薄弱の自覚
ウィンリィが出て行き、それをデフェットが追いかけた後、残されたライトは机に突っ伏していた。
「話さない方が良かったのかな」
ため息混じりに呟くその言葉。その中には後悔があった。
そんなつぶやきをちょうど洗い物を終え、リビングに入ってきたミーツェは答える。
「まぁ、話さない方が波風は立たなかったとは思います」
「はははっ……ですよね」
と再びため息。
突っ伏していた頭を動かしリビングの出入り口へと視線を向ける。
「ですが、ウィンリィ様の説得はするつもりはないのですよね?」
「……うん」
肯定の返事だったがそれが出るまでに数秒の間があった。
おそらく彼の本音としては共にいてもらいたいのだろう。
どんな言葉をかけるにせよ今彼女はこの場にはいない。
共にいるのであれば気にする必要はない。
別れるにしても荷物を取りに一度は戻ってきてくるはずだ。
「今は待つほかないかと」
「……うん」
話したことで隠している後ろめたさはなくなった。
しかし、そのかわりに早くウィンリィと話したい気持ちと話したくないという感情に苛まれていた。
◇◇◇
「あいつと旅に出る前の夜に話をしたんだ」
ひとしきり笑いあった後にそうやってウィンリィは切り出した。
今でも鮮明に思い出せる。
ライトはオーガたちの住処でおそらく、初めて人を殺した。
誰かを苦しめた者ではない。
尊厳を全て奪われ、全てを嬲られ、壊れた道具のように吐き捨てられた女性たちだ。
彼はそれを悔いていた。
あれが正しかったことなのか。と自問自答を繰り返していた。
「あいつ、そこで言ったんだよ『この世界の人間は本当に生きてる』ってな」
その時のウィンリィにはライトの言葉の意味はよくわからなかった。
そして、彼は誰に言われることもなく旅をすると決めた。
「そこで歩き出したんだよ。
下手なりに、おぼつかない足取りでも」
今ならわかる。
ライトという存在はこの世界で生きることを決めたのだ。
彼は自分の行動が正しかったのかを今でも悩んでいる。
ある程度の折り合いを付けることはできているようだが、それでもそのオーガ討伐戦の前の彼と比べれば大きく変わっていた。
自分で決めて自分で答えを出す。
色々な人に話を聞き、見てから最終的には己の答えを持つ。
今のライトはそれを意識している。
「でも、私は違う。
私はバウラーに誘われるまま旅を始めた。剣の腕を磨いて知識を得た」
自分は違う。
バウラーの誘いのままにあの場所を飛び出して旅を始めた。
自分で旅をしようなどとは思ったことはない。
ただ今更普通の生活には戻れない。そう思って目的もなく旅をしていた。
ライトはあの夜、何かを悟ったように「本当に生きているんだな」と言っていた。
彼はその時点で察していたが、ウィンリィは長い間旅を共にして今ようやくその意味に行き着いた。
ライトの「生きる」とは「意思を持つ」と言うことなのだ。
それに当てはめるなら––––
「私はさ。本当に生きていなかったんだよ」
ライトも目的がない旅をしているがウィンリィとは違う。
彼はポジティブな理由だ。
自分の見る世界を広げるために、もっと己の考え方を見つめるという「意思」の元に旅をしている。
一方、ウィンリィはネガティブな理由だ。
他にすることがないからしているだけに過ぎない。
その行動に「意思」などない。
「私はあいつの前にいるとずっと思っていた。
あいつは私の背中を見ているんだってずっと思ってた……」
ライトの前に自分が歩いていて、彼はその背中を追っている。自分がその手を引いている。
行動に驚き、学ぶことはあったがウィンリィはそれを一度も疑うことはなかった。
「でも本当は私があいつの背中を見ていたんだ。
あいつが私の前にいるんだ」
現実はウィンリィがライトを先導していたのではない。ライトがウィンリィを導いていたのだ。
それに気が付いたのは彼が自分を転生者だと告げた時。
その事実を知り、同時にライトが呟いたあの言葉を思い出してようやく気が付いた。
彼と自分との大きな違いに。
「こんな私が、あいつの隣になんてたっていいわけがない」
今までのライトを信用するとは決めた。
今までの自分の判断も信じていいと思う。
しかし、信じるがゆえに自分のような目的もない者は彼の近くにいるべきではない。
剣は上手く扱える自信はあるが、逆を言えばそれしか能がない。
デフェットのような魔術も使えなければ、ミーツェのような身体能力があるわけでもない。
「過去に囚われているばかりで、目的もなければ力もない。そんな奴がいてもあいつを邪魔するだけだ」
ライトはこれからさらに成長するだろう。
時には立ち止まることがあろうとも、また歩き出し様々な景色を見て、人と出会い、新たな体験をする。
そんな者の近くに自分のような、過去しか見れないような存在はいない方がいい。
デフェットへと訴えるその言葉は他の誰でもない、自分を責めているがゆえに出る自責のものだ。
静かにそれを聴いていたデフェットは視線をウィンリィから海面へと移す。
「ああ、そうだな。ウィン殿はずっと過去にいる」
それは間違いない。
ウィンリィが自分の過去に囚われていることなど誰が見ても明らかだ。
「だが、それが悪いとは私は言わない。
過去を捨てられる者などそうはいない。ただ背負うしかない。
他ならない自分でな……」
自分の過去は背負うしかない。
その時に失ったもの、壊したもの、得たものも、見た景色もその全てをただ受け止めるしか人間にはできない。
「なら、なんであいつは自分の産まれを話したんだ?
意味なんてないだろ」
デフェットの言う通り、過去は自分のものだとするならば、わざわざ共有する必要などない。
デフェット自身にもライトの真意のほどはわからない。
しかし、少しだけ察することはできる。
「ウィン殿のためだろうな」
「私の?」
「ああ、そうだ。最近ウィン殿は昔を思い出して東副都の方ばかり見ていたろう?」
「そうだけど……って、まさか!?」
ウィンリィもライトの考えにたどり着いたようで声を上げた。
デフェットは今ここにいない少年のことを思い浮かべながら、呆れたように笑みを浮かべて頷く。
「そう『俺の重荷を背負わせるから、お前の重荷も背負わせろ』という感じだろうな」
重荷の共有。
それはウィンリィが出した答えと同じだったらしく、息を吐いて頭を抱えた。
「無茶苦茶なことするな……あいつ」
「私も驚いたよ。
確かに距離は近くなったが、あそこまで踏み込むことをするとはな」
全てが繋がったらしく、ウィンリィは頭を掻き毟る。
そこに少し前まで自分の弱さを嘆いていた彼女の姿はない。
それに安心したようにデフェットは肩の力を抜いた。
「それで、どうするのだ?」
「……どう、するか、か」
「ウィン殿が主人殿と旅をしたいというのであれば、直接言えばいい。手を伸ばせばいい。
彼はその手を取ってくれる。その腕を引いてくれる」
「しかも、笑いながらな」
コクリと深く頷きデフェットは続ける。
「ウィン殿がライト殿に変えるきっかけを与えたように。ほんの少しなら生き方は変えられる」
染み付いた考え方、生き方を変えるなど一人では不可能と言っても過言ではない。
だが、二人なら。仲間がいれば。楽ではなくとも、不可能ではなくなる。
少しの間をおき、ウィンリィは抱えていた膝を叩くと立ち上がった。
「あいつと話してくる」
「ああ、行ってこい」
ウィンリィはデフェットから背を向けて走り出した。