第55話 初めての分隊演習
第55話 初めての分隊演習
帝政歴三四三年、十二月十二日。
午前五時四十二分。
帝国陸軍中央志願兵教育学校、第二候補生宿舎。
起床を告げる鐘が鳴り響くと、第三〇七号室の七人は、それぞれの寝台から身体を起こした。
「……うう、寒い」
フェリックス・ブラントが毛布を肩に掛けたまま、窓の外を眺めた。
「昨日より冷えてないか?」
オスカー・グラーフは制服の袖を通しながら答えた。
「天気予報じゃ、今日は最低気温が氷点下になるらしいぞ」
「冗談だろ……」
ガイル・ベッカーは犬耳を動かし、勢いよく寝台から降りた。
「よし! 寒い時こそ身体を動かすぞ!」
ユリウス・ヴェーバーは眼鏡を掛けながら、壁の時計を確認した。
「その前に、点呼まで十二分しかありません」
「……分かってるって!」
いつものやり取りに、部屋の空気が少し和らいだ。
レイブン・S・クロウは寝台を整え、制服の襟元を確認していた。
父から贈られた銀色のネクタイピンは、規定に従い、外出用の制服とともに収納棚へしまってある。
訓練中に身につけるのは、学校から支給された装備だけだ。
その隣では、カール・リヒターが静かに身支度を進めていた。
昨日より顔色は良くなっていたが、腕にはまだ打撲の痕が残っている。
「カール、今日はどう?」
レイブンが尋ねると、カールは顔を上げた。
「……昨日より、いい」
「痛みは?」
「少し残ってる。でも、医務室で確認してもらう」
レイブンは頷いた。
「うん。それがいいと思う」
エミール・シュナイダーも微笑んだ。
「無理をしないでくださいね」
カールは小さく頷いた。
「……分かってる」
午前七時三十八分。
第二候補生宿舎、食堂。
朝食を取る候補生たちの間では、今日の訓練について話題になっていた。
「聞いたか? 今日は分隊演習らしいぞ」
「分隊演習?」
「七人から十人くらいの小集団で、行動する訓練だってさ」
「いよいよ本格的になってきたな」
レイブンたち七人も、食堂の一角で朝食を取っていた。
ガイルはパンを口へ運びながら、目を輝かせていた。
「……分隊演習か!」
オスカーは頷いた。
「俺たちも、そろそろ集団で動く訓練をする頃だろうな」
ユリウスは教本を開いていた。
「基礎課程では、まず隊形や合図、報告の手順を覚えるそうです」
フェリックスが笑った。
「ユリウス、朝から勉強か?」
「予習です」
「真面目だなあ」
カールは静かに食事を進めていた。
レイブンは彼の様子を確認した。
「……今日は参加できそう?」
カールは頷いた。
「……医師の許可が出れば」
エミールが続けた。
「負荷を抑えた内容なら、参加できるかもしれませんね」
ガイルは笑った。
「無理せず、みんなでやろうぜ!」
カールは少しだけ微笑んだ。
「……ああ」
午前八時三十分。
帝国陸軍中央志願兵教育学校、第三訓練場。
広い訓練場には、木製の障害物、低い土塁、模擬建造物が配置されていた。
第三中隊第二小隊の候補生たちは、指定された位置に整列している。
隊列の前には、ヴァルター・A・クロウ少佐が立っていた。
その右腕には、魔力義肢が装着されている。
ヴァルターは名簿を閉じた。
「本日の訓練は、基礎分隊行動だ」
候補生たちは姿勢を正した。
「分隊とは、複数の兵士が協力して行動する最小単位の一つだ。任務や部隊によって編成は異なるが、重要なのは互いの役割を理解することにある」
ヴァルターは続けた。
「本日は、七人一組での移動、報告、隊形変更、そして負傷者が発生した場合の対応を確認する」
ガイルは少しだけ嬉しそうに耳を動かした。
ヴァルターは、その様子に気づいたのか、静かに言った。
「ベッカー候補生」
「はい!」
「楽しみにしているのは構わないが、指示を最後まで聞け」
「了解しました!」
周囲の候補生たちが、小さく笑った。
ヴァルターは続けた。
「なお、リヒター候補生は医師の許可に基づき、負荷を抑えた役割で参加する」
カールは姿勢を正した。
「了解しました!」
ヴァルターは頷いた。
「では、各班の編成を発表する」
午前八時四十七分。
第三訓練場、第一演習区画。
第三〇七号室の七人は、同じ班に編成された。
ヴァルターは名簿を確認した。
「第一班。班長は、ベッカー候補生」
ガイルの耳が勢いよく立った。
「はい!」
レイブンは少し驚いた。
ガイルが班長。
普段は明るく、少し騒がしい性格だが、仲間への気配りができる少年でもある。
ヴァルターは続けた。
「副班長は、クロウ候補生」
「はい!」
レイブンは敬礼した。
「記録・通信担当、ヴェーバー候補生」
「はい!」
「救護担当、シュナイダー候補生」
「はい!」
「装備管理補助、グラーフ候補生」
「はい!」
「連絡・伝令担当、ブラント候補生」
「はい!」
「観察・記録補助、リヒター候補生」
「はい!」
ヴァルターは七人を見渡した。
「本日は、この編成で訓練を行う」
ガイルは姿勢を正した。
「了解しました!」
そして、少しだけレイブンへ顔を向けた。
「……よろしくな、副班長」
レイブンは小さく笑った。
「こちらこそ、班長」
ガイルは嬉しそうに頷いた。
午前九時十二分。
第一演習区画。
七人は、訓練場の端にある集合地点へ移動していた。
ガイルは手元の指示書を確認した。
「えーっと……まず、指定された経路を通って、第二地点まで移動する」
ユリウスが補足した。
「途中で、教官から状況変更の指示が出る可能性があります」
オスカーは頷いた。
「じゃあ、周囲をよく見ておかないとな」
フェリックスは少し笑った。
「俺、こういうの得意かもしれない」
カールが静かに答えた。
「……油断するなよ」
「分かってるって!」
エミールは携行品を確認した。
「救護用品は、すべてそろっています」
レイブンはガイルへ目を向けた。
「準備できたよ」
ガイルは頷いた。
「よし、行こう!」
七人は、指定された経路を進み始めた。
訓練場には、木製の障害物や低い土塁が設けられている。
地面は冬の冷気で硬くなり、ところどころに霜が残っていた。
ガイルは先頭で進路を確認し、レイブンは後方の仲間たちの様子を見ていた。
ユリウスは記録用紙を手に、時間と位置を確認している。
オスカーは装備の状態を見守り、フェリックスは連絡役として教官の指示を受ける準備をしていた。
エミールは救護用品を携行し、カールは周囲の変化を記録していた。
午前九時三十八分。
第一演習区画、中間地点。
七人が低い土塁の近くへ到達した時、教官の声が響いた。
「第一班、停止!」
ガイルはすぐに手を上げた。
「停止!」
七人は足を止めた。
ヴァルターが近づいてきた。
「状況を付与する」
候補生たちは姿勢を正した。
「この先の経路で、班員一名が足を負傷したと想定する」
ヴァルターはフェリックスを指さした。
「ブラント候補生。負傷者役だ」
「はい!」
フェリックスは指定された位置へ座った。
「……いてて、足が……」
ガイルが小声で呟いた。
「……お前も演技が大げさだな」
フェリックスは笑った。
「ガイルほどじゃないだろ」
ヴァルターの声が響いた。
「私語を慎め」
「はい!」
七人は一斉に姿勢を正した。
ガイルは深呼吸した。
「……よし。エミール、状態を確認してくれ」
「了解」
エミールはフェリックスへ近づき、教本に従って状態を確認した。
レイブンは周囲の安全を確認し、オスカーへ声を掛けた。
「オスカー、搬送に必要な装備を確認して」
「了解」
ユリウスは時間を記録し、カールは状況の変化を記録していた。
ガイルは全員の動きを見渡した。
しかし、指示を出す順番に少し迷った。
「……えっと、次は……」
レイブンは小声で助言した。
「ガイル、まず状況を整理しよう」
ガイルは頷いた。
「……そうだな」
そして、落ち着いて指示を出し直した。
ヴァルターは少し離れた場所から、その様子を見ていた。
午前十時二十一分。
第一演習区画、終了地点。
七人は、指定された地点へ到着した。
ガイルは大きく息を吐いた。
「……終わった!」
フェリックスは笑った。
「いやあ、負傷者役も疲れるな」
オスカーは肩をすくめた。
「お前、ほとんど座ってただろ」
ユリウスは記録を確認していた。
「予定より、少し時間がかかりましたね」
カールが静かに答えた。
「……途中で、指示が重なった」
ガイルは頷いた。
「……そうだな」
その時、ヴァルターが近づいてきた。
「第一班、集合」
七人は姿勢を正した。
ヴァルターは名簿を確認した。
「全体として、悪くない」
ガイルの表情が少し明るくなった。
しかし、ヴァルターは続けた。
「ただし、班長の指示が一時的に曖昧になった。状況が変わった時ほど、落ち着いて判断する必要がある」
ガイルは敬礼した。
「了解しました!」
「副班長は、適切に補助できていた。ただし、班長の役割を奪わないよう注意しろ」
レイブンは頷いた。
「了解しました!」
ヴァルターは七人を見渡した。
「諸君。今日の訓練で重要なのは、誰か一人が優秀であることではない」
そして、静かに続けた。
「七人全員が、互いを支えながら行動することだ」
候補生たちは真剣に聞いていた。
ヴァルターは最後に告げた。
「次回は、今回の反省点を踏まえて改善しろ」
「了解しました!」
七人の声が重なった。
午後零時四十二分。
第二候補生宿舎、食堂。
昼食を取る七人の間では、午前中の演習について話が続いていた。
ガイルは少し悔しそうに言った。
「……俺、途中で焦ったな」
レイブンは首を振った。
「でも、すぐに立て直せたよ」
オスカーも頷いた。
「最初から完璧にできる奴なんていないだろ」
ユリウスは記録用紙を見ながら言った。
「次回は、役割分担をもう少し明確にしておくとよさそうですね」
エミールも頷いた。
「救護の判断も、もっと早くできるようにしたいです」
フェリックスは笑った。
「俺は、次は負傷者役じゃない方がいいな」
カールが静かに答えた。
「……次も、お前がいいかもな」
フェリックスは目を丸くした。
「おい!」
そのやり取りに、全員が笑った。
レイブンは、カールが冗談を言ったことに少し驚いた。
入校したばかりの頃、彼はほとんど自分から話さなかった。
しかし、今は違う。
少しずつ、仲間たちの輪に入ろうとしている。
それが嬉しかった。
午後二時三十分。
帝国陸軍中央志願兵教育学校、第二講義室。
午後の講義は、通信の基礎だった。
教卓には、訓練用の無線機が置かれている。
ヴァルターは候補生たちを見渡した。
「本日は、通信の基本原則について学ぶ」
そして、黒板へ文字を書いた。
『正確・簡潔・確認』
「通信では、必要な情報を正確に伝えることが重要だ」
ユリウスは真剣に聞いていた。
ヴァルターは続けた。
「相手に伝わったかどうか、確認することも忘れるな」
レイブンは教本へ視線を落とした。
通信の重要性は、父から何度も聞いていた。
しかし、実際に学ぶと、思っていた以上に細かな決まりがあることが分かった。
午後三時四十八分。
第二講義室。
講義の最後に、簡単な通信訓練が行われた。
ユリウスは無線機を手に取り、指定された文章を読み上げた。
「こちら第一班。指定地点へ到着。異常なし。どうぞ」
レイブンは別の無線機で応答した。
「こちら第二班。了解。次の指示を待て。どうぞ」
ユリウスは頷いた。
「了解。通信終了」
ヴァルターは静かに頷いた。
「よろしい」
その後、ガイルとフェリックスも通信訓練を行った。
しかし、フェリックスは少し慌ててしまい、途中で言葉を間違えた。
「こちら第一班、えーっと……」
ガイルが笑いそうになった。
ヴァルターは静かに言った。
「ブラント候補生。落ち着いて、最初からやり直せ」
「了解しました!」
フェリックスは深呼吸し、もう一度やり直した。
今度は、最後まで正確に伝えることができた。
ヴァルターは頷いた。
「よろしい。失敗しても、修正できればよい」
午後五時二十一分。
第二候補生宿舎、生活支援室。
夕方の課程を終えた七人は、ファニータとリーナのもとを訪れていた。
リーナは机の上に、温かい飲み物を並べていた。
「皆さん、お疲れさまでした!」
ガイルは嬉しそうに笑った。
「ありがとう!」
ファニータは書類を確認しながら、静かに尋ねた。
「本日の訓練はいかがでしたか?」
レイブンは頷いた。
「初めての分隊演習でした」
「それは、大変でございましたね」
ガイルは笑った。
「俺、班長になったんだ!」
リーナは目を輝かせた。
「すごいですね!」
ガイルは少し照れくさそうに笑った。
「いやあ、それほどでも……」
フェリックスが小声で呟いた。
「……さっきまで反省してたのに」
オスカーが笑った。
「まあ、いいじゃないか」
リーナはカールへ顔を向けた。
「お兄ちゃんは?」
カールは静かに答えた。
「……記録係だった」
「どうだった?」
「……悪くなかった」
リーナは嬉しそうに笑った。
「よかった!」
カールは少しだけ微笑んだ。
ファニータは七人を見渡した。
「皆様、訓練後は十分に休息を取ってくださいませ」
レイブンは頷いた。
「はい」
リーナも笑った。
「明日も頑張ってくださいね!」
午後七時三十八分。
第二候補生宿舎、第三〇七号室。
夕食を終えた七人は、各自の机で翌日の準備を進めていた。
ガイルは今日の演習記録を見ながら、少し考え込んでいた。
「……なあ、レイブン」
「何?」
「俺、班長としてちゃんとできてたかな」
レイブンは少し考えた。
「……最初は焦ってたけど、途中から落ち着いてたよ」
ガイルは頷いた。
「……そうか」
オスカーが続けた。
「お前、仲間のことはちゃんと見てたぞ」
ユリウスも頷いた。
「指示の順番を整理すれば、もっと良くなると思います」
エミールは微笑んだ。
「それに、班長一人で全部抱え込む必要はありません」
カールも静かに答えた。
「……俺たちもいる」
ガイルは少し驚いた。
そして、笑った。
「……そうだな!」
フェリックスが肩をすくめた。
「頼むぜ、班長!」
ガイルは笑った。
「任せろ!」
レイブンは、そのやり取りを見ながら微笑んだ。
七人は、少しずつ一つの班になろうとしていた。
午後九時十四分。
第三〇七号室。
消灯前。
レイブンは机の前に座り、黒革の手帳を開いていた。
ルナから贈られた万年筆を握り、ゆっくりと文字を書き始める。
『帝政歴三四三年、十二月十二日。
今日は、初めての分隊演習だった。
七人で一つの班になった。
班長はガイル。
副班長は俺。
ユリウスは通信、エミールは救護、オスカーは装備管理、フェリックスは伝令、カールは記録担当だった。
最初は少し失敗したけど、みんなで協力して最後までやり遂げた。
父さんは、誰か一人が優秀であることより、全員で支え合うことが大切だと言っていた。
俺も、そう思う。
ガイルは、いい班長になれると思う。
カールも、少しずつ元気になっている。
今日、冗談を言っていた。
あいつが笑っていると、俺も嬉しい。
これから、もっと訓練が厳しくなると思う。
でも、七人なら乗り越えられる気がする。』
レイブンは万年筆を置いた。
そして、手帳を閉じた。
窓の外には、冬の夜空が広がっていた。
遠くから、見回りの教官の足音が聞こえる。
隣の寝台では、ガイルが小さく欠伸をしていた。
「……なあ、レイブン」
「何?」
「明日も、よろしくな」
レイブンは微笑んだ。
「……こちらこそ」
その隣で、カールが静かに呟いた。
「……俺も、頑張る」
ガイルは笑った。
「よし! 七人で頑張ろうぜ!」
やがて、部屋の明かりが消えた。
帝政歴三四三年、十二月十二日。
第三中隊第二小隊。
七人の候補生たちは、初めての分隊演習を終えた。
まだ未熟な彼らだったが、互いを支えながら、一歩ずつ成長していた。
その日、第三〇七号室の七人は、単なるルームメイトから、一つの班としての意識を持ち始めていた。




