第40話 父と息子、再び交わす約束
第40話 父と息子、再び交わす約束
帝政歴三四一年、十二月一日。
帝国中央部、クロウ家別邸。
午前六時二十三分。
レイブン・S・クロウは、いつもより早く目を覚ました。
窓の外には冬の薄明かりが広がり、庭園の芝生には白い霜が降りている。屋敷の暖房設備が低く唸り、廊下の向こうからは使用人たちが朝食の準備を始める物音が聞こえていた。
十四歳になって六日が過ぎていた。
あの日から、父とはほとんど話していない。
昨日の市街地総合演習を見学するまでは、父の顔を見ることさえ避けていた。
しかし、今朝は違っていた。
レイブンは寝台から起き上がり、机の前へ座った。
そこには、昨夜書いた日記帳が置かれている。
少年は頁を開き、自分の文字を読み返した。
『父さんのことが怖い気持ちも、まだ残っている。
それでも、僕は父さんの話をもう一度聞きたい。
そして、僕の話も聞いてほしい。』
レイブンは、その文章をしばらく見つめていた。
昨日、演習場で見た父の姿が頭に浮かぶ。
片腕のまま訓練生たちを指導し、負傷者の救護や住民の避難を優先するよう教えていた。
最後には、訓練仕様の愛銃を使い、自分の身体に合わせて磨き上げた特殊再装填を披露した。
その姿は、レイブンが幼い頃から憧れていた父そのものだった。
だが、今は少し違う。
以前の自分は、父の強さばかり見ていた。
軍人としての技術。
冷静な判断。
部下から寄せられる信頼。
しかし、昨日の演習で目にしたのは、強さだけではなかった。
負傷した仲間を救うために、別の任務を調整しなければならない現実。
守るべき住民がいる一方で、兵士自身も危険にさらされる現実。
どれほど優秀な指揮官でも、すべてを思いどおりにはできない現実。
父は、それを知っていた。
自分の右腕を失うほどの経験をしてきたからこそ、息子が同じ道へ進むことを恐れていたのだ。
「……父さん」
レイブンは小さく呟いた。
誕生日の夜に叩かれたことを思い出すと、まだ胸が痛む。
けれど、父が自分を嫌っていたわけではないことも、今なら分かる気がした。
少年は日記帳を閉じた。
そして、静かに決めた。
今日、父と話そう。
謝らなければならないことを謝り、自分がどう考えているのかを、もう一度伝えよう。
午前七時十五分。
クロウ家別邸、食堂。
レイブンが食堂へ入ると、すでにセレナとルナが席についていた。
「おはよう、母さん」
「おはよう、レイブン」
「お兄ちゃん、おはよう!」
「おはよう、ルナ」
少年は微笑んで席へ着いた。
しばらくして、ヴァルターが食堂へ入ってきた。
「おはよう」
セレナとルナが挨拶を返す。
レイブンは、一瞬だけ手を止めた。
父の声を聞くと、まだ身体が強張る。
しかし、今朝は顔を背けなかった。
ゆっくりと父を見た。
「……おはよう、父さん」
ヴァルターは足を止めた。
六日ぶりに、息子が自分へ向けて挨拶をした。
それだけのことだった。
だが、彼には思いがけないほど大きな出来事だった。
「……ああ」
ヴァルターは静かに答えた。
「おはよう、レイブン」
セレナは二人を見つめた。
ルナは嬉しそうに兄の顔を見たが、何も言わなかった。
朝食が始まった。
会話はまだ少なかった。
レイブンは父へ積極的に話しかけることはできなかったし、ヴァルターも無理に距離を縮めようとはしなかった。
それでも、食卓には以前とは少し違う空気が流れていた。
午前八時四十一分。
帝国中央学院、中等教育部。
レイブンは授業を受けながら、時折、窓の外へ目を向けていた。
教師が黒板へ書き込む数式をノートへ写し、問いかけには普段どおり答える。
しかし、頭の片隅には午後のことがあった。
父と、何を話すべきだろう。
どう謝ればいいのだろう。
昨日の演習を見て、父の言葉の意味を少し理解できた。
だが、父が自分を叩いたことまで正しかったとは思っていない。
それでも、父を傷つけるような言葉を使ってしまったことは、謝りたかった。
レイブンはノートの端へ、小さく書き込んだ。
『父さんの話を最後まで聞く。自分の考えも、落ち着いて伝える。』
そして、万年筆を置いた。
午前十一時五十二分。
帝国陸軍中央教育学校、教官室。
ヴァルターは、昨日の演習評価報告書を確認していた。
机の上には、各部隊から提出された記録が積まれている。
歩兵部隊の状況判断。
衛生部隊の救護対応。
工兵部隊の安全確認。
通信部隊の情報共有。
いずれも、今後の教育課程へ反映するための重要な資料だった。
しかし、ヴァルターの頭から離れないのは、昨日の観覧所で見た息子の姿だった。
レイブンは泣いていた。
自分が見せた演習の何に心を動かされたのか、まだ分からない。
ただ、今朝、息子が挨拶を返してくれた。
それが、何かの変化なのかもしれないと思った。
「……クロウ教官」
エーリヒ・ベルクマン中尉が声を掛けた。
「何だ?」
「昨日の演習報告、確認をお願いします」
「ああ」
ヴァルターは書類を受け取った。
エーリヒは少し笑った。
「今日は、少し顔色がよくなりましたね」
ヴァルターは苦笑した。
「……そう見えるか」
「はい」
エーリヒは頷いた。
「まだ疲れていらっしゃるようですが」
「……まあな」
ヴァルターは書類へ視線を落とした。
「だが、少しだけ……希望が見えた気がする」
エーリヒはそれ以上、尋ねなかった。
午後三時四十七分。
クロウ家別邸、レイブンの自室。
学院から帰宅したレイブンは、机の前に座っていた。
制服から普段着へ着替えたものの、なかなか部屋を出られない。
机の上には、ルナが誕生日に贈ってくれた黒い鴉の栞が置かれている。
少年はそれを手に取り、指先でなぞった。
父と話そうと決めた。
だが、いざその時が近づくと、胸が苦しくなる。
また怒鳴られたらどうしよう。
また叩かれたらどうしよう。
そんな考えが、どうしても頭から離れなかった。
レイブンは深く息を吸った。
「……大丈夫」
自分へ言い聞かせるように呟いた。
その時、扉が静かに叩かれた。
「お兄ちゃん?」
ルナの声だった。
「……入っていいよ」
扉が開き、妹が顔を覗かせた。
「お兄ちゃん、今日……お父さんと話すの?」
レイブンは少し驚いた。
「……どうして分かったの?」
「朝、お父さんにおはようって言ったから」
ルナは小さく笑った。
「久しぶりだったもん」
レイブンは苦笑した。
「……そうだね」
ルナは兄の隣へ座った。
「怖い?」
レイブンは少し黙った。
そして、正直に答えた。
「……うん」
ルナは兄の手を握った。
「……私も、あの日は怖かった」
レイブンは妹を見た。
「……ルナも?」
「うん」
少女は頷いた。
「お父さんがあんなに怒ったの、初めて見たから」
レイブンは俯いた。
「……ごめん」
ルナは首を振った。
「お兄ちゃんが謝ることじゃないよ」
そして、少し笑った。
「でも、今日は私も一緒にいるから」
レイブンは顔を上げた。
「……本当?」
「うん!」
ルナは胸を張った。
「お母さんもいるし、四人で話そう」
レイブンは、ようやく少し笑った。
「……ありがとう」
午後四時二十六分。
クロウ家別邸、居間。
セレナは暖炉の前で裁縫をしていた。
そこへ、レイブンとルナが入ってきた。
「……母さん」
セレナは顔を上げた。
「どうしたの?」
レイブンは少し迷った。
そして、静かに答えた。
「……父さんと、話したい」
セレナは裁縫道具を置いた。
「……そう」
少年は頷いた。
「昨日の演習を見て、いろいろ考えたんだ」
セレナは息子の隣へ座った。
「うん」
「父さんが、どうして僕に軍人になることを簡単に考えてほしくなかったのか、少し分かった」
レイブンは続けた。
「でも、誕生日の夜のことは、まだ怖い」
セレナは頷いた。
「そうね」
「……それでも、話したい」
母は静かに微笑んだ。
「分かったわ」
そして、息子の手を握った。
「私とルナも一緒にいるから、安心して話しなさい」
レイブンは頷いた。
「……うん」
午後四時四十三分。
クロウ家別邸、書斎。
ヴァルターは机の前で書類を整理していた。
扉が叩かれる。
「……あなた」
セレナの声だった。
「ああ、入ってくれ」
扉が開いた。
セレナの後ろに、レイブンとルナが立っていた。
ヴァルターは息を呑んだ。
「……レイブン」
少年は父を見た。
その表情には、まだ緊張が残っている。
しかし、目を逸らさなかった。
「……父さん」
ヴァルターは椅子から立ち上がった。
「……どうした?」
レイブンは一度、母と妹を見た。
セレナは静かに頷いた。
ルナは兄の手を握っていた。
少年は深く息を吸った。
「……話したいことがある」
ヴァルターは頷いた。
「……ああ」
そして、椅子を示した。
「座ろう」
午後四時五十一分。
クロウ家別邸、書斎。
四人は、暖炉の前に置かれた椅子へ座っていた。
レイブンとヴァルターは向かい合い、その隣にセレナとルナがいる。
しばらく、誰も口を開かなかった。
やがて、レイブンが静かに話し始めた。
「……父さん」
「ああ」
「昨日の演習、見たよ」
ヴァルターは頷いた。
「……そうか」
「すごかった」
レイブンは続けた。
「父さんの特殊再装填も、訓練生たちの動きも、全部」
ヴァルターは黙って聞いていた。
「でも、僕が一番驚いたのは……兵士の人たちが、戦うだけじゃなかったこと」
レイブンは父を見た。
「怪我した仲間を助けたり、住民を避難させたり、いろんなことを同時に考えてた」
ヴァルターは静かに頷いた。
「……ああ」
「僕、軍人って、強くて勇敢で、誰かを守る人だと思ってた」
レイブンの声が少し震えた。
「それは間違ってないと思う。でも、それだけじゃなかった」
少年は続けた。
「危ないこともあるし、誰かが怪我することもある。自分がどれだけ頑張っても、全部うまくいくとは限らない」
ヴァルターは息子を見つめていた。
「……父さんが、何度も言ってたことだった」
レイブンは俯いた。
「……僕、分かってなかった」
しばらく沈黙が流れた。
そして、少年は顔を上げた。
「……ごめんなさい」
ヴァルターの表情が変わった。
「……レイブン」
「軍人になるって、何も理解しないまま言ったわけじゃないつもりだった。でも、本当に大事なことを、まだ知らなかった」
レイブンは続けた。
「父さんが心配してくれてたのに、僕はそれを聞こうとしなかった」
少年の目に涙が浮かんだ。
「……それに、父さんの経験を軽く考えるようなことも言った」
ヴァルターは首を振ろうとした。
しかし、レイブンは続けた。
「……ごめんなさい、父さん」
その言葉を聞いて、ヴァルターは深く息を吐いた。
そして、静かに立ち上がった。
レイブンの身体が、わずかに強張った。
ヴァルターはそれに気づいた。
すぐに足を止めた。
「……レイブン」
少年は父を見上げた。
「……何?」
ヴァルターは、少し離れた場所に立ったまま口を開いた。
「今度は、私の話を聞いてくれるか」
レイブンは小さく頷いた。
「……うん」
ヴァルターは左手を胸の前へ置いた。
「……まず、謝らせてほしい」
少年は黙っていた。
「誕生日の夜、私はお前を叩いた」
ヴァルターの声が低くなった。
「……あれは、私がしてはいけないことだった」
レイブンは父を見つめていた。
「お前が軍人になりたいと言ったことも、自分の考えを話したことも、叩かれる理由にはならない」
ヴァルターは続けた。
「私は、自分の感情を抑えられなかった」
左手が、かすかに震えた。
「……怖かったんだ」
レイブンは顔を上げた。
「……怖かった?」
「ああ」
ヴァルターは頷いた。
「お前が、私と同じ道を歩くことが」
彼は失われた右腕の方へ視線を落とした。
「私は、戦場で右腕を失った。仲間が傷つく姿も見てきた。命を落とした者もいた」
レイブンは黙って聞いていた。
「……あの時、私は生きて帰ることだけを考えていた」
ヴァルターは静かに続けた。
「セレナに会いたかった。お前とルナに、もう一度会いたかった」
セレナは目を伏せた。
ルナは母の手を握った。
「だから、お前が軍人になりたいと言った時、私は……お前まで同じ運命を背負うのではないかと思った」
ヴァルターの声が震えた。
「……同じように傷つき、ある日、帰ってこなくなるのではないかと」
レイブンの目から涙がこぼれた。
「……父さん……」
「私は、お前にそんな思いをしてほしくなかった」
ヴァルターは続けた。
「だが、その恐怖が先に立って、お前の言葉を聞けなかった」
彼は深く頭を下げた。
「……すまなかった、レイブン」
書斎に静寂が落ちた。
「父親として、してはいけないことをした」
ヴァルターは頭を下げたまま続けた。
「お前が私を許せなくても、当然だと思っている」
レイブンは、涙を流しながら父を見つめていた。
しばらくして、少年が小さく口を開いた。
「……父さん」
ヴァルターは顔を上げた。
「……ああ」
「……僕、怖かった」
ヴァルターの表情が苦しそうに歪んだ。
「……ああ」
「父さんに叩かれたの、初めてだったから」
レイブンは涙を拭った。
「……どうして叩かれたのか、分からなかった」
ヴァルターは頷いた。
「……本当に、すまない」
レイブンは続けた。
「……でも、昨日の演習を見て、父さんが何を怖がってたのか、少し分かった」
少年は深く息を吸った。
「……僕も、父さんを失いたくない」
その言葉に、ヴァルターは目を見開いた。
「父さんが戦場に行って、帰ってこなかったら……僕だって嫌だ」
レイブンは涙を流しながら続けた。
「……だから、父さんが僕を心配する気持ちも、少し分かった」
ヴァルターは何も言えなかった。
レイブンは父を見つめた。
「……でも、僕の夢も、ちゃんと聞いてほしい」
ヴァルターは静かに頷いた。
「……ああ」
「僕は、まだ軍人になりたいと思ってる」
少年は続けた。
「でも、今すぐじゃない。もっと勉強して、いろんなことを知って、それから決めたい」
ヴァルターは息子を見つめた。
「……それでいい」
レイブンは少し驚いた。
「……本当?」
「ああ」
ヴァルターは頷いた。
「お前の将来は、お前自身が考えるべきものだ」
少年の目から、また涙がこぼれた。
ヴァルターは続けた。
「私は、父親として心配するだろう。これからも、きっと反対することがある」
レイブンは頷いた。
「……うん」
「だが、もうお前の言葉を聞かずに決めつけることはしない」
ヴァルターは静かに言った。
「そして、二度と手を上げない」
レイブンは父を見つめた。
しばらく沈黙が流れた。
そして、少年は小さく答えた。
「……分かった」
午後五時二十六分。
クロウ家別邸、書斎。
暖炉の火が、静かに揺れていた。
レイブンは涙を拭いながら、父を見つめていた。
ヴァルターは、まだ少し離れた場所に立っている。
少年は一度、母と妹を見た。
セレナは静かに微笑んだ。
ルナは、涙を浮かべながら頷いた。
レイブンは、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
そして、父の前まで歩いた。
ヴァルターは動かなかった。
息子が自分へ近づいてくるのを、ただ見守っていた。
「……父さん」
「……何だ?」
レイブンは少し迷った。
そして、小さな声で尋ねた。
「……抱き締めても、いい?」
ヴァルターは息を呑んだ。
次の瞬間、目に涙が浮かんだ。
「……もちろんだ」
レイブンは父へ歩み寄った。
そして、胸へ顔を埋めた。
ヴァルターは左腕で、そっと息子を抱き締めた。
強く抱き締めすぎないように。
怖がらせないように。
それでも、確かに息子がそこにいることを感じられるように。
「……ごめんなさい、父さん」
レイブンが呟いた。
ヴァルターは首を振った。
「……私こそ、すまなかった」
少年の肩が震えた。
「……父さん……」
「ああ」
「……僕、父さんのこと、嫌いになりたくなかった……」
ヴァルターは息を詰まらせた。
そして、静かに答えた。
「……ありがとう、レイブン」
セレナは二人を見つめていた。
その目にも、涙が浮かんでいる。
ルナは母の腕へしがみついた。
「……お母さん」
「……何?」
「……仲直り、できた?」
セレナは娘の頭を撫でた。
「……ええ」
そして、静かに微笑んだ。
「少しずつ、ね」
午後六時十四分。
クロウ家別邸、食堂。
夕食の席には、久しぶりに穏やかな会話が戻っていた。
ルナは学校であった出来事を話し、レイブンは妹の話に笑っていた。
ヴァルターも、時折その会話へ加わった。
以前とまったく同じではなかった。
レイブンはまだ、父の急な動きに少し驚くことがあった。
ヴァルターも、息子へ触れる前に一度様子を見るようになっていた。
しかし、二人はそれを隠そうとはしなかった。
食事の途中、レイブンが父へ尋ねた。
「……父さん」
「何だ?」
「昨日の演習で使ってた銃、あれ……すごかった」
ヴァルターは少し笑った。
「そうか」
「片腕で、あんなに速く動けるんだね」
「ああ。何度も練習したからな」
レイブンは頷いた。
「……いつか、もっと詳しく教えてくれる?」
ヴァルターは少し考えた。
「今は、まだ早い」
レイブンは少し残念そうな顔をした。
しかし、ヴァルターは続けた。
「だが、装備の仕組みや、安全に扱うための考え方なら教えられる」
レイブンの耳が立った。
「本当?」
「ああ」
ヴァルターは頷いた。
「まずは、基礎からだ」
レイブンは嬉しそうに笑った。
「うん!」
ルナが横から口を挟んだ。
「私も聞きたい!」
ヴァルターは笑った。
「もちろんだ」
セレナは三人を見つめ、穏やかに微笑んだ。
午後八時四十二分。
クロウ家別邸、レイブンの自室。
レイブンは机に向かい、日記帳を開いていた。
今日は、何を書けばいいのか迷わなかった。
少年は万年筆を握り、ゆっくりと書き始めた。
『今日は、父さんと話した。
誕生日の夜のことを、お互いに謝った。
僕は、軍人のことをまだ十分に知らなかった。
父さんは、僕が同じように傷つくことを怖がっていた。
でも、父さんが僕を叩いたことは、正しくなかった。
父さんも、それを認めて謝ってくれた。
僕は、まだ少し怖い。
でも、父さんのことを、もう一度信じたいと思った。
父さんは、これから僕の話をちゃんと聞くと言ってくれた。
僕も、父さんの話をちゃんと聞こうと思う。
軍人になりたい気持ちは、まだ変わっていない。
でも、もっと勉強して、もっと知って、それから自分で決めたい。
今日は、父さんに抱き締めてもらった。
久しぶりだった。
嬉しかった。』
レイブンは万年筆を置いた。
そして、日記帳を閉じた。
机の上には、ルナが作ってくれた黒い鴉の栞が置かれている。
少年はそれを手に取り、静かに眺めた。
十四歳の誕生日は、悲しい思い出になってしまった。
しかし、その後に父と交わした言葉も、忘れないだろう。
レイブンは栞を日記帳へ挟んだ。
そして、寝台へ横になった。
帝政歴三四一年、十二月一日。
レイブン・S・クロウ、十四歳。
父と息子は、初めて本気で衝突し、互いに傷ついた。
しかし、この日、二人はようやく向き合い、それぞれの思いを言葉にした。
ヴァルターは、自分の恐怖を息子へ押しつけてしまったことを認めた。
レイブンは、軍人という仕事の重さを少し理解した。
そして、二人は約束した。
互いの言葉を聞くこと。
感情に任せて相手を傷つけないこと。
そして、これからも家族として向き合い続けること。
失われかけた信頼は、すべて元に戻ったわけではない。
だが、父と息子は、もう一度同じ道を歩き始めた。




