閑話 心配する西1スタッフたち
まだやまない雨も相まって、重い雰囲気が立ち込める西1ホール本部。
2日目の事前作業もほぼ終わり、今は印刷所の搬入を見守る時間帯になっている。
いつもより多くのスタッフがホールに出ているが、それは本部の一角に集まる面々の雰囲気も一因だろう。
珍しく沈んだ表情の由布子と、いつもに増して険しい表情の九条が本部に姿を現した。
「さとりちゃんは」
ポエが立ち上がり、由布子に問いかける。
「とりあえず、コタに送らせた」
必要最低限の返事をして、ため息とともに椅子に座る。
九条は無言で少し離れた椅子に座った。
ムードメーカーでもある由布子が沈んでいると、本部全体に暗い影が差しているようだ。
「……明日、大丈夫かしら」
ポエの言葉に、力なく首を振る。
「無理はせんでもええて言うたけど、来るやろなあ。責任感の強い子やから」
「そうね」
スタッフにしては珍しく自己主張の弱い女の子。
だが、任された役目を懸命に果たそうとする姿は、ホールの誰もが目にしていた。
由布子の言葉に疑問を持つ者は誰もいない。
それだけに、先ほどサークル参加者からさとりが受けた暴力行為に、やるせない思いを抱えていた。
「もう少し早く、私が着いていれば」
「私も……」
比較的近くにいた大門とポエが、さとりに注意を払っていなかったことを悔いる。
しかし、由布子が素早くそれを制止した。
「ストップストップ。ふたりとも。たらればなんか意味ないで。それを言うんやったら巡回手薄にした私が一番悪い。ついでに隣のブロックの九条も悪い」
それを聞いた九条はムッとするが、強い否定はできずに視線を落とした。
「なんでわてまで……とは、言えまへんな。大門はん、この点に限っては歌島はんの言う通りですえ。起こってしもうたことをなんぼ悔いても意味はあらしまへんえ」
起きてしまったことは仕方がない。
次のこと……あと二日残っているコミマのことを考えなければならない。
「……わかりました」
大門がそう返事をすると、ポエも同意と言わんばかりにうなずいた。
「でも、大丈夫……じゃないのよね」
「身体的な怪我はないと思いますが、心理的には……」
「そら実際に暴力を受けたんやもんな。あの子、まだ十八の女の子やで」
「……」
ポエが右手を強く握る。怒っている気配がした。
由布子はそっとポエの手に自分の手を重ね、努めて静かな声で声をかける。
「ポエ、落ち着き」
「……ええ」
お互いの体温を感じながら、少し落ち着きを取り戻す。
今怒りを燃やしたところで、それをぶつける相手もいない。
ただ本部の雰囲気が悪くなるだけだ。
「でも深川はんは、這うてでも来ると思う」
その言葉に、その場にいる全員が九条に注目する。
「あの子は、全力でコミマを守ろうとしとる」
大門が「その通りですね」と同意する。
さとりが地区に引っ張られ、西1西2両方を回っていることはここにいる全員が認識していた。
見かけるたびに一生懸命に気を張り、注意を払っていた。
「ふふ、九条さんがそこまで言うのって珍しい気がするわね」
ポエの言葉に、何人かがうなずいた。
このクールなブロック長は、めったに他人の評価をしない。
「九条さんもさとりちゃんが好きなのね」
「好きか嫌いかで言うたらまあ……」
「まあ、何かしら?」
柔らかい笑顔を浮かべ、九条に問いかける。
しかし、由布子が席を立つ。
「ポエ。そのへんにしとき」
「はあい」
あまり茶化して良い雰囲気でもない。
このあたりのブレーキの掛け方が、九条と由布子の理解し合っている部分のように思える。
だからこそ、ポエも大人しく引き下がった。
「『守る』ということは、本当に難しいですね」
大門の言葉は、独り言だったのかもしれない。だが本部の一角の全員の耳に届くには十分だった。
『守る』
スタッフはこの場所の継続のために、参加者全員を守らなければならない。
そしてそこには、当然スタッフも含まれている。
さとりを守り切れなかった自責の念は、しばらく大門も引きずってしまうだろう。
「本職の言葉は重たいなあ」
由布子が少し肩の力を抜いた風に言う。
それにつられてか、大門も少し力みが抜けたようだ。
「コミマスタッフは本職と違ってかなりアクティブですが」
「そらそうか。認識のされ方もちゃいますもんね」
由布子もたまに、統制の取れていない混雑を見て整理できるかどうかを考えることがある。
しかし、コミマという場所は一般参加者はお客様ではないという意識が根底にある人が多く、それゆえに少ないスタッフでもどうにか統率が取れている部分はある。
同じ数の「お客様」を相手に、コミマのような秩序が保てるとは思えなかった。
「この場所は、スタッフと他の参加者との間に、心を通わせることができますからね」
「心を、通わせる……そうね」
ポエも同意する。
自分の担当ブロックのサークルと積極的にコミュニケーションを取っていることは知っているが、一般参加に対してもそうなのだろうか。
コミマという共通認識の場所。
オタクという同族意識。
ここに集う全員が、仲間である。
他に類を見ない、特異な場所のように思える。
とはいえ、やはりスタッフの同じホールで、回数を重ねているのであればなおのこと強い絆を感じる。
コミマを守る。
そして、深川さとりを守る。
「ともかく、もう絶対こんなことは起こさせへん」
「そうですね」
目を閉じる九条の言葉に、大門が静かに同意する。
言葉にせずとも、ここにいる西1スタッフの全員が同じ思いであった。
「九条、私らがさとりちゃんにしてあげられることは、何かあるんやろか」
「……」
由布子が九条に話を振ったのには理由がある。
口にしたことはなかったが、ある意味でさとりの一番の理解者なのだから。
彼女たちは同じ秘密を共有していた。
悔しいことに、自分には打ち明けてもらえなかった話だ。
どうやら小太郎も知っていたようだが、あまり深くは話をしていない。
九条は口に手を当てて、静かに目を開く。
「……せめて、あの子が帰ってこられる場所でおりまひょ」
悔しいが、直接してあげられることは少ない。
「それはうちの『やゆよ』ブロックの役目やな」
帰ってきたさとりを優しく出迎える。
それは直接同じブロックで深川さとりを預かる自分の役目。
由布子は自信を持って口にしたが、
「いや、わての『らりる』もや」
九条が異議を唱える。
「じゃあ、ご近所の『むめも』もそうね!」
配置としては少し離れているのだが、ポエも同じように名乗り出た。
お互いに顔を見合わせて、ふっと笑う。
取り合いをする意味はない。
深川さとりが戻って来るのは、この西1ホールなのだから。
「さとりちゃんが帰ってきてがっかりせんように、私らは私らのブロックを、西1を守らんとな」
「今はそれしかないわね」
いつの間にかホール本部は前向きな空気になっていた。
もうすぐ始まるブロック長会議で、反省点を上げて話し合おう。
より安全に、コミマを開催するために。




