第87話 C100夏 1日目 初日の朝礼
「天神様、今日もお見守りください」
日課となるお参りを済ませるが、今日はいつもと全く違う体勢となった。
飛ばされないよう傘を首で挟みながらでは、そっと手を合わせるのもひと苦労だ。
「行ってきます」
少しずつ強くなる雨風を感じながら、さとりは小さくつぶやいた。
スタッフが乗るバスにたどり着くまで、さとりの靴と裾は水を吸ってずいぶん重くなってしまっていた。
「サト、無事だったか」
「うん。雨が凄いね」
「ああ」
先に乗っていた小太郎の隣に座ると、ほっと息をつく。バスの屋根を叩く雨音が、時折強さを増し、また弱くなる。
動き始めたバス。座っているスタッフが皆、何となく先行きの不安を抱えている気がする。
「今回も地区に貸し出しなのか?」
「うーん、どうなんだろう。入場を見るかもとは言われてるんだけど」
「そうなのか」
今のところはっきりとした指示は受けていない。状況次第なところが大きく、あまり明確な指示は出しにくいのだろう。
「といっても、サークルさんが来るかどうか」
「そうだね」
バスのエンジンが聞こえなくなるほどの、激しい雨音が屋根に響く。
電車はまだ動いているようだが、それもどうなるかわからない。
「それでも開催するんだね、コミマ」
「だな。もう少し台風が強かったら危なかったかもな」
「充分強いと思うけど」
これでも暴風警報は出ていない。
少し東にそれたことが大きい。
早く天候が回復するよう願うさとりたちを乗せ、バスはビッグサイトへと向かう。
アトリウムでは聞こえていた雨音は、ホールの中では気にならなくなった。
じめっとした空気の中、すでにそれなりの人数が本部に集まっている。
さとりと小太郎を見つけた由布子がからっと明るい笑顔を見せる。
「さとりちゃん、おはようさん。えらい雨やな」
「おはようございます。バスまでが大変でした。先に着替えてきてもいいですか」
「あっ、せやな。そうしそうし」
アトリウム二階にある商談室がスタッフ用の更衣室になっている。手早く巫女装束に袖を通し、腕章と帽子を身につける。
ふと目が合った鏡の中の自分は、どこか緊張しているように見えた。
「プラス、だから」
いつもと違う自分。
コミマスタッフの自分は、深川さとりより少し強くて、少しできることが多く、少し知らない人に親切にできる。
深川さとりプラス。
ホール朝礼が終わりブロック別の朝礼へと移る。
見慣れたブロックのメンバーを探していると、玉がいつの間にか現れそっと横に立った。
(おはようございます)
『……』
小さく挨拶をすると、こくんと頷いた。反応があるだけで嬉しい。
「『やゆよ』こっちなー」
大きな声で『やゆよ』ブロックの集まる場所が知らされた。
自分たちの担当する『や』ブロックの端。そこに集まる面々は、前回とほぼ同じようだ。一部いない人もいるようだが。
自然と円が作られ、さとりは由布子の隣に立った。ぐるりとブロック員を見回した由布子が口火を切る。
「えー、今回もブロック長の歌島姉です。よろしくお願いします。次、春日さん」
「副ブロック長の春日です。えー、よろしくお願いします」
中肉中背の春日は、挨拶の短いブロック長に倣って一礼だけで済ませた。
順に簡単な挨拶が続き、最後は柳、小太郎、さとりとなる。
「柳です。最終日はサークルですが、朝の見本誌だけ手伝いに来ます」
「歌島弟です。今回から成年向けも見本誌チェックできるようになったんで、頑張ります」
「深川です。同じく、頑張ります。でも、地区本部の借受に出るかも知れないです」
ひと通りブロック員を確認する。人数としては純減となるようだ。
「大門さんは、違うブロックに行っちゃったんですね」
「そうそう。戦力バランス的にな。西2があの有様やからしゃあないけど」
近くの『むめも』ブロックを横目に見ると、大柄な大門の姿が見えた。そしてその隣に明るい赤毛の女性もいる。
「エレンさん……」
「ああ、エレンさんも戻って来たな。あのまま西2にいたくなかったんやて」
「そうなんですか」
前回西2で見かけたエレンは、とてもつらそうだった。同じ『やゆよ』ブロックではないのは残念だが、ポエの『むめも』ブロックであれば、きちんと面倒を見てもらえるだろう。
「あ、ちなみに田橋は『らりる』だよ。ほら」
牛込の指さす方を見ると、うどん屋で働いていた男性が九条と何か話していた。
彼もまた西2から西1へと移動してきたらしい。
西2ホールで行われた大規模な体制見直しは、隣り合う西1ホールにも大きな影響を与えていた。
ブロック員だけでなく、本部のスタッフもだ。東地区からも応援の人員を出してもらっているらしいが、それでも西1からかなり取られてしまった。
「あー、雑談はこれぐらいにして、今日の借受人員の確認な。えーっと柳さんは一般入場対応、小太郎は外周の混雑対応やったけど、これ一般入場が少なかったら無くなるかもしれんて」
「わかった」
小太郎は短く答えると、メモに何か書き込んだ。
「あと春日さんはサークル入場。もうすぐやから、もう向かってもろて。さとりちゃんは朝ご飯の後、大塚さんのとこで指示を仰ぐ。らしい」
「了解」
「わかりました」
予想していた通り、朝から借受。
少し寂しさを感じていると、ふと柳と目が合った。
勇気づけるように笑いかけてくれる。
「おすすめルート案内あったけど、今日は雨風が強いから開放せん方針みたいやわ。もしかしたら午後遅めに開放するかもしれんけど、まあその時間帯は『やゆよ』の受け持ちやないし、案内だけ気をつけて」
悪天候の影響は大きい。宅配の搬出も一応スロープ下で受付のはずだが、天候次第では場所を変更するかもしれないとのこと。案内することがあるかもしれない。気をつけなければ。
「電車の遅れもあるかもしれんし、今日は青紙の回収時間をかなり遅らせる予定なんで、その辺注意してください。取り回しは私か春日さんでやるんで」
情報の更新に気を配るよう付け加え、自然と解散になる。朝ご飯のお弁当はまだ未着のようで、それぞれに雑談を始めている。
どうしようかと周囲を窺うさとりだったが、牛込が誰かに手を振っていた。
「おーい田橋、お疲れ様」
「お疲れ……って、うおっ、こないだ来た人たちか」
「どうも」
「お疲れ様です」
前回西2だった田橋は、牛込に呼ばれ、さとりと柳に気づいたようだ。
なぜだかじりじりとさとりから距離を取る。いや、正確には玉からだろうか。
「?」
「ちょ、いや、す、すまん」
隣に立つ柳からも離れたように見え、柳が首を傾げる。
そういえば『みえ』ないまでも感じるようだった。玉の強い気配を忌避しているのだろうか。
玉にそっと目で合図をすると、意を汲んでくれたのか少し後ろに下がる。
「何をしてますのん」
「九条さん」
「あ、いや、前に会ったことがあって」
とやや視線が泳ぐ田橋。
九条は面白そうに口角を上げる。
「ほお。何やおどおどしてはるから、悪いことでもしとったんかと思たわ」
「うっ」
田橋は「はあ」とため息をつくと、観念したようだ。
気まずそうに頭をかく。
「いや、まあ向こうの雰囲気っつーかさ……ここにしか居場所がない仲間でつるんで、つい調子に乗って羽目を外しちまった。今はバカなことしたなってわかるよ」
「コミマ半年ちょいで反省したの?」
牛込もまた面白そうに言うが、田橋は神妙にしている。
その様子は本当に自らの行いを省みているように思えた。
「まあ、ここ以外の居場所も見つけられたら、冷静になれたんだろうな」
うどん屋への就職のことだろう。牛込がしたり顔で笑っている。
「でも西1は空気が違うな」
「空気?」
牛込があたりを見回す。あまり実感はないらしい。
「いや、だってさ、コミマって割と重くて苦しい空気すんじゃん……え、なんでだ? 風向きか?」
「そら、西1は西2と違いますしねえ」
目を細める九条は、何やら言いたげにさとりを見た。
どう答えて良いのかわからなかったが、違っていることは確かだ。
さとりは九条にうなずいてみせた。
朝ご飯が来るまでの短い時間を、小太郎と巡回する。
サークル入場が始まっていない時間は、ただ机と椅子と、搬入済みの荷物だけが置かれている。
「田橋さんの『ここにしか居場所がない』って、何かわかるな」
ぽつりと小太郎がつぶやいた。
「そうなの?」
「ああ。何か、学校とかで上手くいってなくてもさ『でも俺コミマスタッフだから』って自分を支えてくれるっていうか、そういうのないか?」
「うーん」
思い当たることも無くはない。
「スタッフっていうより、フュージョンができるのは自信になったかも」
「そうか。実際上手いもんな」
急に褒められてくすぐったい。
得意な作業が褒められるのは嬉しい。
「こう、コミマスタッフであることが自分を一定の地位に上げてくれるっていうかさ。上手く言えないんだけど」
以前、田尾手も似たようなことを言っていた気がする。
「コタくんも、そうなの?」
「そうかもしれない」
「そうなんだ。うーん」
そのあたりはさとりにはわからない感覚だった。
元々コミマを知っていたか、そうでないかの差なのかもしれない。
「どうかしたか?」
「うーん、コタくんは、コミマスタッフじゃなくてもコタくんだし」
「何だよそれ」
上手く答えになっていないさとりに、小太郎は苦笑いを見せる。
しかし、小太郎がコミマスタッフでなかったら、もしかしたら今ここに立っていなかったかもしれない。
由布子にも会わず、学校で友達もできず、父との会話もなかったかもしれない。
そうだったら、今どこで何をしていただろうか。
不思議なことに、そんな自分を想像できなかった。
「コタくん」
「ん?」
「朝ご飯届きましたー!」
何かを伝えようとしたところに、本部から大きな声がした。
「お。行くか」
「うん」
いつか伝えよう。
ここに立たせてくれてありがとう、と。




