第57話 七人の進路、冬空の下で
第57話 七人の進路、冬空の下で
帝政歴三四三年、十二月十四日。
午前五時四十八分。
帝国陸軍中央志願兵教育学校、第二候補生宿舎。
窓の外で風が唸っていた。
昨夜から降り始めた雪は、夜明け前の校庭を薄く覆い、宿舎の屋根や窓枠にも白く積もっている。暖房設備の稼働する第三〇七号室でさえ、窓際に立てば冷気が肌を刺した。
レイブン・S・クロウは寝台から起き上がると、黒い猫耳を小さく動かした。
廊下の向こうから聞こえる足音は、まだ巡回中の当直教官のものだった。起床時刻までは少し余裕がある。
隣の寝台では、ガイル・ベッカーが毛布を肩まで引き上げていた。
「……レイブン、もう朝か?」
「ああ。もうすぐ起床だよ」
「昨日、十二キロも歩いたんだぞ。もう少し寝かせてくれてもいいだろ……」
「俺に言われても困るよ」
レイブンが笑うと、ガイルは犬耳を伏せたまま大きく欠伸をした。
反対側では、オスカー・グラーフが制服を整え始めている。
「ベッカー。お前、昨日の夜は誰よりも早く寝ただろ」
「寝たからって疲れが全部抜けるわけじゃないんだよ」
「だったら、朝食をしっかり食べろ」
「もちろん、そのつもりだ」
その会話を聞いていたフェリックス・ブラントが毛布の中から顔を出した。
「ガイルは飯の話になると元気だよな」
「お前もだろ!」
二人の声に、ユリウス・ヴェーバーが眼鏡を掛けながら時計を確認した。
「お二人とも、もう少し声を落としてください。まだ起床前です」
「おっと、悪い」
ガイルは素直に謝った。
レイブンは部屋の奥へ目を向けた。
カール・リヒターはすでに起きていた。
寝台に腰を下ろし、医務室から渡された書類を読んでいる。
数日前に受けた暴力の痕は、まだ完全には消えていない。それでも、表情には以前より落ち着きが戻っていた。
「カール、おはよう」
「……おはよう、レイブン」
「身体はどう?」
「昨日よりいい。今日、もう一度診察を受ける」
「そっか」
「……それで、問題がなければ少しずつ訓練に戻れるらしい」
その声には、控えめながら期待が混じっていた。
エミール・シュナイダーが寝台を整えながら微笑んだ。
「よかったですね。ただ、医師の許可が出ても、最初から全力で動いてはいけませんよ」
「……分かってる」
「本当ですか?」
「……お前までリーナみたいなことを言うな」
思いがけない返答に、レイブンが笑った。
「妹さん、そんなに心配してるんだ?」
「……昨日も三回、無理するなって言われた」
「三回で済んだのか?」
ガイルが尋ねる。
カールは少し考えた。
「……いや、五回だったかもしれない」
今度はオスカーまで笑った。
カールは困ったように眉を寄せたが、以前のように会話から離れようとはしなかった。
やがて起床の鐘が鳴り、七人は一斉に身支度を始めた。
午前七時二十六分。
第二候補生宿舎、食堂。
朝食の配膳口には、候補生たちの列ができていた。
温かいスープ、焼いたパン、卵料理、保存野菜。冬季訓練の続く候補生たちにとって、朝食は一日の体力を支える重要な時間だった。
ガイルは盆を持ちながら、掲示板の前で足を止めた。
「おい、見ろよ。新しい通知だ」
そこには、教育課程に関する告知が掲示されていた。
『志願兵候補生基礎適性調査および専門課程進路説明』
レイブンは文字を読み上げた。
「……専門課程?」
ユリウスが横から覗き込んだ。
「基礎教育の後に、各兵科への適性を調べるための説明会ですね」
「もう配属が決まるのか?」
フェリックスが尋ねると、ユリウスは首を振った。
「いえ。今日の段階では希望調査です。実際の配属には成績や適性、軍の人員需要も関係します」
オスカーが腕を組んだ。
「なるほどな。希望したからって、その兵科に行けるとは限らないわけだ」
「そういうことです」
ガイルは掲示板を見つめた。
「……俺、歩兵がいいな」
「即答だな」
レイブンが笑う。
「だって、仲間と一緒に前へ出て、困ってる人を守れるだろ」
ガイルはそう言ってから、少し照れくさそうに笑った。
「まあ、実際はそんな簡単じゃないんだろうけど」
レイブンは頷いた。
「うん。でも、ガイルらしいと思う」
カールは掲示板を見つめていた。
そこに並ぶ兵科の名称を、一つずつ確かめるように読んでいる。
「……俺は、まだ分からない」
レイブンが顔を向けた。
「急いで決めなくてもいいんじゃない?」
「……そうだな」
カールは小さく頷いた。
その後、七人は食事を受け取り、いつもの席へ向かった。
食堂の窓の外では、除雪車が校内道路をゆっくり進んでいた。
午前九時十二分。
帝国陸軍中央志願兵教育学校、第一講堂。
第三中隊の候補生たちが、長い机に並んで着席していた。
講堂の前方には、ヴァルター・A・クロウ少佐が立っている。
濃緑色の軍服には階級章が輝き、右腕の魔力義肢は手袋に覆われていた。
「諸君、本日は基礎適性調査と、今後の教育課程について説明する」
ヴァルターは資料を開いた。
「帝国陸軍には、歩兵、機甲、砲兵、工兵、通信、衛生、兵站、航空支援をはじめ、多くの職種が存在する。いずれも軍の任務を遂行するために必要な役割だ」
講堂の後方では、別の教官が候補生たちへ調査票を配っていた。
「まず覚えておいてほしい。兵科に上下はない」
ヴァルターは候補生たちを見渡した。
「前線で戦う兵士がいれば、その兵士を運ぶ者、食料を届ける者、装備を整備する者、負傷者を治療する者がいる。どれか一つでも欠ければ、部隊は継続して行動できない」
レイブンは資料へ視線を落とした。
そこには、各兵科の教育内容と、求められる能力が簡潔に記されていた。
ヴァルターは続けた。
「希望は尊重される。しかし、適性調査の結果や教育成績、本人の健康状態、部隊の需要によって進路が変わることもある」
一人の候補生が手を挙げた。
「クロウ少佐」
「何だ」
「歩兵を希望しても、通信科に配属されることはありますか?」
「ある。逆も同様だ。ただし、専門資格や健康上の条件を無視して配属を決めることはない」
ヴァルターは少し間を置いた。
「それから、もう一つ」
候補生たちの視線が集まった。
「諸君は、まだ教育を受け始めたばかりだ。今の自分にできないことがあっても、それだけで将来の可能性が決まるわけではない」
レイブンは、隣に座るカールへ目を向けた。
カールは真剣に聞いていた。
ヴァルターは静かに続けた。
「自分の得意なことを知り、不得意なことを認め、必要な技術を学ぶ。そのために教育学校がある」
講堂の空気が、少し引き締まった。
「では、希望調査を開始する」
午前十時四十八分。
第一講堂。
七人は、それぞれ調査票へ向かっていた。
ガイルは迷わず歩兵の欄へ印をつけた。
オスカーは機甲科と歩兵科の間で考え込んでいる。
「……車両にも興味があるんだよな」
フェリックスが隣から覗き込んだ。
「お前、あの体格なら何でもできそうだけどな」
「体格だけで兵科は決まらん」
オスカーは笑いながら答えた。
ユリウスは通信科を第一希望に選んだ。
「無線機や通信設備の仕組みに興味があります。情報を正確に届ける仕事を学びたいんです」
エミールは衛生科の欄を見つめていた。
「僕は、やっぱり救護の仕事をしたいですね」
「軍医になるのか?」
ガイルが尋ねる。
「できれば、将来的には医学を学びたいです。ただ、まずは衛生兵として必要な知識を身につけたいと思っています」
フェリックスは地図を扱う職種と通信科の説明を交互に読んでいた。
「俺は、いろんな場所へ行ける仕事がいいな」
「観光旅行じゃないんだぞ」
オスカーが言う。
「分かってるよ。でも、知らない土地を調べたり、人と話したりするのは好きなんだ」
レイブンは自分の調査票へ目を落とした。
歩兵。
偵察。
工兵。
通信。
数多くの選択肢が並んでいる。
どの兵科にも、必要とされる理由があった。
父のような軍人になりたい。
そう思って入校した。
しかし、父と同じ道を歩くことが、本当に自分の進むべき道なのだろうか。
レイブンはしばらく考えた末、歩兵科を第一希望に記入した。
その下には、偵察関連の専門教育への関心を書き添えた。
「……決めたのか?」
ガイルが尋ねた。
「うん。まだ分からないことも多いけど、まずは歩兵の基礎をしっかり学びたい」
「いいな。もしかしたら同じところへ行けるかもしれないな」
レイブンは微笑んだ。
「そうだといいね」
その隣で、カールはまだ鉛筆を握っていた。
希望欄には、何も書かれていなかった。
レイブンは声を落とした。
「……迷ってる?」
「……ああ」
カールは紙を見つめたまま答えた。
「俺、自分が何に向いてるのか、よく分からない」
「そうか」
「訓練を始めた頃は、何でもできると思ってた。でも……」
言葉が途切れた。
レイブンは、カールが続きを話すまで待った。
「……今は、失敗するのが怖い」
その声は小さかった。
レイブンは少し考えた。
「カール、昨日の通信記録、すごく正確だったよ」
「……あれは、ただ言われたことを記録しただけだ」
「でも、時間も位置も間違えなかった。俺だったら、あんなに落ち着いてできたか分からない」
カールは顔を上げた。
「……本当に?」
「うん」
そこへユリウスが口を挟んだ。
「僕もそう思います。通信記録は、注意力が必要ですから」
エミールも頷いた。
「それに、カール君は人の様子をよく見ています。昨日も、皆さんの疲労について記録していましたよね」
カールは二人を見つめた。
「……そんなことまで、見てたのか」
ユリウスは微笑んだ。
「同じ班ですから」
カールはしばらく考えた。
そして、通信科と後方支援の説明を読み直し、調査票へゆっくりと鉛筆を走らせた。
午前十一時五十六分。
第一講堂、教官控室。
ヴァルターは提出された調査票を確認していた。
その隣には、学校の教育主任である中佐が座っている。
「クロウ少佐。第三中隊の指導体制は、落ち着いてきたようだな」
「はい。候補生たちも、徐々に通常の教育課程へ戻りつつあります」
中佐は書類を閉じた。
「例の件については、軍紀監察部から追加資料の提出を求められている。候補生の証言と医療記録は、引き続き保全する」
「承知しました」
「それから、リヒター候補生についてだが」
ヴァルターは顔を上げた。
「はい」
「医務室から、段階的な訓練復帰を検討できるとの報告があった。ただし、精神面の負担にも配慮が必要だ」
「承知しております」
ヴァルターは静かに頷いた。
中佐は少し間を置いた。
「君自身はどうだ」
「……私ですか」
「先日の件だ。正式な懲戒処分は見送られたが、君が教官を殴打した事実は消えない」
ヴァルターは視線を落とした。
「……理解しております」
中佐は厳しい表情を崩さなかった。
「候補生を守ろうとしたことと、暴力を振るったことは別だ。そこを混同してはならん」
「はい」
「次に同じような事態が起きた時、君には教官として正しい手続きを取ってもらわなければ困る」
ヴァルターは背筋を伸ばした。
「……肝に銘じます」
中佐は頷いた。
「君が兼任している三つの職責についても、負担が大きすぎるようなら申し出ろ。相談役が倒れては意味がない」
ヴァルターはわずかに苦笑した。
「ありがとうございます」
「それと、息子の評価は引き続き別の教官が確認する。異論はないな」
「もちろんです」
ヴァルターは即答した。
中佐は机の上の調査票へ目を落とした。
「……ところで、クロウ候補生は歩兵を希望しているのか」
「はい」
「父親としては、どう思う」
ヴァルターは少し考えた。
「……本人が自分で選んだのであれば、まずはその意思を尊重したいと思います」
「危険な仕事だぞ」
「承知しております」
ヴァルターは静かに続けた。
「だからこそ、必要な教育を受けさせるのが私たちの仕事です」
中佐はしばらく彼を見つめた。
そして、小さく頷いた。
午後一時二十六分。
帝国陸軍中央志願兵教育学校、通信教育棟。
午後の訓練では、候補生たちが通信機器の取り扱いと報告手順を学んでいた。
教室の机には訓練用無線機が並び、壁には通信系統を示す図が掲示されている。
ヴァルターは候補生たちを見渡した。
「本日は、通信の基本操作に加え、情報が正しく伝わらなかった場合の対応を確認する」
ユリウスは教本を開き、熱心に説明を聞いていた。
ガイルは無線機を手に取ると、少し不思議そうな顔をした。
「……これ、思ったより重いな」
オスカーが答えた。
「電源や保護部品が入ってるからな」
「へえ」
「感心する前に、説明を聞け」
レイブンが小声で言うと、ガイルは慌てて姿勢を正した。
訓練は、二人一組での通信確認から始まった。
レイブンとユリウス。
ガイルとフェリックス。
オスカーとエミール。
カールは医師の許可を受け、教官の監督下で記録補助を担当した。
最初の課題は、指定された情報を相手へ伝え、復唱によって内容を確認することだった。
ユリウスが送信する。
「こちら第一班通信担当。確認事項を送る。指定地点、第三演習区画。集合予定、一四三〇。どうぞ」
レイブンは手元の記録用紙を確認した。
「こちら第一班副班長。第三演習区画、一四三〇集合。了解。どうぞ」
「復唱確認。通信終了」
教官が頷いた。
「よろしい」
その隣では、ガイルが無線機を握っていた。
「こちら第一班班長、ベッカー! 聞こえるか、フェリックス!」
少し離れた机から、フェリックスの声が返ってくる。
『聞こえてるぞ、ガイル。そんなに大声を出さなくてもいい』
教室に笑いが起こった。
ヴァルターは眉を上げた。
「ベッカー候補生」
「はい!」
「無線機は、声量を競う道具ではない」
「……了解しました」
ガイルは少し肩を落とした。
フェリックスは笑いを堪えていたが、次の送信で自分も呼出符号を間違え、結局やり直しを命じられた。
午後二時四十二分。
通信教育棟、第二実習室。
訓練は、通信障害を想定した課題へ移っていた。
教官は一部の情報を意図的に聞き取りにくくし、候補生が不明点を確認できるかを評価している。
レイブンは受信内容を記録しながら、黒い猫耳をわずかに動かした。
周囲には複数の無線機の音声が重なっている。
普段なら人間より細かな音を聞き分けられることもあったが、この環境では逆に雑音が多すぎた。
隣の送信音まで耳に入り、肝心の通信が途切れ途切れに聞こえる。
「……こちら第一班。最後の地点名が不明瞭。再送願います。どうぞ」
レイブンは無理に聞き取ったふりをせず、再送を求めた。
『了解。地点名を再送する』
今度は、はっきりと聞こえた。
レイブンは内容を記録し、確認を返した。
ヴァルターが近づいてきた。
「クロウ候補生」
「はい」
「なぜ再送を求めた」
「周囲の通信音が重なり、地点名を正確に確認できなかったためです」
「自分の聴覚なら聞き取れると思わなかったか」
レイブンは少し考えた。
「……一瞬、思いました」
ヴァルターは頷いた。
「だが、聞き取れなかった」
「はい」
「それでいい。感覚が鋭いことと、判断が正確であることは別だ。確認できない情報を推測で報告するな」
「了解しました」
レイブンは敬礼した。
その様子を見ていたユリウスが、小さく頷いた。
「……再送を求める判断も、通信技術の一つなんですね」
レイブンは微笑んだ。
「そうみたいだね」
教室の後方では、カールが訓練記録を整理していた。
彼はレイブンの再送要求を正確に記入すると、静かに鉛筆を置いた。
午後四時五十八分。
第二候補生宿舎、生活支援室。
訓練を終えた七人が戻ると、ファニータが机の上で書類を整理していた。
隣では、リーナ・リヒターが温かい飲み物の準備を手伝っている。
「お帰りなさい、皆さん!」
リーナの明るい声が響いた。
ガイルは大きく手を振った。
「ただいま!」
ファニータは穏やかに微笑んだ。
「本日もお疲れさまでございました」
レイブンは一礼した。
「ありがとうございます、ファニータさん」
「レイブン様。今日は通信訓練だったそうですね」
「はい。思ったより難しかったです」
「そうでございますか」
ファニータは微笑んだ。
「ご自身の得意なことだけに頼らず、確認を重ねることも大切でございますね」
レイブンは少し驚いた。
「……父さんにも、同じようなことを言われました」
「それは何よりでございます」
その隣で、リーナはカールの顔を覗き込んでいた。
「お兄ちゃん、今日の診察はどうだった?」
「……明日から、少しずつ身体を動かしていいって」
「本当?」
「ああ。ただし、軽い訓練からだ」
リーナは嬉しそうに笑った。
「よかった!」
そして、すぐに真剣な顔になった。
「でも、無理しちゃ駄目だからね」
カールは苦笑した。
「……分かってる」
「本当に?」
「……本当だ」
「じゃあ、約束」
リーナは小指を差し出した。
カールは周囲を見た。
ガイルとフェリックスが、面白そうにこちらを見ている。
「……リーナ。ここでそれをやるのか」
「駄目?」
「……駄目じゃないけど」
リーナは黙って小指を差し出し続けた。
カールは観念したように息を吐き、妹の小指へ自分の小指を絡めた。
「……約束する」
リーナは満足そうに笑った。
「よし!」
その瞬間、ガイルが吹き出した。
「……お前、妹には絶対勝てないな!」
「うるさい」
カールは顔を赤くした。
フェリックスも笑っていた。
「でも、いいじゃないか。仲がいいのは」
リーナは胸を張った。
「もちろんです! お兄ちゃんは私の自慢ですから!」
カールは何も言えなくなった。
ファニータは、その光景を穏やかに見守っていた。
午後五時四十六分。
第二候補生宿舎、共用廊下。
生活支援室を出たレイブンは、廊下の窓際にヴァルターが立っていることに気づいた。
父は軍服の上に外套を羽織り、窓の外の雪を眺めていた。
「……父さん?」
ヴァルターは振り返った。
「レイブンか」
「まだ仕事?」
「ああ。少し書類が残っている」
レイブンは父の右腕へ目を向けた。
義肢の指先が、わずかに動いていた。
「……腕、大丈夫?」
ヴァルターは一瞬、驚いたような顔をした。
「どうした、急に」
「最近、ずっと忙しそうだから」
ヴァルターは右手を見下ろした。
「……多少の疲労はあるが、問題ない。義肢の調整も定期的に受けている」
「無理しないでよ」
ヴァルターは少し笑った。
「お前に言われるとはな」
「だって、父さん、昔から無理するだろ」
「……否定はできんな」
二人は顔を見合わせた。
しばらくして、ヴァルターが尋ねた。
「今日の適性調査、歩兵を希望したそうだな」
「うん」
「理由を聞いてもいいか」
レイブンは窓の外を見た。
校庭では、除雪を終えた作業員たちが道具を片づけていた。
「……最初は、父さんみたいになりたかったからだと思う」
ヴァルターは黙って聞いていた。
「でも、学校に入ってから、少し考えが変わった」
「どう変わった」
「ガイルたちと訓練して、カールのこともあって……誰かを守るって、ただ強くなるだけじゃないんだなって」
レイブンは少し考えた。
「俺、まだ自分が何に向いてるのか分からない。でも、仲間と一緒に行動できる兵士になりたい」
ヴァルターは静かに頷いた。
「……そうか」
「父さんは、どう思う?」
「悪くない選択だと思う」
レイブンは顔を上げた。
ヴァルターは続けた。
「ただし、今の希望が将来も変わらないとは限らない。実際に学び、経験してから別の道を選ぶこともある」
「……うん」
「大切なのは、自分で考えて選ぶことだ」
レイブンは微笑んだ。
「分かった」
ヴァルターは息子の肩へ左手を置いた。
「それから、もう一つ」
「何?」
「お前は候補生である前に、私の息子でもある」
レイブンは少し驚いた。
ヴァルターは穏やかに続けた。
「訓練で苦しいことがあれば、相談しろ。私に言いにくければ、ほかの教官でも、医務室でもいい」
「……うん」
「無理をしていることを隠すな。お前が以前、カールに言ったことと同じだ」
レイブンは少し笑った。
「……父さん、聞いてたんだ」
「本人から聞いた」
ヴァルターも笑った。
「いいことを言ったそうじゃないか」
レイブンは少し照れくさくなり、視線を逸らした。
「……そんな大したことじゃないよ」
「そうかもしれん。だが、相手にとっては大切な言葉だったんだろう」
二人は、しばらく窓の外を眺めていた。
午後七時三十一分。
第二候補生宿舎、第三〇七号室。
夕食を終えた七人は、机を囲んで今日の適性調査について話していた。
ガイルは椅子へ深く腰掛け、希望調査票の控えを眺めている。
「……俺、やっぱり歩兵がいいな」
オスカーは頷いた。
「俺は機甲科も捨てがたい。車両の整備も覚えたいしな」
ユリウスは微笑んだ。
「僕は通信科です。今日の訓練で、もっと勉強したくなりました」
フェリックスは机に肘をついた。
「俺は偵察とか、地図を扱う仕事に興味がある。知らない場所へ行くのは、やっぱり楽しそうだ」
エミールは穏やかに答えた。
「僕は衛生科ですね。負傷した人を助けるための技術を学びたいです」
カールはしばらく黙っていた。
ガイルが顔を向けた。
「カールは?」
「……通信科と、後方支援を希望した」
ユリウスが少し驚いた。
「通信科ですか」
「……ああ」
カールは控えの用紙を見つめた。
「昨日、学校からみんなの行軍を見ていて思ったんだ。俺が現場にいなくても、できることはあるんだなって」
エミールが頷いた。
「もちろんです」
カールは続けた。
「……前は、誰よりも強くならなきゃいけないと思ってた。でも、今は違う」
レイブンは顔を上げた。
「どう違う?」
「自分にできることを、ちゃんとやりたい」
その言葉に、ガイルが笑った。
「いいじゃないか!」
オスカーも頷いた。
「十分立派な理由だと思うぞ」
カールは少しだけ微笑んだ。
「……ありがとう」
やがて、ガイルがレイブンへ顔を向けた。
「で、お前は?」
「俺は歩兵科を希望したよ」
「やっぱりな!」
ガイルは嬉しそうに笑った。
「同じ班でやれたらいいな」
レイブンは頷いた。
「うん。でも、配属はまだ先だろ」
「分かってる。希望くらい言わせろよ」
フェリックスが笑った。
「お前ら、今から配属先の話か?」
「いいだろ、別に」
ガイルはそう言ってから、ふと真剣な表情になった。
「……なあ、みんな」
六人が顔を向けた。
「俺たち、いつか別々の部隊に行くんだよな」
部屋が少し静かになった。
オスカーは頷いた。
「……そうなるだろうな」
「歩兵も、通信も、衛生も、機甲も。希望どおりに進めたとしても、同じ場所に配属されるとは限らない」
ガイルは控えの用紙を見つめた。
「……なんか、変な感じだな」
レイブンも少し考えた。
入校してから、まだ半月ほどしか経っていない。
しかし、七人で過ごした時間は、思っていた以上に濃かった。
初めての共同生活。
厳しい訓練。
カールの脱柵事件。
そして、冬の行軍。
この部屋で顔を合わせることが、いつの間にか当たり前になっていた。
「……でもさ」
レイブンが口を開いた。
「別々の部隊に行っても、仲間だったことは変わらないだろ?」
ガイルは顔を上げた。
「……そうだな」
ユリウスが頷いた。
「軍の中では、異動もありますしね。いつか別の任務で再会することもあると思います」
エミールも微笑んだ。
「その時に、お互い元気でいられたらいいですね」
フェリックスが笑った。
「俺は、再会したらまず飯を食いに行きたいな」
オスカーが肩をすくめた。
「お前はそればっかりだな」
「いいだろ。昔の仲間と飯を食うのは楽しそうじゃないか」
カールが静かに口を開いた。
「……俺も、行きたい」
フェリックスは少し驚いた。
そして、嬉しそうに笑った。
「もちろん! 七人でな!」
ガイルは勢いよく頷いた。
「よし、決まりだ!」
レイブンは六人を見渡した。
「……いつか、みんなでまた会おう」
オスカーが頷いた。
「約束だな」
ユリウスも微笑んだ。
「ええ」
エミールは静かに答えた。
「必ず」
カールも、小さく頷いた。
「……ああ」
午後九時二十三分。
第三〇七号室。
消灯前の静かな時間。
レイブンは机の前に座り、黒革の手帳を開いていた。
ルナから贈られた万年筆を握り、今日の出来事を書き留める。
『帝政歴三四三年、十二月十四日。
今日は、専門課程の希望調査があった。
ガイルは歩兵、オスカーは機甲、ユリウスは通信、フェリックスは偵察、エミールは衛生を希望した。
カールは通信と後方支援に興味があるらしい。
俺は歩兵を第一希望にした。
みんな、少しずつ自分の進みたい道を考え始めている。
父さんは、自分で考えて選ぶことが大切だと言っていた。
そのとおりだと思う。
それから、夜に七人で話した。
いつか別々の部隊に行くことになるかもしれない。
でも、また会おうと約束した。
昨日は、仲間を見捨てないと約束した。
今日は、離れても仲間でいようと約束した。
どちらも忘れたくない。
俺たちは、まだ何も知らない候補生だ。
それでも、いつか胸を張って再会できるように、今できることを頑張りたい。』
レイブンは万年筆を置き、手帳を閉じた。
窓の外では、再び雪が降り始めていた。
街の明かりが白い雪片を照らし、遠くの建物がぼんやりと浮かんでいる。
隣の寝台から、ガイルの声が聞こえた。
「……レイブン」
「何?」
「俺たち、本当に別々の部隊に行くのかな」
レイブンは少し考えた。
「……分からない」
「そっか」
「でも、今は同じ部屋だよ」
ガイルは静かに笑った。
「……そうだな」
少し離れた寝台から、カールの声が聞こえた。
「……お前ら、まだ起きてるのか」
「起きてるぞ」
ガイルが答えた。
「……明日も訓練だ。早く寝ろ」
フェリックスが毛布の中から笑った。
「カールが一番まともなこと言ってるな」
「……聞こえてるぞ」
小さな笑い声が、暗い部屋に広がった。
やがて、七人の会話は途切れ、宿舎には静けさが戻った。
その頃、学校の管理棟では、ヴァルターが一通の資料を読んでいた。
帝国陸軍参謀本部から教育機関へ送られた、国境情勢に関する概要報告だった。
連邦共和国との外交関係は、依然として緊張を続けている。
国境付近では部隊の移動が確認され、双方の政府が相手国の軍事活動について説明を求めていた。
もっとも、現時点で全面的な武力衝突が始まったわけではない。
ヴァルターは資料を閉じた。
机の上には、翌日の教育計画が置かれている。
候補生たちの訓練日程。
医務室との連絡記録。
そして、専門課程の希望調査票。
彼は窓の外へ目を向けた。
雪が降っていた。
「……まだ、時間はある」
誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。
息子たちが学ぶべきことは、まだ山ほどある。
自分たち教官が教えなければならないことも、同じだけあった。
ヴァルターは机へ向き直り、翌日の教育計画に目を通し始めた。
戦争がいつ起こるのか、あるいは回避できるのか。
それを、この時の彼らが知ることはなかった。
ただ、冬の夜の静けさの中で、七人の候補生たちは、それぞれの未来を思い描いていた。
同じ部屋で交わした二つの約束を胸に、まだ見ぬ明日へ進もうとしていた。




