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黒鴉年代記 ~戦火を超えて、受け継がれる意志~  作者: @12
第二部:戦火の終焉と新たなる時代 第一章 交わる軍旗、影と戦乙女
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第155話 港湾の祝杯――我慢大会と夫婦漫才の夜

第155話 港湾の祝杯――我慢大会と夫婦漫才の夜


帝政歴350年10月23日、午後16時42分。連邦共和国東部沿岸、旧港湾地区共同戦線前線指揮所。

旧港湾地区と第二港湾地区の奪還から三日が経過し、戦火に包まれていた海岸線には少しずつ人々の営みが戻り始めていた。港湾施設の一角には帝国軍と連邦共和国軍の共同前線指揮所が移設され、かつて貨物の積み下ろしに使用されていた管理棟には通信設備と作戦卓が運び込まれている。屋上には両軍の識別旗が掲げられ、岸壁では工兵部隊が破損した荷役設備の修復を進めていた。

大和国軍の撤退後、第二港湾の倉庫群と地下搬送路は後続部隊によって順次確認され、残存兵の投降と危険物の処理が進められていた。すべての施設が民間利用へ戻されたわけではないが、安全が確認された住宅地区では避難民の帰還が始まっていた。

久しぶりに店の扉を開ける老夫婦。焼け残った自宅の窓を修理する父親。母親の手を引きながら港の風景を眺める子供たち。軍用車両の往来が続く道路の脇では、営業を再開した小さな食料品店に人々が並んでいた。

レイブン・S・クロウ《NoX》は、前線指揮所の二階からその光景を見下ろしていた。

「……少しずつ戻ってきたな」

隣に立っていたガイル・ベッカー《Hound》が、温かい飲み物を片手に頷いた。

「ああ。三日前まで、あそこで撃ち合ってたなんて信じられねえよ」

「まだ完全に安全になったわけじゃない」

「分かってる。でも、こういう景色を見ると、あの日の苦労も無駄じゃなかったと思えるだろ?」

レイブンは静かに微笑んだ。

「そうだな」

二人の背後では、SHADOW LADYの隊員たちが装備の点検と再編成を進めていた。港湾強襲作戦では少人数の先遣任務に分かれていたが、共同戦線司令部の承認を受け、各班の任務配置と指揮系統を整理し直したのである。

七月の戦闘で負傷した隊員についても、医療部門の判断を踏まえながら段階的な復帰が進められていた。ただし、回復が十分でない者を無理に前線へ戻すことはせず、警戒任務、通信、補給、偵察支援など、それぞれの状態に適した配置が与えられていた。

ガイルは再編成表を眺めながら口を開いた。

「……ようやく全体の形が戻ってきたな」

「ああ。だが、休める時には休ませる」

「珍しいこと言うじゃねえか」

「何がだ?」

「お前、昔なら真っ先に次の任務へ行こうとしてただろ」

レイブンは苦笑した。

「……エリシアに怒られるからな」

ガイルは吹き出した。

「ぶははっ! 〈塹壕の悪魔〉も〈悪魔の飼い主〉には勝てねえってか!」

「勝ち負けの問題じゃない」

「はいはい、そういうことにしといてやるよ」

その時、背後から聞き慣れた女性の声が響いた。

「ガイル、また余計なことを言っているの?」

二人が振り向くと、エリシア・L・ヴォルハラム《Valkyrie》が書類を抱えて立っていた。

金髪を後ろでまとめた彼女は、連邦共和国軍第915旅団の制服を着用している。

「おっ、噂をすれば」

「何の噂?」

「いやあ、NoXがどれだけお前を愛してるかって話をな」

レイブンが即座に振り向いた。

「おい」

エリシアは一瞬だけ目を丸くした後、微笑んだ。

「……へえ?」

ガイルは満足そうに頷いた。

「ほら、本人も否定してねえ」

レイブンは額に手を当てた。

「……面倒なことになった」

エリシアはレイブンへ近づき、楽しそうに顔を覗き込んだ。

「ねえ、レイブン。本当なの?」

「……何がだ」

「私のこと、そんなに愛してるの?」

ガイルは口元を押さえた。

レイブンは数秒間、エリシアを見つめた。

そして、何でもないことのように答えた。

「ああ。愛している」

エリシアの動きが止まった。

「…………え?」

「だから、愛していると言った」

「ちょ、ちょっと……!」

彼女の頬が一気に赤くなった。

ガイルは腹を抱えて笑い始めた。

「ぶははははっ! 逆にお前がやられてんじゃねえか!」

エリシアは真っ赤になった顔を隠した。

「レイブン! そういうことを平然と言わないで!」

「聞かれたから答えただけだ」

「だからって!」

レイブンは小さく笑った。

「……嘘をつくよりいいだろう?」

エリシアはしばらく言葉を失った。

そして、悔しそうに呟いた。

「……本当に、ずるい人」

ガイルは笑いながら壁を叩いた。

「こりゃ今夜が楽しみだな!」

レイブンが顔を上げた。

「今夜?」

ガイルはにやりと笑った。

「忘れたとは言わせねえぞ」

「……何を?」

「酒だよ! 酒! 第二港湾で約束しただろ!」

レイブンは一瞬だけ黙った。

そして、思い出したように頷いた。

「……ああ」

「お前の奢りでな!」

エリシアが呆れたように笑った。

「まだ覚えていたのね」

「当たり前だ! 俺はこういう約束だけは絶対に忘れねえ!」

レイブンは深く息を吐いた。

「……分かった。今夜にしよう」

ガイルの表情が輝いた。

「よっしゃあああっ!!」

その声が指揮所の廊下へ響き渡り、近くにいた兵士たちが何事かと振り向いた。

帝政歴350年10月23日、午後18時16分。旧港湾地区、旧商業会館一階大広間。

港湾地区の中央通りに面した旧商業会館は、避難民の帰還に合わせて一部の営業を再開していた。建物の一階には大きな食堂があり、戦前は港湾労働者や商人たちが集まる場所として知られていたという。

その夜、食堂の一角は貸し切りとなっていた。

長いテーブルには温かい肉料理、魚介の煮込み、焼き野菜、パン、スープなどが並べられ、中央には酒瓶と飲料水が用意されている。もちろん、勤務中の者や飲酒を希望しない者にはノンアルコール飲料が提供され、翌朝の任務に支障が出ないよう当直要員は別途確保されていた。

今回の宴席に参加したのは、レイブンを中心とするSHADOW LADYの隊員たち、連邦共和国軍第915旅団のエリシア、そして旅団長と副旅団長だった。

第915旅団長は、マルガレーテ・フォン・アイゼンフェルト准将。

四十代前半の女性将校で、冷静沈着な判断と部下の損耗を抑える指揮で知られている。鋭い灰色の瞳と、肩のあたりで切り揃えられた銀褐色の髪が特徴だった。

副旅団長は、ナターリア・ヴォルコワ大佐。

三十代後半の女性将校で、黒髪を後ろで束ね、普段は厳格な表情を崩さない。前線での経験が豊富で、旅団長の判断を実務面から支える存在だった。

「……さて」

マルガレーテ准将がグラスを手に立ち上がった。

「本日は、旧港湾地区および第二港湾地区の奪還作戦に参加した諸君の労をねぎらうため、この席を設けた」

会場が静かになった。

「帝国軍と連邦共和国軍は、かつて互いに銃口を向け合っていた。しかし、今は同じ海岸線を守り、同じ負傷者を救い、同じ敵に立ち向かっている」

彼女はレイブンたちへ視線を向けた。

「三ヶ月前、この共同戦線が成立した時、誰もが容易な道ではないと理解していた。それでも、諸君はその困難を乗り越え、港湾地区を取り戻した」

ナターリア大佐が静かに頷いた。

マルガレーテ准将はグラスを掲げた。

「今日ここに戻ってこられた者たちへ。そして、まだ前線にいる仲間たちへ。乾杯」

「乾杯!」

会場にグラスの触れ合う音が響いた。

ガイルは勢いよくグラスを掲げた。

「よっしゃあ! 飲むぞおおおっ!!」

レイブンは隣で苦笑した。

「……ほどほどにな」

「分かってるって!」

エリシアが横から言った。

「あなたの『分かってる』は信用できないのよ」

「何だと!?」

ルナが楽しそうに笑った。

「Houndさん、今日は何回怒られるんでしょうね」

ガイルは胸を張った。

「今日は怒られねえ! 俺は平和に飲む!」

レイブンは静かに呟いた。

「……無理だな」

「おい!」

会場に笑い声が広がった。

帝政歴350年10月23日、午後19時04分。旧商業会館大広間。

宴席が始まってから一時間近くが経過した。

最初こそ両軍の将校たちは礼儀正しく会話を交わしていたが、温かい料理と酒が進むにつれ、次第に肩の力が抜けていった。

SHADOW LADYの隊員たちは港湾強襲作戦の出来事を語り合い、連邦共和国軍の将校たちも戦場での失敗談や昔の訓練の思い出を披露していた。

「……それでな」

ガイルが大きく身振りを交えながら話していた。

「地下通路の出口を抜けたら、敵がずらっと並んでやがったんだよ!」

ナターリア大佐が興味深そうに眉を上げた。

「それで、どうしたの?」

「俺が怒鳴った!」

「何と?」

「死にたい奴は前に出ろ、ってな!」

マルガレーテ准将はグラスを置いた。

「……それで?」

ガイルは胸を張った。

「全員逃げました!」

一瞬、沈黙が流れた。

そして、ナターリア大佐が吹き出した。

「……ふっ」

続いて、マルガレーテ准将も口元を押さえた。

「……報告書で読んだ時は、何かの誤記かと思ったが」

レイブンは静かに頷いた。

「……自分でも驚きました」

ガイルが笑った。

「俺なんか、最初は何が起きたのか分からなかったですからね!」

ナターリア大佐は肩を震わせていた。

「……あなたたち、本当に面白いわね」

「よく言われます!」

エリシアが横から口を挟んだ。

「褒められているとは限らないわよ」

「うるせえ!」

そのやり取りに、再び笑い声が上がった。

しばらくすると、話題は志願兵学校時代の思い出へ移った。

ガイルは例の教官の椅子の話を始め、レイブンは何度も訂正を入れる羽目になった。

「違う。椅子を壊したのはお前だ」

「俺だけじゃねえだろ!」

「俺は止めようとした」

「でも笑ってたじゃねえか!」

「壊れた後にな」

ルナは腹を抱えて笑っていた。

「お兄ちゃん、そんなことしてたんだ!」

エリシアも笑った。

「本当に想像できないわ」

マルガレーテ准将は興味深そうに二人を見た。

「……君たちは昔から、そういう関係だったのだな」

レイブンは少しだけ微笑んだ。

「はい」

ガイルも頷いた。

「こいつとは腐れ縁ですから」

「腐れ縁とは酷いな」

「褒めてんだよ!」

「……そうか」

二人は顔を見合わせて笑った。

帝政歴350年10月23日、午後20時12分。旧商業会館大広間。

酒宴が始まって二時間が経過した頃、会場の雰囲気は完全に変わっていた。

軍の階級や所属を気にした堅苦しい会話はほとんど消え、代わりに笑い声と遠慮のない冗談が飛び交っていた。

ガイルは既に何杯目か分からないグラスを片手に、SHADOW LADYの隊員たちへ熱弁を振るっていた。

「いいか、お前ら! 戦場で一番大事なのは何だと思う!?」

一人の隊員が答えた。

「弾薬ですか?」

「違う!」

別の隊員が言った。

「仲間との連携ですか?」

「それも大事だ! だが違う!」

レイブンが呆れたように言った。

「……何なんだ?」

ガイルは胸を張った。

「帰ったら誰かに抱き締めてもらえることだ!」

一瞬、会場が静かになった。

そして、数人の隊員が吹き出した。

「何ですか、それ!」

「Hound、寂しいんですか!?」

ガイルは大声で答えた。

「寂しいに決まってんだろ! こっちは朝から晩まで男ばっかり見てんだぞ!」

エリシアが額を押さえた。

「……また始まった」

ナターリア大佐は楽しそうに笑った。

「でも、言いたいことは分からなくもないわね」

ガイルは大きく頷いた。

「でしょう!?」

マルガレーテ准将はグラスを傾けながら言った。

「ただし、部下に対して同じ演説をするのは勧めない」

「了解です!」

レイブンは静かに笑った。

「……そもそも、お前は演説に向いていない」

「何だと!?」

「途中で話が下半身に向かうからな」

会場が爆笑した。

ガイルはレイブンを指差した。

「お前だって男だろうが!」

「そうだが?」

「じゃあ分かるだろ!」

レイブンは一瞬だけ考えた。

そして、エリシアへ視線を向けた。

「……俺は困っていない」

エリシアが飲み物を吹き出しかけた。

「ちょっ……レイブン!?」

ガイルは机を叩いた。

「この野郎おおおっ!!」

ルナは何が面白いのか理解した途端、真っ赤になった。

「お、お兄ちゃん!」

レイブンは首を傾げた。

「……何だ?」

エリシアは顔を覆った。

「……あなた、本当にそういうところがあるわよね」

ナターリア大佐は腹を抱えて笑っていた。

「……駄目、面白すぎる……!」

マルガレーテ准将も口元を押さえていた。

「……クロウ、君は案外容赦がないな」

レイブンは静かに答えた。

「……事実を述べただけです」

ガイルは椅子から立ち上がった。

「それが一番腹立つんだよ!」

帝政歴350年10月23日、午後20時47分。旧商業会館大広間。

宴席は、さらに奇妙な方向へ進み始めた。

きっかけは、ガイルがルナへ向かって言った一言だった。

「……なあ、NYX」

ルナは果汁飲料のグラスを持ったまま振り向いた。

「何ですか?」

「お前、兄貴に似て負けず嫌いだろ?」

ルナは首を傾げた。

「……そうですか?」

「絶対そうだ!」

「そんなことないですよ」

ガイルはにやりと笑った。

「じゃあ、勝負しようぜ」

レイブンが顔を上げた。

「……おい」

しかし、ガイルは止まらなかった。

「我慢大会だ!」

ルナは目を丸くした。

「我慢大会?」

「そう! どっちが先に笑うか勝負だ!」

レイブンは額に手を当てた。

「……嫌な予感しかしない」

エリシアも頷いた。

「……同感ね」

ガイルはルナの前へ椅子を持ってきた。

「ルールは簡単だ。互いに変な顔をしたり、笑わせることを言ったりして、先に吹き出したほうが負け!」

ルナは少しだけ考えた。

そして、にっこりと笑った。

「……いいですよ」

レイブンが顔を上げた。

「……ルナ?」

彼女は胸を張った。

「私、負けませんから!」

ガイルは嬉しそうに笑った。

「よっしゃ!」

SHADOW LADYの隊員たちが周囲に集まり始めた。

「おっ、何か始まったぞ!」

「HoundとNYXの勝負だって!」

「どっちが勝つと思う?」

ナターリア大佐も興味深そうに椅子を向けた。

「……面白そうね」

マルガレーテ准将は苦笑した。

「……軍の宴席とは思えんな」

レイブンは静かに呟いた。

「……申し訳ありません」

准将は首を振った。

「いや。こういう時間も必要だろう」

そして、ガイルとルナの我慢大会が始まった。

最初の一分間、二人は真顔で向かい合っていた。

ガイルは眉を寄せ、ルナは頬を膨らませている。

「…………」

「…………」

周囲の隊員たちが笑いを堪えていた。

やがて、ガイルが低い声で言った。

「……NYX」

「……何ですか?」

「……お前の兄貴、昔な」

「……はい」

「……寝ぼけて教官に敬礼したことがあるんだぞ」

ルナの口元が僅かに動いた。

「……ふっ」

しかし、彼女は耐えた。

「……それくらいじゃ笑いません」

ガイルは眉を上げた。

「……ほう」

ルナは静かに言った。

「じゃあ、私からも」

「おう」

「……Houndさん」

「何だ?」

「……お兄ちゃん、昔から言ってました」

「……何を?」

ルナはにっこりと笑った。

「ガイルは口だけなら将軍になれるって」

ガイルの顔が引きつった。

「……ぶっ」

周囲が一斉に笑い始めた。

レイブンは目を逸らした。

「……言った覚えがあるな」

ガイルは慌てて口を押さえた。

「……ま、まだ笑ってねえ!」

ルナは楽しそうに目を細めた。

「本当ですか?」

「……本当だ!」

その時、レイブンが静かに付け加えた。

「……ただし、作戦会議は三分で脱線するとも言った」

ガイルは耐えきれなかった。

「ぶははははっ!!」

会場が爆笑した。

ルナは両手を上げた。

「やったあ! 私の勝ち!」

ガイルは机に突っ伏した。

「……クソッ! 兄妹で組むのは反則だろ!」

レイブンは苦笑した。

「……俺は事実を述べただけだ」

「またそれかよ!」

エリシアは笑いながら涙を拭っていた。

「……もう、駄目……!」

しかし、ガイルは諦めなかった。

「……もう一回だ!」

ルナは目を輝かせた。

「いいですよ!」

こうして、二人の我慢大会は第二回戦、第三回戦へと続いていった。

帝政歴350年10月23日、午後21時26分。旧商業会館大広間。

会場の一角では、ガイルとルナの我慢大会が続いていた。

しかし、別の場所ではさらに厄介な騒動が始まっていた。

原因は、エリシアがレイブンのグラスを取り上げたことだった。

「……レイブン」

「何だ?」

「あなた、もう飲みすぎよ」

「まだそれほど飲んでいない」

「そういう人ほど飲んでいるの」

「……そうか?」

「そうよ」

レイブンは少しだけ考えた。

そして、エリシアのグラスを見た。

「……お前も飲んでいるだろう」

「私は自分の限度を分かっているわ」

「俺も分かっている」

「嘘」

「……即答か」

エリシアは腕を組んだ。

「あなた、さっきから顔が少し赤いもの」

レイブンは静かに答えた。

「……お前が隣にいるからだ」

エリシアの動きが止まった。

「…………」

周囲のSHADOW LADY隊員たちが一斉に振り向いた。

ガイルも我慢大会を中断して叫んだ。

「おい! 今の聞いたか!?」

ルナは真っ赤になった。

「お、お兄ちゃん!」

エリシアはレイブンを睨んだ。

「……あなた、そういうことを言えば許されると思ってるでしょう」

レイブンは首を傾げた。

「……何のことだ?」

「分かってて言ってるでしょう!」

「……いや?」

「嘘つき!」

レイブンは小さく笑った。

「……可愛いな」

エリシアの顔がさらに赤くなった。

「もうっ!!」

ガイルは机を叩いて笑い始めた。

「ぶははははっ! 始まったぞ! 夫婦漫才だ!」

ナターリア大佐が笑いながら頷いた。

「……確かに、これは夫婦漫才ね」

マルガレーテ准将も苦笑した。

「……まだ結婚前ではなかったか?」

エリシアは慌てて振り向いた。

「じゅ、准将!」

准将は穏やかに笑った。

「いや、失礼。あまりにも息が合っているのでな」

レイブンは静かに頷いた。

「……いずれは、と思っています」

エリシアは完全に固まった。

「…………え?」

会場が一瞬、静まり返った。

そして、次の瞬間。

「うおおおおおっ!!」

ガイルが立ち上がった。

「聞いたか、お前ら! NoXが言ったぞ!」

SHADOW LADYの隊員たちが歓声を上げた。

「おめでとうございます!」

「まだ早いだろ!」

「いや、これはもう決まりでしょう!」

ルナは両手を口元へ当てた。

「……お兄ちゃん」

レイブンは周囲を見渡し、僅かに困ったように笑った。

「……まだ何も決まっていないぞ」

ガイルは大きく首を振った。

「関係ねえ! 今の発言は歴史に残る!」

エリシアは真っ赤になった顔を隠していた。

「……レイブン」

「何だ?」

「……あなた、本当に……」

彼女はしばらく言葉を探していた。

そして、ようやく小さく呟いた。

「……そういうことは、二人きりの時に言ってよ」

レイブンは彼女を見つめた。

「……分かった」

「……本当に?」

「ああ」

彼は少しだけ身を寄せた。

「……では、後で改めて言う」

エリシアは思わず叫んだ。

「だから、今それを言わないでってば!!」

会場は再び爆笑に包まれた。

ガイルは笑いすぎて椅子から転げ落ちそうになり、ルナは両手で顔を覆っていた。

ナターリア大佐は涙を拭いながら笑っている。

マルガレーテ准将はグラスを置き、肩を震わせていた。

「……なるほど」

彼女はようやく口を開いた。

「……これが、帝国軍の〈塹壕の悪魔〉か」

ナターリア大佐が笑いながら答えた。

「……戦場では恐ろしいのに、宴席ではこんな人なんですね」

レイブンは苦笑した。

「……申し訳ありません」

准将は首を振った。

「謝る必要はない。むしろ、安心した」

「……安心?」

「ああ。諸君も、普通の若者なのだと分かったからな」

レイブンは一瞬だけ黙った。

そして、静かに微笑んだ。

「……ありがとうございます」

帝政歴350年10月23日、午後22時18分。旧商業会館大広間。

宴席は、ようやく終わりへ向かっていた。

テーブルには空になった皿とグラスが並び、SHADOW LADYの隊員たちは互いの肩を叩きながら笑っていた。

ガイルは椅子に深く腰を沈め、満足そうに天井を見上げていた。

「……ああ、最高だった」

ルナは隣で笑った。

「Houndさん、結局三回も負けましたね」

「……うるせえ」

「私、全勝でした!」

「……分かってるよ」

レイブンが横から言った。

「……ルナは昔から我慢強いからな」

ガイルは顔をしかめた。

「……お前ら兄妹、反則だろ」

ルナは嬉しそうに笑った。

「えへへ」

エリシアはレイブンの隣に座り、静かに肩を寄せていた。

「……楽しかったわね」

「ああ」

「こんなに笑ったの、久しぶりかもしれない」

レイブンは頷いた。

「……そうだな」

その時、マルガレーテ准将が二人の前へやってきた。

「クロウ、ヴォルハラム」

二人は姿勢を正した。

「はい」

准将は穏やかに微笑んだ。

「今日は良い宴席だった。招待に感謝する」

レイブンは敬礼した。

「こちらこそ、参加していただきありがとうございました」

ナターリア大佐も近づいた。

「それにしても、あなたたちの会話は面白かったわ」

エリシアは恥ずかしそうに笑った。

「……忘れてください」

ナターリア大佐はにやりと笑った。

「無理ね」

「……大佐!」

マルガレーテ准将は小さく笑った。

「安心しろ。公式報告書には書かん」

ガイルが横から叫んだ。

「じゃあ、俺が書きます!」

レイブンとエリシアが同時に振り向いた。

「やめろ!」

「やめなさい!」

二人の声が綺麗に重なった。

会場が最後の爆笑に包まれた。

ガイルは腹を抱えて笑った。

「ぶはははっ! ほら見ろ! 息ぴったりじゃねえか!」

ルナも笑いながら頷いた。

「本当だ!」

レイブンは額に手を当てた。

「……もう帰るぞ」

エリシアも深く息を吐いた。

「……賛成」

二人は顔を見合わせた。

そして、同時に笑った。

帝政歴350年10月23日、午後22時46分。旧港湾地区、共同戦線前線指揮所へ続く海岸道路。

宴席を終えた一行は、夜の港湾地区を歩いていた。

海からは冷たい風が吹き、遠くの岸壁には夜間警戒中の帝国軍と連邦共和国軍の兵士たちが見える。

ガイルはSHADOW LADYの隊員たちと談笑しながら先を歩き、ルナはその隣で今日の我慢大会について得意げに話していた。

少し後ろでは、マルガレーテ准将とナターリア大佐が静かに会話を交わしている。

レイブンとエリシアは、さらに後方を並んで歩いていた。

「……ねえ、レイブン」

「何だ?」

エリシアは少しだけ視線を落とした。

「……さっきの話」

「……どれだ?」

「……もう」

彼女は小さく息を吐いた。

「結婚の話よ」

レイブンは足を止めた。

エリシアも立ち止まる。

しばらく、二人の間に沈黙が流れた。

やがて、レイブンは静かに口を開いた。

「……本気だ」

エリシアは顔を上げた。

「……え?」

「今すぐ答えを求めるつもりはない。でも、戦争が終わった後も、お前と一緒にいたいと思っている」

彼女はしばらくレイブンを見つめていた。

そして、ゆっくりと微笑んだ。

「……私もよ」

レイブンの表情が和らいだ。

「……そうか」

「ええ」

エリシアは彼の手を取った。

「だから、ちゃんと生きて帰ってきてね」

レイブンはその手を握り返した。

「ああ。約束する」

二人は再び歩き始めた。

その時、前方からガイルの声が響いた。

「おーい! そこの未来の夫婦! 置いてくぞー!」

エリシアが叫んだ。

「ガイル!!」

レイブンは苦笑した。

「……本当に懲りないな」

ルナの笑い声が夜の港へ響いた。

その日、旧港湾地区には久しぶりに戦闘以外の賑わいが戻っていた。

港を取り戻した兵士たち。

故郷へ帰還した避難民たち。

再び灯りがともり始めた商店街。

そして、戦場では恐れられる異名を持ちながらも、仲間たちと笑い合う四人。

戦争はまだ終わっていなかった。

大和国軍は依然として沿岸の複数拠点を保持し、共同戦線の前線では翌朝も警戒任務が続くことになっていた。

それでも、彼らはこの夜だけは、戦場での肩書きを少しだけ忘れることができた。

〈塹壕の悪魔〉も、〈不沈の犬〉も、〈悪魔の飼い主〉も、〈地獄の誘導者達〉も。

その夜の彼らは、ただのレイブンとガイル、エリシアとルナだった。

そして翌朝、共同戦線前線指揮所には、第二港湾の地下搬送路から発見された大和国軍の機密輸送記録が届けられることになる。

そこには、旧港湾地区への増援経路だけでなく、さらに北方へ続く大和国軍の補給網と、未確認の軍事施設に関する情報が記されていた。

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