと息をついて笑う。
「さとりちゃん、今の大塚さんの冗談やで。多分」
「えっ、そうなんですか? す、すみません」
「ふふ、いや。深川さんにはそのままでいてほしいね」
「せやな。それは思うわ」
今日は大塚に連れられず、ひとりでアトリウムへ向かう。受けてくれる地区のスタッフは、昨日と同じとのこと。
「やあ、深川さとりさん、おはよう」
「田尾手さん、おはようございます」
田尾手は少し驚いた表情を見せ、まじまじとさとりを観察する。
何かあったかと困惑するさとりだったが、九条に施してもらった化粧のことを思い出した。
「今日は一段と……ああ、拝み屋の彼女か」
「あっ、はい」
何も言っていないのに見抜かれた。
やはり九条と同系統の美人系メイクなのだろうか。
更衣室以来鏡を見ていないので、自分の顔がどうなっているのかわからない。
「心強いね」
田尾手はそう笑うが、よくわからない。
中身はいつものさとりであることは自分が一番わかっている。
「玉も、そう思うだろう?」
『……』
相変わらず愛想のない玉。田尾手のことは一切無視してさとりの方を見ている。
田尾手は特に気にした様子もない。
「昨日は大変だったね」
「えっと、はい」
「あれはこちらで処理しているから、深川さとりさんは気にしなくて良い」
「そう、なんですか?」
多分昨日の閉会後のトラブルのことだと思うが、田尾手も知っているようだ。
とはいえ、警察も来ていたし、地区はホールを統括する立場だから知っていても不思議ではない。
田尾手は「さて」と話題を切り替える。
「今日は入場ピークを過ぎても、昼までは入口の監視をしてもらおうと思っている」
「そう、ですね。その後は正面から入らない人を、でしたね」
「ああ。午前中の入口に関しては、地区からも君のサポートを増員する予定だからね」
改めて、牛の言葉を思い出す。
『中日朝こそ悪意のつけ入る時なり、巫女は入口にて人に憑く悪意を見抜くべし』
中日はまさに2日目の今日、入口とは各ホールの入口となるアトリウムで良いと思う。
つまりはアトリウムでの入場監視……昨日と同じだ。そして、
『昼こそ正面より入らざる埃あり。巫女は外を小者らと追うべし』
これは、言葉通りに受け取るなら、正面以外を、異形たちと共に見て回れということだ。
これは、自分だけでできる気がしない。
隣に立つ玉は、相変わらず言葉少なくただ立っている。
彼女とのコミュニケーションは必要不可欠となるだろう。
「あの、田尾手さん、お願いがあって」
「おや、珍しい。できることなら何でも」
「あの、お昼のお弁当……シウマイ弁当なんですけど」
ぴくりと玉の耳が動いた。
田尾手は突然の申し出に首を傾げる。
「うん? お弁当はブロックで用意されると思うけど」
「あ、えっと、違って、その、シウマイ弁当の杏を、分けていただきたくて」
「杏? 杏って、あの真ん中に大きな種が入っている?」
その言葉で、田尾手がシウマイ弁当を今まで食べたことがないことがわかった。
食べたことはなくても見たことぐらいはありそうだが。
「田尾手さん、シウマイ弁当を食べたことないんですか」
「ああ。いつもハンバーグ弁当だからね」
中高生の男子のようなことを言う。
落ち着いた大人に見える見た目とのギャップが、どこか可笑しい。
「ふふ、あ、えっと……干しているのか漬けているのかわからないですけど、シウマイ弁当に、甘い杏がひとつ入っているんです。それがあったら、きっと、もっと頑張れるんじゃないかって」
玉が。
とは言わない方が良いような気がして黙っておいた。もしかしたら見抜いているのかもしれないが。
横目に見える玉は、言葉こそ発してはいないが、目を見開いて田尾手の答えを待っている。
「ふーん、杏ね。ああ、わかった。杏だけで良いのかい?」
田尾手の言葉にうなずいた。
シウマイをもらっても、少食のさとりには食べ切れない。玉も不思議とシウマイは欲しがらない。
「よし、じゃあ地区本部に割り当てられたシウマイ弁当の杏をすべて君にあげよう」
思いがけない言葉に、玉がびくりと反応した。
すべて?
「まあ、割り当てられる数はそんなに多くないはずだから、あまり期待しないで。でも、できることなら何でもって約束したからね」
約束までした覚えはないが、ともかく杏は分けてくれるようだ。
『やゆよ』ブロックでも確保してくれると言っていたし、今日さとりのもとに(正確には玉のもとにだが)一体いくつ杏が集まるのだろう。
きっと玉も協力を惜しまないはずだ。
「その代わり、全力で頑張ろう」
「はい」
そう、地区からの杏を得るためには、しっかり働かなくてはならない。
牛からの言葉を預かった、自分の使命なのだから。
「そういえば、お酒も持ってきてくれたんだろう?」
「はい。控室に置いてます。あの、昨日振舞えずに……」
「気にしない気にしない。約束通り場所は作ってある。トラックヤードのテント裏だよ。閉会後に供えるといい」
コミマの朝に一升瓶を持ってくるのはなかなか大変なのだが、協力してくれる異形に報いる方法を他に知らないので仕方がない。
前の冬コミを思い出すと、明らかに喜んでくれている様子がわかるので、お酒が歓迎されているのは確かだ。
「彼らとの付き合い方がわかってきたね」
「いえ、まだそんなには」
コミュニケーションは玉に頼りきりだし、彼らの声も聞こえない。
付き合い方など手探りで、ほとんどわからない。
「そうかな。でも彼らは」
「お疲れ様ー」
田尾手が何か言おうとした時、ちょうど呼ぶ声に遮られてしまった。
「ああ、来た来た。今日一緒に動いてくれる地区のスタッフだ。初めての顔もいるだろうから、あっちで紹介しよう」
地区本部のスタッフのようだ。
サークル入口のために置かれた机のあたりが集合場所らしく、田尾手はそちらへ足を向ける。
田尾手が何を言いかけたのか気になったが、どこかもう言ってくれそうにないと感じる。
「うん、どうかしたかい?」
足が止まっていたさとりに、田尾手が振り返る。
「その、あなたは……」
何者なのか。
聞いて良いことなのか、悪いことなのか。
聞くべきか、聞かないでおくべきか。
考えていると言葉が続かない。
そんなさとりを見て、田尾手は口角を上げる。
「設営日にも言ったと思うけど、ただのスタッフだよ。この場所ではね。深川さんもそうだろう?」
「はい」
グレーゾーンにしておいた方が良いこと、なのだろう。
第一、田尾手が何者であろうと、ここにいるのは西南地区本部のスタッフと、西1ホール『やゆよ』ブロックのスタッフ。ただそれだけだ。
「コミマの継続に力を尽くす、ただのスタッフさ」
ただ、田尾手の最後の言葉だけは、紛れもない本当のことなのだろうと思えた。




