第93話 戦火の終焉、金色の約束
第93話 戦火の終焉、金色の約束
帝政歴347年9月23日、午前6時18分。
帝国北東部、シュタイン湾共同防衛戦線。
夜明けの海岸に、再び砲声が響いた。
帝国と連邦共和国が正式な共同戦線を締結してから、二年以上が経過していた。その間、両国は各地に出現した異界門を封鎖し、失われた都市や集落を奪還しながら、長い戦争を続けてきた。
帝国軍と共和国軍の共同作戦は、もはや珍しいものではなくなっていた。互いに異なる装備や戦術を持つ両軍は、幾度もの戦闘を経て、少しずつ連携を深めていた。
それでも、戦争が終わる兆しは見えなかった。
帝国北東部のシュタイン湾では、異界門が繰り返し活性化し、封鎖を試みる両軍に対して異界軍が攻勢を続けていた。
その海岸で、レイブン・S・クロウは、またしても銃を握っていた。
黒い猫耳が風に揺れ、金色と黒色の瞳が前方を見据える。
彼の軍服には幾度もの戦闘による補修の跡があり、肩に掛けたSG-44にも使い込まれた傷が刻まれていた。
隣には、ガイル・ベッカーがいた。
「……なあ、レイブン」
「何?」
「俺たち、何回この海岸で戦ってるんだ?」
レイブンは少し考えた。
「……数えたことない」
「だよな。俺も途中で諦めた」
ガイルは苦笑し、小銃を構え直した。
「二年以上も戦ってりゃ、そりゃ分かんなくなるか」
レイブンは海岸線を見渡した。
崩れた防波堤。
砲撃によって削られた岩場。
何度も補修された防御陣地。
そして、沖合に浮かぶ青白い異界門。
どれも見慣れた光景になっていた。
「……でも、今日は少し違う」
レイブンが呟くと、ガイルは顔を向けた。
「何が?」
「異界軍の数が、前より少ない」
フェリックス・ブラントが双眼鏡を覗きながら頷いた。
「確かに。昨日までの観測でも、門から出てくる部隊は減っていた」
ユリウス・ヴェーバーが無線機を操作しながら言った。
「共同指揮所も同じ判断らしい。門の活動が不安定になっている可能性があるって」
エミール・シュナイダーは救護装備を確認していた。
「……だったら、そろそろ終わってほしいな」
ガイルは笑った。
「おいおい、エミール。そういうこと言うと――」
「何か起きる、でしょ?」
エミールが先に言った。
ガイルは目を丸くした。
「……先に言うなよ」
レイブンは小さく笑った。
その時、背後から女性の声が響いた。
「随分と余裕があるのね」
振り返ると、エリシア・L・ヴォルハラムが立っていた。
金色の髪を後ろでまとめ、共和国軍の軍服に戦闘装備を着用している。二年前の降格以来、少尉として前線勤務を続けていた彼女は、数々の共同作戦でレイブンたちと行動をともにしていた。
エリシアの後ろには、セルゲイ・オルロフ軍曹がいた。
「おはよう、エリシア」
レイブンが声を掛けると、彼女は微笑んだ。
「おはよう、レイブン」
ガイルが手を上げた。
「よう、エリシア! 今日は共和国軍の補給食、何が出た?」
エリシアは呆れたように笑った。
「あなた、本当に食べ物の話ばかりね」
「腹が減ってちゃ戦えねえだろ?」
「それはそうだけど」
レイブンは二人のやり取りを聞きながら、少しだけ笑った。
この二年間で、エリシアとガイルもすっかり打ち解けていた。
帝国軍と共和国軍。
かつては敵対していた二つの軍隊が、今では同じ陣地で食事をし、負傷者を運び、互いの背中を守っている。
戦争がもたらしたものは、破壊だけではなかった。
だが、その代償があまりにも大きかったことも、レイブンは知っていた。
午前7時42分。
シュタイン湾、南側防御区画。
異界軍の攻勢が始まった。
海面に浮かぶ異界門から、装甲をまとった兵士たちが現れ、浅瀬を進んでくる。
帝国軍の機関銃が火を噴き、共和国軍の支援火器が続いた。
銃声と砲声が重なり、海岸線に硝煙が広がった。
「敵、右側の岩場へ接近!」
フェリックスが叫んだ。
レイブンはSG-44を構えた。
「ガイル、右をお願い!」
「了解!」
ガイルが小銃を構え、岩場へ向かう異界軍兵士を射撃した。
レイブンは正面から接近する敵へ照準を合わせた。
SG-44が火を噴き、装甲に衝撃が走る。
敵がよろめいたところへ、共和国軍の支援射撃が重なった。
「……倒れた!」
レイブンが確認すると、エリシアの声が通信機から響いた。
『こちらヴォルハラム。左側の敵は排除したわ』
「了解。こちらも正面を維持しています」
『負傷者が出たらすぐ知らせて』
「うん」
その時、海岸の後方から車両の走行音が聞こえてきた。
複数の装甲車両と兵員輸送車が、沿岸道路を進んでくる。
帝国軍の増援部隊だった。
ガイルが顔を上げた。
「……おっ、援軍か!」
レイブンも後方を確認した。
先頭の車両が停止し、兵士たちが次々と降りてくる。
その中に、見覚えのある人物がいた。
レイブンは、思わず動きを止めた。
「……え?」
車両から降りてきたのは、背の高い男性下士官だった。
使い込まれた軍服。
鋭い目つき。
そして、どこか懐かしい立ち姿。
レイブンの金色と黒色の瞳が、大きく見開かれた。
「……レンツ、軍曹?」
男性は、ゆっくりと顔を上げた。
そして、レイブンを見た。
「……クロウか」
その声を聞いた瞬間、レイブンは息を呑んだ。
マティアス・H・レンツ軍曹。
グラーフェンでの戦闘以降、戦死したと伝えられていた人物だった。
ガイルも、目を見開いた。
「……おい、嘘だろ」
レンツは、二人の顔を見比べた。
そして、わずかに笑った。
「……何だ、その顔は」
レイブンは、ゆっくりと近づいた。
「……軍曹、生きていたんですか?」
「見ての通りだ」
レンツは右肩を軽く動かした。
その動きには、以前よりもわずかなぎこちなさがあった。
「グラーフェンで負傷してな。後退中に部隊とはぐれた。別の救護部隊に拾われたが、身元確認が遅れていたらしい」
レイブンは、しばらく何も言えなかった。
戦死したと思っていた。
もう二度と会えないと思っていた。
それなのに、目の前にいる。
「……本当に」
レイブンの声が震えた。
「……本当に、生きていたんですね」
レンツは、少しだけ表情を和らげた。
「ああ」
そして、レイブンの肩へ手を置いた。
「……よく生き残ったな、クロウ」
その言葉を聞いた瞬間、レイブンは俯いた。
グラーフェンからの撤退。
帝都目前までの後退。
《ヘリオス》の爆発。
そして、長い異界戦争。
そのすべてを越えて、再び恩師と顔を合わせることができた。
ガイルは、勢いよくレンツへ近づいた。
「軍曹! 生きてたなら連絡くらいくださいよ!」
レンツは苦笑した。
「俺も、お前たちの居場所を知らなかったんだ」
「……そりゃそうですけど!」
ガイルは笑いながら、目元を擦った。
レンツは、そんな二人を見つめていた。
そして、静かに言った。
「……再会を喜ぶのは、戦闘が終わってからだ」
レイブンは顔を上げた。
レンツは、以前と変わらない口調で続けた。
「まだ敵がいる。気を抜くな」
レイブンは、思わず笑った。
「……はい!」
ガイルも頷いた。
「了解です、軍曹!」
その時、レンツの背後から別の声が響いた。
「……おいおい、俺たちのことも忘れてないだろうな?」
レイブンが振り返ると、そこにはさらに懐かしい顔があった。
オスカー・グラーフ。
カール・リヒター。
志願兵学校時代をともに過ごした仲間たちだった。
「……オスカー!」
レイブンは驚いた。
オスカーは笑った。
「久しぶりだな、レイブン」
カールも頷いた。
「元気そうで何よりだ」
ガイルは、思わず大声を上げた。
「お前らまで来たのかよ!」
オスカーは肩をすくめた。
「増援部隊としてな。たまたま同じ輸送隊になった」
カールが続けた。
「お前たちがここにいるとは聞いていたが、まさか全員揃っているとは思わなかった」
ユリウスとフェリックス、エミールも近づいてきた。
久しぶりに、志願兵学校時代の仲間たちが顔を合わせた。
レイブンは、その光景を見つめていた。
かつて同じ教室で学び、同じ訓練場を走り、同じ夢を語った仲間たち。
戦争によって別々の部隊へ配属され、それぞれの戦場で戦ってきた者たちが、今、再び同じ場所に立っていた。
レンツは全員を見渡した。
「……随分と立派になったな」
ガイルが笑った。
「軍曹、俺たちだって成長するんですよ!」
レンツは鼻で笑った。
「口だけは昔から変わらんな」
周囲に笑い声が広がった。
その時、遠くで砲声が響いた。
レンツは表情を引き締めた。
「……さて、仕事だ」
レイブンも頷いた。
「はい」
帝政歴347年9月24日、午前8時11分。
シュタイン湾共同防衛戦線。
戦闘は、翌日も続いた。
帝国軍と共和国軍は増援部隊を投入し、異界門周辺の防御陣地を段階的に前進させていた。
レンツ軍曹が所属する増援部隊は中央防御区画へ配備され、オスカーとカールもそれぞれの部隊で任務を開始した。
レイブンたち〈不死身の分隊〉は、引き続きエリシアの小隊と共同で南側防御区画を担当していた。
戦闘は激しかった。
異界軍は数を減らしながらも、海岸への上陸を繰り返していた。
しかし、両軍の連携は以前よりも洗練されていた。
帝国軍の砲兵が敵の進撃を阻止し、共和国軍の機動部隊が側面から支援する。
負傷者は共同救護所へ搬送され、補給物資も必要に応じて相互に融通された。
それは、二年以上にわたる共同戦闘の成果だった。
帝政歴347年9月26日、午後3時42分。
シュタイン湾、中央防御区画。
異界軍の大型個体が、再び海岸へ接近していた。
レンツ軍曹は、部下たちへ指示を出していた。
「砲兵との連絡を維持しろ! 歩兵は前に出すぎるな!」
レイブンは、少し離れた場所からその様子を見ていた。
レンツの指揮は、以前と変わらず冷静だった。
しかし、負傷した右肩を庇うような動きが時折見られた。
レイブンは、通信機を握った。
「軍曹、こちらクロウ。南側から支援できます」
『了解。だが、無理に前へ出るな』
「はい」
『お前たちの仕事は、敵を倒すことだけじゃない。生きて帰ることだ』
レイブンは、少しだけ笑った。
「……覚えています」
レンツは短く答えた。
『ならいい』
通信が切れた。
ガイルが隣で笑った。
「……やっぱ軍曹だな」
レイブンも頷いた。
「うん」
帝政歴347年9月28日、午前11時26分。
シュタイン湾、異界門前方海域。
八日間にわたる攻防戦は、終盤へ差しかかっていた。
異界軍の上陸部隊は、ほとんど姿を消していた。
帝国軍と共和国軍の共同部隊は、海岸線の大部分を確保し、異界門の直前まで前進していた。
しかし、そこには一体だけ、異様な存在が残っていた。
人型の異界生物。
人間に近い輪郭を持ちながら、全身を黒い装甲のようなものに覆われている。
その顔には、表情らしいものが見えなかった。
そして、何よりも奇妙だったのは、その存在がまったく動かないことだった。
異界門の前に立ち、ただ海岸を見つめている。
レイブンは双眼鏡を覗いた。
「……あれが最後の一体?」
フェリックスが頷いた。
「確認できる範囲では、そうみたい」
ガイルが顔をしかめた。
「……何か嫌な感じだな」
エリシアも、少し離れた場所からその人型を見つめていた。
「……あれだけ残っているなんて、不自然ね」
レイブンは頷いた。
「うん」
その時、ユリウスの無線機から通信が入った。
『クロウ分隊、こちら共同前線指揮所』
「こちらクロウ」
『異界門前方の人型個体を確認した。接近せず、監視を継続せよ』
「了解しました」
レイブンは通信を切った。
ガイルが尋ねた。
「……どうする?」
「待機だって」
「……了解」
人型は、動かなかった。
ただ、異界門の前に立ち続けていた。
帝政歴347年9月30日、午前9時18分。
シュタイン湾、共同前線指揮所。
八日間にわたる攻防戦は、ついに最終局面を迎えていた。
異界軍の上陸部隊はほぼ排除され、海岸線は帝国軍と共和国軍の共同部隊によって確保されていた。
しかし、異界門はまだ開いていた。
その前には、例の人型が立ち続けている。
共同前線指揮所では、帝国軍と共和国軍の将校たちが作戦会議を行っていた。
「……あの個体を排除しなければ、門へ接近できない」
帝国軍のヴェルナー大佐が言った。
共和国軍のモロゾフ中佐は頷いた。
「だが、敵の能力は不明だ。歩兵だけで接近するのは危険だろう」
ヴェルナー大佐は地図を見つめた。
「……ならば、支援火力を使う」
モロゾフ中佐が顔を上げた。
「艦隊か?」
「そうだ」
ヴェルナー大佐は、沖合を指した。
「帝国海軍と共和国海軍の共同艦隊が、すでに射撃可能な海域へ展開している」
モロゾフ中佐は、しばらく考えた。
そして、頷いた。
「……共同艦砲射撃を要請しよう」
午前10時07分。
シュタイン湾、南側防御区画。
レイブンたちは、人型の異界生物を遠方から監視していた。
ガイルは小銃を構え直した。
「……そろそろ始まるか?」
レイブンは頷いた。
「うん。指揮所から交戦準備の指示が来てる」
エリシアもHARを持ち直した。
「……あれが最後の敵なら、ここで終わらせたいわね」
レイブンは、彼女を見た。
「……うん」
レンツ軍曹も、近くの防御陣地へ到着していた。
「クロウ、ベッカー」
二人は振り返った。
「はい!」
「まだ交戦命令は出ていない。勝手に動くなよ」
ガイルが笑った。
「分かってますって!」
レンツは、少しだけ眉を上げた。
「お前の『分かってる』ほど信用できん言葉もないな」
レイブンとエリシアが思わず笑った。
その時、ユリウスの無線機から通信が入った。
『全前線部隊へ通達。艦砲射撃を実施する。指定区域から退避し、射撃終了まで前進を禁止する』
レイブンは顔を上げた。
「……艦砲射撃?」
ガイルも驚いた。
「……マジか?」
その直後、沖合から低い轟音が響いた。
帝国海軍と共和国海軍の艦艇が、共同で艦砲射撃を開始したのだった。
午前10時12分。
シュタイン湾沖合、帝国・共和国共同艦隊。
灰色の海面に、複数の軍艦が展開していた。
帝国海軍の巡洋艦と駆逐艦。
共和国海軍の巡洋艦と護衛艦。
かつては互いに敵として対峙していた艦艇が、今は同じ目標へ砲口を向けていた。
帝国海軍の巡洋艦艦橋では、艦長が射撃指揮所からの報告を受けていた。
「目標、異界門前方の人型個体」
「目標確認」
「射撃諸元、入力完了」
艦長は、静かに頷いた。
「……撃ち方、用意」
砲術長が復唱した。
「撃ち方、用意!」
数秒後、艦長は短く鋭く命じた。
「……ぅてっ!」
主砲が火を噴いた。
巨大な砲炎が艦首を照らし、砲弾が海岸へ向かって飛翔する。
ほぼ同時に、共和国海軍の巡洋艦も射撃を開始した。
複数の砲弾が、異界門前方の海域へ向かっていく。
午前10時13分。
シュタイン湾、異界門前方。
人型の異界生物は、まだ動かなかった。
青白い光の前に立ち、海岸を見つめている。
その時、上空から砲弾が飛来した。
最初の砲弾が、人型の近くへ着弾する。
激しい爆発が起き、海面が大きく盛り上がった。
続けて、二発目。
三発目。
帝国海軍と共和国海軍の共同艦砲射撃が、人型の周囲を次々と襲った。
巨大な水柱が立ち上がり、爆風が異界門の光を揺らす。
人型は、一瞬だけ腕を上げた。
しかし、その直後。
直撃した砲弾によって、黒い装甲が砕け散った。
人型の姿は、爆炎の中へ消えた。
レイブンは、双眼鏡を覗いたまま動きを止めた。
「……え?」
ガイルも、目を丸くした。
「……おい」
エリシアが呟いた。
「……倒れた?」
数秒後、爆煙が薄れていく。
そこには、もはや人型の姿はなかった。
レイブンは、しばらく黙っていた。
「……あっけない」
ガイルは、思わず笑った。
「……あんなに警戒してたのに、艦砲射撃で終わりかよ!」
レンツ軍曹は、静かに双眼鏡を下ろした。
「……戦場では、そういうこともある」
その時だった。
異界門が、突然大きく揺らぎ始めた。
青白い光の輪に亀裂のようなものが走り、内部の光が不規則に点滅する。
ユリウスが叫んだ。
「……門の反応が変化してる!」
レイブンは顔を上げた。
異界門の輪郭が、ゆっくりと崩れ始めていた。
光の破片のようなものが海面へ散り、周囲の空間が歪む。
エリシアが息を呑んだ。
「……閉じるの?」
レイブンは、ただ門を見つめていた。
やがて、異界門の中心部が収縮し始めた。
青白い光が一点へ集まり、最後に強い閃光を放つ。
そして――。
異界門は、完全に消滅した。
海面には、ただ波だけが残っていた。
しばらくの間、誰も声を上げなかった。
レイブンは、ゆっくりと双眼鏡を下ろした。
「……終わった?」
ガイルが呟いた。
「……終わった、のか?」
エリシアも、静かに海を見つめていた。
レンツ軍曹は、しばらく黙っていた。
そして、低い声で言った。
「……まだ確認が必要だ」
その言葉に、全員が頷いた。
戦争が終わったかどうかは、まだ分からない。
しかし、少なくともシュタイン湾の異界門は消えた。
それだけは確かだった。
午前11時46分。
シュタイン湾、共同前線指揮所。
帝国軍と共和国軍の観測班は、異界門の消滅を正式に確認した。
周辺海域に異常な反応はなく、異界軍の残存部隊も確認されていない。
報告は、直ちに両国の最高司令部へ送られた。
午後2時18分。
帝国帝都、中央政府庁舎。
帝国政府は、共和国政府との緊急協議を行った。
各地の異界門はすでに封鎖され、残存する異界軍もほぼ排除されていた。
そして、最後まで活動を続けていたシュタイン湾の異界門が消滅した。
これにより、両国は第一次世界大戦の終結を宣言する準備を進めた。
午後5時00分。
帝国および連邦共和国、共同発表。
帝国政府と連邦共和国政府は、第一次世界大戦の終結を正式に宣言した。
帝政歴345年4月12日に始まった戦争は、帝政歴347年9月30日をもって終結した。
帝国と共和国の間で始まった戦争は、異界軍の侵攻によって両国の存亡を賭けた戦いへ変わった。
数多くの都市が破壊され、無数の兵士と民間人が命を落とした。
しかし、両国は最後に共同戦線を結び、異界軍を退けた。
帝国軍の基地では、兵士たちが静かにその報せを聞いていた。
共和国軍の宿営地でも、同じように放送が流れていた。
歓声を上げる者もいた。
涙を流す者もいた。
ただ黙って、空を見上げる者もいた。
長い戦争が、ようやく終わったのだった。
午後7時26分。
シュタイン湾、共同前線指揮所。
レイブンたち〈不死身の分隊〉とエリシアの小隊は、最後の報告を終えていた。
指揮所の内部では、帝国軍と共和国軍の将校たちが撤収計画を確認していた。
レイブンは、エリシアと並んで廊下を歩いていた。
「……本当に、終わったんだね」
レイブンが呟いた。
エリシアは頷いた。
「ええ」
ガイルが後ろから声を掛けた。
「いやあ、長かったな!」
エミールが苦笑した。
「本当にね」
ユリウスも頷いた。
「これで、しばらくは落ち着けるといいんだけど」
フェリックスは、静かに笑った。
「……そうだな」
その時、通信兵が近づいてきた。
「クロウ分隊! 帰還命令です!」
レイブンは顔を上げた。
「……帰還命令?」
「はい。第三臨時歩兵集成隊本部へ帰還後、各員は所属部隊の指示に従うよう命令されています」
レイブンは頷いた。
「了解しました」
続いて、共和国軍の通信兵がエリシアへ近づいた。
「ヴォルハラム少尉!」
「はい」
「共和国軍西部方面軍司令部より、帰還命令です」
エリシアは、少しだけ目を伏せた。
「……そう」
通信兵は敬礼した。
「明朝、共和国軍輸送部隊とともに帰還してください」
「了解しました」
通信兵が去ると、二人の間に静かな沈黙が流れた。
レイブンは、エリシアを見た。
「……帰るんだね」
エリシアは頷いた。
「ええ」
ガイルは、少しだけ表情を曇らせた。
「……また別々か」
エリシアは微笑んだ。
「でも、今度は敵同士じゃないでしょう?」
ガイルは頷いた。
「……そうだな」
レイブンも、少しだけ笑った。
「うん」
エリシアは、レイブンを見つめた。
その瞳には、何かを言いたそうな色が浮かんでいた。
しかし、彼女は何も言わなかった。
ただ、静かに微笑んだ。
帝政歴347年10月1日、午前8時34分。
シュタイン湾、南側軍用港。
朝の海は、穏やかだった。
昨日まで戦場だった海岸には、撤収を準備する帝国軍と共和国軍の兵士たちが集まっていた。
帝国軍の輸送車両が道路沿いに並び、共和国軍の輸送艇は港で出港準備を進めている。
レイブンは、仲間たちとともに帝国領内へ戻るための車両へ向かっていた。
ガイルは、荷物を肩に担ぎながら笑っていた。
「……いやあ、ようやく帰れるな!」
ユリウスが頷いた。
「そうだな」
エミールも、少しだけ笑った。
「しばらくは休みたいよ」
フェリックスは、海岸を振り返った。
「……この景色も、見納めかな」
レイブンは、静かに頷いた。
「……そうかもしれない」
その時、背後から声が響いた。
「……レイブン!」
レイブンは足を止めた。
振り返ると、少し離れた場所にエリシアが立っていた。
金色の髪が、朝の海風に揺れている。
共和国軍の軍服を着た彼女は、いつものように凛とした表情をしていた。
しかし、その頬にはわずかに赤みが差していた。
「……エリシア?」
レイブンは、少し驚いた。
「どうしたの?」
エリシアは、ゆっくりと近づいてきた。
ガイルたちは、二人の様子を見て足を止めた。
「……おい、レイブン」
ガイルが小声で言った。
「俺たち、先に行ってるぞ」
レイブンは振り返った。
「え?」
ガイルは笑った。
「いいから、いいから」
ユリウスとエミールも、察したように歩き始めた。
フェリックスは、何も言わずに小さく手を振った。
レイブンは、少しだけ困ったように笑った。
そして、エリシアへ向き直った。
「……どうしたの?」
エリシアは、しばらく黙っていた。
彼女の金色の髪が、風に揺れる。
海の向こうには、昨日まで存在していた異界門の姿はもうなかった。
ただ、穏やかな波が広がっている。
「……レイブン」
エリシアは、静かに口を開いた。
「……私、あなたに言いたいことがあるの」
レイブンは、少しだけ首を傾げた。
「……何?」
エリシアは、彼を見つめた。
その瞳には、戦場で見せていた冷静さとは違う、柔らかな光が浮かんでいた。
「……この二年間、いろんなことがあったわね」
レイブンは頷いた。
「うん」
「何度も戦って、何度も危ない目に遭って……」
エリシアは、少しだけ笑った。
「……あなたに助けられたことも、たくさんあった」
レイブンは首を横に振った。
「俺も、エリシアに何度も助けられたよ」
「……そうね」
エリシアは頷いた。
そして、少しだけ俯いた。
「……最初は、ただの帝国軍の兵士だと思っていたの」
レイブンは、静かに聞いていた。
「でも、いつの間にか……戦場であなたの姿を探すようになっていた」
エリシアは、ゆっくりと顔を上げた。
「あなたが無事だと分かると安心して、負傷したと聞けば心配で……」
彼女は、少しだけ頬を赤くした。
「……自分でも、いつからこうなったのか分からないの」
レイブンは、何も言えなかった。
エリシアは、一歩近づいた。
「……レイブン」
「……うん」
彼女は、さらに一歩近づいた。
そして――。
レイブンが言葉を発するよりも早く、エリシアはそっと彼の唇へ自分の唇を重ねた。
ほんの短い時間だった。
海風が吹き、金色の髪がレイブンの頬を掠める。
レイブンは、驚いたまま動けなかった。
やがて、エリシアがゆっくりと離れた。
彼女の頬は、先ほどよりも赤くなっていた。
「……私」
エリシアは、少しだけ息を整えた。
そして、レイブンの金色と黒色の瞳を見つめた。
「……もう、貴方だけにしか興味ないかも」
レイブンは、目を見開いた。
「……え?」
エリシアは、恥ずかしそうに微笑んだ。
「……好きよ、レイブン」
その言葉は、はっきりと彼の耳へ届いた。
レイブンは、しばらく何も言えなかった。
戦場では、どれほど危険な状況でも冷静でいようとしてきた。
銃声の中でも、砲撃の中でも、仲間たちを守るために判断を下してきた。
しかし、今は違った。
目の前のエリシアが、何よりも眩しく見えた。
「……エリシア」
レイブンは、ようやく口を開いた。
「……俺も」
エリシアは、静かに彼を見つめた。
「……うん?」
レイブンは、少しだけ笑った。
「……俺も、エリシアのことが好きだよ」
その瞬間、エリシアの表情が変わった。
驚き。
安堵。
そして、嬉しさ。
それらが一度に浮かんだような表情だった。
「……本当?」
レイブンは頷いた。
「うん」
エリシアは、少しだけ目を潤ませた。
そして、笑った。
「……よかった」
レイブンも微笑んだ。
二人は、しばらく互いを見つめていた。
その時、遠くから大きな声が響いた。
「おーい! レイブーン!」
ガイルだった。
「いつまでやってんだー! 置いてくぞー!」
レイブンは、思わず振り返った。
「……ガイル!」
エリシアは、声を上げて笑った。
ガイルは遠くから手を振っていた。
その隣では、ユリウスとエミールが呆れたように笑っている。
フェリックスは、何も言わずに二人を見守っていた。
レイブンは、少しだけ恥ずかしそうに頭を掻いた。
「……ごめん」
エリシアは首を横に振った。
「いいの」
そして、静かに続けた。
「……また会えるわよね?」
レイブンは、彼女を見つめた。
戦争は終わった。
しかし、二人はそれぞれの国へ帰らなければならない。
これから先、どんな未来が待っているのかは分からない。
それでも、レイブンは迷わず頷いた。
「……うん。必ず」
エリシアは微笑んだ。
「……約束よ」
レイブンも笑った。
「約束」
二人は、そっと手を握り合った。
そして、しばらくしてから離れた。
エリシアは共和国軍の輸送艇へ向かい、レイブンは帝国軍の車両へ向かった。
互いに振り返り、最後にもう一度手を振る。
朝の海には、穏やかな光が差し込んでいた。
帝政歴347年10月1日。
第一次世界大戦が終結した翌日。
レイブン・S・クロウとエリシア・L・ヴォルハラムは、互いへの想いを確かめ合った。
戦争によって出会い、戦場で再会し、幾度もの戦闘をともに乗り越えてきた二人。
その関係は、この日を境に大きく変わった。
しかし、彼らはまだ知らなかった。
この先、再び世界を巻き込む戦争が起こることを。
そして、その戦火の中で、二人の約束が何度も試されることになるということを。
それでも、今だけは。
長い戦争を生き抜いた二人に、穏やかな朝が訪れていた。




