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黒鴉年代記 ~戦火を超えて、受け継がれる意志~  作者: @12
第一部:幼年期編 第二章 帝国に迫る戦雲
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第89話 奪還作戦《リコンキスタ》

第89話 奪還作戦《リコンキスタ》


帝政歴345年6月20日、午前4時37分。

帝国帝都北方、第三臨時歩兵集成隊宿営地。

 まだ夜明け前だというのに、宿営地は慌ただしかった。

 整備兵たちが車両の点検を行い、補給兵は弾薬箱を荷台へ積み込んでいる。遠くでは戦車のエンジンが始動し、低い排気音が湿った空気を震わせていた。

 帝都北方に展開していた帝国軍は、異界軍の撤退を受けて反攻作戦の準備を進めていた。

 帝国領土奪還作戦《リコンキスタ》。

 北部方面軍の残存部隊を再編し、失われた道路、橋梁、集落を段階的に奪還する大規模な作戦だった。

 しかし、その準備は決して順調ではなかった。

 《ヘリオス》の爆風によって損傷した車両の修理は終わらず、負傷者の搬送も続いている。補給部隊は不足する燃料と弾薬の配分に追われ、各部隊の人員名簿には未確認者の名前が並んでいた。

 その一角で、レイブン・S・クロウは自分の装備を確認していた。

 SG-44の機関部を点検し、携行弾薬の数量を記録する。装備の留め具に緩みがないことを確かめると、背嚢を持ち上げた。

「……おはよう、レイブン」

 背後から、眠そうな声が聞こえた。

 振り返ると、ガイル・ベッカーが立っていた。

 犬系亜人の耳は少し垂れ、目の下には疲労の色が残っている。

「おはよう、ガイル。眠れた?」

「二時間くらいな。途中で整備車両がうるさくて起きちまった」

「俺も似たようなものだよ」

 ガイルはレイブンの手元を見た。

「もう準備終わったのか?」

「ほとんど。あとは無線機の確認だけ」

「相変わらず早えな」

 ガイルは自分の小銃を肩に掛け、隣へ腰を下ろした。

「……なあ、レイブン」

「何?」

「俺たち、またあの森へ行くんだよな」

「うん」

「この前、砲撃で吹っ飛ばした通信装置のところか」

 レイブンは頷いた。

「司令部は、あの装置が異界軍の指揮や通信に関係していた可能性を調べたいらしい」

「だったら工兵か技術屋を連れていけばいいのに」

「後続の調査班が来る予定だよ。俺たちは、その前に周囲の安全を確認する」

 ガイルは納得したように頷いた。

「なるほどな」

 レイブンは地図を広げた。

 帝都北方からハルテンフェルト森林地帯へ向かう道路には、複数の印が書き込まれている。

 異界軍の最後の確認地点。

 帝国軍の前進予定線。

 そして、まだ安全が確認されていない地域。

 レイブンは、その一つを指した。

「……ここが気になる」

 ガイルが顔を近づけた。

「旧街道?」

「うん。昨日の報告では、異界軍の一部がここを通って後退したらしい」

「追いかけるのか?」

「いや。俺たちの任務は経路確認だから、無理に接触するつもりはない」

 レイブンは地図を畳んだ。

「でも、どうして敵が急に撤退したのかは気になる」

 ガイルは少し考えた。

「……《ヘリオス》で補給部隊を吹っ飛ばされたからじゃねえの?」

「それもあると思う」

「ほかにも理由があるってことか?」

「……分からない」

 レイブンは小さく息を吐いた。

「だから、調べるんだと思う」

 ガイルは笑った。

「よし。だったら、さっさと行って帰ってこようぜ」

 午前5時18分。

 第三臨時歩兵集成隊、臨時作戦指揮所。

 レイブンたち〈不死身の分隊〉は、出発前の最終説明を受けていた。

 指揮所の中央には、帝都北方の地図が広げられている。

 エルンスト・フォーゲル少尉が、その前に立っていた。

「今回の任務は、ハルテンフェルト森林地帯の再偵察だ」

 フォーゲルは地図を指した。

「第一目標は、異界軍の通信施設跡地の確認。第二目標は、周辺道路の通行状況と敵の残存戦力の調査」

 レイブンは頷いた。

「了解しました」

「ただし、敵の撤退を全面的な敗走と判断するな」

 フォーゲルは全員を見渡した。

「敵が後退した理由は、まだ分かっていない。意図的に防御線を短縮している可能性もある」

 フェリックスが尋ねた。

「敵の後衛部隊と遭遇した場合は?」

「原則として交戦を避けろ。発見した場合は位置と規模を報告し、後続部隊へ引き継ぐ」

 フォーゲルは続けた。

「また、通信施設跡地には未知の機材が残っている可能性がある。不用意に触れるな。調査は専門班に任せる」

「了解しました」

 ユリウスが答えた。

 フォーゲルは、レイブンへ視線を向けた。

「クロウ」

「はい」

「昨日の共和国軍偵察小隊についてだが、全員の身柄は軍の管理下に置かれた。負傷者の治療も続いている」

 レイブンは少しだけ安堵した。

「……ありがとうございます」

「礼を言う相手が違う。お前たちが連れて帰ったんだ」

 フォーゲルは少し表情を緩めた。

「それと、マルコフ少尉から預かった情報は、司令部へ送ってある」

「そうですか」

「あの森を敵が迂回していたという報告も、今回の調査対象だ」

 レイブンは頷いた。

「了解しました」

 フォーゲルは、最後に全員を見渡した。

「……いいか。今回の作戦は、帝国軍にとって久しぶりの前進だ」

 誰も口を開かなかった。

「だが、前進することと、生きて帰ることは別の話だ。任務を果たしたら、必ず戻れ」

 レイブンは姿勢を正した。

「了解しました」

 ガイルも敬礼した。

「必ず帰還します」

 フォーゲルは頷いた。

「よし。出発を許可する」

 午前6時03分。

 帝都北方、旧幹線道路。

 〈不死身の分隊〉を乗せた軽装甲車が、北へ向かっていた。

 車両の後方には、帝国軍の偵察車両が一両続いている。

 道路の両側には、《ヘリオス》による爆風で倒れた樹木や、放棄された車両が残っていた。

 遠くの丘陵地帯には、異界軍の大型生物と思われる死骸が横たわっている。

 ガイルは車窓からその光景を見つめていた。

「……昨日まで、あいつらが帝都の目の前にいたんだよな」

 レイブンは頷いた。

「うん」

「……信じられねえな」

 フェリックスが前方を確認しながら言った。

「まだ安心するには早い。敵がどこまで後退したのか分かってない」

 ユリウスも無線機を操作していた。

「前方の部隊からは、今のところ大規模な敵影なしとの報告だ」

 エミールは、救護装備を確認しながら呟いた。

「……このまま何もなければいいんだけど」

 ガイルが笑った。

「おいおい、そういうこと言うと何か起きるぞ」

「ガイル、それは迷信だよ」

 レイブンが言うと、ガイルは肩をすくめた。

「分かってるって」

 車両は、ゆっくりと北へ進んでいった。

 午前7時26分。

 ハルテンフェルト森林地帯、南側入口。

 車両は森の手前で停止した。

 前方の道路には倒木があり、これ以上の進入は困難だった。

 レイブンは車両を降り、周囲を確認した。

「ここから徒歩で行こう」

 ガイルが頷いた。

「了解」

 フェリックスが先行し、ユリウスは通信状態を確認した。

 エミールは救護装備を背負い、最後尾の警戒を担当する。

 レイブンはSG-44を構え直した。

「……行こう」

 一行は森へ入った。

 昨日と同じ場所だった。

 しかし、森の様子は大きく変わっていた。

 砲撃によって折れた木々が倒れ、地面には大きな破片が散乱している。

 異界軍の通信装置が設置されていた場所へ近づくにつれ、焦げた臭いが強くなっていった。

 やがて、フェリックスが足を止めた。

「……見えた」

 レイブンは、木々の隙間から奥を確認した。

 そこには、破壊された通信装置の残骸があった。

 黒い柱状の構造物は途中から折れ、円盤状の基部は大きく損傷している。

 周囲には、異界軍の兵士たちが使用していたと思われる装備が散乱していた。

 ガイルは、残骸を見つめた。

「……見事に壊れてるな」

 ユリウスが頷いた。

「精密誘導砲弾が命中したんだ。これだけの損傷があっても不思議じゃない」

 レイブンは、装置の中心部を見つめた。

 昨日まで青白い光を放っていた場所。

 今は、ただ黒い残骸が残っているだけだった。

「……フェリックス」

「何?」

「周囲を確認して。敵が戻ってきていないか知りたい」

「了解」

 フェリックスは森の奥へ視線を向けた。

 レイブンはユリウスへ声を掛けた。

「装置の状態を記録して」

「分かった」

 ユリウスは記録装置を取り出した。

 ガイルは、残骸の周囲を見渡していた。

「……なあ、レイブン」

「何?」

「これ、本当に通信装置だったのか?」

 レイブンは首を傾げた。

「……まだ分からない」

「だよな」

 ガイルは残骸を見つめた。

「でも、異界軍がこんな森の中で何かしてたのは確かだ」

 レイブンは頷いた。

「うん」

 その時、ユリウスが声を上げた。

「……レイブン」

「どうした?」

「これ、見てくれ」

 ユリウスは、装置の破損部分を指した。

 そこには、奇妙な模様が刻まれていた。

 帝国軍の技術者が使用する文字とも、共和国軍の識別記号とも異なる。

 複雑な曲線と直線が組み合わされた、見慣れない文字だった。

「……何だろう」

 レイブンは呟いた。

 ユリウスは記録装置を向けた。

「分からない。でも、記録しておけば、あとで解析できるかもしれない」

 レイブンは頷いた。

「お願い」

 その時だった。

 フェリックスが、突然、低い声で呼んだ。

「……レイブン」

「何?」

「……森の奥に、足跡がある」

 レイブンは顔を上げた。

「異界軍?」

「たぶん。昨日のものより新しい」

 レイブンは、フェリックスの示した方向へ向かった。

 そこには、湿った地面に残された複数の足跡があった。

 人間に似た足跡もあれば、明らかに異なる形状のものもある。

 その足跡は、森の北側へ続いていた。

 ガイルが眉を寄せた。

「……撤退した奴らか?」

 レイブンは地面を見つめた。

「……可能性はある」

 フェリックスは、足跡の先を見た。

「追う?」

 レイブンは、しばらく考えた。

 任務は偵察。

 敵との交戦ではない。

 しかし、足跡がどこへ続いているのかは、後続部隊にとって重要な情報になるかもしれない。

「……少しだけ確認しよう」

 ガイルは頷いた。

「了解」

 レイブンは無線機へ向かった。

「こちらクロウ分隊。通信施設跡地の確認を完了。現在、北側へ続く新しい足跡を発見。進路確認のため、限定的に前進します」

『了解。交戦は避け、状況を報告せよ』

「了解」

 一行は、再び森の奥へ進み始めた。

 午前9時14分。

 ハルテンフェルト森林地帯、北部。

 足跡は、森の奥にある古い林道へ続いていた。

 その先には、放棄された監視小屋が建っている。

 レイブンは、木々の陰から小屋を確認した。

「……誰かいる?」

 フェリックスは双眼鏡を覗いた。

「……今のところ、人影はない」

 ガイルが小声で言った。

「じゃあ、行くか?」

 レイブンは頷いた。

「慎重に」

 分隊は、監視小屋へ近づいた。

 建物の扉は半開きになっていた。

 内部には、古い机と椅子が残されている。

 しかし、床には新しい泥が付着していた。

 誰かが最近、ここを通ったらしい。

 レイブンは、机の上に置かれた物を見つけた。

「……これは?」

 そこには、小さな金属片があった。

 表面には、通信装置と同じような模様が刻まれている。

 ユリウスが近づいた。

「……同じ文字だ」

 レイブンは頷いた。

「うん」

 ガイルが周囲を見渡した。

「……何で、こんなところに?」

 レイブンは答えられなかった。

 その時、フェリックスが外から声を掛けた。

「レイブン! こっちへ!」

 レイブンたちは小屋を出た。

 フェリックスは、林道の先を指していた。

「……あれを見てくれ」

 レイブンは双眼鏡を覗いた。

 遠くの丘陵地帯に、異界軍の兵士たちがいた。

 しかし、彼らは帝都へ向かっていなかった。

 北へ向かって移動していた。

 その中には、負傷した兵士を支える者もいた。

 大型生物の一部は、荷物を運んでいる。

 レイブンは、しばらくその光景を見つめた。

「……撤退してる」

 ガイルが呟いた。

「……本当に、帰っていくんだな」

 レイブンは頷いた。

「うん」

 しかし、彼の表情は晴れなかった。

 異界軍は、ただ逃げているようには見えなかった。

 負傷者を連れ、物資を運び、一定の秩序を保ちながら移動している。

 それは、敗走というよりも、計画された撤収に近かった。

「……ガイル」

「何だ?」

「これ、少し変だと思わない?」

 ガイルは顔を向けた。

「何が?」

「敵は、まだ戦えるように見える」

 ガイルは双眼鏡を覗いた。

 しばらくして、表情を変えた。

「……確かに」

 レイブンは続けた。

「《ヘリオス》で補給部隊が損害を受けたのは確かだと思う。でも、これだけの部隊が秩序を保って撤退しているなら……」

 言葉が途切れた。

 フェリックスが静かに言った。

「……何か、別の理由があるのかもしれない」

 レイブンは頷いた。

「……うん」

 ユリウスが無線機を握った。

「司令部へ報告する?」

「お願い」

 ユリウスは頷いた。

 そして、帝都北方の司令部へ通信を送った。

「こちらクロウ分隊。ハルテンフェルト森林地帯北部にて、異界軍の撤退部隊を確認。負傷者および物資を伴い、北方へ移動中。部隊の統制は維持されている模様」

 無線の向こうから返答があった。

『了解。引き続き監視せよ』

 レイブンは、遠くの異界軍を見つめた。

 敵は撤退している。

 しかし、それが何を意味するのか。

 まだ誰にも分からなかった。

 午前10時46分。

 帝国軍最高司令部、作戦局。

 シュタインベルク少将は、北部方面軍から届いた報告書を読んでいた。

 そこには、異界軍の撤退状況が詳細に記されている。

 各地で敵が後退している。

 帝国軍の前進部隊は、失われた道路や集落を次々と確保し始めていた。

 しかし、報告書の中には、気になる記述もあった。

 敵の撤退は秩序を保っている。

 負傷者と物資を伴っている。

 大規模な混乱は確認されていない。

 シュタインベルク少将は、その部分を見つめた。

「……秩序だった撤退、か」

 隣にいた参謀が尋ねた。

「少将、何か問題が?」

 シュタインベルクは、しばらく考えた。

「……敵が退いていること自体は好機だ」

 そして、地図を指した。

「だが、追撃部隊を無制限に前進させるな。補給線を維持しながら、段階的に奪還する」

 参謀は頷いた。

「了解しました」

 シュタインベルクは、さらに続けた。

「敵が何を考えているのか分からない以上、慎重に進める必要がある」

 その言葉を聞いた参謀は、少し驚いたようだった。

 領土奪還を強く主張した本人が、今は慎重な姿勢を見せていたからだ。

 しかし、シュタインベルク少将は地図から目を離さなかった。

 帝国は、ようやく反撃を開始した。

 だが、それは勝利を意味するものではなかった。

 同日午後1時32分。

 連邦共和国西部、共和国軍前線補充基地。

 エリシア・L・ヴォルハラム少尉は、輸送車両の荷台から降りた。

 金色の髪は後ろでまとめられ、共和国軍の軍服には新しい階級章が付けられている。

 中尉から少尉へ。

 《メデューサー》の投下に最後まで反対した結果、彼女は降格処分を受け、異界軍との前線へ送られることになった。

 基地の周囲には、負傷した兵士たちが集められていた。

 整備兵たちは車両の修理を行い、衛生兵は次々と運び込まれる負傷者の処置に追われている。

 エリシアは、その光景を見つめた。

 共和国軍も、帝国軍と同じように追い詰められていた。

 《メデューサー》による攻撃は、異界軍の集結地点に大きな損害を与えた。

 しかし、周辺地域にも被害が発生していた。

 民間人の被害については、まだ正確な情報が届いていない。

 エリシアは、静かに息を吐いた。

「……少尉」

 背後から声がした。

 振り返ると、共和国軍の下士官が立っていた。

「ヴォルハラム少尉でありますか?」

「はい」

「西部方面軍、第十九独立歩兵大隊所属、セルゲイ・オルロフ軍曹です」

 軍曹は敬礼した。

 エリシアも敬礼を返した。

「エリシア・L・ヴォルハラム少尉です。よろしくお願いします」

 オルロフ軍曹は頷いた。

「貴官の配属先まで案内します」

「お願いします」

 二人は基地の奥へ向かった。

 途中、エリシアは負傷兵たちの姿を見た。

 包帯を巻いた兵士。

 松葉杖をついた兵士。

 担架で運ばれる兵士。

 そして、空になった担架を片付ける衛生兵。

 その光景を見ながら、エリシアは静かに尋ねた。

「……この基地には、どれくらいの負傷者が?」

 オルロフ軍曹は少しだけ表情を曇らせた。

「正確な数は分かりません。昨日から、ずっと運び込まれています」

「……そうですか」

「《メデューサー》の影響もあります」

 エリシアは足を止めた。

「……爆心地から?」

 オルロフは頷いた。

「前線の兵士も、避難途中の民間人もいます」

 エリシアは唇を噛んだ。

 自分が恐れていたことが、現実になっていた。

 しかし、今ここで立ち止まっているわけにはいかなかった。

「……案内を続けてください」

「了解しました」

 午後2時08分。

 共和国軍第十九独立歩兵大隊、前線指揮所。

 エリシアは、大隊長の前に立っていた。

 大隊長は、ヴィクトル・ドラグノフ中佐。

 共和国軍で長く前線勤務を経験してきた将校だった。

「……ヴォルハラム少尉か」

 ドラグノフ中佐は、書類を確認した。

「はい」

 エリシアは姿勢を正した。

 中佐は、しばらく彼女を見つめた。

「……司令部から、君の経歴は聞いている」

 エリシアは黙っていた。

「《メデューサー》の使用に反対したそうだな」

「……はい」

「その結果、降格された」

「はい」

 ドラグノフは、少しだけ息を吐いた。

「……正直に言えば、面倒な人材を押し付けられたと思っている」

 エリシアは顔を上げた。

 中佐は続けた。

「だが、ここでは階級章よりも、部下を生かせるかどうかが重要だ」

 エリシアは、静かに頷いた。

「……承知しています」

「君には、第二中隊の臨時小隊を任せる」

 ドラグノフは地図を示した。

「任務は、前線の警戒と避難経路の確保だ」

 エリシアは地図を見つめた。

 そこには、共和国西部の海岸線から内陸へ続く道路が記されていた。

 《メデューサー》の爆発によって損傷した地域。

 異界軍の残存部隊が確認されている地点。

 そして、まだ避難が完了していない集落。

「……了解しました」

 エリシアは答えた。

 ドラグノフは頷いた。

「一つだけ言っておく」

「……何でしょうか」

「ここでは、正しいことを言うだけでは部下は守れない」

 エリシアは、少しだけ目を伏せた。

 中佐は続けた。

「だが、間違っていると思うことを黙って受け入れろとも言わない」

 エリシアは顔を上げた。

 ドラグノフは、静かに言った。

「……判断するなら、最後まで責任を持て」

 エリシアは姿勢を正した。

「……はい」

 中佐は頷いた。

「よし。配属先へ向かえ」

「了解しました」

 エリシアは敬礼し、指揮所を後にした。

 午後4時21分。

 ハルテンフェルト森林地帯、北部丘陵。

 レイブンたちは、異界軍の撤退部隊を遠方から監視していた。

 敵は、ゆっくりと北へ向かっている。

 その移動は、今も秩序を保っていた。

 ガイルは双眼鏡を下ろした。

「……なあ、レイブン」

「何?」

「俺たち、ここまで来たけど……本当に追いかけなくていいのか?」

 レイブンは頷いた。

「うん。命令は偵察だから」

「……そうか」

 ガイルは少しだけ残念そうだった。

 レイブンは笑った。

「ガイル、戦いたいの?」

「いや、そういうわけじゃねえよ」

 ガイルは肩をすくめた。

「ただ、今まで逃げてばっかだったからさ」

 レイブンは、しばらく黙っていた。

 グラーフェンからの撤退。

 帝都目前までの後退。

 そして、《ヘリオス》による戦略攻撃。

 確かに、帝国軍は長い間、守るために後退してきた。

 しかし、だからといって、今すぐ敵を追いかけることが正しいとは限らない。

「……ガイル」

「何だ?」

「俺たちは、帰ってくるために戦ってるんだよ」

 ガイルは、少しだけ目を丸くした。

 レイブンは続けた。

「前に進むことだけが、勝つことじゃないと思う」

 ガイルは、しばらく黙っていた。

 やがて、小さく笑った。

「……レンツ軍曹みたいなこと言うな」

 レイブンも微笑んだ。

「……そうかな」

「ああ。そっくりだ」

 その時、ユリウスの無線機から通信が入った。

『……クロウ分隊、こちら第三臨時歩兵集成隊本部』

 レイブンは無線機を受け取った。

「こちらクロウ」

『偵察任務を終了せよ。現在位置から後退し、後続部隊と合流すること』

「了解しました」

 レイブンは無線機を下ろした。

 ガイルが顔を向けた。

「……帰るのか?」

「うん」

 レイブンは頷いた。

「任務終了だ」

 ガイルは笑った。

「よし。今度こそ、まともな飯が食えるな」

 エミールが苦笑した。

「それ、昨日も言ってたよ」

「昨日は結局、保存食だったからな!」

 ユリウスが呆れたように言った。

「帰っても保存食かもしれないぞ」

「おい、縁起でもねえこと言うな!」

 仲間たちの間に、小さな笑い声が広がった。

 レイブンは、その様子を見つめていた。

 グラーフェンで失った仲間たち。

 マティアス・H・レンツ軍曹。

 そして、帝都までの長い撤退。

 すべてを忘れることはできない。

 それでも、今ここには、まだ生きている仲間がいる。

 レイブンはSG-44を肩に掛け直した。

「……行こう」

 ガイルが頷いた。

「ああ、分隊長」

 〈不死身の分隊〉は、帝都へ向かって歩き始めた。

 その背後では、異界軍の撤退部隊が北へ向かっていた。

 彼らがどこへ帰るのか。

 何を目的としているのか。

 そして、なぜ帝都を目前にして撤退したのか。

 その答えは、まだ分からなかった。

 帝国は領土奪還作戦《リコンキスタ》を開始した。

 共和国では、エリシア・L・ヴォルハラム少尉が新たな部隊を率いることになった。

 二つの国家は、異界軍との戦争を続けている。

 しかし、戦場では少しずつ、これまでとは異なる動きが始まっていた。

 異界軍は、ただ後退しているのではない。

 何かを待っているようにも見えた。

 そして、帝国軍も共和国軍も、その意味をまだ理解していなかった。

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