第90話 C100夏 1日目 天神様のご加護
参加者の少ないコミマになりそうだったが、これほどとは思わなかった。
歩きやすい外周通路を歩き、多賀谷シャッターをくぐって西1ホールに戻ってきたさとりは『に』ブロックの周囲を確認する。
会場内の人たちはそれぞれに楽しそうにしているが、やはり人数が少ない。まだ昼前だが、いつもの閉会前に近いような人通りだった。
「やあ、お疲れ様。深川さとりさん」
「田尾手さん」
「玉もお疲れ様」
『……』
田尾手は親しげに声をかけるが、玉は視線で答えるのみ。
そんな玉に困った表情を見せるが、どこかわざとらしい。
「嫌われてしまったかな」
『元より相容れぬじゃろう』
「それはそうだ」
「だけど、この場所なら仲良くできると思わないかい」
『……』
相変わらず玉は必要以上に言葉を返さないが、普通に会話できている。
以前田尾手は玉のことを綺麗な狐だと言っていた。九条とはまた違う『みえ方』なのだろう。
「ああ、残念ながら今日は壁面投影は中止になっているよ」
「そうなんですか……残念です」
投影の機械が水に濡れると壊れてしまうからだろう。
そもそもこの天候で、屋根があるとはいえ好んで外に出る人はいない。
普通の雨ならしのげるが、強風の中では屋根も意味をなさない。
「1日目に台風だなんて、ついてない……と思うかい?」
「サークルさんを思うと、そうですね」
参加者が少ないと、頒布も振るわないだろう。
そもそも欠席のサークルも多い。一般参加から見ても、物足りないコミマになっているだろう。
そして、異形も投影が見られず残念がっているかもしれない。
彼らにそんな感情があるかどうかはわからないが、楽しんでくれていたとは思うので気にはなる。
「これは天神様のご加護」
「えっ」
田尾手の言葉に思わず声が出た。
毎日天神様に願っていた自分のことを知られているのかと思ってしまう。
「あの牛もそう言っていただろう」
そういえば、前回の冬コミの最終日、牛の言葉を共に聞いたのだった。
「神仏に願うということは、そういうことなんだよ」
静かにそう口にする田尾手。
外の嵐が天神様の、もしかしたら自分が願った結果なのかと思うと手放しで喜べない。
記念回なのに楽しみ切れない参加者を思うと、つらい気持ちになる。
「そんな顔をしない。天神様が見てくれていると考えれば心強いだろう」
「それは、そうかもしれませんが」
「これまであちら側は火の気を使うことが多かったからね。この天気ならそういったこともできないだろう」
ポエも対応した爆竹、持ち込まれようとした花火。
言われてみればそうかもしれない。火伏の愛宕神社にお参りするべきだっただろうか。
今更後悔しても仕方ない。それに、自分は天満宮の子、ここは深川天神の氏子地域だ。
「少なくとも、今日何も起こらなければあの牛の予言の通り事が運んでいるということだ。明日の神輿も、上手く話せたんだろう?」
「はい。近くを通るルートにしてもらえました」
明日予定されている例大祭の神輿。
元々は豊洲あたりまでだったのだが、ルートを少し延長してビッグサイトのすぐそこまで来てもらえるようになった。
「すごいすごい。なかなか大変だっただろう」
「そうですね。どうしても高架をくぐらないといけないので」
神輿というのは神様の乗り物だ。
その上を遮ることは避けなければならない。
もし高架下をくぐる場合は、特別な配慮が必要になる。それもあって、豊洲までのルートだったようなのだが。
「高架に『雲』の紙を貼った?」
「それもやったんですけど、今日の天気もあって、急遽雲役を作ったみたいで」
「雲役?」
「棒に雲の絵をくっつけて、お神輿の横に付くんです」
「ふふっ、面白いなあ」
「横から見ている分には、そうかもしれませんね」
神様を騙せるとは思えないが、形式が大事なのだろうと思う。
そういった手間を取らせてしまったが、ともかく明日、神輿はビッグサイトの鬼門を守る。
牛の言葉をひとつひとつ積み重ねて、今回のコミマに臨んでいる。
「それじゃあ戻るよ。巡回よろしくね。西2がまだゴタゴタしていてね。幹部をごっそり抜き取ったから仕方ないとはいえ」
そう言って「ふー」と息を吐く田尾手。
彼は彼でコミマのために骨を折っているようだ。
「自分たちの役割を、しっかり果たそう」
「はい」
得体の知れない田尾手だが、目的は一致している。
さとりがはっきりうなずくと、満足そうに笑うのだった。
『よ』ブロックのあたりに差し掛かると、不穏な気配を感じ取った。
横にいる玉も警戒感をあらわにしている。
どうやら良くないものが入り込んでいるらしい。
「……あそこ」
人が少ないこともあって、その発生源はすぐにわかった。
女性のサークル参加者に話しかけている男性。
その背中に少し大きい黒い蛇が乗っているように見えた。あれは、良くないものだ。
「玉さん、合図をしたらお願いできますか」
『良かろう』
力強い玉の声を聞いて、よし、と小さく気合を入れる。
近づくと、その女性の困っている表情が見て取れた。
勇気を出し、割り込むようにして話しかける。
「あの、すみません」
「はい。あっ、スタッフさん」
話しかけたはいいが、どうしたら良いだろうか。
会話が途切れるのも不自然なので、思考をフル回転させて声を出す。
「えっと、ちょっとお聞きしたいことがあって」
「はい、なんでしょうか」
ちらりと隣の男を見ると、会話を邪魔されたせいか不満そうにしている。
「……」
半歩引いているが、こちらの様子を伺う気配がする。
「あ、朝の受付の時なんですけど」
まだごまかさないといけない。
サークルの女性は思い当たることがないのか怪訝な表情をする。
「何か不備がありましたか」
「大きな声で言えないんですが……」
そっとサークルの女性に顔を近づけ、小さな声で話しかける。
(えっと、お困りではないですか)
「えっ、あの、はい」
サークルの女性は驚いたように声を上げ、さとりの言葉を肯定する。
助けに来たとわかったのか、その瞳がわずかに潤んだ。
「やっぱりそうでしたか。じゃあ、えっと、あの、一度本部に行っていただいてもいいですし、それかあの、ブロック長を呼ぶのでそれまで待っていただくか」
そこまで言ったとき、わずかに男が動揺した様子が見えた。
玉をちらりと見て、合図を送る。
『……!』
間髪を入れず、大きく飛び上がって男の背に憑いている蛇を蹴飛ばした。
水平に近い角度で蹴りが入ったのか、男から離れた蛇はゴロゴロと床を転がっていった。
「スタッフさん?」
つい目で行方を追ってしまっていたさとりは、サークルの女性の呼びかけではっと我に返った。
「あっ、あのそういうわけなので、えっと……」
ちらりと男の方を見ると、不満そうな気配はいつの間にか消えているようだった。
「いえ。私もこれで」
落ち着いた返事でそう言うと、アトリウムの方へと消えていった。
「はあ……」
サークル参加者に聞こえないよう、小さくため息をついた。
同時に緊張から解放され、全身の力が抜けていく。
少し怖かった。
でも、どうにか自分の役割を果たせたんじゃないかと思う。
まだ少し高鳴る鼓動を感じていると、急に手を取られた。
「あっ、ありがとうございました!」
「えっ」
今にも泣きそうな表情のサークルの女性が、さとりの両手を包み込むようにしていた。
「ずっと話しかけられて、困ってたんです」
「あの、よっ、良かったです」
直接的には良くないものを祓ってくれた玉のお陰なのだが、勇気を出して会話に割り込んだことも役に立てたと感じる。
あの男性が再び戻ってくるかもしれないことは心配だが。
「あの、また戻って来たら、何か理由をつけて本部に来てください」
「本部に?」
「はい。本部で『よ』ブロックのサークルです。ブロック長をって言ってもらえれば、責任者がお話を聞きますから」
「そうなんですか。わかりました」
由布子ならきっと上手く対処してくれるだろう。
対応方法を教えてもらったサークルの女性は、ようやく安心したように笑顔を見せた。




