第154話 帰還命令――港に残された七時間の代償
第154話 帰還命令――港に残された七時間の代償
帝政歴350年10月20日、午後16時48分。連邦共和国東部沿岸、第二港湾地区。
第二港湾の中央貨物岸壁に、連邦共和国軍第915旅団の先遣増援部隊が到着した。三ヶ月に及ぶ戦闘で傷んだ軍用道路を経由してきた装甲車両が次々と停止し、車体から降りた兵士たちが周辺の警戒を開始する。帝国軍の連絡将校も同行しており、港湾施設の引き継ぎは両軍の指揮系統を維持したまま進められることになっていた。
岸壁の片隅では、レイブン・S・クロウ《NoX》とガイル・ベッカー《Hound》が、後続部隊の指揮官に地下搬送路の発見経緯を説明していた。
「中央倉庫の地下入口から進入し、途中で二つの検問所と弾薬集積所を確認しました。通路の最終区画は、この第二港湾の貨物搬送口へ繋がっています」
レイブンが携帯端末に表示された経路を示すと、連邦共和国軍の大尉は目を細めた。
「つまり、我々が旧港湾地区で相手にしていた増援は、この港から地下を経由して送り込まれていたということか」
「その可能性が高いと考えています。搬入記録にも第二港湾の名称が残っていました」
「なるほど。敵の兵力が減らなかった理由が分かったわけだな」
大尉は周囲を見渡した。
「しかし、よくここまで進入できたものだ。報告では敵予備兵が後退したと聞いているが、相当な交戦があったのか?」
レイブンは一瞬だけ黙った。
その隣で、ガイルが口元を押さえた。
「……実はですね」
「何だ?」
「俺がちょっと怒鳴ったら、敵が逃げまして」
大尉は瞬きをした。
「……何?」
「ですから、俺が怒鳴ったんです」
「それだけか?」
ガイルは頷いた。
「はい」
大尉はレイブンを見た。
レイブンも静かに頷いた。
「……事実です」
数秒間、誰も口を開かなかった。
やがて、大尉は深く息を吐いた。
「……諸君の異名は聞いている。しかし、まさかそこまで効果があるとはな」
ガイルが胸を張った。
「いやあ、俺も驚きましたよ」
レイブンは小さく咳払いした。
「ただし、敵が全員撤退したとは限りません。倉庫内部と地下搬送路には残存兵力がいる可能性があります」
「承知した。ここから先は我々が引き継ぐ」
大尉は二人を見渡した。
「君たちは十分働いた。帰還して休息を取れ」
その言葉を聞いた瞬間、ガイルの表情が変わった。
「……今、何と?」
「帰還して休息を取れ、と言った」
「……休息?」
「ああ」
ガイルはゆっくりとレイブンを見た。
「……NoX」
「何だ?」
「……聞いたか?」
「ああ」
「……休んでいいってよ」
レイブンは小さく笑った。
「そうだな」
ガイルは両手を天へ向けた。
「やっと終わったああああっ!!」
周囲の兵士たちが一斉に振り向いた。
大尉は思わず苦笑した。
「……随分と疲れているようだな」
レイブンは静かに答えた。
「……七時間以上、戦闘が続きましたので」
「それは休ませるべきだな」
ガイルは大きく頷いた。
「大賛成です!」
帝政歴350年10月20日、午後17時12分。第二港湾地区、臨時救護所。
港湾施設の一角には、後続部隊によって臨時救護所が設けられていた。
連邦共和国軍の衛生兵たちが負傷者の状態を確認し、帝国軍の医療要員が搬送の優先順位を調整している。国籍に関係なく、治療を必要とする者から順に処置が行われていた。
レイブンとガイルも、帰還前の身体検査を受けることになった。
「……腕を見せてください」
連邦共和国軍の女性衛生兵が、ガイルへ声をかけた。
ガイルは不満そうに腕を差し出した。
「別に怪我なんかしてねえよ」
「確認します」
「本当に大丈夫だって」
「確認します」
「……はい」
レイブンは隣で笑いを堪えていた。
ガイルが睨んだ。
「……何笑ってんだ」
「いや、随分と素直だと思ってな」
「相手が怖えんだよ」
衛生兵が顔を上げた。
「何か言いました?」
「何でもありません!」
レイブンはとうとう笑い始めた。
「……ははっ」
ガイルは顔をしかめた。
「クソッ……」
一方、レイブンの検査を担当していた帝国軍の衛生兵は、彼の腕と肩を確認しながら眉をひそめていた。
「NoX、右肩に打撲がありますね」
「問題ない」
「問題があるかどうかは、こちらが判断します」
「……了解」
「それと、疲労がかなり蓄積しています。身体超強化を使用しましたか?」
「ああ。緊急退避の際に」
「どの程度?」
「短時間だ」
衛生兵はため息を吐いた。
「……短時間でも、使用後の負担は残ります。今日は休息を優先してください」
レイブンは頷いた。
「分かった」
その時、背後から聞き慣れた声が響いた。
「……本当に分かったの?」
レイブンが振り向くと、そこにはエリシア・L・ヴォルハラム《Valkyrie》が立っていた。
金髪を束ねた彼女は、HARを背負い、腕を組んでいる。
「……エリシア」
「さっきから聞いていたわ」
レイブンは僅かに目を逸らした。
「……そうか」
「あなた、休むって言いながら、すぐ次の任務に行こうとするでしょう」
「そんなことはない」
「本当に?」
「……たぶん」
エリシアは深く息を吐いた。
「……レイブン」
「……はい」
ガイルが横から吹き出した。
「ぶははっ! お前、完全に怒られてんじゃねえか!」
エリシアはゆっくりと振り向いた。
「ガイル」
「……はい?」
「あなたも同じよ」
ガイルの笑顔が消えた。
「……え?」
「七時間以上も戦って、地下まで行って、休まずに敵を追いかけたんでしょう?」
「……まあ」
「だったら、あなたも休みなさい」
ガイルはレイブンを見た。
レイブンは静かに頷いた。
「……従ったほうがいい」
「……お前が言うな」
エリシアは二人を見比べた。
そして、少しだけ笑った。
「……本当に、二人とも変わらないのね」
レイブンは首を傾げた。
「何が?」
「さっき、志願兵学校の頃の話をしていたでしょう?」
「ああ」
「教官の椅子を壊したって」
ガイルの表情が明るくなった。
「おっ! 聞きたいか?」
「もちろん」
レイブンは額に手を当てた。
「……長くなるぞ」
エリシアは微笑んだ。
「構わないわ。帰りの船で聞かせて」
ガイルはにやりと笑った。
「よし! じゃあ、最初から全部話してやる!」
レイブンは深く息を吐いた。
「……余計なことまで話すなよ」
「任せとけ!」
「……不安しかない」
帝政歴350年10月20日、午後17時46分。第二港湾地区、帰還用乗船地点。
夕暮れが近づき、港湾施設の影が長く伸び始めていた。
ルナ・V・クロウ《Nyx》率いる三隻の高速戦闘舟艇は、帰還する先遣部隊を収容するため、第二港湾の岸壁へ接近していた。
第一艇の操舵席では、ルナが乗員たちへ指示を出していた。
「第一艇、接岸準備。第二艇と第三艇は周辺警戒を継続して」
『了解!』
「負傷者の搬送が終わるまで、出航しないよ」
『了解!』
ルナは岸壁へ視線を向けた。
そこには、レイブンとガイル、エリシアが歩いてくる姿があった。
「……あっ!」
ルナの表情が明るくなった。
「お兄ちゃん!」
レイブンは手を上げた。
「ルナ」
彼女は岸壁へ降りると、レイブンの前まで駆け寄った。
「無事だった?」
「ああ」
「本当に?」
「本当だ」
ルナはレイブンの身体を見回した。
そして、右肩の包帯に気づいた。
「……お兄ちゃん」
「何だ?」
「……怪我してる」
「打撲だ。大したことはない」
ルナは頬を膨らませた。
「大したことあるよ!」
レイブンは苦笑した。
「……すまない」
「もう……」
ルナは小さく息を吐いた。
そして、レイブンの胸へ軽く額を押し当てた。
「……無事でよかった」
レイブンは優しく彼女の頭を撫でた。
「ああ。ただいま」
ルナは小さく笑った。
「……おかえり」
その様子を見ていたエリシアも、穏やかな表情を浮かべた。
ガイルは腕を組んだ。
「……いい話だなあ」
ルナが振り向いた。
「Houndさんも無事でよかったです」
「おう! 俺は〈不沈の犬〉だからな!」
ルナは笑った。
「でも、ちゃんと休んでくださいね」
「……お前もそれ言うのか」
「当然です!」
レイブンが静かに笑った。
「……今日は全員に休めと言われるな」
エリシアが頷いた。
「それだけ心配されているのよ」
ガイルは肩をすくめた。
「……ありがたいこった」
帝政歴350年10月20日、午後18時09分。帝国軍高速戦闘舟艇第一艇、帰還航行中。
三隻の高速戦闘舟艇が、夕暮れの海を進んでいた。
海面には赤い夕日が反射し、遠方の沿岸防衛線には帝国軍と連邦共和国軍の監視所が点在している。
第一艇の乗員区画では、レイブンとガイル、エリシア、ルナが短い休息を取っていた。
ガイルは座席へ深く腰を沈め、大きく息を吐いた。
「……ああ、生き返る」
レイブンは隣で温かい飲み物を口にした。
「……そうだな」
エリシアも微笑んだ。
「ようやく落ち着けるわね」
ルナは三人を見渡した。
「今日は本当に大変だったね」
ガイルは即座に答えた。
「大変どころじゃねえよ! 朝から七時間以上撃ち合って、地下に潜って、最後は敵が逃げたんだぞ!」
ルナは笑いを堪えた。
「……ふふっ」
レイブンは苦笑した。
「……またその話か」
「当たり前だろ! こんな面白いこと、滅多にねえぞ!」
エリシアは興味深そうに身を乗り出した。
「それより、志願兵学校の話を聞かせて」
ガイルの表情が一変した。
「おっ! 待ってました!」
レイブンはゆっくりと目を閉じた。
「……始まったか」
ガイルは大きく身振りを交えながら話し始めた。
「まずな、あの教官の椅子がとんでもなく古くてよ!」
ルナが目を丸くした。
「椅子?」
「そう! 俺がちょっと触っただけで、バキッて!」
エリシアが笑った。
「それで?」
「教官が戻ってきて、レイブンが説明しようとしたんだけどよ!」
レイブンは静かに呟いた。
「……聞いてもらえなかった」
ガイルは大きく頷いた。
「そうそう! そしたら教官が座って、椅子が真っ二つ!」
ルナは吹き出した。
「ええっ!?」
エリシアも笑い始めた。
「……そんなことがあったの!?」
レイブンは苦笑した。
「ああ」
ガイルはさらに続けた。
「しかも、その後十周走らされてよ! 俺たち、途中から競争始めたんだ!」
ルナは目を輝かせた。
「お兄ちゃんとHoundさんが?」
「そうだ!」
「どっちが勝ったの?」
ガイルは胸を張った。
「俺だ!」
レイブンは即座に答えた。
「引き分けだ」
「おい!」
「事実だろう」
ルナは笑い始めた。
「……あははっ!」
エリシアも笑った。
「本当に、昔から仲がいいのね」
ガイルは満足そうに頷いた。
「おう! こいつとは長い付き合いだからな!」
レイブンは静かに微笑んだ。
「ああ」
船内には、久しぶりに穏やかな笑い声が響いた。
帝政歴350年10月20日、午後18時47分。連邦共和国東部沿岸、共同戦線臨時軍港。
三隻の高速戦闘舟艇が、無事に帰港した。
岸壁では医療要員と補給担当者が待機し、帰還した兵士たちを順番に誘導していた。
レイブンたちも乗船名簿の確認を終え、船を降りた。
その時、共同戦線司令部の連絡将校が近づいてきた。
「NoX、Hound、Valkyrie、NYX。諸君に司令部から伝達事項がある」
四人は立ち止まった。
「何でしょうか?」
レイブンが尋ねた。
将校は書類を開いた。
「本日の旧港湾地区および第二港湾地区における共同作戦について、司令部は成功と判断した」
ガイルが小さく拳を握った。
「……よし」
将校は続けた。
「ただし、港湾施設の完全な安全確認は継続中であり、残存敵兵への対応と民間人保護は後続部隊が担当する」
「了解しました」
「さらに、諸君には本日付で休養命令が出ている」
レイブンが顔を上げた。
「……休養命令?」
「ああ。少なくとも今夜は戦闘任務から外れる。医療確認と装備点検を終えた後、宿舎で休息を取ること」
ガイルは両手を上げた。
「やったあああっ!!」
将校は苦笑した。
「……随分と嬉しそうだな」
「そりゃそうですよ!」
エリシアも安堵したように微笑んだ。
「……よかった」
ルナはレイブンを見た。
「お兄ちゃん、ちゃんと休んでね」
レイブンは頷いた。
「ああ」
ガイルが横から言った。
「おい、NoX!」
「何だ?」
「酒だ! 酒!」
レイブンは苦笑した。
「……覚えている」
「お前の奢りだからな!」
「分かった」
エリシアは呆れたように笑った。
「……ほどほどにしなさいよ」
ルナも頷いた。
「そうだよ!」
ガイルは胸を張った。
「分かってるって!」
その時、レイブンがふと海を振り返った。
夕暮れの海面には、三隻の高速戦闘舟艇が静かに停泊している。
その向こうには、三ヶ月に及ぶ戦闘で守り抜いた海岸線が広がっていた。
旧港湾地区と第二港湾地区の奪還。
地下搬送路の発見。
敵予備兵力の後退。
そして、先遣部隊の帰還。
そのすべてが、長い一日の中で起こった出来事だった。
レイブンは小さく息を吐いた。
「……ようやく終わったな」
エリシアが隣へ立った。
「ええ。今日の戦いはね」
ガイルも近づいた。
「明日は明日で、また何かあるんだろうけどな」
ルナは三人を見上げた。
「でも、今日は帰ってこられた」
レイブンは頷いた。
「ああ」
四人はしばらく、夕暮れの海を眺めていた。
その背後では、帝国軍と連邦共和国軍の兵士たちが忙しく行き交っている。
戦争はまだ続いていた。
しかし、この日だけは、彼らに短い休息が与えられた。
そして、翌朝。
共同戦線司令部には、旧港湾地区と第二港湾地区の奪還によって生じた、新たな戦略的可能性が報告されることになる。
それは、大和国軍が保持する残りの沿岸拠点へ向けた、次なる反撃の始まりを意味していた。




