第76話 北へ向かう二人
第76話 北へ向かう二人
帝政歴344年4月27日、午前5時42分。
帝国北部、ヴァイスベルク駐屯地、第三新兵宿舎。
窓の外から聞こえてきたのは、軍用トラックのエンジン音だった。まだ夜明け前だというのに、駐屯地の中央道路では複数の車両が行き交い、荷台に積まれた木箱が振動するたび、金属製の留め具が小さな音を立てていた。
レイブン・S・クロウは寝台から身体を起こし、窓際へ歩いた。黒い猫耳が外の物音を拾い、左右で色の異なる瞳が、薄暗い道路を走る輸送車両を追っている。
「……また増えたな」
昨夜も、北部方面へ向かう輸送車列を見かけていた。
以前から物資の輸送は行われていたが、ここ数日は明らかに車両の数が増えている。燃料を運ぶ大型車、医療資材を積んだ衛生車両、整備部隊の作業車。そして、幌を被せた荷台には、用途の分からない木箱が積み上げられていた。
「何が増えたんだ?」
背後から声がした。
振り返ると、ガイル・ベッカーが毛布を肩まで掛けたまま、眠たそうにこちらを見ていた。
「輸送車両だよ。昨日より多い」
「……ああ、あれか」
ガイルは大きく欠伸をすると、寝台から降りた。
「北部の警備部隊に送る物資だろ? 昨日、補給担当の伍長がそんな話をしてたぞ」
「うん。でも、医療車両も増えてる」
「訓練用じゃねえのか?」
「そうかもしれない」
レイブンは窓から離れ、制服へ袖を通した。
共和国軍のエリシア・L・ヴォルハラム中尉が帰国してから、二日が経っていた。
彼女がいなくなったことで駐屯地の生活が大きく変わったわけではない。起床時刻も、食事も、訓練も、昨日までと同じように続いている。
それでも、レイブンは時折、講堂の窓際に立っていた金髪の女性将校の姿を思い出していた。
『あなたも、無事に帰ることを忘れないでね』
あの約束を交わした時、彼女がどんな気持ちだったのかは分からない。
ただ、彼女が帰国した理由を考えると、胸の奥に小さな不安が残った。
「おい、レイブン」
「何?」
「今日、SG-44の射撃評価だろ?」
「うん。午前中に予定されてる」
「やっと実弾か。長かったな」
「これまでも射撃評価は受けてるよ。今日は装備条件を変えた追加試験」
「細かいことはいいんだよ。撃てるんだろ?」
レイブンは苦笑した。
「撃てるけど、俺が好き勝手に撃つわけじゃないからね」
「分かってるって」
ガイルは笑いながら軍靴を履いた。
「でもさ、お前がその銃を使ってるところ、ちゃんと見てみたいんだよ」
「見学許可が出たらね」
二人はそんな会話を交わしながら、朝の準備を進めた。
まだ、この時の二人にとって、北部前線とは地図の向こう側にある場所だった。
そこへ自分たちが送られる日が来るとしても、もう少し先のことだと思っていた。
午前8時16分。
ヴァイスベルク駐屯地、中央兵器管理棟。
「クロウ新兵、昨日の評価記録は確認した」
オットー・ヴァイス准尉は、机の上に広げた書類から顔を上げた。
「携行時の負担、操作部へのアクセス、装備との干渉。いずれも具体的に記録されている。悪くない」
「ありがとうございます」
「だが、今日は少し条件を変える」
准尉は作業台の上に置かれたSG-44を示した。
「射撃場での追加評価だ。射撃姿勢の変化、反動の受け方、連続使用後の疲労、それから整備に必要な時間を確認する」
レイブンは頷いた。
「了解しました」
「切替機構の評価も行うが、操作は担当教官の指示に従え。機構に異常があれば、その場で試験を中止する」
「はい」
准尉は、少し表情を和らげた。
「クロウ、お前はこの一年で随分と慣れたな」
「……まだ、覚えることばかりです」
「それでいい。慣れたと思った時が一番危ない」
レイブンはSG-44へ視線を向けた。
初めて受領した時、その重さに驚いたことを覚えている。機関部の大きさも、切替機構も、制式小銃とは異なる重量配分も、すべてが新鮮だった。
今では構え方や携行時の負担をある程度理解できるようになったが、使いこなしていると胸を張れるほどではない。
准尉は書類を閉じた。
「よし。射撃場へ向かえ」
「了解しました」
午前9時34分。
ヴァイスベルク駐屯地、第二射撃場。
乾いた発射音が、山間の射撃場に響いた。
レイブンは指定された射撃位置でSG-44を構え、教官の指示を待っていた。
射撃場には安全管理員と整備担当者が配置され、射撃記録を取る兵器技術班も待機している。
「クロウ新兵、準備はいいか」
「はい」
「では、指定された評価射撃を実施する」
レイブンは呼吸を整えた。
射撃指示が出る。
SG-44が発射され、強い反動が肩へ伝わった。
銃声が山肌に反響する。
レイブンは教官の指示に従って射撃を続け、途中で評価条件を変更した。
一連の試験が終了すると、安全確認を受けて銃を下ろした。
「どうだ?」
担当教官が尋ねた。
「……連続して使用すると、肩と腕に負担が残ります。携行時の重量もありますが、長時間の運用では疲労が大きくなると思います」
「操作性は?」
「以前より慣れました。ただ、切替機構は確実に確認する必要があります」
教官は頷き、記録員へ内容を伝えた。
「よろしい。次は整備評価だ」
レイブンはSG-44を整備担当者へ引き渡した。
その時、射撃場の外から軍用車両が到着した。
車両から降りた通信兵が、射撃場責任者へ封筒を手渡す。
責任者は書類を読み、表情を引き締めた。
レイブンはその様子を見ていたが、声を掛けることはしなかった。
やがて、射撃場責任者が教官たちを集めた。
「午後の教育予定を一部変更する。北部守備管区から、警備体制の見直しに関する通達が入った」
その言葉に、周囲の兵士たちが顔を見合わせた。
レイブンも、少しだけ眉を寄せた。
北部守備管区。
国境に近い地域を担当する部隊だった。
午前11時52分。
第三新兵宿舎、食堂。
「なあ、聞いたか?」
ガイルは食事の盆を置くなり、レイブンへ身を乗り出した。
「何を?」
「北部の部隊、増員するらしいぞ」
レイブンは顔を上げた。
「……誰から聞いたの?」
「輸送担当の兵士が話してた。予備役の招集も増えるかもしれないって」
「まだ正式な話じゃないんだよね」
「ああ。でも、何かありそうじゃねえか」
レイブンは少し考えた。
「……そうだね」
ガイルはパンをちぎりながら続けた。
「俺たちも、いつか北へ行くのかな」
「配属命令が出れば、行くことになると思う」
「怖くねえのか?」
レイブンは、すぐには答えなかった。
食堂の窓の外では、整備兵たちが軍用車両の点検を続けていた。
「……怖いよ」
ガイルは少し驚いたように顔を上げた。
レイブンは続けた。
「訓練と実戦は違うし、何が起きるか分からないから」
「……そっか」
「ガイルは?」
ガイルは少し考え、苦笑した。
「俺も怖い」
レイブンは静かに頷いた。
「……うん」
「でも、もし行くなら、お前と同じ部隊がいいな」
「俺も」
ガイルは笑った。
「じゃあ、約束だ」
レイブンも微笑んだ。
「……うん」
午後3時21分。
ヴァイスベルク駐屯地、教育管理本部。
午後の訓練を終えたレイブンとガイルは、ケラー軍曹から呼び出しを受けていた。
事務室には、数名の教育担当将校が集まっている。
机の上には、北部守備管区から送られてきた書類が置かれていた。
「クロウ新兵、ベッカー新兵」
「はい!」
「本日付で、お前たちの教育課程に変更がある」
レイブンは姿勢を正した。
「変更、ですか?」
ケラー軍曹は頷いた。
「北部守備管区では、国境警備部隊の増強に伴い、実地教育を受ける兵員の受け入れを拡大することになった」
ガイルが顔を上げた。
「……実地教育?」
「ああ。正式な戦闘配属ではない。警備部隊に同行し、実際の部隊運用、補給、陣地構築、通信、警戒勤務などを学ぶ」
レイブンは静かに聞いていた。
「お前たちは、その候補者に選ばれた」
ガイルは思わずレイブンを見た。
レイブンも、少し驚いた表情を浮かべていた。
ケラー軍曹は続けた。
「ただし、最終決定ではない。適性確認と健康診断を経て、正式な教育派遣命令が発令される」
「了解しました」
レイブンは答えた。
ガイルも続いた。
「了解しました!」
軍曹は二人を見比べた。
「勘違いするな。北部の部隊は訓練場ではない。国境情勢が悪化している以上、危険がないとは言い切れん」
レイブンは頷いた。
「はい」
「それでも、実地教育は兵士として重要な経験になる」
軍曹は書類を閉じた。
「正式命令が出るまでは、通常の教育課程を継続しろ」
「了解!」
午後6時47分。
第三新兵宿舎、第二〇六号室。
夕食を終えたレイブンは、机に向かって手紙を書いていた。
宛先は、クロウ家。
父ヴァルター、母セレナ、妹ルナへ向けたものだった。
『父さん、母さん、ルナへ』
『こちらは変わらず元気にしています。今日、北部守備管区での実地教育候補に選ばれたと伝えられました。まだ正式な命令ではありませんが、決まればしばらく駐屯地を離れることになると思います。』
レイブンはペンを止めた。
父は、どう思うだろう。
ヴァルター・A・クロウ。
帝国軍の将校であり、教官でもある父。
かつて異界で右腕を失い、それでも生きて帰ってきた人。
父なら、北部へ向かうことの意味を理解しているだろう。
だからこそ、心配もするはずだった。
レイブンは再びペンを走らせた。
『心配しないで、と書くのは難しいけれど、無理をせず、教わったことを守ります。』
『父さんとの約束も忘れていません。』
『必ず、無事に帰ります。』
そこまで書いた時、背後からガイルの声がした。
「……家に手紙か?」
「うん」
「そっか」
ガイルは自分の寝台へ腰を下ろした。
「俺も書こうかな」
レイブンは振り返った。
「書いた方がいいと思うよ」
「だよな」
ガイルは少し笑った。
「俺が北へ行くって聞いたら、家族が大騒ぎしそうだけど」
「……うちもそうかもしれない」
二人は顔を見合わせ、少し笑った。
しかし、その笑いの奥には、まだ知らない未来への不安があった。
帝政歴344年5月9日、午前9時16分。
ヴァイスベルク駐屯地、教育管理本部。
北部守備管区への実地教育派遣が、正式に決定した。
レイブンとガイルは健康診断と適性確認を終え、ケラー軍曹から命令書を受け取っていた。
派遣先は、帝国北部グラーフェン地区。
国境警備部隊の後方教育分遣隊。
任務は、警備部隊の実地教育と部隊運用の習熟。
派遣期間は、情勢と教育進度に応じて調整される。
ケラー軍曹は二人を見た。
「お前たちには、北部の現場を見てもらう」
「はい」
「ただし、これは戦闘経験を積ませるための派遣ではない。国境警備部隊が、どうやって任務を続けているのかを学ぶためのものだ」
ガイルは頷いた。
「了解しました」
軍曹は続けた。
「北部では、政治情勢の変化がそのまま部隊の緊張につながる。現場の判断だけで動けないことも多い」
レイブンは静かに聞いていた。
「だからこそ、命令系統を守れ。勝手な行動をするな」
「了解しました」
ケラー軍曹は二人へ視線を向けた。
「それと、クロウ」
「はい」
「SG-44の携行については、兵器管理部から条件付きの許可が出ている。現地でも評価を継続するが、使用条件と管理規定は変わらん」
「了解しました」
「ベッカー」
「はい!」
「お前は周囲を見ろ。力任せに動くな」
ガイルは少し苦笑した。
「……了解しました」
ケラー軍曹は、二人の様子を見て小さく笑った。
「よし。出発は三日後だ」
帝政歴344年5月12日、午前6時28分。
ヴァイスベルク北部軍用操車場。
早朝の操車場には、白い蒸気と排気煙が漂っていた。
兵員輸送用の客車と貨車を連結した軍用列車が、出発を待っている。
貨車には建設資材、食料、燃料、通信機材が積み込まれ、兵士たちは名簿を確認しながら乗車していた。
レイブンとガイルは、背嚢を背負ってホームに立っていた。
「……いよいよだな」
ガイルが言った。
「うん」
レイブンは列車を見上げた。
ここから先は、これまでの教育とは違う。
実際の国境警備部隊に入り、現場の兵士たちと生活することになる。
「レイブン」
「何?」
「緊張してるか?」
「……少し」
ガイルは笑った。
「俺もだ」
二人は顔を見合わせた。
「でも、まあ」
ガイルは拳を差し出した。
「一緒なら何とかなるだろ」
レイブンは少し笑い、その拳へ自分の拳を当てた。
「……うん」
乗車を知らせる号令が響いた。
二人は列車へ乗り込んだ。
午前6時47分。
列車が動き始めた。
ヴァイスベルクの建物が、ゆっくりと後方へ流れていく。
レイブンは窓の外を見つめていた。
ここで過ごした日々。
教育学校から続く訓練。
仲間たちとの再会。
SG-44との出会い。
そして、エリシア・L・ヴォルハラム中尉との短い交流。
彼女が帰国してから、まだ半月ほどしか経っていない。
それなのに、ずっと前の出来事のようにも感じられた。
「……中尉」
レイブンは小さく呟いた。
隣のガイルが顔を向ける。
「何か言ったか?」
「……ううん」
レイブンは首を横に振った。
「何でもない」
ガイルは窓の外を見た。
「北部って、どんなところなんだろうな」
「……寒いって聞いた」
「そりゃ困るな」
「ガイルは寒さに強そうだけど」
「強いけど、好きとは限らねえよ」
レイブンは笑った。
ガイルも笑った。
列車は北へ向かって走り続けた。
帝政歴344年5月13日、午後2時36分。
帝国北部、グラーフェン国境警備地区。
列車を降りた時、最初に感じたのは冷たい風だった。
北部の山々から吹き下ろす風が、兵士たちの制服を揺らしている。
駅の周囲には、帝国軍の輸送車両が並び、警備兵が貨物の確認を行っていた。
レイブンは背嚢を背負い直し、周囲を見渡した。
遠くには山々が連なり、その手前には畑と小さな集落が広がっている。
一見すると、静かな田園地帯だった。
しかし、道路の要所には検問所が設置され、通信線の補修作業が行われていた。
「……ここがグラーフェンか」
ガイルが呟いた。
レイブンは頷いた。
「……うん」
二人が指定された集合地点へ向かうと、一人の男性軍曹が待っていた。
四十歳前後に見える、無精髭を生やした兵士だった。
軍服には長年の使用による擦れがあり、胸元には複数の勤務章が付いている。
「お前らが、ヴァイスベルクから来た教育派遣兵か?」
「はい!」
レイブンとガイルは姿勢を正した。
「レイブン・S・クロウです」
「ガイル・ベッカーです!」
軍曹は二人を見比べた。
「俺はハインリヒ・レンツ軍曹だ。ここの警備小隊で分隊指導を担当している」
彼はガイルを見た。
「……でかいな、お前」
「犬系亜人です!」
「見りゃ分かる」
レンツ軍曹は笑った。
続いて、レイブンのSG-44へ視線を向けた。
「……お前は散弾銃か」
「はい。試験評価を継続している装備です」
「なるほどな」
レンツは少し考えた。
「まあ、ここじゃ珍しい銃より、ちゃんと動ける兵士の方がありがたい」
レイブンは頷いた。
「了解しました」
レンツ軍曹は二人へ背を向けた。
「ついてこい。まずは宿舎と警備地区を案内する」
二人は軍曹の後を追った。
午後3時18分。
グラーフェン国境警備地区、第三警備小隊宿営地。
宿営地は、小高い丘の麓に設けられていた。
木造の宿舎と補給倉庫が並び、その周囲には土嚢を積んだ防御施設が配置されている。
丘の向こうには、国境へ続く道路が伸びていた。
レンツ軍曹は二人を連れて歩きながら説明した。
「ここは国境警備地区だ。今のところ、戦争は始まっていない」
レイブンは頷いた。
「はい」
「だが、共和国軍との緊張は高まっている。だから、警備体制を強化している」
ガイルが尋ねた。
「実際に、共和国軍と顔を合わせることもあるんですか?」
「ある」
レンツ軍曹は答えた。
「国境の監視所や検問所では、互いの部隊が見える距離にいることもある」
「……そうなんですね」
「ただし、勝手に挑発するな。向こうも軍人だ。命令でそこに立っている」
レイブンは、少しだけ顔を上げた。
その言葉は、エリシア中尉が話していたことと似ていた。
レンツ軍曹は続けた。
「今は、撃ち合うことが任務じゃない。国境を守り、余計な衝突を起こさないことが任務だ」
「了解しました」
「よし」
レンツ軍曹は二人を宿舎へ案内した。
午後5時42分。
グラーフェン国境警備地区、第三警備小隊宿舎。
レイブンとガイルは、割り当てられた寝台へ荷物を置いていた。
部屋には、すでに数名の兵士が生活している。
その一人が、二人へ声を掛けた。
「新入りか?」
「はい」
レイブンが答えた。
「ヴァイスベルクから来ました」
「そうか。俺はディートリヒ・ハルトマン上等兵だ」
彼は二人を見比べた。
「よろしくな」
「よろしくお願いします」
ガイルも笑った。
「よろしくお願いします!」
ハルトマンはガイルの肩を軽く叩いた。
「元気がいいな」
「ありがとうございます!」
「褒めてるかどうかは、まだ分からんぞ」
部屋に笑い声が広がった。
レイブンも少し笑った。
その時、宿舎の外から鐘の音が響いた。
続いて、遠くで車両のエンジン音が聞こえる。
ハルトマンは窓の外を見た。
「……また補給車列か」
レイブンが尋ねた。
「最近、多いんですか?」
「ああ。ここ一か月で随分増えた」
ハルトマンは少し表情を引き締めた。
「共和国軍も、向こう側で部隊を増やしてるらしい」
ガイルは黙っていた。
ハルトマンは二人へ視線を戻した。
「まあ、今のところは睨み合いだ。余計なことをしなきゃ、何も起きない」
レイブンは頷いた。
「……はい」
しかし、その言葉が本当に正しいのかどうかは、誰にも分からなかった。
午後8時26分。
グラーフェン国境警備地区、第三警備小隊宿舎。
夜になると、北部の冷たい風が宿舎の窓を揺らしていた。
レイブンは机に向かい、今日の記録を書いていた。
ヴァイスベルクからの出発。
北部への移動。
グラーフェンへの到着。
レンツ軍曹との出会い。
そして、国境警備地区の様子。
レイブンはペンを止めた。
窓の外には、遠くの山々が見える。
その向こうには、連邦共和国がある。
エリシア中尉が帰った国。
彼女は今、どこで何をしているのだろう。
レイブンには分からなかった。
ただ、彼女が無事でいてくれればいいと思った。
「……レイブン」
隣の寝台から、ガイルの声がした。
「何?」
「明日から、いよいよ現場だな」
「うん」
「緊張するか?」
レイブンは少し考えた。
「……するよ」
ガイルは笑った。
「俺もだ」
二人は顔を見合わせた。
「でもさ」
ガイルは続けた。
「ここでも、ちゃんとやっていこうぜ」
レイブンは頷いた。
「……うん」
ガイルは拳を差し出した。
レイブンは少し笑い、その拳へ自分の拳を当てた。
「約束だ」
「……約束」
窓の外では、冷たい風が吹いていた。
帝政歴344年5月13日。
帝国軍の教育派遣兵レイブン・S・クロウとガイル・ベッカーは、北部グラーフェン国境警備地区へ到着した。
二人はまだ、実戦を経験していない。
そして、帝国と連邦共和国の間でも、正式な戦争は始まっていなかった。
しかし、国境地帯では軍備増強が進み、警備部隊の緊張は日ごとに高まっていた。
レイブンとガイルは、レンツ軍曹の指導を受けながら、国境警備部隊の実地教育を始めることになる。
それは、二人が初めて本格的な軍務の現場に身を置く経験だった。
そして、後に〈鋼のHOUND〉と〈塹壕の悪魔〉と呼ばれることになる二人の兵士にとって、長い戦歴の始まりでもあった。
北部の夜空には、冷たい月が浮かんでいた。
国境線の向こうには、共和国軍の監視灯が小さく瞬いている。
二つの国は、まだ互いに銃を向けてはいなかった。
しかし、その距離は、確実に近づいていた。




