第89話 C100夏 1日目 雨の開場
アトリウムを見渡せる位置に立つということは、見つけられやすいということでもある。
ことコスプレ……でもないのだが、巫女装束をまとったスタッフというのも珍しく、時折視線を感じることもある。
しばらく玉と共にサークル入場を見つめていたが、今日は怪しい雰囲気の入場者はいない。
そんな中、やはり見つけてくれた知り合いに声をかけられる。
「やあ、深川さん」
「ミーシャさん」
秋葉原管弦楽団で一緒にスタッフをしたミーシャだった。フリフリしたこれまた目立つ衣装である。
何か動物のものらしき耳がついているが、何かのキャラクターだろうか。
「今日はコスプレですか?」
「コスプレだよ。ちゃんと更衣室で着替えるやつ」
ミーシャによると『獣っ娘パーティー』というゲームのキャラらしい。馬を擬人化した馬娘なんだそうだ。よくわからない動物の耳は馬の耳だったようだ。
「この衣装の質感は、あんまり普段着にできないね」
「そうなんですか」
あまり違いがわかっていないさとりだが、ミーシャが言うのならそういうものなのだろうと不思議な納得をする。
「今日は東で売り子でね。深川さんがこっちでスタッフやってるって聞いて探しに来たんだ」
「えっ、わざわざありがとうございます」
「すぐわかったよー、その格好目立つね」
誰に聞いたのか気にはなったが、共通の知り合いでコミマ関連となると、きっと蔵前だろう。
残念ながら彼は西1ホールへの復帰は叶わず、西2ホールで色々やっているらしい。
「そういえばまた秋に演奏会あるけど、出る?」
「演奏会ですか。まだちょっとわからないです」
楽しい空間であることは間違いないのだが、あの演奏……といって良いのか、神楽鈴を鳴らした体験は、今でも時折思い出しては恥ずかしさに身悶えする。
楽団の人たちは肯定的だったが。
「そうなんだ。やっぱ忙しい?」
「いえ、受験が」
「んっ!?」
食べ物を喉に詰まらせたような声がした。
どこからだろうと思ったが、ミーシャがすごい表情をしている。
「やば、そうだった。忘れてた。そうだよね。演奏会スタッフしてる場合じゃないよね」
ひとり慌てるミーシャ。
そこまで厳しい志望校ではないので、毎日欠かさずの勉強漬けをするつもりもない。
「でも一日ぐらいなら。場所どこでしたっけ」
「葛飾。青砥だっけ」
「青砥……」
行ったことのない地域だ。駅の名前は認識しているが、通り過ぎたことがあるかどうかも覚えていない。
「まあスタッフだから出欠は直前でもいいだろうし。それよりしっかり勉強してね」
「はい。ありがとうございます」
気遣ってくれるミーシャに感謝しながら頷いた。
「個人的にはまた一緒に演奏会スタッフやりたいけどね」
「それ断りにくいじゃないですか」
「あはは」
ミーシャがけらけらと笑う。
コミマとはまた違う演奏会スタッフは、さとりとしてもまたやってみたい。できることなら、またミーシャと一緒に。
そのミーシャはさとりをしげしげと見て、笑顔のまま腕組みをする。
「うん、やっぱ深川さんはその格好が良いね」
「そうですか?」
「うん。初めて会った時の私服姿とは別人みたい」
「『プラス』ですから」
そうだ。これもミーシャが教えてくれたこと。少しだけ自信を持って、少しだけ背筋が伸びる。
その少しが、コミマにいる自分をしっかり支えてくれている気がする。
ミーシャは一瞬驚いたように目を丸くし、すぐににっこり笑った。
「『プラス』だよね」
ミーシャとの会話の最中も玉が入場を見てくれていたが、今のところ怪しい人や異形はいなさそうだ。
東へと戻るミーシャの後姿を見送り、また入場の様子に目をやる。
悪天候が大きく影響しているのだろう。サークル入場者が明らかに少ないが、もうすぐ開場時間を迎える。
一般入場の先頭がアトリウムまで移動してきた。
風雨がまた強くなった気がしたが、入場を待っているであろう一般参加者はどんな状態なのだろう。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
地区本部の男性スタッフが様子を見に来てくれた。
「一般入場の比率は東の方が倍以上らしい。と言ってもいつもよりかなり少ないんだけど」
「そうなんですね」
「入場の最初のピークが過ぎたら、開放して西地区の巡回にと聞いているんで、そのようにお願いします」
「わかりました」
西地区というのは西1ホールと西2ホールのことだろう。
どこかで『やゆよ』ブロックの様子も見に行きたいが、そんな時間はあるだろうか。
『ただいまより、コミックマート100夏、1日目を開催いたします!』
「じゃあ、頑張ろう」
「はい」
アトリウムに充満する参加者から大きな拍手が起こり、そしてすぐに移動が始まる。
大雨を越えて来た一般参加者の太い列は西1と西2に分かれ、それぞれのホールへと吸い込まれてゆく。時折横に退いて雨合羽を仕舞ったりする。やはり悪天候での参加は大変そうだ。
階段からその様子を見ながら、異常がないかじっと目を凝らす。
「今日は怪しい人はいないみたいですね」
「何よりだね」
横に立つ玉にも確認の視線を送るが、ゆっくりとうなずいて見せてくれた。
「ピークは過ぎたと思っていいかな」
思ったより早い。やはり今日は一般参加者も少なめのようだ。
「じゃあ、巡回に入ります」
「了解。ありがとう」
地区本部の男性スタッフは、丁寧に頭を下げた。
ひとつ業務を終えられたが、まだコミマは始まったばかり。安心はできない。
あまり気は進まないが、西2を先に見ておいた方が良いだろう。密度が低くなった入場列に交じって西2ホールへと入る。
「今日は大丈夫、なんでしょうか」
『……』
玉に問うが、返事はない。
きっと玉にもわからないのだろう。
そう思っていると、視界の端にポーンと飛ぶ異形が見えた。
「あれは」
なんとなく見覚えのある光景。
あれは確か、九条が……
足を向けた先には、少々場違いな老人の姿。
向こうのさとりの姿を認めると、人の良い笑顔を向ける。
「おっ、お嬢さん。こんにちは」
「あ、はい。こんにちは。えっと、九条さんの」
「そうそう。覚えててくれたんやねえ……と、そちらは」
と、視線を向ける先。
そこには玉しかいないのだが、何か感じているのだろうか。
「えっと、協力してくれている……」
「協力!」
ずいずいと近づくと、玉の方へ顔を近づける。
このお爺さんには、一体どう見えているのだろう。九条と同じなら黒いもやにしか見えていないはずだが。
「ほー、へー、協力……」
『……』
あきらかに嫌そうな顔の玉。
その玉が一瞬気配を強めると、お爺さんは数歩後ろに引き下がった。
通路にいた小さな異形もまたさっと逃げ出すのが見えた。
「おっと。気い悪うしてしもたかな。いやいや、動じひんお嬢さんも底が知れんなあ」
愉快そうに笑う。
「ほんで、わしに何か用かい?」
「あ、いえ、さっき飛んでいく……その」
「ああ『或れ』か」
飛んで行った方を見ている。
思った通りこの人の仕業だったのだろう。
「九条さんもそうでしたけど、蹴るんですね」
「ああ、せやな。殴るんもできるけど、手え痛いねん。それに足の力は腕より何倍か強いて言うやろ」
「そ、そうなんですね。でも、近寄らないとダメなんですね」
「危ないのんとか飛んでるのんにも、まあそれはそれで方法はあるけど、お嬢さんは興味あるんかな?」
ニヤリと笑う老人は、それまでとは違う雰囲気を見せた。
さとりの知らない世界を見てきた人間の、底知れぬ空気。
隣の玉が警戒を露にする。
「あ、いえ」
さとりが努めて冷静に首を振ると、老人の剣呑な雰囲気は引いていった。
「嘘や嘘や。気軽に教えたらあかんねん。堪忍な。それにお嬢にまたどやされる」
「それは、怖いですね」
「せやろ」
その時、玉が目にもとまらぬ速さで動き、小さな異形を蹴飛ばした。
「おっ」
お爺さんが感嘆の声を上げる。
仕事を終えた玉は、無言でさとりの傍へと戻る。
「ほほっ、やりよるなあ」
「あの、蹴飛ばしただけで、大丈夫なんでしょうか」
「うん? そか。知らんか。蹴飛ばしたりどついたりしたら『或れ』はしばらく無力化できるんよ。もっと徹底的にやったら祓うことはできるけど、しんどい」
「しんどい、ですか」
「ほや。無力化したのんは八割無害になる。残り一割はそのまま消えて、一割はまた悪いもんになる。体感やけどな。ほんで、その一割は徹底的にやらなあかんのやけど、今回はそこまで言われてへんしな」
さとりの知らない世界だった。
「あの、人には……」
「ん? 『或れ』やのうて人にっちゅうことか? やられたことは無いけど、何か気持ち悪うなるらしいで」
「あ」
なんとなく覚えがある。最初の冬コミで九条に指を突き付けられたあれだろうか。
「どないした? ……あっ、もしかしてうちのお嬢が」
「い、いえっ、あのっ」
絶対良くないことだということはわかる。ここでうなずいてしまうと九条が怒られると思い、否定する。
「やりよったんやな?」
「九条さんは、悪くないです。そ、それより祓うのを頑張ってもらって、嬉しいです」
無理やりな話題転換だったが、通じているとは思えない。
だがお爺さんはさとりの心情を汲んでくれたのか、それ以上の追及はしてこなかった。
「……まあ、こっちもできる範囲でやるさかい」
「はい。よろしくお願いします」
得体の知れない老人だが、頼もしくはある。
こういった人たちも巻き込みながら、今回のコミマを守っていかなければならない。




