第150話 強襲上陸――地獄の誘導者達と三人の悪名
第150話 強襲上陸――地獄の誘導者達と三人の悪名
帝政歴350年10月20日、午前04時38分。連邦共和国東部沿岸、帝国・連邦共和国共同戦線前進指揮所。
夜明け前の作戦室には、海図を照らす青白い照明と通信機器の作動音だけが満ちていた。三ヶ月に及ぶ沿岸戦闘によって大和国軍の兵力は減少し、敵が保持する港湾拠点のいくつかでは補給能力の低下が確認されていた。しかし、敵の抵抗が弱まったからといって、そのまま沿岸全域を奪還できるわけではない。河口付近には依然として大和国軍の監視陣地が残り、そこから連邦共和国軍の補給道路へ砲撃が加えられていた。
作戦室の中央には、北東部沿岸の詳細な地形図が広げられていた。
「今回の目標は、この岬の南側に位置する旧港湾地区だ」
連邦共和国軍の作戦指揮官が、海図の一点を指した。
「大和国軍は三ヶ月前にこの港を占領し、沿岸補給の中継地点として使用していた。現在は補給船の寄港が減少しているものの、港湾施設と周辺の高地には敵守備隊が残っている」
帝国軍の連絡将校が続けた。
「陸路からの進入は可能ですが、橋梁が破壊されており、機械化部隊の移動には時間がかかります。そこで、海上から先遣部隊を上陸させ、港湾地区の安全を確認した後、連邦共和国軍の主力部隊を前進させる計画です」
壁際に立っていたレイブン・S・クロウ《NoX》は、腕を組みながら海図を見つめていた。
その隣にはガイル・ベッカー《Hound》と、連邦共和国軍第915旅団所属のエリシア・L・ヴォルハラム《Valkyrie》が並んでいる。
「つまり、俺たちが先に上陸して、後続部隊が進める場所を確保するわけですね」
レイブンの問いに、指揮官は頷いた。
「そのとおりだ。ただし、今回はSHADOW LADYの全員を投入するわけではない。沿岸の警戒任務と防衛線の維持を優先し、先遣上陸部隊は小規模に編成する」
「海上輸送は?」
「帝国軍の高速戦闘舟艇部隊を使用する」
ガイルが顔を上げた。
「……まさか」
レイブンも僅かに眉を動かした。
指揮官は海図の横に置かれた資料を開いた。
「指揮官はルナ・V・クロウ《Nyx》。三隻の高速戦闘舟艇によって上陸部隊を輸送する。NoX、Hound、Valkyrieの三名には、舟艇部隊の護衛と上陸後の地上警戒を担当してもらう」
ガイルは思わず笑った。
「おいおい、こいつは傑作だ!」
エリシアが横目で見た。
「何が?」
「決まってんだろ! 〈塹壕の悪魔〉と〈不沈の犬〉と〈悪魔の飼い主〉が、〈地獄の誘導者達〉の船に乗るんだぞ!」
レイブンは深く息を吐いた。
「……またその話か」
「いや、今回は流石に出来すぎだろ!」
作戦室にいた連邦共和国軍の将校たちも、思わず笑みを浮かべた。
しかし、指揮官はすぐに表情を引き締めた。
「異名がいくつあろうと、銃弾を防げるわけではない。今回の任務は港湾施設の奪還に向けた第一段階だ。無用な損害は避けてもらう」
レイブンは背筋を伸ばした。
「了解しました」
「なお、Valkyrieの参加については第915旅団司令部の承認を得ている。彼女の所属は連邦共和国軍のままだ。帝国軍への編入ではなく、共同作戦における連絡・地上支援要員として参加する」
エリシアも敬礼した。
「了解しました」
「舟艇の航行と海上での安全判断はNYXが担当する。上陸後の地上行動は両軍の承認した計画に従い、NoXが現地の戦術調整を行う。各軍の指揮権は維持すること」
「了解」
指揮官は三人を見渡した。
「諸君の任務は敵を一人残らず倒すことではない。後続部隊が安全に進入できる状態を作り、可能な限り施設を無傷で確保することだ」
レイブンは海図に視線を戻した。
「……承知しました」
帝政歴350年10月20日、午前05時16分。連邦共和国東部沿岸、共同戦線臨時軍港。
まだ薄暗い軍港では、三隻の高速戦闘舟艇が出航準備を進めていた。岸壁では燃料と弾薬の最終確認が行われ、機関員たちがウォータージェット推進装置の点検を続けている。
第一艇の甲板には、白髪の猫系亜人であるルナ・V・クロウ《Nyx》が立っていた。
黒い猫耳が朝の冷たい潮風を受け、白い髪が肩の後ろで揺れている。彼女は携帯端末に表示された積載記録を確認しながら、乗員たちへ指示を出していた。
「第一艇、燃料は?」
「満載です!」
「機関の状態は?」
「異常ありません!」
「第二艇と第三艇は?」
「両艇とも出航準備完了との報告です!」
ルナは頷いた。
「よし。上陸部隊が到着したら、最終確認を始めるよ」
その時、岸壁の向こうから聞き慣れた声が響いた。
「おーい、NYX!」
ルナが振り向くと、ガイルが大きく手を振りながら歩いてきた。その後ろにはBPSG-12を携行したレイブンと、HARを肩に掛けたエリシアが続いている。
「……あっ!」
ルナの表情が明るくなった。
「お兄ちゃん!」
彼女は甲板から岸壁へ降り、レイブンの前まで駆け寄った。
「本当に一緒に乗るんだね!」
「ああ。今回は護衛だ」
「えへへ……」
ルナは嬉しそうに笑った。
「なんだか、久しぶりに一緒に任務をする気がする」
「三ヶ月前にも一緒だっただろう」
「あの時は救助する側とされる側だったもん。今回は最初から一緒!」
ガイルが横から口を挟んだ。
「おいおい、俺もいるんだが?」
ルナは笑顔のまま振り向いた。
「もちろん、Houndさんも歓迎しますよ」
「おう!」
「でも、船の上では私の命令を聞いてくださいね」
ガイルの笑顔が僅かに固まった。
「……へ?」
ルナはにっこりと笑った。
「船の指揮官は私ですから」
レイブンが静かに頷いた。
「そのとおりだ」
「おい、NoX! 少しは親友を庇えよ!」
「海上では船長の命令が優先だ」
「ぐぬぬ……」
エリシアは口元に手を当てて笑っていた。
「ガイル、諦めなさい」
「お前までかよ!」
ルナは楽しそうに笑った後、すぐに指揮官としての表情へ戻った。
「それじゃあ、皆さん。乗船前に装備を確認します。救命装備、通信機器、武器の固定状態を確認してください。航行中は許可なく移動しないこと。敵の攻撃を受けた場合は、私と乗員の指示に従ってください」
レイブンは頷いた。
「了解」
エリシアも答えた。
「分かったわ」
ガイルは大げさに敬礼した。
「了解しました、〈地獄の誘導者達〉の隊長殿!」
ルナは頬を膨らませた。
「もう! その呼び方はやめてください!」
「はははっ! いいじゃねえか、格好いいだろ!」
「格好よくないです!」
レイブンは二人のやり取りを見ながら、静かに笑った。
「……賑やかな航海になりそうだな」
エリシアが隣で頷いた。
「ええ。でも、悪くないわね」
帝政歴350年10月20日、午前05時48分。帝国軍高速戦闘舟艇第一艇。
三隻の高速戦闘舟艇が、静かに軍港を離れた。
第一艇にはルナとレイブン、ガイル、エリシアが乗船し、第二艇と第三艇には帝国軍の舟艇乗員と、共同戦線から派遣された先遣上陸要員が分乗していた。後続の主力部隊は陸上で待機し、先遣隊からの安全確認を受けて前進する手筈となっている。
海面には薄い霧が漂い、東の空が僅かに明るくなり始めていた。
レイブンは甲板の所定位置に腰を下ろし、BPSG-12を身体の前で固定していた。
隣ではガイルが救命装備の留め具を確認している。
「……なあ、NoX」
「何だ?」
「お前の妹、随分と立派になったな」
レイブンは操舵席のルナへ視線を向けた。
彼女は通信機を片手に、第二艇と第三艇へ航行指示を出している。
「そうだな」
「昔はお前の後ろをちょこちょこついて歩いてたのによ」
「ああ」
「今じゃ三隻の船を指揮してるんだから、大したもんだ」
レイブンは小さく微笑んだ。
「……自慢の妹だよ」
その言葉を聞いたエリシアが、優しく笑った。
「ルナが聞いたら喜ぶわね」
「本人には言うなよ」
「どうして?」
「調子に乗る」
ガイルが吹き出した。
「はははっ! そりゃ違いねえ!」
その時、操舵席からルナの声が響いた。
「お兄ちゃん! 聞こえてるよ!」
レイブンは一瞬だけ目を閉じた。
「……耳がいいな」
「猫系亜人なんだから当たり前でしょ!」
ガイルは腹を抱えて笑った。
「ぶははっ! 全部聞こえてやがった!」
ルナは操舵席から振り向き、少し照れたように笑った。
「……でも、ありがとう」
レイブンは彼女を見た。
「何がだ?」
「自慢の妹って言ってくれたこと」
レイブンは僅かに微笑んだ。
「事実だからな」
ルナの白い頬が少し赤くなった。
「……もう」
エリシアは二人を見つめながら、静かに呟いた。
「本当に仲のいい兄妹ね」
帝政歴350年10月20日、午前06時27分。連邦共和国東部沿岸、旧港湾地区南方海域。
「NYX、前方に岬を確認!」
見張員の報告に、ルナは双眼鏡を構えた。
朝霧の向こうに、低い丘陵と古い港湾施設が見えてきた。
海岸には複数の倉庫が並び、その背後には大和国軍が使用していると見られる監視塔が立っている。
「……見えた」
ルナは海図を確認した。
「全艇、速力を落として。ここからは警戒を強めるよ」
『第二艇、了解!』
『第三艇、了解!』
レイブンも立ち上がり、双眼鏡を構えた。
「敵の動きは?」
ルナが答えた。
「今のところ大きな動きはない。でも、港の北側に監視所があるはず」
「分かった」
エリシアが海岸を見つめた。
「倉庫の周囲に人影があるわ」
レイブンは双眼鏡の倍率を調整した。
「……確かに」
ガイルも身を乗り出した。
「おいおい、まだ結構残ってるじゃねえか」
ルナは静かに頷いた。
「敵の数が減ったって言っても、守備隊がいなくなったわけじゃないからね」
その時、第二艇から通信が入った。
『NYX、こちら第二艇。海岸北側に敵の小型警備艇を確認』
「了解。距離を維持して。こちらから先に撃たないで」
『了解!』
ルナはレイブンへ視線を向けた。
「お兄ちゃん、上陸地点を変更したほうがいいかな?」
レイブンは海図を確認した。
「当初予定の砂浜は監視塔から見通されている。別の場所を使うにしても、敵の監視範囲と地形を確認してからだ」
「分かった」
エリシアが口を開いた。
「第915旅団の偵察資料では、岬の南側に古い漁船用の小さな船着き場があるはずよ。今は使われていないけれど、周辺に民家が残っている可能性もある」
「民間人がいるかもしれないな」
レイブンは頷いた。
「まずは確認しよう」
ルナは無線を開いた。
「こちらNYX。共同戦線指揮所、旧港湾地区南側の船着き場について追加確認をお願いします」
『こちら指揮所。了解。偵察情報を照合する』
数分後、返答があった。
『南側船着き場付近に大規模な敵部隊は確認されていない。ただし、建造物内の状況は不明。民間人の残留可能性あり』
ルナは静かに頷いた。
「了解。先遣隊は警戒を維持し、上陸後の識別を徹底します」
レイブンはBPSG-12を握り直した。
「……行くか」
ガイルが笑った。
「おう。久しぶりの上陸戦だな」
エリシアはHARを構え直した。
「三人で護衛するんだから、ルナたちに怪我をさせるわけにはいかないわね」
レイブンは頷いた。
「ああ」
帝政歴350年10月20日、午前06時49分。旧港湾地区南側、廃船着き場沖合。
三隻の高速戦闘舟艇が、古い船着き場へ向けて慎重に接近していた。
岸辺には朽ちかけた木製の桟橋が残り、その周囲には漁業用の倉庫と小さな住宅が並んでいる。
ルナは操舵席で前方を見据えた。
「全艇、上陸準備」
『了解!』
「第一艇、接近速度を調整。第二艇と第三艇は周辺警戒を継続して」
『了解!』
レイブンは救命装備を確認し、ガイルとエリシアへ視線を向けた。
「準備は?」
「いつでもいいぜ」
「私も大丈夫」
レイブンは頷いた。
「上陸後は周辺の安全を確認する。民間人を発見した場合は保護を優先。敵兵が降伏した場合も同様だ」
「了解」
「分かってるぜ」
その時、見張員が叫んだ。
「NYX! 岸辺の倉庫に人影!」
ルナは双眼鏡を構えた。
古い倉庫の窓から、数人の人影がこちらを覗いていた。
「……武装は?」
「確認できません!」
レイブンは双眼鏡を覗いた。
「……子供がいる」
エリシアが息を呑んだ。
「え?」
「窓の奥に小さな人影が見える。民間人かもしれない」
ルナは即座に命じた。
「全艇、発砲禁止! 敵の明確な攻撃がない限り、倉庫方向への射撃はしないで!」
『了解!』
レイブンはエリシアへ視線を向けた。
「言葉が通じるか?」
「現地の言語なら、ある程度は分かるわ」
「頼む」
エリシアは頷いた。
「任せて」
舟艇が桟橋へ近づいた。
その時だった。
突然、港湾地区の奥から銃声が響いた。
銃弾が海面へ着弾し、水柱が立ち上がる。
「敵、発砲!」
「全艇、警戒!」
ルナの表情が一変した。
「第二艇、第三艇、敵射撃位置を確認! 民家と倉庫への誤射に注意!」
レイブンは身を低くしながら、銃声の方向を確認した。
「……港の奥だ」
ガイルが銃を構えた。
「どうする、NoX?」
レイブンは短く答えた。
「上陸する」
エリシアが頷いた。
「了解」
ルナは操舵席から叫んだ。
「お兄ちゃん! 無理しないで!」
レイブンは振り向いた。
「ルナ、舟艇を頼む」
「……うん!」
「俺たちは陸を確保する」
ルナは力強く頷いた。
「分かった。海は私たちに任せて!」
帝政歴350年10月20日、午前06時53分。旧港湾地区南側、廃船着き場。
第一艇が浅瀬へ接近し、上陸要員たちが次々と船外へ移動した。
レイブンはBPSG-12を構え、膝ほどの深さの海水を進みながら岸辺へ向かった。
そのすぐ後ろにはガイルとエリシアが続いている。
「Hound、左側を確認」
「了解!」
「Valkyrie、倉庫側を頼む」
「分かった!」
三人は互いの位置を確認しながら、砂浜へ上がった。
その時、港湾地区の奥から再び銃声が響いた。
銃弾が岸辺の石壁に命中し、破片が飛び散る。
「伏せろ!」
ガイルが叫んだ。
レイブンはエリシアの肩を引き、三人で石壁の陰へ身を寄せた。
「敵の位置は?」
エリシアが答えた。
「港湾倉庫の屋上! 複数いるわ!」
レイブンは無線を開いた。
「こちらNoX。NYX、上陸完了。敵は港湾倉庫方面から射撃中。民間人がいる可能性があるため、倉庫周辺への重火力使用は保留してくれ」
『こちらNYX。了解!』
ガイルが銃口を上げた。
「……ったく、歓迎の仕方がなってねえな」
レイブンは小さく笑った。
「敵も仕事だからな」
「お前、そういうところ妙に冷静だよな」
エリシアが微笑んだ。
「それがレイブンだから」
「はいはい、〈悪魔の飼い主〉さん」
「ガイル!」
その瞬間、港湾地区の奥から新たな銃声が響いた。
レイブンは即座に表情を引き締めた。
「……話は後だ」
二人が頷く。
レイブンは無線を開いた。
「SHADOW LADY、こちらNoX。先遣上陸部隊は陸上へ到達した。これより港湾地区の安全確認を開始する」
『了解!』
続いて、ルナの声が聞こえた。
『こちらNYX。三隻とも航行可能。海上から支援するよ!』
「了解。頼んだ」
レイブンは前方の港湾施設を見つめた。
その背後では、三隻の高速戦闘舟艇が海上警戒を続けている。
陸には〈塹壕の悪魔〉、〈不沈の犬〉、〈悪魔の飼い主〉。
海には〈地獄の誘導者達〉。
かつて大和国軍の兵士たちが恐れた四つの異名が、今、同じ作戦海域へ集結していた。
しかし、レイブンたちにとって重要なのは、その名前ではなかった。
旧港湾地区を確保し、後続部隊の進入経路を開くこと。
そして、可能な限り全員が生きて帰ることだった。
レイブンはBPSG-12を握り直した。
「Hound、Valkyrie。行くぞ」
ガイルが笑った。
「おう!」
エリシアも頷いた。
「ええ。一緒に」
三人は石壁の陰から移動を開始した。
その背後では、ルナが操舵席から陸上の様子を見つめていた。
「……お兄ちゃん」
彼女は小さく呟いた。
「今度は、私が帰り道を守るからね」
そして、無線を開いた。
「こちらNYX。全艇、海上警戒を継続。上陸部隊の帰還経路を確保するよ」
『了解!』
朝日が昇り始めた海岸線で、帝国軍と連邦共和国軍による新たな共同上陸作戦が始まった。
三ヶ月に及ぶ防衛戦から、失われた港湾地区を取り戻すための反撃へ。
その第一歩を踏み出したのは、互いの命を何度も預け合ってきた四人だった。




