第69話 鋼鉄の相棒、SG-44
第69話 鋼鉄の相棒、SG-44
帝政歴三四四年、四月二十日。
午前五時四十六分。
帝国陸軍ヴァイスベルク駐屯地、第三新兵宿舎。
昨日よりも少し早く目を覚ましたレイブン・S・クロウは、寝台の上で静かに身体を起こした。
窓の外には薄い霧が漂い、北部の山々はまだ朝靄の向こうに隠れている。昨夜から降り続いた雨は明け方に止んだらしく、窓枠には細かな水滴が残っていた。
隣の寝台では、ガイル・ベッカーが大きな寝息を立てている。
レイブンは壁の時計を見た。
起床ラッパまで、あと二分。
昨日は初めて女性のみで構成された特殊歩兵中隊で訓練を受けた。
そして、そこで出会ったのは帝国軍人だけではなかった。
連邦共和国陸軍中尉、エリシア・L・ヴォルハラム。
帝国と連邦共和国の関係が悪化するなか、軍事交流協定によって派遣されている女性将校だった。
昨日の彼女の言葉を、レイブンは思い返していた。
『最初から全部できる必要はないわ。大切なのは、何ができなかったかを理解して、次に改善すること』
レイブンは小さく息を吐き、枕元の手帳を開いた。
昨夜書き留めた訓練記録の最後には、短い一文がある。
『自分一人ですべてを見ようとしない。仲間の役割を理解すること』
その下へ、今日の日付を書き加えようとした時だった。
廊下に起床ラッパが響いた。
「……んがっ!」
隣の寝台で、ガイルが跳ね起きた。
「敵襲か!?」
「起床時間だよ、ガイル」
「……ああ、そうだった」
レイブンは笑いを堪えながら手帳を閉じた。
「今日は装備交付の日だね」
その一言で、ガイルの犬耳が立った。
「そうだ! 今日、銃を受け取るんだった!」
彼は毛布を跳ね除け、勢いよく寝台から降りた。
「ようやくだな! 学校じゃ訓練用の銃ばっかりだったし!」
「実銃も扱っただろう?」
「そりゃそうだけど、自分に管理番号が割り当てられる銃ってのは別だろ!」
レイブンも、その気持ちは理解できた。
教育学校では、銃器は授業や訓練のたびに管理者から貸与され、終了後に返却していた。
今日からは、所属する教育隊の管理下で、個人ごとに指定された銃を継続して使用することになる。
もちろん、私物になるわけではない。
銃は軍の財産であり、使用にも保管にも厳格な規則がある。
それでも、兵士として新しい段階へ進むことを意味していた。
「レイブン、お前は何を支給されると思う?」
「標準小銃じゃないかな」
「俺もそう思う。できれば新型がいいな!」
「新型だから使いやすいとは限らないよ」
「分かってるって!」
ガイルは制服へ袖を通しながら、楽しそうに笑った。
この時、二人はまだ知らなかった。
その日の装備交付が、レイブンの軍歴にとって、特別な意味を持つことになるとは。
午前七時五十八分。
ヴァイスベルク駐屯地、中央兵器管理棟。
レイブンとガイルは、ケラー軍曹に引率されて兵器管理棟へ向かっていた。
建物の外には、すでに数十名の新兵が並んでいる。
入り口には武装した警備兵が立ち、内部では兵器管理官たちが書類を確認していた。
壁に掲げられた掲示板には、銃器の受領、点検、使用、返却に関する規則が記されている。
「いいか、諸君」
ケラー軍曹は列の前で立ち止まった。
「これから支給するのは、訓練用の模擬銃ではない。実際に弾薬を使用できる軍用火器だ」
新兵たちの表情が引き締まった。
「受領時には管理番号、付属品、外観状態を確認する。疑問があれば、その場で申告しろ。勝手な分解、改造、交換は禁止だ」
軍曹は一人ずつ顔を見渡した。
「そして、最も重要なことを言っておく」
少し間を置き、続けた。
「銃を持ったからといって、一人前になったと思うな。安全に扱い、必要な時に正しく使い、必要のない時には撃たない。それができて初めて、兵士として信用される」
「了解!」
新兵たちの返事が揃った。
レイブンは胸元の身分証を確認した。
そこには、中央志願兵教育学校を修了した新兵としての所属と識別番号が記載されている。
学校卒業時に与えられた記念コールネーム《NoX》は、個人記録にも残されていた。
しかし、それはまだ正式な作戦無線呼出符号ではない。
現在の彼は、帝国陸軍の新兵、レイブン・S・クロウだった。
午前八時十七分。
兵器管理棟、第一交付窓口。
「次、ベッカー新兵!」
「はい!」
ガイルが前へ出た。
窓口の向こうにいた兵器管理下士官が、書類を確認する。
「ガイル・ベッカー。歩兵継続教育隊、第一教育班。指定装備は帝国軍制式自動小銃一挺、付属品一式」
管理官は、作業台の上へ黒色の小銃を置いた。
標準的な歩兵用の銃だった。
ガイルは目を輝かせた。
「おお……!」
「まだ触るな。先に番号を照合する」
「了解しました!」
管理官は銃本体の管理番号を読み上げ、ガイルが受領票と照合した。
外観点検と安全確認が終わると、ようやく受領が認められた。
「これより教育隊の管理下で、お前の指定銃となる。保管と使用は規則に従え」
「了解しました!」
ガイルは銃を受け取り、指定された携行姿勢を取った。
そして、レイブンを振り返る。
「見ろよ、レイブン!」
「よかったね」
「お前も早く受け取れよ!」
レイブンは頷き、次の呼び出しを待った。
「次、クロウ新兵!」
「はい!」
窓口へ進み、身分証を提示する。
管理官は書類を受け取った。
しかし、そこで手が止まった。
「……クロウ?」
「はい」
「レイブン・S・クロウで間違いないな?」
「間違いありません」
管理官はもう一度書類を確認し、奥にいた別の下士官を呼んだ。
「主任。特別装備指定の新兵が来ました」
レイブンは首を傾げた。
ガイルも、少し離れた場所からこちらを見ている。
「……特別装備?」
やがて、奥の扉から一人の准尉が現れた。
五十代ほどの人間種の男性。
灰色の髪を短く刈り込み、眼鏡を掛けている。
胸元には兵器技術管理部の徽章があった。
「クロウ新兵だな」
「はい!」
「私は兵器技術管理部のオットー・ヴァイス准尉だ」
准尉は書類を開いた。
「お前には、通常の制式小銃とは異なる装備が指定されている」
レイブンは驚いた。
「……異なる装備、ですか?」
「ああ」
ヴァイス准尉は、奥の保管区画へ視線を向けた。
「少し待て。現物を持ってくる」
数分後。
二人の兵器管理兵が、細長い黒色の輸送ケースを運んできた。
作業台へ置かれたケースには、白い文字が記されていた。
IMPERIAL ARMY — WEAPON DEVELOPMENT PROGRAM
SG-44
CONTROLLED FIELD EVALUATION
レイブンは、その文字を見つめた。
「……SG-44?」
ヴァイス准尉が頷いた。
「そうだ」
そして、ケースの留め具を外した。
重厚な蓋が開かれる。
内部には、黒を基調とした一挺のショットガンが収められていた。
長い銃身。
頑丈な機関部。
大型の操作部。
そして、特徴的な給弾装置。
銃身の下にはポンプ操作用の前床があり、機関部には半自動作動を前提とした構造が組み込まれている。
レイブンは思わず息を呑んだ。
「……ショットガン?」
ヴァイス准尉は頷いた。
「帝国軍試験制式散弾銃、SG-44。十二番径を使用する多用途散弾銃だ」
ガイルが横から顔を覗かせた。
「……何だこれ。すげえ形してるな」
准尉は二人を見た。
「珍しいだろう。現在、帝国と連邦共和国の双方が、次世代軍用ショットガンの開発を進めている」
レイブンは顔を上げた。
「……連邦共和国も、ですか?」
「ああ。両国とも歩兵装備の更新を進めている。帝国側の開発計画では、単一の作動方式だけでは対応しにくい使用条件が研究課題になっている」
ヴァイス准尉はケース内の銃を示した。
「このSG-44は、その研究から生まれた試験装備の一つだ」
レイブンは慎重に質問した。
「……どのような特徴があるのでしょうか?」
准尉は、機関部の側面にある小さな操作部を指し示した。
「最大の特徴は、ポンプ・アクションとセミオートを切り替えられることだ」
ガイルが目を見開いた。
「……両方使えるんですか?」
「そうだ」
ヴァイス准尉は説明を続けた。
「通常の半自動作動に加え、必要に応じて手動作動へ切り替えられる。機関部には専用の切替ボタン機構が設けられている」
レイブンは銃を見つめた。
「……ボタンで?」
「ああ。ただし、操作には定められた安全手順がある。切り替えの可否や使用条件は、専用教育を修了するまで指導官の管理下で確認する」
准尉は少し表情を引き締めた。
「それに、切り替え機構があるからといって、どんな弾薬でも問題なく使用できるわけではない。弾薬の適合性、作動状態、整備状態によって制限はある」
レイブンは頷いた。
「了解しました」
ガイルは、まだ驚いた様子だった。
「……なあ、レイブン」
「何?」
「お前だけ、なんかすごいもの渡されてないか?」
「……俺も驚いてる」
ヴァイス准尉は、二人の反応を見て小さく笑った。
「安心しろ。新兵に何の理由もなく試験装備を渡すほど、軍も無責任ではない」
彼は書類をめくった。
「クロウ新兵。お前の教育学校での評価記録は確認している」
「はい」
「観察力、武器の取扱適性、状況判断能力。特に、複数の操作を段階的に覚える能力が評価されている」
レイブンは少し驚いた。
「……自分では、まだ未熟だと思っています」
「それでいい」
准尉は頷いた。
「未熟だと理解している者の方が、試験装備を扱う時には慎重になれる」
そして、声を落とした。
「ただし、お前にこの銃が指定されたのは、才能を認められたからという理由だけではない」
レイブンは顔を上げた。
「……と、いいますと?」
「兵器技術管理部が求めているのは、熟練兵だけの評価ではない。基礎教育を終えたばかりの兵士が、この装備をどこまで理解し、安全に扱えるかという記録も必要なんだ」
准尉はケースへ目を向けた。
「お前は、その評価対象に選ばれた」
レイブンは、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……了解しました」
ヴァイス准尉は、改めて告げた。
「レイブン・S・クロウ新兵。帝国軍兵器技術管理部の承認により、SG-44一挺をお前の指定装備とする」
レイブンは姿勢を正した。
「了解しました!」
その返事は、いつもより少し大きかった。
午前九時十二分。
兵器管理棟、第二検査室。
SG-44の受領手続きは、通常の小銃よりも時間がかかった。
管理番号の照合に続き、付属品の確認、外観検査、試験装備に関する誓約書への署名が行われた。
レイブンは机の上に並べられた書類を、一枚ずつ確認していた。
その様子を見ていたヴァイス准尉が、少し笑った。
「随分と慎重だな」
「……父から、書類は最後まで読むように言われています」
「クロウ少佐か」
准尉は納得したように頷いた。
「なるほど。あの人らしい」
レイブンが顔を上げる。
「父をご存じなんですか?」
「以前、教育用装備の改良について意見をもらったことがある。厳しい人だったよ」
「……そうですか」
「ただし、今回の選定にお前の父親が関与したわけではない。そこは誤解するな」
「はい」
ヴァイス准尉は、書類の最後の欄を指した。
「この銃は試験装備だ。故障、不具合、操作上の問題があれば、隠さず報告すること。勝手な修理や改造は認めない」
「了解しました」
「そして、使いにくいと感じた時も報告しろ」
レイブンは少し意外そうな顔をした。
「……使いにくい、という感想もですか?」
「ああ。兵器は設計者が満足するために作るものじゃない。使う兵士が任務を果たすためのものだ」
准尉はSG-44へ視線を向けた。
「立派な試験成績が並んでいても、現場で扱いづらければ改良が必要になる」
レイブンは、その言葉を覚えておこうと思った。
やがて、准尉の監督の下で安全状態が確認され、SG-44がレイブンへ引き渡された。
両手で受け取る。
想像していたよりも、ずっしりとした重量があった。
標準小銃とは異なる重心。
太い機関部。
前床の感触。
銃床を支える肩への重み。
レイブンは、思わず小さく息を吐いた。
「……重いですね」
ヴァイス准尉が笑った。
「正直で結構。軽量化も開発課題の一つだ」
隣で見ていたガイルが口を開いた。
「レイブン、それ持って一日走れるか?」
「……まだ分からない」
「俺なら途中で文句言いそうだ」
「ガイルは最初から文句を言うと思う」
「おい!」
二人のやり取りに、准尉も小さく笑った。
だが、すぐに表情を引き締めた。
「クロウ新兵。もう一つ、覚えておけ」
「はい」
「この銃は、お前だけの特別な勲章ではない。必要な任務で使うための装備だ。小銃の方が適している状況なら、小銃を使う判断も必要になる」
レイブンはSG-44を見下ろした。
「……分かりました」
「よろしい」
准尉は頷いた。
「では、午後から専用の習熟教育を開始する。担当教官の指示に従え」
午前十時三十一分。
第十一独立特殊歩兵中隊、装備教育室。
レイブンとガイルが教育室へ入ると、すでにシュタイン軍曹とミリア伍長が待っていた。
机の上には、訓練用の装備品と点検記録が並んでいる。
「おっ、来た来た!」
ミリアが明るく手を振った。
「二人とも、支給されたんだね!」
「はい!」
ガイルは嬉しそうに返事をした。
シュタイン軍曹は、レイブンのSG-44を見ると眉を上げた。
「……なるほど。これが噂の試験銃か」
レイブンは姿勢を正した。
「はい。SG-44です」
軍曹は銃の外観を確認した。
「切替式の散弾銃だったな」
「はい。ポンプ・アクションとセミオートを切り替える機構があるそうです」
「扱いに慣れるまでは、通常の銃以上に慎重になれ」
「了解しました」
ミリアは興味深そうにSG-44を見つめていた。
「へえ……。見た目も結構違うんだね」
ガイルが胸を張った。
「レイブンだけ、特別装備なんですよ!」
「ガイル、そんなに大げさに言わなくても……」
「いや、すごいだろ!」
ミリアは笑った。
「でも、ベッカー新兵の小銃も大切な装備だよ」
「もちろんです!」
「よし。じゃあ、二人とも今日から自分の装備と仲良くなってもらおうかな」
シュタイン軍曹が淡々と訂正した。
「仲良くなる前に、管理規則を覚えさせろ」
「分かってますって!」
その時、教育室の扉が開いた。
クラウディア・フォン・ローゼンフェルト大尉が入ってきた。
「準備は進んでいるか?」
「はい、大尉」
シュタイン軍曹が答えた。
クラウディアは二人の銃を確認した。
「ベッカー新兵は制式小銃。クロウ新兵はSG-44か」
「はい」
レイブンが答える。
クラウディアはSG-44を見つめ、少しだけ考え込んだ。
「兵器技術管理部から通知は受けている。クロウ新兵、試験装備を与えられたからといって、特別扱いされると思うな」
「了解しました」
「また、銃の性能を示そうとして無理をする必要もない。評価するのは、兵士としての判断と装備の適合性だ」
「はい」
クラウディアは頷いた。
「よろしい」
そして、シュタイン軍曹へ視線を向けた。
「午後の習熟教育には、兵器管理部の技術教官も同席させる。実弾射撃は安全審査と事前教育の終了後だ」
「了解しました」
レイブンはSG-44を見下ろした。
まだ、この銃について知っていることは少ない。
だが、これから長い時間をかけて学ぶことになるのだろう。
その時、ミリアがふと口を開いた。
「そういえば、クロウ新兵」
「はい?」
「学校で《NoX》って呼ばれてたんだよね?」
レイブンは少し驚いた。
「……はい。卒業の時にいただいた記念コールネームです」
ミリアは笑った。
「格好いいじゃない!」
ガイルが嬉しそうに言った。
「俺は《HOUND》です!」
「知ってるよ。昨日聞いたからね」
「……そうでした」
周囲に笑いが起こった。
クラウディアも少しだけ口元を緩めた。
「コールネームは兵士の誇りになることもある。しかし、名前に見合うだけの実力を身につけることが先だ」
レイブンは頷いた。
「……はい」
クラウディアは二人を見た。
「期待しているぞ、クロウ新兵。ベッカー新兵」
「了解しました!」
二人の返事が重なった。
午後一時四十二分。
ヴァイスベルク駐屯地、第三兵器習熟訓練場。
訓練場には、SG-44の技術教官と兵器管理員が待機していた。
レイブンは指定された位置に立ち、説明を受けていた。
目の前の机には、SG-44の教育用模型と、機関部の構造を示す断面図が置かれている。
技術教官は中年の男性で、階級は曹長だった。
「クロウ新兵。まず、この銃の設計思想を説明する」
「はい」
「SG-44は、ポンプ・アクションとセミオートを切り替えて運用できることを特徴とする試験散弾銃だ」
教官は教育用模型を示した。
「半自動作動は、連続した射撃を行う際の操作負担を軽減することを目的としている。一方、手動作動は、使用条件に応じて兵士が機構を操作する方式だ」
レイブンは真剣に聞いていた。
「切替ボタン機構は、この二つの方式を選択するために設けられている。ただし、どちらの方式でも安全確認は欠かせない。作動方式が増えれば、操作上の注意点も増える」
「了解しました」
「そして、試験銃には不具合が発生する可能性がある。だからこそ、お前の報告が重要になる」
レイブンは頷いた。
「はい」
教官は続けた。
「今日の目的は、銃の構造と管理上の注意点を理解することだ。無理に速く操作する必要はない」
その後、レイブンは教育用模型を使い、教官の監督下で基本的な取扱いを学んだ。
通常の小銃とは異なる重量配分。
構えた時の身体への負担。
携行時に装備と干渉しやすい箇所。
そして、切替式機構を持つ銃ならではの管理上の注意点。
どれも、実際に扱ってみなければ分からないことだった。
レイブンは、一つずつ確認していった。
午後二時五十六分。
同訓練場。
レイブンは休憩時間に、ベンチへ腰を下ろしていた。
SG-44は安全確認を終え、管理員の指示に従って指定された場所へ置かれている。
レイブンは手帳を開き、今日学んだことを書き留めていた。
『SG-44。重量は標準小銃より負担が大きい。長時間携行時の疲労を確認する必要あり』
『切替機構は便利だが、操作方式が増えるため習熟が必要』
『銃の性能だけではなく、任務との適合性を考えること』
最後の一文を書いた時だった。
「熱心ね」
聞き覚えのある声がした。
レイブンが顔を上げる。
そこには、連邦共和国軍の制服を着たエリシア・L・ヴォルハラム中尉が立っていた。
彼女は手に書類を持ち、訓練場の外側からレイブンを見ていた。
「ヴォルハラム中尉」
レイブンは立ち上がろうとした。
エリシアは軽く手を上げた。
「休憩中でしょう。そのままでいいわ」
「……ありがとうございます」
エリシアは、少し離れたベンチへ腰を下ろした。
彼女の視線が、管理台のSG-44へ向けられる。
「……それが、あなたの新しい装備?」
「はい。SG-44という試験散弾銃です」
「そう」
エリシアは静かに頷いた。
「帝国軍も、切替式のショットガンを開発しているのね」
レイブンは少し驚いた。
「……連邦共和国でも、同じような研究をしているんですか?」
エリシアは一瞬考えた。
「共和国でも歩兵装備の研究は進んでいるわ。ただし、具体的な開発内容については、私から話せないこともある」
レイブンはすぐに頷いた。
「……失礼しました」
「いいえ。質問すること自体は悪くないわ」
エリシアは微笑んだ。
「ただ、私たちは違う国の軍人でしょう?」
「……はい」
「だからこそ、互いに話していいことと、話してはいけないことを理解する必要があるの」
レイブンは、その言葉を静かに受け止めた。
エリシアは帝国軍人ではない。
今は同じ駐屯地にいるが、彼女の祖国は連邦共和国だった。
そして、両国の関係は日に日に緊張を増している。
「……中尉」
「何かしら?」
「帝国と連邦共和国は、戦争になると思いますか?」
エリシアは、すぐには答えなかった。
春の風が、訓練場を吹き抜ける。
遠くでは、別の班が号令に合わせて整列していた。
「……分からないわ」
やがて、エリシアは静かに答えた。
「私は政治家ではないし、国家の方針を決める立場でもないから」
レイブンは頷いた。
「……そうですよね」
「でも、一つだけ言えることがある」
エリシアはレイブンを見た。
「戦争になれば、どちらの国の兵士も傷つくわ」
その声は穏やかだった。
「帝国軍でも、共和国軍でも、家族のいる人がいる。帰りを待っている人がいる。それは変わらないでしょう?」
レイブンの胸に、父の言葉が蘇った。
『絶対に、五体満足で帰ってこい』
あの日、父が初めて自分を抱き締めた時の温もり。
レイブンは、ゆっくりと頷いた。
「……はい」
エリシアは少し微笑んだ。
「だから、今は訓練を大切にしなさい。戦うためだけではなく、生きて帰るためにも」
レイブンは真剣な表情で答えた。
「……ありがとうございます」
エリシアは立ち上がった。
「それじゃあ、私は戻るわ」
「はい」
彼女は数歩進んだところで、ふと振り返った。
「クロウ新兵」
「はい?」
「その銃、大切にしなさい」
レイブンはSG-44へ目を向けた。
「……はい」
エリシアは続けた。
「でも、銃そのものより、自分の命と仲間の命を大切にしてね」
レイブンは、少しだけ目を見開いた。
そして、静かに頷いた。
「……了解しました」
エリシアは微笑み、訓練場を後にした。
午後四時三十八分。
ヴァイスベルク駐屯地、兵器管理棟。
習熟教育を終えたレイブンは、SG-44を指定された保管区画へ返却した。
受領時と同じように、管理番号と状態が確認される。
ヴァイス准尉は記録用紙を見ながら尋ねた。
「どうだった、クロウ新兵」
レイブンは少し考えた。
「……難しかったです」
准尉は笑った。
「そうか」
「でも、面白いと思いました」
「ほう」
「まだ扱いに慣れていませんし、重さにも課題があります。ただ、二つの作動方式を使い分けられるという考え方には、可能性があると思います」
ヴァイス准尉は頷いた。
「なるほど」
レイブンは続けた。
「ただし、任務によっては普通の小銃の方が適していると思います」
その言葉に、准尉は少し嬉しそうな顔をした。
「……いい答えだ」
レイブンは首を傾げた。
「そうでしょうか?」
「ああ。新しい装備を渡された兵士は、どうしてもその装備を使いたがるものだ」
准尉は記録用紙へ何かを書き込んだ。
「だが、兵士に必要なのは、装備を自慢することではない。状況に合った装備を選ぶ判断だ」
レイブンは頷いた。
「……はい」
「明日からは、さらに詳しい習熟教育を行う。焦る必要はない」
「了解しました」
レイブンは敬礼し、兵器管理棟を後にした。
午後五時二十一分。
第三新兵宿舎。
夕食前の短い自由時間。
レイブンが部屋へ戻ると、ガイルが寝台に腰掛けて待っていた。
「おう、レイブン!」
「ただいま」
「どうだった? SG-44!」
レイブンは鞄を置いた。
「……まだ慣れないよ」
「そりゃそうだろ。初日だしな」
ガイルは笑った。
「でも、格好よかったぞ!」
「ガイルは見た目ばかり気にしてるね」
「男なら気になるだろ!」
レイブンは苦笑した。
「……まあ、少しは」
「だろ!」
二人は笑った。
やがて、ガイルは少し真剣な顔になった。
「……なあ、レイブン」
「何?」
「お前、これからずっとその銃を使うのか?」
レイブンは少し考えた。
「……分からない。今は試験装備だから、評価が終われば返却になるかもしれない」
「そっか」
「でも、使うことになった以上は、きちんと覚えたいと思う」
ガイルは頷いた。
「……そうだな」
そして、にやりと笑った。
「じゃあ、俺は小銃の腕を磨く。お前はショットガンだ」
「競争するの?」
「もちろん!」
レイブンは笑った。
「……負けないよ」
「言ったな!」
ガイルは拳を差し出した。
レイブンも拳を合わせた。
小さな音が、部屋に響いた。
午後八時四十七分。
第三新兵宿舎、第二〇六号室。
消灯前。
レイブンは机に向かい、手帳を開いていた。
今日の記録。
SG-44。
ポンプ・アクション。
セミオート。
切替ボタン機構。
十二番径。
試験装備。
そして、銃の重量と操作上の課題。
レイブンは、それらを書き終えると、少しだけペンを止めた。
窓の外には、北部の夜空が広がっている。
遠くの山々は暗闇に沈み、駐屯地の照明だけが静かに灯っていた。
レイブンは、今日受け取ったSG-44の姿を思い出した。
重厚な黒い銃身。
頑丈な機関部。
二つの作動方式。
そして、切替ボタン機構。
まだ、ただの試験装備に過ぎない。
だが、レイブンにとっては、軍人として初めて継続的に指定された銃だった。
彼は手帳の最後に、一文を書き加えた。
『SG-44。今日から、自分の装備として学び始める』
そして、その下へ小さく記した。
『ただし、装備よりも大切なのは、生きて帰ること』
レイブンはペンを置いた。
父の言葉。
クラウディア大尉の言葉。
そして、エリシア中尉の言葉。
それらは、少しずつ彼の中で重なり始めていた。
帝政歴三四四年四月二十日。
レイブン・S・クロウは、帝国軍試験制式散弾銃SG-44を正式な指定装備として受領した。
それは、帝国と連邦共和国が次世代歩兵装備の開発競争を進める時代に生まれた、一挺の試験銃だった。
ポンプ・アクションとセミオートを切り替えられる、独自のボタン機構。
十二番径の散弾銃として設計された、重厚な機関部。
そして、現場の兵士による評価を必要とする、未完成の可能性。
後に、この銃はレイブンの軍歴と深く結びついていくことになる。
しかし、この日の彼はまだ知らない。
このSG-44が、数々の戦場で自分と仲間の命を支えることになることを。
そして、その銃を手にした自分が、いつか《NoX》の名で呼ばれる日が来ることを。
北部の夜空には、静かな星々が瞬いていた。
遠くの国境では、帝国と連邦共和国の緊張が少しずつ高まっている。
それでも、今はまだ平和だった。
新兵たちの訓練は、明日も続く。




